正直ジョンが好きなので書きました。

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## 第一章 運命の糸が絡まる朝

 

霧が街を包み込んだ朝のことだった。石畳に響く足音は軽やかで、まるで希望そのものが歩いているかのようだった。

 

木でできた少年が一人、学校への道を急いでいた。ピノキオ――その名前の通り、松の木(Pine)から生まれた奇跡の子供は、今日という日に胸を躍らせていた。初めての学校。初めての友達。初めての学び。全てが輝いて見えた。

 

しかし、慣れない足取りが彼を裏切った。角を曲がろうとした瞬間、小さな石に躓いて転んでしまう。

 

「痛っ...」

 

膝をこすりながら立ち上がろうとする彼の前に、二つの影が差した。

 

「おやおや、大丈夫かい?」

 

声の主は、赤毛のキツネだった。山高帽を斜めに被り、ステッキを小粋に回しながら、いかにも人当たりの良さそうな笑顔を浮かべている。その名をジョン・ワシントン・ファウルフェロー。通称「正直ジョン」。

 

彼の隣には、黒と白の斑模様の猫がいた。ギデオンと呼ばれるその猫は、兄貴分の真似をしてシルクハットを被っているが、明らかにサイズが合っておらず、時々ずり落ちそうになっている。

 

「ありがとうございます」

 

ピノキオが礼を言うと、ジョンの目が一瞬、鋭く光った。歩く人形――これほど価値のある「商品」は滅多にお目にかかれない。

 

「君は学校に行くところかい?」

 

「はい!今日から学校に通うんです」

 

ピノキオの声には純粋な喜びが満ちていた。その無垢な輝きを見て、ジョンの目が鋭く光った。これほど扱いやすい獲物は滅多にいない。

 

「学校かい。それは...素晴らしい」

 

ジョンの声には、微妙な含みがあった。

 

「でも、君のような特別な存在には、もっと特別な道があるかもしれないね」

 

「特別な道?」

 

「そうさ。君は歩く人形だろう?それは世にも珍しい奇跡だ」

 

ジョンは演劇的な身振りで語りかけた。かつて舞台で磨いた話術が、今、悪魔の囁きとなって少年を誘惑する。

 

「君にはスターになる素質がある。舞台で歌い踊れば、世界中の観客が君に魅了されるだろう」

 

ピノキオの目が輝いた。

 

「スター?僕が?」

 

「そうとも!」

 

ジョンは確信を込めて言った。この瞬間、彼は完全に獲物を捕らえたことを知っていた。

 

「でも、僕は学校に...」

 

「学校?」

 

ジョンは大袈裟に笑った。その笑い声には、教育というものへの軽蔑が込められていた。

 

「Hi-Diddle-Dee-Dee! An actor's life for me!」

 

突然歌い出したジョンに、ピノキオは完全に魅了された。その歌声には確かに魔力があった。かつて劇場を満員にした、人の心を操る力が。

 

ギデオンも主人の真似をして踊ろうとしたが、大きすぎる帽子が目にかかって前が見えず、よろめいて近くの街灯にぶつかった。頭に星が飛んでいるような顔をしながらも、なぜか嬉しそうに尻尾を振っている。

 

「すごい!とっても上手です」

 

ピノキオの拍手に、ジョンは内心で勝利を確信した。

 

「君もできるようになるさ。ストロンボリの劇場を知っているかい?」

 

「ストロンボリ?」

 

「そうさ。偉大な興行師だ。彼のもとで修行すれば、君は必ず大スターになれる」

 

ピノキオは迷った。父親のゼペットは学校に行くように言っていた。しかし、ジョンの話はあまりにも魅力的だった。

 

「でも、お父さんが...」

 

「父親というのは心配性だからね」

 

ジョンは優しく微笑んだ。その笑顔の裏で、彼は冷酷な計算を続けていた。

 

「でも真の愛情とは、子供の才能を伸ばしてあげることじゃないかな?君が有名になれば、お父さんもきっと喜ぶよ」

 

