二匹の鬼の頸を落とした炭治郎は、木の陰に隠れていた。
臆したわけではない。ただ本能的に身を隠すべきだと、自然に体が動いていた。
最初の異変は嗅覚が感じ取った。
嗅いだこともない凄まじい悪臭は、一刻も早く離れたいという逃走の選択肢を提示した。
人一倍鼻の効く彼が、その選択をしなかったのは、ひとえに彼自身が頑固者と言っていいほど律儀で、真面目であったことに起因する。
今は最終選抜の試験中であり、これに合格して鬼殺隊に入らなければ、鬼となった妹 禰豆子を救う糸が切れてしまう。
兄弟子である冨岡義勇の話す、銀髪と双星の目をもつ少年、六井志乃。
鬼殺隊の中で唯一、最高権力者であるお館様と、対等に話せる隊士である彼に会うには、鬼殺隊として名を上げるのが、最も手っ取り早いとされている。
最終選抜に合格するのは必須事項であり、その後の手柄を上げるにはここで逃げるわけには行かない。
妹を救うという家族愛と義務感が、彼をこの場からの逃走に、NOを突きつけてしまった。
「うわああぁぁぁ!」
「!?」
そして見た。その悪臭の原因を。
巨大な手の塊。
その姿を一目みた時、浮かんでくる言葉はそれ一つに尽きる。
互いを守るように組まれた大きな手は、三角錐のようなシルエットのせいで、さながら小さな山を思わせる。
足代わりの一層大きな手が一歩前に進むごとに、ズゥンと空気を震わせる。
「聞いてない・・・!聞いてないぞ!ここにあんな大きな鬼がいるなんて・・・あっ!!」
逃げている受験者は、そのせいで足を取られたのだろう。
もつれて転んでしまい、地面に突っ伏してしまう。
振り返って手鬼と向き合ったのは、訓練の賜物だろう。
戦場で背中を見せすぎるのは悪手だ。間違ってはいない。
「・・・・・・んあぁ~んむ」
「ひぃ!?」
だが今回ばかりは不正解であった。
自分と同じ形をした物が、眼の前で貪り食われてしまう光景は、鬼殺隊を志す者にとっては、鬼殺隊を知ることになった光景を呼び起こさせる。
眼の前で食われていく友人知人。
鬼となった親類縁者。
成すすべなく、震えることしか出来なかった自分。
ビタビタと滴る血が、漂う鉄の匂いが、バリバリと骨が砕け、グチュグチュと肉が潰される音が。
恐ろしい現実を突きつけてくる。
――――――自分は鬼にとって餌でしかない。
「あぁ・・あ・・・あああぁぁぁぁ!!!!」
とうとう恐怖に心が折れた受験者は、脇目もふらずに逃げ出してしまう。
手鬼はそれを見ても慌てることなく一つの手を伸ばす。
それを起点に多くの手が重なり、合わさり、一つになる。
「あっ!?うわあああぁぁぁぁ!!!」
そして引き絞られた矢を放つが如く、あっという間に受験者の足を引っ掴むと、ムチのようにしならせて自らの元に引き寄せる。
食うために。
「やめろおおおおぉぉ!!」
それを防ぐために、炭治郎は動いた。
鱗滝から借りた日輪刀を握りしめ、跳躍する。
ヒュウウゥゥと水の呼吸特有の音を鳴らし、型を構える。
―――――全集中、水の呼吸 弐ノ型 水車
空中で前転するかのように体を丸め、一回転。
加速されたことで勢いのついた日輪刀は、水飛沫を巻き上げるかのように空気を裂き、今まさに人を食らわんとする鬼の腕を切り落とした。
自由落下した受験者を庇うように、炭治郎は前に立ち、手鬼と向き合う。
先ほど切ったはずの腕からは、既に出血が止まっており、並の再生能力でないことが見て取れる。
「・・・・お前だけじゃないな。俺を斬ったのは」
「えっ?」
しばらく炭治郎を見ていた手鬼が発した言葉は、予想していたものとは違っていた。
思わず後ろで腰を抜かしている男に、炭治郎が目をやるが、男は全力で首を横に振って訂正している。
「見ろ。この腕」
手鬼が見せてきたのは、炭治郎が斬った腕とは反対のものだ。
僅かながら出血しているが、間もなくそれも収まるだろう。
「それがどうした?斬られているだけだ」
「治りが遅い。俺が今まで見てきた奴らじゃ、こんな事をしてきたやつはいない」
鬼が言うことに炭治郎と男には見当がつかない。
「鱗滝の弟子に会えたのは嬉しいことだ。とてもいい夜だ。だけどこれが気になってしょうがない。江戸時代から生きてきたが、こんな経験は初めてだ」
「江戸時代?!」
「う、嘘だ!?そんなやつがここにいるはずがない!今はもう大正時代だぞ!?」
「大正・・・・?」
大正という言葉を聴き、手鬼の身体がピタリと止まる。
そして
「あああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!年号がぁっ!!!年号が変わっているぅっ!!!!まただ!また俺がこんなところに閉じ込められている間にぃ!あーーーーー!!!!!」
突如として大声を上げ始めた。
