昼休み。すぐ隣では、ちょうど紗由が弁当を食べ終わったところだった。
「ごちそうさまでした。おばさんにお礼、言っておかないと」
紗由は小さく手を合わせると、顔をこちらに向けてくる。今日は紗由の弁当も、うちの母さんが作ったものだった。怪我人をキッチンに立たせておけないと、そういう配慮だ。
「別に気にしなくていいと思うけどな。もともと材料はあった訳だし」
「アンタってのは……」
紗由は呆れ声を漏らしながらも、それ以上は何も言わなかった。
俺は空になった弁当箱を片付け始める。
「お前のも一緒に片付けちゃうな」
「うん。ありがと」
紗由は不気味なほど素直に、しおらしく言う。
俺はなんだかその様子に調子が狂いつつも、二つの弁当箱をまとめて鞄の中に入れた。
「ね、草介、ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」
「ちょっと、ダメだよ杏菜!」
対照的に、向かい側からはそんな騒がしい声が聞こえてきた。
あっちはあっちで何やってんだか……。
よくわからないが、どうやら八奈見が袴田の弁当を狙っていて、それを華恋さんが必死に阻止しているようだ。
あの華恋さんが八奈見に立ちはだかるなんて、珍しいこともあるものだ。日頃弁当を略奪されている袴田のことを心配に思っての行動だろうか。
「まあまあ、杏菜も華恋も落ち着けって……」
二人に挟まれている袴田は苦笑を浮かべ、攻防戦の中で物理的に左右に揺られていた。あいつはどっちの味方でもないらしく中立を決め込んでいる。
てか美少女二人に挟まれるあの構図、まるで袴田の取り合いをしているみたいじゃないか!
ぐぬぬ、羨ましすぎるぞ袴田草介……!
俺が呑気に目で追っていると、隣の紗由がシャツの裾をひょいひょいと引っ張ってきた。
「ねえ。その。飲み物を買ってきて欲しいんだけど……頼める?」
その声音はやっぱり、どこかしおらしかった。
普段ならもっと雑に使い走りにされるのに、こうも真面目に頼まれるとむずがゆい。
原因は間違いなく今朝の件だ。俺は朝っぱらから紗由に顔面を殴られたのである。
もちろん、俺は悪い事なんてこれっぽちもしていない。
ただちょっと、善意100%の思いで足を怪我した幼馴染を運んでやっただけだ。わざわざ人通りの少ない階段を使ったのに、上り切ったら何故かクラスメイト五人が俺たちを待ち構えていた──というアクシデントはあったが。
流石の紗由も、今朝のあれは理不尽すぎたと反省しているらしい。理不尽な暴力に晒されないのはありがたいのだが、ここまで控えめだと逆に調子が狂ってしまう。
「何が欲しいんだ? 俺が爆速で行ってきてやるよ」
俺は紗由の負い目を吹き飛ばすように、努めて明るく言ってみせる。
「爆速じゃなくていいから。普通の速度で牛乳をお願い」
「まかせろ」
席から立ち上がると、向かい側の三人が一斉に俺の方を向いた。背が高いとこういう時に目立って恥ずかしいんだよな……。
「ちょっと購買行ってくるわ」
そう告げると八奈見がすっと腰を上げた。
「私もいく!」
「八奈見は何買うんだ?」
「草介はお弁当くれないし、おにぎりでも……」
そこまで言って、八奈見は固まる。
「あ・ん・な? もう私との『約束』忘れちゃったのかな?」
八奈見の視線の先では、ゴゴゴゴ、と華恋さんが圧を発していた。
お弁当阻止に続いて今度は睨むなんて、本当に珍しいこともあるもんだ。きっと余程大事な約束をしていたのだろう。
八奈見は逡巡したあと、しゅんとした様子で腰を下ろした。購買行きは諦めたらしい。
「約束ってのはよく分からないが、俺が代わりに行こうか? 杏菜の分も買ってくるよ」
「そういうことじゃないんだけど……」
取り持とうとした袴田に対して、華恋さんは説明に困ったような顔を浮かべる。
「と、とにかく、杏菜は購買に行っちゃダメなの! えと、草介君もダメなの!」
袴田は目を丸くしたが、すぐに人好きのする笑みを浮かべて「分かった」と素直に応じる。
「俺たちは教室でゆっくりしておこうぜ、杏菜」
「う、うん……」
八奈見が同意すると、華恋さんは胸をなでおろしたようだった。よほど八奈見に購買へ行かれては困る事情があるらしい。
「あー、じゃあ、そろそろ、行ってくるな」
四人に軽く告げてから廊下に出た。
てか、八奈見と袴田がダメなら、俺が牛乳のついでに買ってやればいいのか?