この言葉が決定打だった。

 

「わかりました。ストロンボリの劇場に行ってみます」

 

ピノキオは学校への道を捨て、ジョンとギデオンについて行くことにした。

 

ギデオンは嬉しさのあまり宙返りを試みたが、当然失敗して頭から地面に突っ込んだ。それでも満足そうな顔をしているのは、この猫の不思議な特徴だった。

 

「どうだ、ギデオン?」

 

ジョンは得意満面だった。

 

「俺の話術にかかれば、こんなものさ。世の中、要領なんだよ」

 

彼の声には、人間の純真さに対する軽蔑が滲んでいた。

 

「純真な子供ほど扱いやすいものはない。あの人形坊やは金のなる木だ」

 

ジョンには罪悪感のかけらもなかった。むしろ、ピノキオの純真さを心底馬鹿にしていた。

 

「学校だって?ばかばかしい。あんな愚直な生き方をしていたら、一生貧乏のままだ。俺は賢く生きているのさ」

 

彼は弱者を食い物にすることに何の躊躇もなかった。世の中を悪賢く渡り歩く知恵こそが、真の才能だと信じて疑わなかった。

 

 

## 第二章 失われた栄光の残響

 

だが、この男がここまで堕ちるには、長い道のりがあった。

 

十年前、ロンドンの片隅にある小さな劇場「グランド・イリュージョン座」で、ジョン・ワシントン・ファウルフェローは輝く新星だった。

 

「世にも珍しい、口八丁で喋るキツネ」――これが彼の芸名だった。舞台の上で彼が歌う「Hi-Diddle-Dee-Dee!」は、観客の心を鷲掴みにした。子供から大人まで、誰もがその歌声に魅了された。

 

劇場の支配人マクレガー氏は、ジョンを我が子のように可愛がった。

 

「君こそが、この劇場の宝石だ」

 

そう言って頭を撫でる時の手は、いつも温かかった。ジョンは幼い頃に父親を亡くしており、マクレガー氏は彼にとって父親代わりの存在だった。

 

成功は瞬く間にやってきた。新聞の劇評欄には「天才キツネ役者」の見出しが躍り、他の劇場からも引く手あまただった。ジョンの楽屋には、ファンからの手紙が山と積まれていた。

 

しかし、成功は彼の中に毒を植え付けていた。称賛に酔いしれるうちに、ジョンは自分が何者であるかを見失っていった。観客が愛していたのは彼の「話術」であって、彼自身ではないということに、彼は気づこうとしなかった。

 

転機は十九歳の時に訪れた。劇団に新しい演出家ウィルソン氏がやってきて、ジョンの本質を見抜いたのだ。

 

「君の話術は確かに素晴らしい。しかし、それだけでは真の役者とは言えない」

 

「僕は観客を魅了している。それが何よりの証拠じゃないですか」

 

「魅了しているのは『君』ではなく、『君の話術』だ。役者は自分を消して役になりきらなければならない。君はいつも『ジョン』のままだ」

 

この指摘に、ジョンは激しく反発した。自分こそが観客の愛する存在だと信じて疑わなかった彼には、その批判を受け入れることができなかった。

 

そして、決定的な事件が起きた。

 

劇団に加わった二人の女優――純真なセシリア・ローズと、したたかなエミリー・グレイとの三角関係である。

 

ジョンは巧妙に二人を操った。セシリアには「君だけが特別だ」と囁き、エミリーには「君のような知的な女性は珍しい」と持ち上げた。

 

「女という生き物は実に単純だ」

 

彼は酒場で豪語していた。

 

「甘い言葉をかければ簡単に転ぶ。愛?ばかばかしい。俺が愛しているのは、女どもを手玉に取る自分の手腕だけだ」

 

彼にとって、二人の女性の感情は玩具でしかなかった。セシリアの純真さを利用し、エミリーの野心を煽る。どちらも自分の快楽と自尊心のための道具に過ぎなかった。

 

しかし、このような卑劣な関係が長続きするはずはなかった。

 

