境界の斎鬼   作:eebbi

7 / 61
それぞれの過去

 静寂が辺りを包む夜、古い社の境内は二人だけの稽古場となる。

 鬼である斎鬼と、鬼殺隊の柱である胡蝶カナエ。未知の鬼の情報と柱による稽古。誰にも知られてはならない取引は、そうして幾度となく繰り返されていた。

 

 月光が、その境内を白く照らし出している。

 真剣で打ち合う音が止み、しばしの静寂が訪れた。息を整えるカナエに対し、斎鬼は刀を握りしめたまま、訝しげに眉をひそめていた。

 

「……まだだめか」

 

 ぽつりと漏れた呟きに、カナエは小首を傾げる。

 

「何か、うまくいかないことでも?」

 

「やはり、お前の『兆し』が読めない」

 

 斎鬼は、いら立ちを隠さずに言った。彼の血鬼術は、相手の次の動きや攻撃を、「凶兆」として捉える能力のはずだ。だが、カナエと打ち合っていると、その感覚が妙に鈍る。

 血鬼術による「兆し」。斎鬼はこれに、呼吸音、踏み込む足が立てる微かな音、周囲にある情報の全てを組み合わせようとしていた。

 

「稽古とはいえ、これは真剣での打ち合いだ。だというのに、お前から感じる『兆し』が外れる」

 

「前も言いましたけど、殺気など向けていませんから」

 

 悪戯っぽく笑うカナエに、ふと疑問を抱く。鬼を前にして、この柱は殺意を抱かないのか。

 その時だった。カナエの雰囲気がふっと変わる。それまでの柔和な空気が消え、柱としての研ぎ澄まされた闘気が、肌を刺すように放たれた。

 

「行くわよ、斎鬼くん。今度は本気で」

 

 その言葉に、咄嗟に構える。

 カナエの姿がぶれる。次の瞬間、彼女は懐深くに踏み込んでいた。

 

「花の呼吸、肆ノ型 紅花衣」

 

 以前は受けきれなかったであろう、衣のように体を包む捻りの効いた斬撃。だが今は、その太刀筋が緩やかな光の流れとして見えていた。血鬼術が、呼吸のリズムが、踏み込みの音が、その「兆し」を読み切っている。

 

 ――ここだ

 

 斎鬼は、正面からは受け止めない。突進してくる猪の力をまともに受け止めず、体を捌いて首筋に刃を入れるように、最小限の動きで刃の軌道を逸らす。甲高い音を立てて刀が滑る。同時に呼吸を整え、足元の筋肉を瞬時に再生させることで衝撃を殺し、体勢を崩すことなく、次の一撃に備えた。

 

 カナエは、一撃をいなされたことに驚き、即座に距離を取った。そして、信じられないものを見るかのように、目を丸くしている。

 

「今の動き……!」

 

 彼女の声は、驚きに満ちていた。

 

「すごい!本気だったんだけど…本当に驚いたわ」

 

 純粋な賞賛にむずがゆさを感じつつ、咄嗟に行った自分の動きに、斎鬼自身が戸惑っていた。

 

 ――今までより、太刀筋が鮮明に見えた。

 

 その様子を見たカナエが、笑みを深める。

 

「何か掴めそう?」

 

「……ああ」

 

 繰り返される密会。鬼と鬼狩りという相容れないはずの二人を隔てる壁が、静かに溶けていく。

 

***

 

「さて、今日はここまでね」

 

 そう言うと、カナエは帰り支度を始めた。境内の朽木に腰掛けながら、すっかり見慣れたその姿を眺める。同時に、これまでのことをぼんやりと思い出していた。

 復讐を誓ったあの日。同族を狩る日々。カナエとの奇妙な出会い。

 柱と鬼。本来、相容れない二人だ。それにしては、距離が近くなりすぎていた。

 

「……なぜだ?」

 

 無意識に、かねてより抱いていた疑問が口をついて出る。

 刀をしまっていたカナエが顔を上げる。

 

「鬼は、お前の両親を殺したのだろう。憎いはずだ。殺したいはずだ。それに、恐怖だって。なのに、なぜそんな風に笑える? なぜ、俺を前にして、そんなに優しいままでいられるんだ?」

 

 その問いにカナエの笑みがふっと消え、月を見上げる横顔に、かすかな寂しさの色が差した。

 

「……ええ、怖いですよ。もちろん」

 

 静かな声だった。

 

「あの日、私としのぶの前で、両親はなすすべもなく殺されました。あの時の恐怖と、鬼への憎しみは、今もこの胸に焼き付いて消えません」

 

 目を伏せながら紡がれる言葉。奪われた者の苦しみ。その一つひとつが、斎鬼を苛む。

 

「でも……」

 

 カナエは言葉を続ける。

 

「私は――いえ、私たちは本当は知っているの。鬼だって、元は私たちと同じ人間だったということを。何かとても悲しいことや、耐えがたいほど辛いことがあって、鬼にならざるを得なかったのかもしれない。そう思うと、憎しみだけをぶつけても、決して救われないような気がして……」