ふと気が付いて、歩きながらスマホを取り出す。LINEの画面から八奈見のアイコンを探して……あったあった。なんか知らんうちに八奈見からビッグマックの食レポが届いてるんだけど、これにはどう反応したらいいんだ。
よく分からないから一旦無視して、『おにぎり買ってきてやるけど、具は何がいい? 一個なら奢ってやるよ』とメッセージを送信。
この時間じゃあ、多くの種類は残っていないだろうけど、適当に買うよりは聞いておく方がいいはずだ。土曜日には八奈見に指摘されたことで気付かされることがあったし、これはその時のお礼ということで奢ってやろうじゃないか。
俺はなんて優しい友人なんだろう。さりげなく気が利くところも見せちゃって、こりゃあ華恋さんの好感度爆上がりに違いない。
「待って祐一君!」
そんなことを考えながら一階に下りていくと、とたとたとたっ……と軽快な足音が響いて来て、背中から呼び止められた。
振り返った瞬間、視界に飛び込んできたのは猛スピードでこちらへ駆けてくる華恋さんの姿。
「華恋さん!?」
そう叫んだのは、華恋さんが俺を追いかけてきたことに対する驚きからではなかった。
その……ええと、揺れているのだ。
薄手のシャツにつつまれた暴力的なまでの質量が、すごくダイナミックに。
それをまともに言及できるわけもなく、俺は彼女の名前を叫ぶことによって、健全な思春期男子としての思考を外界へ逃がしつつ、かろうじて社会的体裁を保ったのである。
靴の踵で急ブレーキをかけた華恋さんは、少しだけ息を上げながら俺に向き直った。
一体どうして俺を追いかけてきたのだろう。まさか俺と二人きりになりたかったとか……?
そういえばイオンでも今度は二人きりで……なんて話をしてたし、その続きってことですか!?
まじかよ華恋さん! ちょうど俺も同じ気持ちで──。
「杏菜を甘やかしちゃダメだよ!?」
「待って何の話?」
◇
かくかくしかじか。
購買に向かう廊下を歩きながら、俺は華恋さんが八奈見に立ち向かっていた理由を知った。
あいつ、ダイエット中らしい。
華恋さんは八奈見に届いたLINEを見て、おにぎりを買わせぬために追いかけてきたそうだ。
「杏菜が急にソワソワし出したから、何事かと思って彼女のスマホを──ちょっとだけ強引に──見たの。そしたら……」
あいつ隠し事下手すぎかよ。もっと上手くやってればバレなかったかもしれないのに。
しかし、ダイエット中なのに幼馴染の弁当を狙ったり、あまつさえ購買におにぎりを買いに行こうとするとは。八奈見杏菜、底知れぬ奴だ……。
「これ、ナイショだからね?」
華恋さんは人差し指を口に当てながら小さく首を傾けて厳命してくる。
「もちろん、内緒にするよ」
俺は首をぶんぶんと強く縦に振って答えた。
いくら食欲の権化みたいな八奈見であっても彼女は年頃の女子だ。その体重の話を大っぴらにするほど俺はデリカシーを欠かしていない。
「ふふっ。祐一君は理解が早くて助かるよ」
彼女はくすっと花が綻ぶように綺麗な笑みを見せた。
……人生に感謝。この笑顔を拝めただけで、今日一日を生き抜く価値がある。
華恋さんの笑顔は、たぶんそのうちガンにも効くようになる。まちがいない。
「そういえば、祐一君って杏菜とLINEするんだね。ちょっと意外かも」
ぽつりと呟くように話題が変わった。
「そうかな。必要なら誰にでもするけど」
「だって私にはあんまりメッセージ送ってくれないし」
……やっべぇ。
突然のことに心臓がドキッと跳ねた。せっかく華恋さんとLINEを交換したはいいものの、俺はそのチャンスをさっぱり活かせていないのだった。
無論、こっちから積極的に行きたい気持ちはあるけれど、何を話題にしたらいいか分からないし、送りすぎてキモイとか思われたら嫌だし。そんなこんなで、メッセージを打っては消しを繰り返して、結局ほとんど送れていなかった。
「……その、華恋さん相手だと緊張しちゃって」
「え? どうして?」
華恋さんはきょとんとした様子で首をかしげている。
「ほら、タイミングとかって、あるでしょ?」
「タイミング?」
「忙しいときに送られても迷惑かもって」
「気にしなくって大丈夫だよ? ちゃんと手が空いたら返してあげるから!」
まっかせて! と華恋さんは自信満々に胸を張る。
「そういうわけで、待ってるからね」
「ああ、うん」
……うん!? 待ってる!? それってどういう意味!?
