言葉無き現実
俺がウハクと出会ったのは、魚の養殖が軌道に乗り始めて間もない頃だった。
狩猟頭達から一頭の見慣れぬオーガが集落の近辺に現れたという報告が上がり、様子見と場合によっては討伐の必要があるという兄者の判断から、フロスト・ペインを持つ俺も同行することとなった。
狩猟班達に案内されて木々に囲まれた暗い森を歩き、周辺を警戒しながら俺達は目撃場所へと向かっていく。
「いたぞ」
狩猟班が小さく呼びかけ、指さす先を目を凝らしてみれば、そこには地べたに座り込む粗末な衣を着たオーガの後ろ姿があった。
先手を打つべきかと武器を構える仲間達を、俺は一度片手で制する。まず敵意があるのかどうかを判別すべく、俺はオーガに近づいてみることにした。
だが、オーガとの距離が縮まるごとに、俺は妙な違和感を覚えた。オーガの傍らには一頭の鹿が大人しく寄り添っているのだが、それは本来ならば天敵を前にしてする行動ではないはずだ。
なにより……
(……血の匂いがしない?)
かすかに聞こえる音から察するに、オーガは何かを食べているようだった。だがオーガの周囲からは、肉食動物特有の血や獣臭さがまったくしない。
その事実に戸惑いながらも、俺はゆっくりとやつの正面に立ってみる。
「そこのオーガ、急に声をかけてすまない」
俺の声に反応したオーガは俯いていた顔を上げ、木を削って作ったであろう器に盛られた木の実を頬張りながら、俺の顔を見詰めてくる。
「俺は緑爪族のザリュース・シャシャ、お前と話がしたいのだが…」
オーガは器を傍らに置き、スンスンと鼻を鳴らして俺の匂いを嗅いでいる。
改めてオーガの顔を見れば、その両目に瞳はなくオーガ特有の獰猛な雰囲気は感じられない。唸るでも吠えるでもない、そのあまりにも静かな佇まいに、俺の中である可能性が浮かんだ。
「………お前、喋れないのか?」
[newpage]
そのオーガは俺達を見かけても危害を加えることはなく、それどころか俺の言葉を理解して言うとおりに従ってくれている。
ある程度観察したのち彼に危険性がないと判断した兄者は、こちらから彼に干渉しないことを部族達に厳命し、オーガを監視することに決めたらしい。以降集落の外れに居座るようになったオーガは、誰が命じたのか『ウハク』と呼ばれるようになった。
ウハクは肉を食べずに森で採った木の実だけを口にし、俺の生け簀の魚達に見向きもせず遠巻きに眺めるだけで、たまに俺の仕事を手伝ってくれたりもした。
半年も経てば集落の仲間達からの警戒も薄れ、いつしか子供達が彼に懐くようになっていった。
こんな平穏な日々が、永遠とはいかなくてもそれなりに長く続くと、当時の俺は根拠もなく信じていた。
蜥蜴人の集落全体に告げられた宣戦布告に、部族一丸となって勝利することができた。
ウハクは特に行動を起こすことはなかったが、まあこれは俺達の問題だから当然だろう。
エルダーリッチ・イグヴァを退いたものの、そんなものは糠喜びだったのだと思い知ったのは、宴から間もない頃だった。
その悍ましいアンデッドは天候を操り、沼を一瞬で凍らせ、アンデッドの兵士を操り、巨人を従える力を持つ。
それだけで歯向かうのは無意味だと悟った俺達だったが、不幸中の幸いとでも言うべきか奴らは服従を命じてきた。
条件としてやつが差し向ける配下に勝利すれば手を引くと言っていたが、そんな甘い話はないと子供でもわかる。だがそれでも、例えその戦いが見せしめにすぎないとしても、部族が生き残る道が残されたのならば、最後まで全力で戦うまでだ。
「ではさらばだ、蜥蜴人。[[rb:転移門 > ゲート]]」
用は済んだとばかりに、アンデッドの支配者……アインズ・ウール・ゴウンは虚空に向けて手をかざす。今度はどんな魔法を使うつもりなのかと俺達の身体に緊張が走る。
「………? [[rb:転移門 > ゲート]]」
だがアインズは一瞬だけ、不思議そうに小首を傾げてからもう一度唱える。
何も、起こらない。
自身の手のひらを眺めているアインズの位置は、俺達からは遠いし背中を向いているので、どんな顔をしているのかはわからない。
「アインズ様?」
主君の異変に気付いたのか、傍らの白い女が心配そうに声をかけるが………