 

 彼女の声は、夜の静寂に吸い込まれるように、か細く震えていた。

 

「だから、私は夢見ているんです。いつか、鬼と人が手を取り合える日が来ることを。……馬鹿げた夢だと笑う?」

 

 鬼殺隊という組織とはきっと相容れない、孤独で、儚い夢だった。斎鬼は静かに首を振る。

 

「……笑わない」

 

 ぽつりと、斎鬼が呟いた。

 

「時たま、奴らの最期の思考を拾うことがある。塵になる、その瞬間の…後悔、悲しみ、守りたかった誰かへの想い。奴らは皆、最期は…人間に戻って死んでいく」

 

「それは……」

 

 その声には、驚きと戸惑い、そしてわずかな喜色が混ざっていた。

 

「人間だった頃――正治という名だった頃、親父は猟師をやっていた」

 

 気がつけば、斎鬼は口を開いていた。愚かな鬼の、くだらない後悔だ。

 

「厳格な人だったが、その背中が誇らしかった。……山で獲物を仕留めた後、親父はいつも、獲物の亡骸の前で静かに手を合わせていた」

 

 脳裏に蘇るのは、土と火薬の匂いが染みついた、不器用で大きな手。その手が、自分の頭を優しく撫でてくれた温かい記憶。

 

「『猟は、命のやり取りだ。ただ奪うだけだと思うな。山の恵みに敬意を忘れれば、いつか自分が獲物になる』……それが親父の口癖だった」

 

 父の口癖をなぞる斎鬼の視線が、ふと自分の節くれだった手に落ちる。かつて父のそれとそっくりだと、母に笑われた手だ。

 

「その言葉の意味も忘れ、命を奪い続け、化け物に成り下がったのが、今の俺だ」

 

 自嘲の笑みが、唇の端に乾いたように張り付いた。

 

「……こんなものに、お前の夢を笑う資格はない」

 

 表情と語気とは対照的に、手が血がにじむほど固く握られている。捨てきれない父親への思慕が、深く刻まれていた。

 沈黙が流れる。

 風が木々を揺らす音だけが、二人の間に響いていた。やがて、カナエがそっと、しかし芯の通った声で言った。

 

「……あなたは、化け物なんかじゃないわ」

 

 斎鬼が息を呑んだ。

 

「あなたは、その教えを忘れてなどいない。だからこそ、人を喰らうことをやめ、飢餓という苦しみを受け入れているのでしょう? 奪った命の重さに、今もこうして向き合っている。……それは、お父様の教えを守ろうとする、紛れもない『正治』という人間の心よ。とても、尊いことだわ」

 

 気付くと、固く握っていた手が、カナエの手に包まれている。

 化け物ではない、人間だと。この鬼狩りは、そう言った。

 

 斎鬼が何も言えずにいると、カナエはふいに、それまでの柱としての柔和な微笑みとは違う、もっと明るく屈託のない笑顔を見せた。

 

「ねえ、斎鬼くん!」

 

 突然変わった口調に驚き、斎鬼が顔を上げる。

 

「もう敬語はやめ。私のことも、カナエって呼んで!だって、私たちはもう『取引相手』なんかじゃないんだから」

 

 目の前に仁王立ちするカナエが、ビシッと指をさした。

 

「あなたは、自分の罪と向き合う覚悟を決めた!私は、向き合えば鬼とだって分かり合えるって信じてる。立場は違っても、向いてる方向はきっと同じのはず」

 

 その瞳には先程までの儚げな光はなく、力強い輝きに満ちている。

 

「だから……私たち、友達になろう!」

 

 夜の静寂に、彼女の明るい声が弾ける。斎鬼は、呆然としていた。

 

 友達。鬼である自分が、鬼殺隊の柱と?あまりにも突拍子もない提案に、脳裏で数えきれないほどの思考が渦を巻く。拒絶しろ。馴れ合うな。独りで罪を償い、独りで無惨を追い、独りで地獄に堕ちるのだ。

 

 だが、目の前で「ね!いいでしょ?」と満面の笑みで答えを待つ彼女を見ると、己の意地にこだわることが馬鹿らしく思えてくる。

 長い、長い沈黙が流れた。

 やがて、斎鬼はふっと、息を漏らすように笑った。それは、喜びとも困惑ともつかない、ひどくぎこちない笑みだった。

 何年も忘れていた、筋肉が引きつるような感覚。

 

「……馬鹿なことを言う」

 

 絞り出すような声でそう言いながらも、その口元には、確かに笑みが浮かんでいた。

 

「……好きにしろ」

 

 それが、彼の精一杯の返事だった。

 その返事を聞いて、カナエは花が開くように明るく笑った。

 利害の一致から始まった共犯関係は、互いの過去と痛みを分かち合う、奇妙で、そしてかけがえのない、確かな信頼関係へと踏み出したのだった。

 

***

 

「斎鬼くん。笑った顔、他の人には見せないほうがいいかも」

「……二度と笑わん」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。