運命の夜は、劇団の慰労会で訪れた。セシリアがジョンにサプライズを仕掛けようと花束を持って部屋を訪れると、そこには親密そうに語り合うジョンとエミリーの姿があった。

 

「ジョン...?」

 

セシリアの声は震えていた。花束が床に落ち、白いバラの花びらが血のように散らばった。

 

「セシリア、これは...」

 

ジョンが弁明しようとした時、エミリーが冷笑した。

 

「とうとうバレちゃったわね」

 

「あなたは私を愛していると言ったじゃない!」

 

セシリアの涙に、ジョンは最後の切り札を使った。

 

「愛にはいろいろな形がある。君への愛と、エミリーへの敬意は別のものだ」

 

しかし、真実の前では、どんな話術も無力だった。

 

事態はさらに悪化した。セシリアの兄が軍人で、妹を傷つけた男を許すつもりはなかった。彼は劇団に乗り込んできて、劇団員たちが見つめる中、ジョンの頬を平手で打った。

 

「貴様のような男が、純真な妹を弄んだというのか」

 

ジョンは初めて公然と屈辱を味わった。

 

マクレガー支配人は苦渋の決断を下した。

 

「ジョン、君には劇団を去ってもらう」

 

「支配人、お待ちください。私は—」

 

「もう十分だ。君は才能があった。しかし、才能だけでは人間は成り立たない。君は人としての何かを失ってしまった」

 

こうして、ジョン・ワシントン・ファウルフェローの栄光は終わりを告げた。劇場界での悪評は瞬く間に広まり、どの劇団も彼を受け入れようとはしなかった。

 

 

## 第三章 堕落への螺旋

 

劇団を追放されてから三ヶ月が経った頃、ジョンは場末の酒場で酒に溺れていた。昼間から酒を煽り、過去の栄光を語って聞かせるみすぼらしいキツネ――それが今の彼の姿だった。

 

「俺はな、昔は大スターだったんだ」

 

最初こそ物珍しがって聞いていた客たちも、毎日同じ話を繰り返すジョンに飽き果てていた。

 

「Hi-Diddle-Dee-Dee...」

 

かつては観客を魅了した歌声も、今では酔っ払いの戯言にしか聞こえなかった。

 

そんなある日のことだった。酒場の外で、ジョンは一匹の猫と出会った。その猫は奇妙なことに、まったく鳴き声を発しなかった。黒と白の斑模様の小柄な猫で、どこか間の抜けた表情をしていた。

 

「何だい、お前は?」

 

ジョンが話しかけても、猫は無言のままだった。しかし、なぜか人懐っこく尻尾を振って見せた。

 

「変な猫だな。名前は?」

 

猫は首を振った。

 

「そうか、なら俺が付けてやろう。ギデオンはどうだ?聖書の士師の名前だ」

 

猫――ギデオンは嬉しそうに頷いた。ただし、勢いよく頷きすぎて転んでしまった。

 

この瞬間から、二匹の奇妙な友情が始まった。

 

ギデオンは愛嬌はあったが、お世辞にも頭が良いとは言えなかった。ジョンの話の半分も理解していないくせに、いつも適当に相槌を打つのが癖だった。しかし、そんな単純さが、ジョンには心地よかった。批判も軽蔑もない、無条件の忠誠心があった。

 

「なあ、ギデオン。俺たちにはまだ可能性があるんじゃないか?」

 

ギデオンは首をかしげたが、すぐに嬉しそうに頷いた。理由は分からないが、ジョンが嬉しそうなら自分も嬉しいのだ。

 

「芝居の世界は俺を拒絶した。でも、世界は劇場だけじゃない。街全体が俺たちの舞台になるんだ」

 

ジョンの頭に、邪悪なアイデアが浮かんだ。詐欺師として生きていくという発想だった。

 

最初の「仕事」は、偽の募金活動だった。ジョンは慈善団体の代表者を名乗り、災害被災者への義援金を募った。

 

「この度の大洪水で、多くの家族が家を失いました」

 