次の瞬間、彼らの足元の巨大な氷が溶けた。
いや、溶けたというよりは元に戻った。
『ーーーーーー!?』
突如足場が消えたことで落下する彼らは、主を守ろうと動いたスケルトン達のおかげで沼に叩きつけられることはなかった。
そして俺達もまた、いつの間にか身体が動けるようになっていて、何が起こったのかと辺りを見渡してみれば、俺の右側に見知った影を見つけた。
「ウハ………ク?」
いつからいたのか、俺と兄者を守るように傍らに立つ彼は、泥水をかき分けるようにゆっくりとした足取りでやつらに近寄っていく。
「何者です!?」
当然ながら、白い女はウハクを警戒して主を守るべく目の前に立ち塞がる。
「アインズ様、どうかお下がりくださいませ!!」
女の言葉に、だがアインズは何も答えなかった。
「………アインズ様?」
命令どころか反応がしない主を不審に思った配下達の視線がアインズに集まった時、
アインズ・ウール・ゴウンの身体はバラバラに崩れていった
『!?』
いや、アインズ・ウール・ゴウンだけではない。
傍らの赤い女が、ピンク色の肉塊が、周囲のアンデッド達が、力なくその場で崩れ落ちていくではないか。
女の真紅の目は光を失い白く濁りだし、白い肌はどす黒く変色してグズグズに腐っていき、そこへ蠅がたかり出す。ほかも似たような状態で、それはまるで『死体が動くなんて、そんなことありえないだろう』と、無慈悲に突きつけるかのようだった。
『■■■■■■! ………!?』
それを見た白い女は慌てて虚空に腕を伸ばすが、なぜか自身の指先を見て驚いている。そうすれば必ず『何か』が起こったはずだと確信していたのに、何も起こらなかったことが信じられないと言うように。
それだけではない。
先ほどまで流暢な言葉を発していた女は、急に聞いたことのない言語で叫んでいる。
『■■■■っ! ……!? ■■■■■!?』
赤い男は叫びながらその場でジャンプするが、そのまま泥水に落ちてしまう。
彼は自身の背中を撫で、そこから生えてくるはずの『何か』がないことに混乱しているようだった。
『■■■! ■■■!!』
赤い男は何かを叫んでいるが、それも聞いたことのない言語であった。必死な顔つきから見るに、ウハクに『来るな』とでも命じているのだろうか。
ダークエルフの少女は赤い男を助けるつもりなのか、持っていた木の杖を振りかぶってウハクの背中に殴りかかる。
だが見るからに飾り気のない木の棒は、ウハクの頑強な筋肉に耐えきれるわけもなく、ボキリと真っ二つにへし折れてしまった。
『!? ■、■■■!?』
少年は折れた杖とウハクを交互に見比べて、わけがわからないと涙目になる。
ダークエルフの少年も加勢しようとしているのか、何度も虚空に手をかざして怒鳴っている。
『■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■っ!?』
いずれも言葉の意味は理解できない。
ただ、目の前のウハクという存在に対して、怒りをぶつけているのはなんとなくわかる。自分達がこんなことになるなんておかしいと言っているようだった。
彼らの叫びが聞こえていないのか、ウハクはいつも背中に背負っていた棍棒を握りしめ、まず白い女に狙いを定めた。それに気付いたエルフ達はウハクの胴体にしがみつき、殴ったり引っ掻いたりして止めさせようとする。
しかし子供の腕力如きでオーガのウハクを止めれるわけもなく、空いた手で女の身体を鷲掴むと沼の底に縫い付けるように固定する。
「■■■■! ■■■■■!!」
泥水が口に入り溺れそうになる女に、ウハクはゆっくりと棍棒を握る腕を頭上に高く掲げてから、勢いよく振り下ろした。
グチャッ
そうするとまるで虫でも潰したかのように、女の身体は物言わぬ肉塊に成り果てた。
目の前で仲間を殺された怒りと悲しみからか、涙を流しながらウハクを殴るエルフ達を羽虫でも振り払うように横手に叩くだけで、少年と少女の身体は潰れた。
最後に、逃げようとする赤い男に追いつけば、その片足を掴んで止めた。
そして先ほどと同じように棍棒を振り上げて……
「■■■■■■■ーーーーー!!!!」