「あっ、購買着いた!」
華恋さんの軽快な声で現実に引き戻される。気が付くと廊下が終わって目の前には食堂が広がっていた。もう昼休みも終わりかけの時間帯だ。人影は少ないが、わずかに残った生徒たちは食後の談笑に励んでおり、まだ賑やかな昼の空気を残している。
いやいや、いま購買とかどうでもいいから! 今の「待ってる」の意味を教えて!?
「購買ってあんまり来ないから、眺めるだけでも楽しいな~」
ショーケースの前まで着くと、華恋さんは中腰になって中を眺め始めた。
もっと早い時間であれば、おにぎりやパンがたっぷり詰め込まれているショーケースは、今では不人気らしい物が点々と残るばかりだった。華恋さんにはこんな寂しい購買じゃなくて、もっと賑やかな時にきて欲しいものだ。すごいぞ、昼は。マジで戦場だから。
てか今更だけど、華恋さんはなんでここまでついてきたんだろう。
何か欲しい物でもあったのか。それとも、単純に購買に興味があったからなのか。
「華恋さんはそのまま見ててよ、俺は牛乳取って来るから」
どちらにせよショーケースに目を輝かせる彼女を引き離すのも申し訳なかったので、俺は単身で飲料の並ぶ小さな冷蔵ケースに向かった。
「牛乳あったよ」
紗由の好きな低脂肪牛乳を手に取って振り返る。そこでは華恋さんがお菓子の棚に手を伸ばして何やら悩んでいるようだった。どうやらトッポとプリッツで迷っているらしい。
「華恋さんも何か買うの?」
「あっ、いや、これはちがくって! 見てたら食べたくなっちゃったとか、ぜんぜんそういうんじゃなくって!」
俺の視線に気が付くと、華恋さんは首をふるふると横に振った。
この人分かりやすいな。そして可愛い。
「そう?」
お菓子の棚に近づいて彼女の横に立つ。
そういえばトッポもプリッツも、箱の中には二つの小袋が入ってるよな……はっ!
「お菓子も買おうと思ってたんだけど、華恋さんはどっちがオススメ?」
「えっ、うーん。どっちも好きだけど、今日はトッポの気分かな」
「買ってくるからちょっと待ってて」
トッポのパッケージを手に取り、牛乳と一緒に会計に持っていく。途中でおにぎりの並んだショーケースが目に入った。残っているのは、おかかのおにぎりが二個だけ。LINEに返信は来ていないけど、八奈見ならどんな具でも食べるだろう。
ちらっと華恋さんの視線を確認してから、俺はおにぎりも手に取った。華恋さんには悪いが土曜日の恩もある。おにぎり一個分の恩返しぐらいは許してほしいものだ。
会計を済ませると、ビニールに包まれたおにぎりを素早くズボンのポケットへ滑り込ませた。
これも密輸のためだ。八奈見よ、差し入れがちょっと温かいおにぎりになっても我慢してくれ。
「華恋さんお待たせ」
声をかけると、待っていた華恋さんに何やらじとっとした目を向けられる。
「……祐一君」
「ど、どうしたの?」
近づいていくと彼女はすっと手を差し出す。
「隠してる物、あるよね」
「えーっと、なんのことだかさっぱり……」
一応しらばっくれてみるが、華恋さんは少し頬を膨らませながら傍までやってきて──大胆にもポケットに手を突っ込んできた。
「嘘はダメだよ?」
「えっ、ちょ……!?」
いや待って! 近い近い近い! 今日の華恋さん積極的すぎない!?
