境界の斎鬼   作:eebbi

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嵐の跡

 死にかけの鬼を抱え、不死川は闇の中を駆け抜けていた。小脇に抱えた鬼はろくに再生もせず、辛うじて心臓を避けた胸の穴から、血を垂れ流している。蝶屋敷に連れて行ったとしても、結局は死ぬだろう。

 

「何なんだよ、テメェは」

 

 脳裏を過ぎる、半刻前あの山に到着した時のこと。

 麓にいた隊士に聞いた状況。それは、あまりにも整然としていた。三段階に分けられた緊急度。それが隊士の間で正確に共有されている。その対策までもが、齟齬なく運用されていた。

 

 ――正治さんのこと、お願いします。

 山を駆け抜ける途中ですれ違った、一人の隊士の言葉。その、縋るような瞳。知らないとは言え、鬼殺隊が鬼を本気で助けようとしていた。いや、知らないからこそ、その在り方が浮き彫りになっていた。

 

 最後に見た、胸を貫かれながら、慈しみのこもった瞳で鬼に語りかけるあの姿。その目が、誰かと重なったような気がした。

 

「化け物が、一丁前に守ろうとすんじゃねェ」

 

 ――斎鬼くんのこと、ちゃんと見てあげてほしいの。

 あの日、風柱邸で見た懸命な瞳。その手は、懇願するように羽織を握りしめていた。腕の中で冷たくなっていく鬼。この先に、コイツを待つ人たちが確かにいる。それは疑いようがないことだった。

 

 蝶屋敷が見えてきた。足に力を込める。ない交ぜになった感情を振り切って、最後の一歩を踏み出した。

 

***

 

 翌日、蝶屋敷は落ち着きを取り戻していた。差し込む温かな日差しの下、穏やかな時間が流れ、隊士たちの訓練の声が響き渡る。血の匂いは去り、柔らかな花の香りが満ちあふれていた。

 

 ――ただひとつを除いて。

 しのぶはその一室へと向かっていた。手には一通の書状。お館様からの書状には、次の柱合会議の日取りが書かれている。宇髄さんから、毒の成果を取り上げて、柱への推薦を打診されていた。

 

 向かう先は、一人の鬼が眠る部屋。陽だまりから切り離されたように凍える一室。重く、凍りついたその扉を、祈るような気持ちで押し開ける。

 薬と、微かな血の匂い。正面に見慣れた姉の背中があった。顔を伏せ、ベッドの傍らで石像のように座っている。その手は、横たわる鬼の手を力なく握り、ぴくりとも動かない。

 

「……姉さん。手紙、来てたわ」

 

 ひどく掠れた声。これが限界だった。姉さんが顔を上げる。赤くなった瞳。呆けたように、視線がこちらを捉えていない。

 

「……ああ。ありがとう、しのぶ」

 

 奇妙な間が空き、ぽつりと呟く。その顔に浮かぶ、ボロボロの笑顔。力なく手紙を受け取ると、またぼんやりとし始める。

 

 不死川さんが担ぎ込んできた斎鬼は、瀕死と言って差し支えなかった。胸にポッカリと空いた穴。再生が追いついておらず、血液が明らかに足りていなかった。心臓を掠めていなかったことだけが、不幸中の幸いだった。

 

 手の施しようがない。できることは、過去に採取した血液の供給と役に立たない止血で、再生の時間を稼ぐことだけ。姉さんの泣き叫ぶような指示の声が、今だに耳にこびりついていた。

 結果的に、心臓は動いている。だが、それを生きていると言っていいのかはわからなかった。

 

「……柱合会議ね」

 

 姉さんが呟いた。その視線がこちらを向く。その瞳に、消えかけのロウソクのような光が揺らめいている。

 

「……しのぶ、頑張ってね。応援してるから」

 

 そう言って、また顔を伏せる。このまま消えてしまいそうな気配に、心臓が大きく脈打つ。咄嗟に隣に座り、その手を握りしめていた。

 

「姉さんも、一緒に来てほしいの」

 

 とにかく、一人にしたくなかった。この空間から姉さんの心を切り離し、その中に新しい柱を与えないといけないと思った。姉さんが一度、小さく震える。

 

「……そうね。何もできないだろうけど」

 

 凛とした声は鳴りを潜め、ただ、力なくそう呟いた。外から、鳥の鳴き声が聞こえている。冬の寒さが去り始めたというのに、姉さんの手は冷え切っている。それを何とか振り払いたくて、ひたすらに手を握りしめていた。

 

***

 

「おいおい、こりゃどうした。随分と地味なことになってるじゃねぇか」

 

 あの決戦から数日後の昼過ぎ。部屋の空気に似つかわしくない男――宇髄が、蝶屋敷を訪れていた。柱合会議に向けた動きを相談するためだった。

 

「胡蝶妹、こいつは生きてんのか?」

 

「……なんとか。心臓は動いてます」

 

 いつものうるささは鳴りを潜め、宇髄さんが見たことのない静かな雰囲気をまとっている。そして、小さい声で呟いた。

 

「……そうか」

 