最期に口にしたのは、断末魔の叫びか、ウハクへの恨み節か、俺にはわからなかった。
それは俺達に歯向かう意思を奪い取った怪物達としては、あまりにも呆気なさすぎる最期だった。
だが次の光景に、俺達は一瞬だけ呼吸が止まることとなる。
ウハクは先ほど殺した白い女の肉塊をつかみ取ると、
大きな口を開けて、食べたのだ。
「っ………!」
それを見た瞬間、俺は理解した。理解してしまった。
俺達はずっと、思い違いをしていたのだと。
ウハクは肉を食べないオーガなどではなかった。
ただ単に、俺達の前で食べなかっただけだったのだと。
その後も、アインズ・ウール・ゴウンの配下を名乗る者達が、砦に向けて押し寄せてきた。
背筋を正した、白髪の老人。
籠手を嵌めた、黒い髪の女。
嗜虐的に笑う、赤い髪の女。
凍える息を吐く、青い蟲の異形。
醜い笑みを浮かべる、金の髪の女。
見慣れぬ武器を構える、無表情な少女。
背中から蟲の脚を生やした、異形の少女。
虫けらを見るような目をした、槍を構えた女。
その他にも、その他にも、その他にも。
様々な異形達が、主を殺した怨敵を殺してやると、ウハクに襲いかかった。そして、誰もが死んでいった。
白髪の老人は、年相応の体力の限界が来たのか、ゼイゼイと息を切らして膝をついた。
ウハクは、その上から棍棒を振り下ろした。
黒い髪の女は、ウハクに近づいた瞬間に首が胴から落ちて、そのまま倒れてしまった。
身体は赤い女と同じように、ドス黒く腐り果てた。
赤い女は、クロススピアを持ち上げられなくなり、動揺しながらウハクに対し何かを訴えた。
ウハクは、女の胴を掴んでゆっくりと握りつぶした。
青い蟲の異形は、知性を失ったようにその場で四つん這いになり、きゅうきゅうと蟲の鳴き声を上げた。
ウハクは、その上から棍棒を振り下ろした。
金の髪の女は、ウハクに近づいた瞬間にドロリとした青い粘液になった。
粘液は、沼の水に溶けて消えていった。
無表情な少女は、ウハクに近づいた瞬間にピタリと動かなくなった。
ウハクは、大きな手で少女を払って鉄クズに変えた。
異形の少女は、知性を失ったようにどこかへと立ち去っていった。
ウハクは、追いかけてその身体を潰した。
槍を構えた女は、槍が急に重くなったような身振りでウハクに向けて何かを叫んだ。
ウハクは、大きな手で女を払って肉塊に変えた。
いずれも、まるで普通の人間か知性のない獣のように成り果ててから死んでいった。
俺はなんとなくではあったが、彼らが実際は強い存在だったのだと理解していた。
だがウハクと相対した者はみな、まるで魔法という概念が存在しないかのように『これこそがお前の本来の姿だろう』と、有無を言わさず押しつけるかのように、異能を失っていったのである。
最後の刺客が死んで、気付けばウハクは集落からいなくなっていた。
彼が何者だったのか、どこから来たのか、何のために我々を助けてくれたのか。その答えは誰にもわからなかった。
ただ一つ、俺はあることを思い出していた。
俺はウハクを見た時、『思慮深い顔をしている』と思った。
だが兄者はこう言った、『責任感の強い指導者の顔つきだった』。
クルシュはこう言った、『何かを後悔しているようだった』。
ゼンベルはこう言った、『戦いたくてウズウズしている顔だった』。
彼の印象は一人一人から見てバラバラだったのだ。
これが何を意味するかはわからない。
「ザリュース?」
クルシュに声をかけられ、ハッと我に帰る。
あれから集落は滞りなく復興し、それまで交流のなかった部族同士とも共存していった。恐るべき怪物を退けたことを祖霊に感謝するべきなのに、俺は素直に喜べないでいた。あの戦いを通して俺は、ふとある考えに至っていた。
そもそも、この世界こそが歪んでいて、ウハクが見ている世界こそが正しいのではないのか?
二本足で歩き、言葉を話す俺達こそが、間違った存在なのではないか?
そんな恐ろしい可能性に、俺は得も言われぬ寒気を感じずにいられないのだ。
生まれて間もない我が子を抱く妻を抱きしめ、俺は目を伏せた。
少なくともこの思いと命だけは、間違いではないと信じたかったから。
アインズ様達の言語が勝手に翻訳されるのって、なんか詞術みたいですよね。