第五階層にて。コキュートスは武器を揃えて仁王立ちし、侵入者を待ち構えていた。
遠くから聞こえる地響きに緊張感が走り、刀の柄に手をかける。恐らく敵襲だろう、仮にガルガンチュアを抜けてきたのだとしたら、もしかしたら侵入者はかつてのプレイヤー達に相当する強さではないだろうか。
しかしいかな敵が来ようとも、コキュートスは武人の名にかけて全力で立ち向かう腹づもりだ。
それにしても、なんだか今日は異様に寒い。
あまりの寒さに震えて……
「………エ?」
おかしい。
自分には冷気耐性が備わっているから、寒さなど感じるはずがない。
一度剣から手を離して両掌を眺めるコキュートスは、己の突如の不調に戸惑いを隠せない。
ならば武者震いというやつだろうか?
(………違う)
これは、寒くて震えているのではない。
恐ろしくて震えているのだ。
「ア………アア……」
まさかと、武人であれと作られた自分が、姿すら見えない敵に恐怖している事実に戸惑いを隠せない。
それでも地響きはどんどん大きくなり続け、コキュートスは過呼吸のせいで白い吐息が止まらない。
来る。
何かが。
恐ろしい何かが、ここへ来る。
「ウ、ウアアアアアアアアアアア!!」
迫りくる『何か』に対する恐怖に絶叫するコキュートスは、手にしていた武器や装備を全てその場に投げ捨てた。
いずれも武人建御雷から授かった大切な武具だというのに、錯乱するコキュートスはまるでゴミのように粗雑に次々と白雪に投げ捨てていく。
全て捨てて身軽になると、コキュートスは背を向けてその場から逃げだした。
敵前逃亡など、階層守護者にあるまじき愚行。
いや、そもそも敵と相対すらしていないのに必死に走り続けるなど、滑稽なことこの上ない。
その姿は誇り高い戦士には程遠い、さながら敗残兵の末路そのものであった。
時は少しだけ遡る。
「あんら〜? 一体どういうこと?」
ニューロニストの拷問部屋に、転移トラップに引っかかったであろうアンデッド達が次々と現れていたのだ。
現在ナザリックに侵入者が現れ、なにが起きてもおかしくない状況とはいえ、こうも味方が何度も罠にかかるなどいくらなんでもおかしい。
侵入者が放り捨てたのか?
でもなんのために、そんな二度手間をする?
待機状態のニューロニストにはわからないことだらけだが、ひとまず彼らを起こして持ち場に戻ってもらうほかない。
「ほらみんな、立って立って」
アンデッドの一体の腕を引っ張って立ち上がらせるが、なんだか彼らの様子がおかしい。
いつもならそのまま命令に従うだけなのに、うつむいて立ち尽くしている。その様はまるで恐怖のあまり呆然とする人間のようだ。
首を傾げるニューロニストがふと何気なく拷問部屋の片隅に視線を向けると、壁に固定された捕虜の人間達が自分を凝視していることに気付いた。
いつもの死を懇願する目と違う。
恐怖しているのは間違いないが、恐怖の質が根本的に違うように見える。
その眼差しに、ニューロニストはなにやら得体の知れない気味悪さを覚えた。
「ん?」
するとふらふらとした足取りのアンデッド達が捕虜達に近づき、あろうことか彼らの拘束を解いていくではないか。
「ちょっと、なに勝手なことしているの!? やめてちょうだい!」
ニューロニストは慌ててアンデッドの肩を引っ張るが、ニューロニストとのレベル差からくる腕力のせいで骨の身体がバラバラになってしまう。
その間にも転移トラップにかかったアンデッド達は次々と拷問部屋に現れてくるため、ニューロニストの手が追いつかない。
すでに自由になった捕虜達はアンデッド達と同じ足取りでニューロニストが愛用する拷問器具に歩み寄るとそれら一つ一つを各々が手に取っていく。
「触るんじゃないわよ!!」
それを見たニューロニストは、思わずいつもより野太い声で怒鳴る。創造主から賜った拷問器具が下等生物の手垢で汚されるなど万死に値することだからだ。
しかし叫び声を聞いた彼らは、一斉にぐるりと首を曲げてニューロニストを見つめてきた。
「っ………!?」
その顔を見た、ニューロニストの喉が引きつる。
なんだ、この目は。
光のない虚ろな目が突き刺さるように自分に向けられ、自身の両手がカタカタと震えていたことに気付く。
(怖い……? 私が!?)
