「そうですか!」
夕暮れの蝶屋敷に、鈴を転がすような大きい声が響いた。訪れる張り詰めた静寂。紙をめくる音。直後、歓声と悲鳴が巻き起こった。
いつも通りの遊び。今日はトランプのようだ。カードを裏向きで順番に出し、嘘を見破る。その奥、畳に叩きつけられたかのように大の字で倒れている鬼を、アオイは呆れながら眺めていた。
「正治さん、弱すぎ!」
これで五連敗。無表情なくせに、嘘をつくときだけは本当に分かりやすい。言うまでもなく、この遊びの強者はカナヲだ。彼女はただ、静かにカードを置き、小さく首を傾げるだけ。誰も嘘を見抜けず、嘘も真実も全てが見抜かれる。
弱すぎ。その言葉に反応し、ガバッと斎鬼さんが体を起こした。猛烈な速さでトランプをかき混ぜる。有無を言わさずカードを配り、勝手に第六回戦を始めた。
「……あの男、ムキになってるわね」
通りがかったしのぶ様が、やれやれと肩をすくめながら、ぽつりと呟く。
「……そうですね」
苦笑が漏れる。意外にも負けず嫌いだった。ただ、何度やっても結果は同じだと思う。背後からそっと肩に手が置かれた。
「あらあら。斎鬼くん、嘘つくとき目が泳ぐのよね」
肩から温かさが伝わる。カナエ様だ。たしかに、普段が無表情だから余計に分かりやすい。ため息を吐いて、しのぶ様が廊下を歩いていった。
「私も混ざってくるわね」
目を輝かせながらそう言うと、カナエ様が戦場へと向かう。
「……これは、荒れますね」
あの柔らかい雰囲気とは反対に、カナエ様は蝶屋敷最強なのだ。
「――そうですか」
時が止まった。直後、斎鬼さんがまた崩れる。悪戯な笑顔とともに、また鬼が狩られた。
「まったく……」
その後の惨状に背を向け、台所へと向かった。
***
「ああもう、鬱陶しいわね!」
蝶屋敷の一室から、怒号が響いた。
漂う薬草の匂い。無機質な機器が並ぶその部屋。いつもは淡々とした時が流れるそこが、今日はやたらと騒がしい。
「しのぶ、どうしたの?」
「姉さん、ハエが入ったの!」
元凶はハエ。ブンブンやかましい羽音をまき散らし、飛び回る。その上、叩こうとすると姿を隠す。ハエ叩きをもつ手が、怒りで震えていた。
「あ、いた!」
パチン。しかし、すでにそこにはいない。しのぶの顔がますます赤くなる。
「あらあら、怒ると隠れちゃうんじゃないかしら」
その時、ガタリと入り口が開いた。そこに立つ鬼。
「……何の騒ぎだ」
「そこの鬼!ハエを殺しなさい!」
きょとんとした表情。しばらくして、斎鬼が目を瞑る。やがて、一点を指さした。
「そこにいるぞ」
しのぶの鋭い視線。ハエを捉えた。神速で腕を振り――。
パチン。はたして、そこにはハエがいた。
「良くやったわ」
しのぶが満足げに頷く。その横で、カナエが斎鬼を見つめていた。
「……血鬼術?」
斎鬼が頷く。カナエがぽつり。
「……便利ねぇ」
蝶屋敷には、虫退治のプロがいる。
***
トン、トンと小気味よい音が台所に響く。まな板と包丁。そこには、玉ねぎが置かれている。ツンとした匂いが漂う。その前に立つ長身の男。昼前の台所には、いつもこの姿があった。
「正治くん、いる?」
後ろの方でカナエの声が響いた。しかし、斎鬼の集中は切れない。
「あ、いたいた」
トン、トンと、乱れなく繊細な音が続く。
「もう。いるなら返事してちょうだい」
カナエが隣に立ち、声をかける。その手が肩に触れた。斎鬼の集中が切れ――。
ガキン、と甲高い音が響いた。
静寂。目の前には、折れた包丁。斎鬼が呆然とそれを見つめる。
「……勘弁してくれ」
しょぼくれた声。台所に駆け込んできたアオイが、その光景を捉えた。そして一言。
「またやったんですか!」
斎鬼が顔を上げた。その瞳には、涙が溜まっている。カナエとアオイが、ぎょっとした表情を浮かべた。
「……大丈夫?気にしなくていいのよ?」
「そうですよ。ごめんなさい、きつく言い過ぎました」
「――玉ねぎだ」
憮然とした表情で、斎鬼が告げる。沈黙が流れる。
「玉ねぎだからな」
念押し。カナエとアオイが顔を見合わせる。しばしの間のあと、笑い声が響いた。それを不服そうに睨む鬼。
硝子細工のような平和を、誰もが永遠だと信じていた。