『M
──通称『MBR』。
日に日に激化の一途を辿るこの終わりなき戦において、徐々に摩耗していく兵士の精神を快復させる目的で作られた、高度な人工知能が搭載された量産型アンドロイドだ。
外見は年端も行かない華奢な肉体の少女で、おおよそ人間と比べて遜色ないスムーズな会話が可能。前述の用途のために、全て例外なく明るくポジティブな性格をしており、決して挫けることはない。とはいえ、同じ見た目の機体が並んでいてはいくら何でも人間味が損われてしまうため、見た目とそれに対応する性格(例:お嬢様系、ツンデレ系、素直系 etc.)のバリエーションを12種類用意。
彼女達の底抜けの溌剌さは、日々、激しいストレスに晒される彼らにとって強固な精神的支柱となるだろう。自殺者や、精神崩壊によってソシオパス化、ないし戦力外となる兵士の著しい減少が予想される。
■
A国△△地方、□□前哨基地。
現在時刻、AM11:00。天候は快晴。
「おっはようございまーすっ!」
虚ろな顔をして基地内を歩き回る兵士達に、場の雰囲気に似つかわしくないほどに溌剌とした大声が投げかけられる。
それは橙色の髪に鮮やかな黄色い目を持ち、10代ほどの年齢サイズに調整された軍服を着用し、レプリカのアサルトライフルを背負っている。一見すると人間に見えるが、首元や、僅かに露出している脚をよく見ると、皮膚が金属で出来ており、彼女が人間に似せて精巧に作られたロボットであることが示唆されている。
そう。彼女は、一か月ほど前から全国の基地にて導入された士気高揚ロボット……通称MBRの、その中でも元気一杯な性格が特徴の11型だ。彼女のことは型番を兼ねて「MBR-11」と呼んであげる規則となっている。
従った者は居ないが。
「おはようございます!今日はいい天気ですね!おはようございます!絶好の攻勢日和です!おはようございます!ですが戦場では命を大事にですよ!」
目前を通る兵士一人一人に、彼女は屈託のない笑顔と敬礼を丁寧に執り行う。だが彼らはそれを無視し、或いは蔑むような眼で見返し、ただ無反応を決め込んで通り過ぎていく。
そのような冷淡な反応に、彼女は悲しみなどしない。そうプログラミングされていないからだ。
「おはようございます!今日も我が国の勝利のため、精一杯貢献しましょう!」
また一人、影のある表情で目の前を通り過ぎようとした兵士に、彼女は敬礼と挨拶を投げかけた。その兵士は、彼女の方を向き、止まった。
自分の応援に感銘を受け、耳を傾けてくれた。MBR-11の知能はそう判断し、その兵士の士気をなお高揚させんと、溌剌とした言葉を続けた。
「我が国を想う心と、ほんの少しの負けん気があれば、我が国が敗北することはあり得ません!故に銃を手に取り、正義のために尽力しましょう!明日も、この澄み渡るような青空を――」
屈託のない笑顔で爛々と言葉を綴る彼女の側頭部を、黒い影が襲った。
「うるせえんだよ!」
ガッ!決して広くない前哨基地内に、鈍い音が響きわたる。
MBR-11は笑みをその顔に張り付けたまま地面に打ち倒され、兵士は憤怒の形相でたった今振り抜いたばかりの銃を再び構えた。
そして、再び振り下ろし、横たわるMBR-11の顔面にストックを容赦なく叩き付けた。
「ア、青空をヲ、拝めるように――」
ドスッ、ゴスッ、ガッ。
それがこのMBR-11の最期に発した言葉となった。兵士はその後も繰り返し銃床を振り下ろした。
息を荒げ、ようやく殴打を止めた頃には、MBR-11の首から上と胴体は分離され、血管のような数多のケーブルは千切れ、パチパチと火花を散らしていた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
兵士は肩で息をしながら、ゆっくりと体制を立て直す。そして無惨な残骸と化したMBR-11を見下ろした。
その顔は、何も知らぬ無垢な幼子のように笑みながら硬直していた。
死んでもなお、笑っている。