そんなバカな。
自身にとって恐怖の対象は、至高の御方だけのはずだ。
ましてや、ついさっきまで拷問していた下等生物に恐怖するなど……。
困惑するニューロニストに対し、彼らは口の端から涎を垂らしながらふらふらした足取りで歩み寄ってくる。
「ひっ……!」
近寄る彼らを振り払うなり殺すなり、ニューロニストのレベルならば余裕なはずだ。
なのに……
自慢の触手を伸ばし、彼らを突き殺すことができない。
足が震えて、彼らから距離を取ることさえできない。
目の前にまで迫った捕虜達は手にした拷問器具を高く掲げるが、その動きも緩慢でしかないはずなのに。
ゴシャッ
「きゃああああああああああ!?」]
ニューロニストは避けなかった。
続けざまに他の捕虜達も、拷問器具でニューロニストに殴りかかる。
「いやっ、いやあ! 怖いっ、やめてえ!!」
まるで無力な奴隷のように捕虜達の暴力にされるがままのニューロニストの身体は、鋭利な棘が突き刺さり、皮膚が引き裂かれ、触腕を引き千切られ、夥しい血飛沫が噴き上がる。その血を浴びる捕虜達は、尚も虚ろな目でニューロニストの身体を八つ裂きにしていく。
今まで受けた苦痛の報復………
ただ怖いから、殺さなければならなかったから、目の前にたまたまいただけの
恐怖心のままに駆け登る紅蓮は、通路を焼き尽くしながら五階層にまで上ってきていた。極寒の銀世界は炎属性の紅蓮にとって最悪の相性であり、空気中に広がる冷気ダメージが彼のHPを奪っていく。
それでもなお、紅蓮は灼熱の粘体を蠢かせながら入口へと向かう。
彼が這った跡は雪が溶けて水になっているが、すぐさま階層の冷気で凍っていくのだった。
「アァアアぁアアああア!!」
「ヴァアアアッアァァ」
第五階層の入口付近では、
怖い。
怖い。
もういや。
誰か助けて。
口々にそう叫びながらスキルや魔法を乱れ撃ち、中には鋭利な氷柱で自身の喉を掻っ切る彼女達は、泣きじゃくりながら叫ぶ言葉とは裏腹に同士討ちと自傷行為を止めようとはしない。
噴き上がる血は階層の冷気で瞬時に凍りついて固まり、さながら銀世界に咲く赤い華のようだった。
ズズン
と、ふいに地響きが遠くから聞こえ、雪女郎達の視線が入口に集まる。
ガシャアアァァアアァアアアン!!!!
轟音と共に冬空の破片を撒き散らしながら砕けた天井の隙間から、大きな腕が飛び出てきたかと思えば、その腕に見合った巨体が壁を破壊しながら現れる。
その巨体は紛れもなく、第四階層守護者ガルガンチュアだった。
「……っ…………!」
ギシギシと首を軋らせるガルガンチュアは、見下ろした先にまだ辛うじて生きていた雪女郎達を見つけた。
そして………拳を空へ向けて大きく掲げ、彼女達に向けてそれを振り下ろしていく。逃げる素振りすら見せない雪女郎達は岩の拳に殴り潰され、白い雪に赤い血が滲んでいく。
再び拳を振り上げ、ガルガンチュアは眼下の彼女達を殴り続ける。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
地形が変わるほど殴り続けた末、全ての雪女郎達が死んだのを確認したガルガンチュアの身体が、今度は前のめりに倒れ込んで四つん這いの体勢になる。
そころへちょうど紅蓮が辿り着く。
「ーーーーーーーーーー!!」
真紅の粘体を震わせながら咆哮を上げる紅蓮は、そのままガルガンチュアの巨体に絡みつく。粘体の熱によって岩石の身体が高温に熱せられ、ガルガンチュアにダメージが蓄積されていき、その一方で第五階層の冷気ダメージが紅蓮を蝕んでいく、
その様はまるで、とても大掛かりな自傷行為のようであった。
「………」
そこへタイミング良く、第五階層に娘が入ってきた。
普通ならば、彼女の身につける衣服では第五階層の冷気になど耐えられるはずがない。
だがガルガンチュアの体勢はちょうど彼女の頭上を覆うようになっており、そこから発せられる熱波が周囲をほどよい寒さにまで中和し、彼女を凍死させるには至らない。
彼女が歩き出すと、それに追従するかのようにガルガンチュアが四つん這いで進んでいくが、その間も両者に熱と氷のスリップダメージが続き、その命を少しずつ少しずつ削り取っていく。
やがて彼女が出口に到達したと同時に、ガルガンチュアと紅蓮はその場で力尽きたのだった
第五階層、陥落。
どうしても大掛かりな自殺にしてみたかったのです