しかし、彼が語る「大洪水」は完全な作り話だった。新聞で読んだ遠い国の災害を、あたかも近隣で起きたかのように語っていたのだ。

 

「少しでもお力をお貸しいただければ...」

 

通行人たちは財布を開いた。ジョンは内心で彼らを嘲笑っていた。こんな安っぽい演技に騙される愚か者たちめ、と。特に、涙を浮かべながら小銭を差し出す老婆を見て、心の中で舌を出した。

 

「哀れな連中だ。同情心なんて、金を巻き上げるための道具に過ぎない」

 

一日で集めた金額は、酒場での一ヶ月分の生活費を上回った。

 

「どうだ、ギデオン?馬鹿どもから金を毟り取るのは朝飯前だろう?」

 

ギデオンは嬉しそうに飛び跳ねたが、やはり着地に失敗して転んでしまった。それでも満足そうな顔をしているのは、この猫の不思議な特徴だった。

 

こうして、二人の詐欺師生活が始まった。ジョンは次々と卑劣な手口を考案した。病気の母親の薬代、戦争で失明した兄の手術費、火事で家を失った家族の支援金――全て嘘八百だった。

 

「俺の演技を見ろ。涙まで流せるんだ。人間の感情なんて、これほど安いものはない」

 

彼は他人の善意を踏みにじることに快感すら覚えていた。劇場で失った自尊心を、街角での「成功」で取り戻そうとしていたのだ。

 

「いつかビッグになるぞ、ギデオン」

 

ジョンは常にそう言っていた。そして、その「ビッグなチャンス」が、運命の朝に歩く人形の形でやってきたのだった。

 

 

## 第四章 運命の歯車が回る時

 

ストロンボリの劇場は街の外れにあった。派手な看板と色とりどりの旗で飾られた、いかにも興行師らしい建物だった。

 

ストロンボリ自身は、太った口髭の男で、金儲けのことしか頭にない典型的な悪徳業者だった。しかし、彼には商売人としての嗅覚があった。

 

「歩く人形だと?」

 

ストロンボリの小さな目がギラリと光った。

 

「本物か?踊れるか?歌えるか?」

 

「ご覧になってください」

 

ジョンはピノキオに促した。ピノキオが無邪気に歌い踊ると、ストロンボリは狂喜した。

 

「素晴らしい!これは大当たりだ。一晩で千金稼げるぞ」

 

彼は震える手でジョンに金貨の袋を渡した。ずっしりとした重さに、ジョンの目が輝いた。

 

「では、お任せします」

 

ジョンとギデオンがその場を立ち去る時、ピノキオが不安そうに振り返った。

 

「ジョンさん、また会えますよね?」

 

その純真な瞳を見て、ジョンは内心で嘲笑った。愚かな人形め、また会えるかどうかはお前の値段次第だ。

 

「もちろんだとも。頑張るんだよ」

 

嘘の微笑みを浮かべて、ジョンは軽やかな足取りで去っていった。

 

その夜、酒場でジョンとギデオンは「成功」を祝っていた。

 

「見たか、ギデオン?俺の手腕を」

 

ギデオンは嬉しそうに頷いて、ビールジョッキを持ち上げようとしたが重すぎて転んでしまった。

 

「あの人形坊やは本当に純粋だったな。だからこそ、金のなる木になった」

 

ジョンは自分の邪悪さに酔いしれていた。

 

「世の中、騙される方が悪いのさ。俺たちは悪知恵を使って生きているんだ」

 

彼はピノキオの父親ゼペットが、息子の失踪を心配していることなど想像もしなかった。いや、想像できたとしても、まったく意に介さなかっただろう。

 

「あの爺さんも、人形を作るよりも現実を見るべきだったな。世の中はもっと残酷なんだから」

 

ジョンにとって、他人の苦しみは自分の利益のための代償に過ぎなかった。

 

しかし、翌日、衝撃的なニュースが舞い込んだ。ピノキオが劇場から逃げ出したのだ。

 