動揺して身動きが取れない間に、ポケットからおにぎりが鮮やかに抜き取られた。
華恋さんは追求するような視線で、眼前におにぎりを突きつけてくる。
「やっぱり。これ、誰のおにぎりかな」
あっ……。
「も、もちろん、自分で食べる用だよ。俺もちょっと小腹が減ってたから……」
「じゃあ、どうして隠したのかな」
「べつに隠したわけじゃなくって。ただちょっと……ええと、そう。あったかいおにぎりが食べたくて。知ってる? 北海道のコンビニじゃあおにぎりをレンジで温めてくれるらしいよ?」
雑学を披露してごまかしてみる。
様子を伺っていると、華恋さんはすたすたと食堂の方に歩いて行って、適当な空席を見つけるとそこに腰を下ろした。
「ふーん。そっか、そっか。じゃあ、ここで食べちゃおうよ」
「へ?」
「おにぎり。お腹減ってるんでしょ? 私が見ててあげるから」
そう言うと、華恋さんは隣の席に座るよう促してくる。
このシチュエーション、ずっと求めていた華恋さんと二人でのご飯ってことでは!?
いや待てよ。早く戻らないと紗由の牛乳がぬるくなってしまう。それは不味いんじゃないか?
お、俺はいったいどうすれば……。
「で、でもほら。このおにぎり、温めておきたいし──」
「レンジならそこにあるよ?」
「……」
「温めて、一緒に食べよ?」
すまん紗由。今日はぬるい牛乳で我慢してくれ。
俺はおにぎりをレンジに入れた。意中の相手から発せられる『一緒に』なんていう必殺ワードを前にして、抗える男子高校生などこの世に存在しないのだ。
「はい。いただきまーす」
「い、いただきます」
温められたおにぎりを手に持ち、口を開く。
その間、隣に座っている華恋さんは何かを口にするでもなく、頬に手を当てじーっと俺を見つめていた。まるで動物園の餌付けを見守る飼育員のような眼差しだ。
おにぎりを食べきるまでは意地でも逃がさないつもりらしい。
中庭から差し込む日差しが華恋さんの髪を淡く透かしてきらきらと輝かせている。そこに浮かんでいるのは、さながら女神のような微笑みだった。
とても綺麗……なのだが、いくら相手が華恋さんとはいえ、こんな距離で見つめられたままではご飯が喉を通らない。
たまらず、俺は口元まで運んでいたおにぎりを一度下ろして、机に置きっぱなしだったトッポの箱をそっと華恋さんの前までスライドさせた。
「華恋さんも食べる? トッポ」
「いいの?」
「うん。華恋さんのオススメだしさ。それにほら、中に小袋が二つ入ってるでしょ? せっかくだから半分こしようと思って」
「ありがとう。やっぱ優しいね、祐一君は」
彼女は少しも驚いた様子を見せず、まるで最初から分かっていたみたいに嬉しそうに目を細めた。綺麗に箱を開けて銀色の小袋を取り出すと、華恋さんは慣れた手つきで一本引き抜いて小さく開いた唇へと運ぶ。
「おいひいよ」
「そ、そう。ならよかった」
サクサクと小さく音を立てながら、小動物のように先端から食べ進めていく華恋さん。
あざとさ満点の愛らしい仕草を前に、俺も必死に平静を装いながらおにぎりを一口かじった。
「ふふっ」
やがて最後の一口を飲み込んだ華恋さんは、唇の端に悪戯っぽい笑みを浮かべながら囁いた。
「だから……分かったんだよ?」
「え?」
「私がダメって言っても、おにぎりを買ってきちゃうんだろうなって」
「ごふっ!?」
お見通しだったという衝撃と、悪戯っぽい笑顔の破壊力……俺は飲み込みかけていた米粒が気管に入りかけて、派手にむせた。
「うわぁ! だ、大丈夫!?」
咳き込む俺の背中に、とんとんと優しく柔らかな手のひらが当てられる。
心配してくれる華恋さんを慌てて手振りで制止し、自分の胸元を軽く叩いて呼吸を整える。
「お、お茶でも買ってこようか? まだ購買も開いてるよ?」
「だ、大丈夫……っ。平気だから……。けほっ」
なんとか体勢を立て直すと、少しむせながらも残ったおにぎりを急いで胃袋へと流し込んだ。
俺が落ち着いたのを見届けると、華恋さんは机の上のトッポを指差しながら小首を傾げる。
「祐一君もトッポ食べる?」
「貰おうかな」
俺は箱の中に残されたもう一つの小袋へと手を伸ばした──その瞬間。
「あっ、待って」
短い言葉と共に、俺の手の甲の上に華恋さんの柔らかくて暖かい手がそっと重ねられた。
予想外な肌の温もりを前にして、全身に雷のような衝撃が走る。
「お昼休みも残り少ないし、もう開けちゃったから、こっちを二人で分けちゃおうよ」
華恋さんは小袋からすっとトッポを一本取り出すと、迷いのない手つきで真っ直ぐ俺の口元へと差し出してきた。
……差し出してきた? 差し出してきてる!?