 外から、訓練の声が聞こえる。徐々に回復してきた隊士が増え、アオイたちは忙しそうにしていた。姉さんは、相変わらず沈みきっている。今も手を握りながら、ベッドの隣に表情のない顔で座っている。

 ふと、部屋の外から足音が聞こえてきた。入り口がガラリと開く。

 

「あ、カナエ様、しのぶ様、こんにちは。それと……どちら様ですか?」

 

 吉岡くんだ。戦闘の直後は精神状態が不安定だったが、すっかり回復していた。宇髄さんがいつもの空気を放ち、過剰な声量で返事をした。

 

「俺か?俺はなぁ……派手を司る神、祭りの神だ!」

 

 また馬鹿なことを言っている。吉岡くんの顔を見ると、なぜか瞳を輝かせている。

 

「神様だったんですね!初めて見ました!」

 

「……馬鹿なこと言ってないで、用事を済ませてください」

 

 そう言うと、きょとんとした顔をした。だがすぐに破顔すると、快活な声で返事をする。

 

「あ、正治さんの様子見に来ただけなので、お忙しいなら大丈夫です」

 

 また来ますね、と言いながら去っていった。いつも通り騒がしい。だが、彼なりに頑張っていることは分かっていた。

 姉さんの横顔を見ると、わずかに微笑みが浮かんでいる。あの騒がしさが救いにもなっているんだろうと、ため息を吐く。

 

「よし、ド派手な作戦会議といこうか」

 

 そう言って宇髄さんが部屋を出ていく。姉さんがそれを眺め、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……姉さん、行こう」

 

 そう声をかけても、あの鬼の手を離したがらない。一瞬頭に血が昇るが、小さく息を吐く。そのまま、そっと手を握った。

 

「姉さん、お願い」

 

 悲壮な表情を浮かべながら、姉さんが手を離す。その手を引きながら、宇髄さんの後を追った。

 

***

 

 地図が溢れたあの部屋。アオイは、三つの茶碗をその部屋へと運んでいた。あの日の惨劇が遠い昔のことのように、蝶屋敷には、いつもの喧騒が戻ってきていた。隊士たちの訓練の声も、洗濯物を叩く音も、すべてが元通りに聞こえる。

 

「……違う、よね」

 

 みんなが頑張って、『いつも』を守ろうとしている。

 縁側にあった二つの温もり。研究室から響いていた笑い声。この先の部屋にあった喧騒。そのすべてに、欠けてしまった大事なものが取り残されている。翳ってしまったその輝きを、取り戻す方法がわからなかった。

 

 古紙とインクの匂いで満ちた、あの部屋の扉が見えてきた。その先にいる姿を思い描き、少し足が重くなる。

 扉の前。そっと息を吐く。小さくノックした。しのぶ様の返事が聞こえる。扉を開けた。

 

「――こっちはどうするか」

 

 音柱様が、地図を見ながら頭を悩ませている。

 

「あの鬼がいないと、どちらにせよ無理でしょう」

 

 しのぶ様が、にべも無く切り捨てた。しかしその声は、常の鋭さを失っていた。

 

「……斎鬼くんの血鬼術がないと、探索は進められないわ」

 

 正面に座っているカナエ様が、力なく呟く。失ってしまった大切な思い出を必死で探すように、机上に広がった地図の間で手が彷徨っている。その小さな姿から目を背けるように、茶碗を差し出した。

 

「ありがとう、アオイ」

 

 しのぶ様の少しこわばった声。何か返事をしないといけないのに。結局何も言えず、深く頭を下げると、その息苦しい空間から逃げるように背を向けた。

 

 窓の外で太陽が沈もうとしている。日はまた昇る。だというのに、屋敷の陽だまりが一向に戻ってきてくれなかった。

 

 陽が落ち、屋敷が静けさに包まれる頃。作戦会議を終えた音柱様はお帰りになり、しのぶ様は再び毒の調整に入ったようだった。

 

 屋敷の戸締まりのため廊下を歩いていた時、鍛錬場の方から踏み込みの音が聞こえた。警戒しながら向かう。足音を立てないように近付き、その中の様子を窺う。

 そこにいたのは、カナエ様だった。かつての様な流麗な型を舞う。自身の目には捉えられない速度。すべての動きが調和し、芸術のように完成されている。その動きがより加速する瞬間――。

 

 カナエ様の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。木刀を落とし、その場にへたり込む。あの日の肺の損傷が牙を向き、大きな咳と荒い呼吸音が、静寂が包む鍛錬場に響いた。思わず駆け出し、その背に触れた。

 

「カナエ様!無理しないでください」

 

 その視線が、ゆっくりとこちらを向く。焦点が合うと同時に、クシャリと顔が歪んだ。俯き、呟く。

 

「アオイ、ごめんなさい。……一人にさせて」

 

 息が詰まる。もう、見ていられなかった。あの気高く、誰よりも優しかった蝶屋敷の柱が、目の前で砕けていく。言葉を失い、それでも踏み留まっていた時。消え入りそうな声が、やけに大きく響いた。

 

「……お願い」

 

 その小さな姿を見てられず、深く頭を下げ、背を向ける。背後から聞こえる嗚咽に、思わず耳を塞ぐ。逃げるようにして、真っ暗闇の廊下を歩いていった。

 

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