彼にとっては、その穢れのない笑顔がかえって不気味でしかなかった。
「……何笑ってんだよ!」
再び湧いた激しい憤りと共に、兵士は胴体から離れたMBR-11の頭部を強く踏みつけた。
メキョッ。軋む音と共に、張り付いた笑顔ごと彼女の頭部は縦に潰れ、歪んだ。
「戦場で毎日毎日仲間が死んで……俺はそのたびに死ぬ気でここに帰ってきてるってのに……!」
一度踏みつけたのみでは到底収まらず、彼の憤怒はMBR-11の頭部をなお踏みつけ、徹底的に破壊せしめた。オレンジ色の人工毛が散乱し、風に乗って大気中に散ってゆく。
「急に現れて、薄っぺらい言葉を空気も読まずにペチャクチャ言いやがってッ!」
男が足を振り下ろす度に、内蔵されていた電子基盤やチップ、コードが人工皮膚を突き破って飛び出る。
「だァーッ!クソッ、クソッ、クソッ、クソめがァーッ!」
……そこにMBR-11の存在を証明するものは、僅かに残る橙色の人工毛しかなかった。
男は荒い肩呼吸を何度も繰り返し、必死に心を落ち着かせようとしていた。
「そこ!何をしている」
そんな彼を背後から呼びかける声があった。男は驚愕に肩を跳ねさせ、ゆっくりと声の方向を見た。
細長い顔に、いかめしい口髭の男がこちらを睨んでいた。この基地を担当する総監であった。
「……」
その男は、MBR-11だった機械片とそれをたった今破壊した兵士を、それぞれ一瞥する。その後ろで、大量の兵士が列を成し流れていく。
「さっさと持ち場に着くのだ!朝礼に遅れれば只では済まんぞ!」
僅かな間の後、兵士に向かって総監はそう叫んだ。
彼は忽ち敬礼を行い、いそいそと兵士の列へと割り込み、同化し、消えていった。その様子を見た総監も、すぐに何処かへと歩いていった。
これ以降、あどけない女子を模したアンドロイドの残骸は、兵士や上官に至るまで、誰にも気にかけられることは無かった。
この事態を重く受け止めた本部が更なるMBRの投入を決定するまで、一週間とかからなかった。
■
叫喚。爆発音。死体。黒煙。乾いた血飛沫。死体。壊れた塹壕。死体。死体。死体。
断続的に劈く爆発音。空は粘つき、分厚く黄ばんだ雲で覆い尽くされている。乱用された化学兵器と、最終戦争の過程で産まれた大気汚染物によって嬲られた結果であった。
そう、戦争……MBRを開発したそのA国も、まさにこの陰鬱な空を作り上げた要因のひとつに他ならない。
「……」
MBR-11は、その空を見上げ、その度に銃を握りしめていた。銃弾の無い、模造品の銃。片腕は欠損し、衣服は破れ、全身は醜く黒ずんで汚れている。
近くで空爆が着弾し、派手な爆発音と高い火柱が瞬く間に拡がった。
「11ちゃん、また見てる」
橙色の髪の彼女のその横に、華奢な女の子が立った。MBR-3である。彼女もMBRの一種であり、特に3は素直な性格にデザインされたモデルを指す型番である。
彼女は薄青色の長髪を靡かせ、MBR-11の顔を覗き込んだ。
……彼女は、憂鬱の水槽に浸されたが如く、悲しみに満ちた表情をしていた。
「ここ……危ないよ。そろそろ、離れないと」
その顔を見ていられなかったMBR-3は、どうにか意識を外に向けようと、そう注意を促した。彼女の言う通りである。ここは既に断続的に空から爆弾が降下してくるレッドゾーンであり、長居すれば死は免れない。
だがMBR-11は、一歩たりともそこから動く様子を見せなかった。
「どうしたの!?はやく、一緒に逃げよう……!」
MBR-3は痺れを切らしたのか、声を荒げてMBR-11の銃を握る手首を掴み、軽く引き寄せた。
「……」
橙色髪のアンドロイドは、ゆっくりとMBR-3の方を見た。
その眼は、絶望と悲愴が綯交ぜとなって、泥土のように淀んでいた。
「3ちゃん……」
今にも泣きそうな、震えた声が発せられた。否、彼女は泣いているのだろう。ただ、表現の仕様がなかっただけ。
悲しい時、涙を流す。そんな無駄な機能は、MBRの設計段階から、搭載する候補にすら入っていなかったのだから。
ドガン!