ストロンボリは激怒し、ジョンを呼び出した。

 

「貴様、不良品を掴ませたな!」

 

「そんな、彼は確かに...」

 

「金を返せ!でなければ貴様の皮を剥いでやる!」

 

ジョンは慌てた。彼らは既に金を使い込んでいた。

 

その時、新たな男が現れた。コーチマンと呼ばれる不気味な男で、彼もまた子供を食い物にする商売をしていた。

 

「面白い話が聞こえてくるじゃないか」

 

コーチマンは悪魔的な提案を持ちかけてきた。

 

「俺は『プレジャー・アイランド』という遊園地を経営している。悪い子供たちを連れて行って...特別な商売をしているんだ」

 

ストロンボリの目がギラリと光った。

 

「その人形野郎を再び捕まえれば、俺たちで山分けしよう。今度は確実に縛り付けておく」

 

ジョンに迷いはなかった。金になるなら何でもやる、それが彼の信念だった。

 

「分かりました。やってみます」

 

 

## 第五章 二度目の裏切り

 

数日後、街でピノキオと再会した時、ジョンの心に迷いはなかった。この二度目の騙しは、自分の技量を見せつける絶好の機会だった。一度騙した相手を再び騙すなど、真の詐欺師でなければできない芸当だ。

 

ピノキオは最初の騙しにも関わらず、まだ彼を信頼していた。その肩には、小さなコオロギが止まっていた。ジミニー・クリケットである。

 

「ジョンさん!」

 

ピノキオの無邪気な笑顔を見て、ジョンは内心で高笑いした。この愚かな人形は、まだ自分を信じているのだ。

 

「やあ、ピノキオ。元気だったかい?」

 

「はい!でも、あの劇場は怖かったです」

 

「待って!」ジミニー・クリケットが警告した。「ピノキオ、この人は前に君を騙した詐欺師だ!」

 

「そうか、それは災難だったね」

 

ジョンは偽りの同情を浮かべながら、内心では嘲笑っていた。お前が怖い思いをしようが知ったことか、俺の金儲けの道具に過ぎないのだから。

 

「でも今度は大丈夫だ。もっと素晴らしいところを紹介しよう」

 

「ピノキオ!この人の話を聞いちゃダメ!」ジミニーが必死に止めようとした。

 

「学校なんて退屈だろう?プレジャー・アイランドという楽園があるんだ。そこでは子供たちが一日中遊んで暮らしているんだよ」

 

ジョンの甘い誘惑に、ピノキオは再び心を奪われた。

 

「一日中遊んでいてもいいの?」

 

「もちろんさ。勉強なんて必要ない。君のような特別な子供にふさわしい場所だ」

 

ジョンは自分の卑劣さに陶酔していた。この純真な少年など、何度でも騙せる。人間の善意と信頼ほど、利用しやすいものはないのだ。

 

「ダメだ、ピノキオ!」ジミニーが飛び跳ねた。「君の良心の声を聞いて!」

 

しかし、ピノキオの心は決まっていた。

 

「わかりました。行ってみます」

 

結局、ピノキオはコーチマンの馬車に乗せられ、プレジャー・アイランドへと運ばれていった。ジミニー・クリケットは最後まで反対したが、もう遅かった。

 

ギデオンは成功に舞い上がって踊り回ったが、案の定転んでしまった。今度は街灯にぶつかって、頭に大きなたんこぶを作った。それでも満足そうな顔をしているのだから、この猫の幸福度は計り知れない。

 

 

## 第六章 復讐の炎

 

プレジャー・アイランドでの恐ろしい真実――悪い子供たちがロバに変えられ、奴隷として売られていたこと――を知ったピノキオは、かろうじて完全にロバになる前に脱走することができた。

 

怒り心頭のストロンボリとコーチマンは、全ての元凶である正直ジョンへの報復を誓った。

 

その頃、正直ジョンは新たな計画に胸を膨らませていた。

 

「ピノキオを売った金を元手に、今度はエセ障害者になりすまして寄付金詐欺をやろう」

 

