2034年 夏
俺が777☆Sと出会ったのは1年前、丁度彼女たちがデビューした頃だ。
当時、上京してTokyo-7thの私立大学に入学したのはいいものの、夢も何も無いままただ学歴のために入学した俺は案の定、入学からの数ヶ月を無為に過ごした。
そんな惰性の日々の中、ふと寄った音楽データショップで流れていたのが『僕らは青空になる』。彼女たちのデビューシングルだった。
真っ直ぐで、誰かの背中をそっと押すような曲。
何も持たない自分には眩しすぎる輝きだったのに、気づけば購入ボタンを押していた。
そしてその日偶然ハコスタでしていた発売記念ライブをライブビューイングで視聴した。バンドアレンジされた『僕らは青空になる』が流れた瞬間、胸が跳ねた。
思わず、口から漏れた。
「……俺の夢って、これか」
そこからの俺の行動は早かった。ネットショッピングで編集機材を購入し、仮歌のための人工音声ツールも購入、さらには大学を辞めて作曲の専門学校に途中入学する──そんな無茶な選択すら、迷いなく踏み切れた。
###2035 初夏
その季節に吹く風は、どこか湿っていた。雨に濡れたアスファルトの匂いが、ゆっくりと胸に沈む。
────だから、今『777☆S』を取り巻く状況が最悪だってことも分かってる。
本来なら3ヶ月ほど前にあるはずだった『エッグホール2034』でのライブが機材トラブルによって途中終演、その隙間を縫うように、『AXiS』が電撃デビューを果たし、鮮烈すぎるパフォーマンスで一気に話題をさらっていった。更に追い打ちをかけるようにそれ以降のハコスタライブでの機材トラブル続き。『777☆S』の名前は、ゆっくりと、しかし確実にネットの急流から押し流されていった。
街を歩けば、ビジョンには『AXiS』。
蛍光色の光が雨雲を反射し、妙に冷たく見える。完全に世間は『AXiS』一色だった。
別に俺は777☆Sの熱狂的なファンって訳では無いしAXiSのことはよく知らない。ただ、作曲家の卵としてはどちらの曲も好きだ。20世紀後期のダンスミュージックをリスペクトしたようなサウンドの『KILL☆ER☆TUNE☆R』はそういった音楽史的視点から見てもかなり意欲的な作品だし、対して『AXiS』の『HEVENS RAVE』は
"あの"『SEVENTH HAVEN』を更に破滅的にしたようなEDM。完成度は新人離れしていて、あれを初動で出せるユニットは相当だ。
──だけど、それでも。
『777☆S』を思うたび、胸の奥で小さな石が転がるような違和感だけが残った。
雨水が靴の中に染み込んでくるみたいに、じわりじわりと気分を重くする。
そんな昼下がりだった。曇り空の下、専門学校の休憩時間。
スマホが震えた。
『なー、お前が前好きだって言ってた777? の子ら路上ライブしてるぞー』
『は!? ちょ待て待てどこ!? 位置情報はよ!!』
画面の光が曇天に反射する。
それだけで、息が一瞬止まった。
気づけば、俺は傘も持たず外へ飛び出していた。
濡れた道を走るたび、靴底が水を跳ね上げ、そのたびに心臓が脈打つ。
胸の中の重苦しさは消えないままだったが、その重さごと走っていた。
路上の小さな広場にたどり着いたとき、『777☆S』の12人が立っていた。
安物のスピーカーを通した音が、湿った空気の中で細く揺れている。
しかし、通り過ぎる人々の反応は淡白だった。
「あれ、誰だっけ」
「777☆Sでしょ」
「あぁ〜いたいた」
「……今はAXiSの方だろ。勢いちげーし」
それらの言葉は雨粒より冷たく胸に落ちた。
俺だけが場違いなほど息を荒げていて、周囲の無関心がやけに静かに見えた。
スピーカーの前に立った『777☆S』は笑顔を崩してはいない。けれど、その笑顔の端にある小さな硬さを、俺は見逃さなかった。
「あの!! 俺ほんまあなた達の歌で人生変えてもらって!! デビューシングルから応援してて!! それ聞いた時から大学やめて作曲の学校行ってて!! いつかあなた達の曲も作るから、待っててください!」
地面に落ちた雨粒みたいに言葉が弾けて、あたりに散らばった。
もう整理なんてできていなかった。
方言はむき出しで、感情だけが前へ転がり出た。
「あ……」
一瞬だけ言葉を失ったように見えた。
その沈黙は重く、だけど不思議な温度があった。
雨の雫が照明に反射して、彼女たちの頬を淡く照らしていた。
「応援ありがとうございますっ! じゃあサプライズアンコールであの曲、やっちゃいます!!」
「「僕らは青空になる」」
灰色の空の下で、全員の声が揃った。
一瞬、世界が静まったように思えた。
曇天さえ透けるような声が、湿った空気を切り裂いて広がっていく。
重苦しい日々も、挫けそうな流れも、通り過ぎる無関心も。
その全部をまとめて越えていくみたいな、力強い響きだった。
思い上がるつもりはない。
俺のために歌ってくれたなんて、そんな都合の良いことは思わない。
けれど、今だけは。
──あの日の夏みたいに、もう一度この幸せに浸らせてほしい