待って!? これって、まさか……あーんってやつですか!?
差し出された一本のトッポ。香ばしいプレッツェルと、その根元をつまむ華恋さんの白くて細い指先。目が泳いで、視線があちこちを彷徨いだす。
机の上に広がるトッポの箱。隣に佇む水滴の付いた牛乳パック。食堂と奥に広がる中庭。
「どうしたの? 祐一君」
「いや……」
「食べないの?」
「……た、食べるけど」
「じゃあ、はい、どうぞ!」
やがて、視線は俺に向けられたトッポの先端に戻ってきた。
華恋さんは無邪気に、けれど有無を言わせぬ圧力で、トッポをさらに前へと押し出してくる。
覚悟を決めた俺は、口を小さく開いた。
トッポが華恋さんの手を離れて、俺の口元に収まった。それと共に、サクッとした軽い食感と、甘いチョコレートの風味が口いっぱいに広がる。
食べているうちに顔が熱くなってきて、視線を華恋さんから逸らしてしまった。
たった一本。普段なら物足りなさを感じる量のはずなのに、今はこれ以上ないほどの満足感があった。
ちらっと華恋さんの様子を伺うと、彼女の白い頬が淡い桜色へと染まっていくのが見えた。
先ほどまでの強気な余裕はどこへやら、華恋さんは視線をあちこちに彷徨わせながら、小さく縮こまってしまった。
「あーっ、えーっと。そ、そろそろ、教室に戻ろっか!」
やがて、華恋さんは少し裏返った声で言う。
まだ熱の引かない俺もそれにコクリと頷いて同意した。
◇
教室に戻ると、中ではまだ談笑する声が残っていた。予鈴が鳴るまでにはまだ少し時間がある。
教室の真ん中では先ほどと変わらず、袴田、八奈見、そして紗由の三人が集まっていて、俺たちはいつものように戻っていった。
「二人ともおかえり~」
八奈見がこちらに気づいて、ひらひらと手を振ってくる。
「遅かったな」
続けて言ったのは袴田だった。
「牛乳買ってくるだけだったんだろ?」
「あ、あぁ」
言われてみれば、確かにそうだ。
牛乳一本買うだけなら、普通はもっと早く戻ってこられる。
こいつ中々に鋭い指摘をしてきやがる。
「購買でいろいろ見てたら遅くなっちゃって」
何か言い訳を……なんて考えている内に、隣の華恋さんが答えていた。
「購買を?」
「うん。いろいろ見てたら楽しくなっちゃって。それで祐一君を連れまわしちゃった」
「なるほどな」
袴田はそれ以上追及することなく、納得したようにうなずく。
助かった。
俺としては、まさか食堂であったことをそのまま言えるわけが無かった。
八奈見のために買ったおにぎりを自分で食い、ついでにトッポを華恋さんに「あーん」までしてもらいました、なんて……。
いやまて。なんで言えないんだ? 別に隠すようなことじゃ──。
「で、牛乳は?」
紗由の声ではっとして、慌てて牛乳パックを机に置く。
食堂でなんやかんやしている内に、パッケージは水滴ですっかり濡れていた。
「遅くなって悪かったな」
「ううん。ありがと」
紗由は牛乳を受け取ると、ちらりと華恋さんを見て、それからもう一度俺の顔をジッと見つめてくる。何か言いたげに眉を寄せたが、結局は何も言わずに俯いた。
パキッと小さな音を立ててストローを差し、小さな唇で牛乳を一口吸い込む。
「……ぬるい」
微かに、紗由の声が聞こえてきた。