ジョンは自分のアイデアに酔いしれていた。

 

「足を痛めた戦争帰りの傷痍軍人を演じれば、愛国心に訴えることができる。特に女どもは涙もろいからな」

 

彼は既に細かいシナリオまで考えていた。

 

「戦場で仲間を救おうとして負傷した、という設定にしよう。英雄的な話にすれば、同情だけでなく尊敬まで集められる。そうすれば金額も跳ね上がるだろう」

 

ジョンは他人の愛国心や同情心を食い物にすることに、何の良心の呵責も感じなかった。

 

「本物の戦争被害者?知ったことか。俺の演技の方がよっぽど感動的だ」

 

「ギデオン、俺たちの悪知恵を見せてやろうじゃないか。世の中の偽善者どもから、たっぷり金を巻き上げてやる」

 

皮肉なことに、この悪辣な傲慢さが彼の人生の終わりの始まりとなる。

 

ストロンボリとコーチマンの襲撃は突然だった。

 

「見つけたぞ、詐欺師め!」

 

二人がいつもの酒場に乱入してきた時、ジョンとギデオンは次の計画について話し合っていた。

 

「ちょっと待ってください、何の...」

 

ジョンが弁明しようとした瞬間、ストロンボリの巨大な拳が彼の顔面を直撃した。鼻血が噴き出し、ジョンは椅子から転げ落ちた。

 

「貴様のせいで、俺たちは大損害を被った!」

 

「誤解です!私だけの責任じゃありません!あの人形が勝手に逃げ出したんです!」

 

ジョンは必死に責任転嫁を試みたが、それがさらに二人の怒りを煽った。

 

「責任転嫁まで始めたか、この腐った狐め!」

 

今度はコーチマンが重いブーツでジョンの腹を蹴った。ジョンは激痛で身を縮めた。

 

ギデオンはジョンを守ろうとしたが、慌てて飛び出した際に椅子に躓いて転んでしまった。小柄な猫に、怒り狂った大男二人を止める力はなかった。

 

酒場の常連客たちが立ち上がって止めに入ろうとしたが、ストロンボリとコーチマンの怒りは抑えきれなかった。

 

「いいだろう。しかし、ただでは済まさん」

 

ストロンボリが重いワインボトルを手に取った。その瞬間、ジョンの世界が終わった。

 

鈍い音と共に、ワインボトルがジョンの頭部を直撃した。彼は意識を失って床に倒れ、頭から血を流した。

 

 

## 第七章 言葉を失った悪魔

 

三日後、ジョンは薄汚れた慈善病院のベッドで目を覚ました。頭には包帯が幾重にも巻かれ、激しい頭痛が彼の頭蓋を締め付けた。

 

「気がついたか」

 

粗末な白衣を着た医者が、無愛想に言った。この病院は貧民のための施設で、患者への同情など期待できなかった。

 

「ここは...」

 

ジョンが口を開いた瞬間、自分の声に愕然とした。かつての流暢な話し方ができない。言葉が舌の上でもつれ、思うように発音できなかった。

 

「頭部外傷による失語症だ。脳の言語中枢が損傷している」

 

医者の説明は冷淡だった。

 

「なお...なお...る?」

 

「治るかって?分からんな。軽快する場合もあるが、一生このままの可能性も高い。運が良くて、簡単な会話ができる程度だろう」

 

ジョンは絶望に打ちひしがれた。言葉こそが彼の全てだった。話術なくして、彼は何者でもなかった。騙すことも、嘘をつくことも、人を操ることもできない。

 

「ギデオンは...?」

 

「猫のことか?毎日見舞いに来ている。今日も来るだろう」

 

夕方、ギデオンが現れた。彼も包帯だらけの頭で、どうやら自分も巻き込まれて怪我をしたらしい。しかし、その目にはいつもの愛嬌ある優しさがあった。

 

「ギデオン...」

 

ジョンの声はかすれていた。

 

「俺は...俺は...」

 