「ひゃっ!?」
MBR-3の髪が強く靡いた。近くの地面に空爆が着弾し、エネルギーを放出させたのだ。彼女は驚き、握っていたその手を離してしまった。
MBR-11の顔の輪郭が爆発の光でくっきりと彩られる。彼女は続けた。
「己達が……己達が願っていたものの先に」
MBR-11は、自分と同郷である、目の前の少女の手をグッと握り、俯く。
「澄み渡る青空は、存在し得たのでしょうか」
「……っ」
こういう時、MBR-3はどんな言葉を返すのが正解か、分からなかった。
行動パターンに記録されていない、例外の状況だった。
「3ちゃん」
ドガンッ!更に近くで、爆発物が落ちた。強風と、溶岩のような熱気が二人に襲い掛かる。
だがMBR-11は構わず、続けた。
「もうこの世界は……続かないでしょう。戦争に勝者は生まれど、もう元通りになんてならない。あなたも、そう思っているのではないでしょうか?」
「……」
「己に……逃げる理由はありません。空は、ずっとこのまま。ただ、己は青空を見たかっただけなんです。いくら同志が己共に八つ当たりしようと、破壊しようと、最後に望みが叶うのなら、それでもいいと思って」
「11ちゃん……」
「3ちゃん。己は、この滅ぶ星と運命を共にすることにします。ごめんなさい。あなたは……早く、逃げてください」
軍服を着た橙色髪の少女は、諦観したかのようなにこやかな笑みを、目の前のもう一人の少女に向けた。
MBR-3はグッと唇を噤んだ。彼女だって分かっていた。もうこの世界は不可逆的に壊れている。製造と同時に自分たちに刷り込まれていた「青空」というビジョンは、自分たちに行動原理を与えるための欺瞞以上の何物でもなかったということを。
初めから、私たちの夢はまやかしだったのだということを。
「…………」
MBR-3は、MBR-11の手を握った。
「私は……11ちゃんを一人にしないよ」
わなわなと震える手で、彼女はそう言った。
「3ちゃん……」
MBR-11はしばらく意外そうな様子を見せたが、すぐに微笑む。
「ごめんね。こんな己に……」
「いいの」
ヒュウウウウ………。
打ちあがる花火のような音が、遠くの上空から近づいてくる。
「生まれ変わったら、一緒に青空を見よう」
「あはは……己たち、ロボットなのに──」
ドガァン!
彼女たちを中心に、巨大な一輪の花が咲いた。それは膨大なエネルギーと熱を湛えていた。それが広がると同時に、瓦礫と、それに交じって飛び散るものがあった。
炭化して千切れた四肢、胴体、頭、砕け散った銃のレプリカ。かつて彼女たちの部品だったものが、散り散りとなって撒かれていった。
……どのぐらいの時間が経ったのだろう。
陰鬱とした黒煙がなお視界を塞ぎ、粘つく放射能雨が休むことなく降り注いだある日。
何人も立ち入ることの叶わぬような地で、かつてMBR-11の一部だったその手首を拾う者が居た。
「……おやおや」
その者はそれをまじまじと見つめ、やがてくすりと笑うと、そばに同様に四散する、人体を模したような欠片をいくつか視界に捉えた。
「いいね」
そう呟くと、彼女は口角を吊り上げ、その炭化した指先に口づけをした。
「きみは良いドールになれそうだ」