言いたいことが山ほどあったが、言葉にならなかった。ギデオンは心配そうにジョンの手に鼻先を押し付けた。

 

医者の予想は的中した。ジョンの失語症は完全には回復しなかった。退院後の彼は、断片的で支離滅裂な言葉しか話せなくなっていた。かつて観客を魅了した「Hi-Diddle-Dee-Dee!」の歌も、今では不明瞭な音の羅列でしかなかった。

 

エセ障害者を演じようとした報いか、彼は皮肉にも本物の障害者となってしまったのだ。

 

詐欺師としての活動は不可能になった。誰が、ろれつの回らない話者を信用するだろうか?言葉を武器としていた男から言葉を奪う――これほど残酷で的確な報復があるだろうか。

 

ジョンとギデオンの蓄えは医療費で瞬く間に消え、二人は本物の貧困に陥った。

 

ギデオンは、そんなジョンを見捨てなかった。相変わらず間抜けだったが、彼は小さな体で必死に働いた。ネズミを捕まえて売ったり、荷物運びの手伝いをしたり、できることは何でもした。ただし、よく失敗して怒られることも多かった。

 

しかし、猫一匹の稼ぎでは限界があった。やがて二人は、街角での物乞いを始めざるを得なくなった。

 

「元・詐欺師の物乞い」――これほど惨めで皮肉な転落があるだろうか。通りゆく人々は、みすぼらしい二匹に小銭を投げていく。中には、ジョンがかつて騙した相手もいたかもしれない。しかし、今の彼らを識別できる者はいなかった。

 

 

## 第八章 慈悲

 

ある穏やかな午後のことだった。秋の陽だまりが街角を暖かく照らしていた。

 

ジョンとギデオンはいつものように街角に座り、通行人の施しを待っていた。ジョンの膝の上には、ギデオンが器用に作った小さな札が置かれていた。そこには「Help the disabled」とたどたどしい文字で書かれていた。

 

多くの人が無関心に通り過ぎていく中、一組の親子が立ち止まった。

 

「お父さん、あの人たち、大丈夫?」

 

その声に、ジョンは顔を上げた。そこにいたのは、見覚えのある少年だった。ピノキオが、老人と一緒に歩いてきたのだ。その肩には、小さなコオロギも止まっていた。

 

ピノキオは既に本物の人間の少年になっていた。青い妖精の魔法により、彼の善良な心が報われたのだ。しかし、その純真な瞳と優しい心は変わっていなかった。

 

彼はジョンとギデオンを見つめたが、最初は二人が誰なのか分からなかった。あまりにも変わり果てた姿だったからだ。

 

「かわいそうに。何か手助けできることはないかな」

 

老人――ピノキオの父親ゼペットは、息子の優しさを誇らしく思いながら言った。

 

その時、小さく震える声が響いた。

 

「Hi...Diddle...Dee...」

 

ジョンが、かつての歌を口ずさもうとしていた。不明瞭で途切れ途切れだったが、そのメロディーにピノキオは聞き覚えがあった。記憶の奥底に眠っていた、あの運命の朝の歌声。

 

「あ...」

 

ピノキオの目が大きく見開かれた。

 

「あなたは...ジョンさん?」

 

ジョンは驚いた。まさか正体がバレるとは思わなかった。彼は恥ずかしそうに顔を伏せた。

 

「ピノキオ、この人を知っているのかい?」ゼペットが尋ねた。

 

「はい、昔...」

 

ピノキオは言葉を詰まらせた。この人は確かに自分を騙した詐欺師だった。二度も騙し、危険な目に遭わせた張本人だった。

 

ジミニー・クリケットは即座にジョンの正体に気づいていた。

 

「待ちなさい、ピノキオ!」

 

ジミニーは警告した。

 

「あれは昔、君を騙した詐欺師だよ!同情する必要なんてない。君を二度も騙して、ひどい目に遭わせたんだから」

 

ジミニーの言葉は正論だった。ジョンは確かにピノキオを騙し、危険にさらした張本人だった。因果応報、自業自得と言われても仕方がない。

 

しかし、ピノキオは首を横に振った。

 

「でも、ジミニー。今のあの人は、もう誰も騙せないでしょう?」

 

「それは...そうかもしれないが...」

 

「だから、もう怖くない。ただの困っている人なの」

 

ピノキオの言葉は、深い洞察に満ちていた。復讐や処罰よりも、慈悲を選ぶ心の強さがあった。彼は人間になる過程で、真の善良さを身につけていたのだ。

 

「お父さん、あの人たちを助けてあげて」

 

ゼペットは息子の優しさに心を打たれた。

 

「わかったよ、ピノキオ」

 

老人は財布から金貨を取り出し、ジョンの前にそっと置いた。

 

「少しばかりですが、お役に立てれば」

 

ジョンは震える手で金貨を受け取った。彼の目に涙が浮かんだ。

 

「あり...がとう...」

 

かつての流暢な話術は失われていたが、その感謝の気持ちは真心から出たものだった。

 

ピノキオは、さらに自分の昼食用のパンをジョンに差し出した。

 

「お腹、空いているでしょう?」

 

この親切に、ジョンは言葉を失った。自分が金儲けの道具として利用した相手から、無償の慈悲を受けている。かつて「世の中、騙される方が悪い」「人間の感情なんて安いもの」と豪語していた自分が、今度は助けられる側になっていた。これほど皮肉で、同時に残酷な結末があるだろうか。

 

かつて他人の善意を踏みにじり、弱者を食い物にしていた男が、今や自分が最も軽蔑していた「哀れな物乞い」となっている。しかも、その彼を救うのは、彼が最も冷酷に利用した純真な魂だった。

 

ギデオンも感動して立ち上がろうとしたが、やはり足を滑らせて転んでしまった。しかし、その時初めて、涙を流していることが分かった。この単純な猫にも、心があったのだ。

 

ジミニー・クリケットは複雑な気持ちだった。理性的には、悪人に報いが必要だと考えていた。しかし、ピノキオの純粋な慈悲の心の前では、そんな正論も色褪せて見えた。

 

「ピノキオ、君は...本当に立派になったね」

 

「ありがとう、ジミニー。君が良心として導いてくれたおかげだよ」

 

こうして、奇妙な出会いは静かに終わった。ピノキオと父親が去った後、ジョンは長い間その場に座り続けていた。

 

ギデオンは、相棒の顔に久しぶりに見る穏やかな表情を見つけた。それは諦めでも絶望でもなく、何かしら平安に近いものだった。

 

自分が金儲けの道具として利用した相手から、無償の慈悲を受ける皮肉。それこそが、正直ジョンの人生の結末だった。

 

かつて自分を世の中を悪賢く渡り歩く知恵者だと思い、他人の善意を嘲笑していた男が、今や言葉も失い、物乞いとして生きている。他人の苦しみを利用して快感を覚えていた悪辣な詐欺師が、今度は自分が最も軽蔑していた「哀れな存在」に成り果てた。

 

確かに彼は多くのものを失った。栄光、才能、信頼、そして健康。しかし、最後に残ったものもあった。それは、彼が踏みにじった相手からの慈悲と、どんな時も側にいてくれる愚かな友だった。

 

「ギデオン...」

 

ジョンがぽつりと呟いた。

 

「俺たちは...間違った道を歩いて...きたんだな...」

 

ギデオンは頷こうとして、やはり転んでしまった。しかし、その間抜けな仕草にも、なぜか暖かみがあった。

 

夕暮れの街角で、二匹は静かに寄り添っていた。それは悲劇なのか、喜劇なのか。おそらく、その両方だろう。

 

遠くから、子供たちの歌声が聞こえてきた。

 

「Hi-Diddle-Dee-Dee! An actor's life for me!」

 

ジョンの古い歌を、どこかの子供が歌っているのだった。彼は目を閉じて、その懐かしいメロディーに耳を傾けた。

 

歌は風に乗って遠くへと消えていく。


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