木々が揺れているのが、その巨体を激しく揺さぶっているせいなのか、それともその声量のせいなのかわからないほど、激しく、そして大きい。
「許さん!許さぁん!!!鱗滝め・・・!鱗滝め!鱗滝めッ!!鱗滝めぇーー!!!」
「なぜ鱗滝さんを知っているんだ!?」
「知っているさ!俺を閉じ込めたのはアイツだからなぁ・・・!47年前、江戸時代だ。慶応の頃、アイツはまだ鬼狩りをやっていた。それ以来だ俺はココでずっと生きている・・・ヒヒヒっ、もう50人は食ったなぁ・・・!」
50人。そして江戸時代という言葉に、驚きを隠せない二人。
鬼は人を食うほどに強くなる。藤襲山にいる鬼は平均で1-3人程度とされており、50人というのは一般隊士が複数名の共同任務で討伐する相手だ。
生きている年数はそれだけ手鬼が狡猾で、生き残る術に長けているという証左でもある。
更に言えば、50人というのはこの藤襲山で食った人間のみを指しており、実際の数字はそれよりも多いと見るのが順当だろう。
もはや隊士候補が手に負える相手ではない。
「11・・・12・・・13・・・そしてお前が14人目だ」
「?何の話だ!」
「鱗滝の弟子の数だ。アイツの子は皆食うことにしている。その面が目印なんだ」
「・・・・!」
「アイツが使う木の木目はよく覚えている。そのお陰で迷うこと無く狙える。それに面をつける剣士なんてアイツの子くらいしかいない。厄除の面だったか?ヒヒヒッ、可哀想になぁ。それがあるからアイツの子はいつも狙われるんだ」
年数の経っている鬼は狡猾だ。
今までも手鬼は自らの実力を見せつけ、新入りの鬼を使って偵察をしていた。
厄除の面を着けた子を見つけたら教えろ。と弱い鬼に命じ、従わなければ殺した。
あとは持ってきた情報を元に出向き、直々に殺す。
今回情報が少ないのに手鬼が動いたのは、カナヲや善逸といった実力者が、偵察の鬼を次々と切っていたからだ。
炭治郎が出くわしてしまったのは偶然と言う他ない。
「特に印象に残っているのは・・・そう、宍色の髪をしたガキと花がらの着物の女のガキの二人だ。一番強かったな。宍色の方は口に大きな傷もあった。女のガキの方は力はなかったがすばしっこかった」
「!?」
その二人に心のあたりがあった炭治郎は息を呑む。
口に大きな傷のある宍色の少年は錆兎。花がらの着物の少女は真菰といった。
二人は修行時代に出会い、鱗滝の試錬に最後まで付き合ってくれた恩人でもある。
(亡くなっていたんだ・・・!既に!)
「ヒヒヒッ、その面を着けていたから皆食われたんだ。みぃんな俺の腹の中さ!そんなものがなければ死なずに済んだ。アイツが殺したようなもんさ!ヒヒヒッ!これを言ったら花柄のガキは泣いて怒ったっけなぁ。直ぐに動きがガタガタになった!あんまりに隙だらけなもんで食ってほしいのかと思ったなぁ。手足を引きちぎってそれから・・・」
怒りに燃え上がった炭治郎は手鬼の言葉を遮るように走り出した。
「落ち着け炭治郎。呼吸が乱れているぞ」
冷静な部分が錆兎の声で警告する。
しかしそれでも炭治郎は前に進む。
襲いかかる手鬼の手を次々と切り落とし、その頸を取ろうと飛び上がる。
「ヒヒヒッ、これだから可愛いなぁ鱗滝のガキは!」
「!?」
気配を感じ取り、視線を横にやる。
そこには手鬼の大きな拳が間近に迫っていた。
空中という踏ん張りの効かない場所では回避ができない。
振りかぶった日輪刀の刃を返し、反撃に移ろうにもその時間もない。
やられる。
炭治郎と手鬼の思考が合致したときだった。
「ぬぅ!?」
「え!?」
炭治郎とも逃げ出した男とも違う声が一閃とともに聞こえた。
かと思えば、手鬼の腕は切り落とされ、炭治郎は見知らぬ男に抱きかかえられていた。
(誰だこの人は!?匂いが一つじゃない?幾つも混ざり合っている。纏まりがなさそうなのに纏って、なのに解けていくような・・・とにかく不思議な匂いだ)
「47年・・・か、何人の有力な候補生が死んだのやら」
「・・・お前だな?さっき俺の腕を切ったのは」
「刺激的なウェルカムサービスだったろう?気に入ってくれたかい?」
その男は一言で表すのなら銀色だった。
長い髪を後ろで一つに結び、スラリと伸びた手足と流し目の似合う甘いマスクは、男の炭治郎から見ても美男子だ。
空いている方の手で握られている日輪刀は、男の身長ほどもあり、これを抜き、斬り、納める一連の動作を一瞬でできる技量に、手鬼は最大の警戒を見せる。
(まともにやり合っては勝てない。ならば狙いは一つ!)
目的を果たすべく、手を炭治郎に向かって次々と伸ばしていく。
無數とも言える大小様々な手は、炭治郎では対応できない数だ。
背後からも迫り、加えて時間差もつけた波状攻撃。
血鬼術でもない単純なフィジカルであるにも関わらず、並の隊士では困難なこの攻撃は、手鬼の長年の経験が伺い知れる。
しかし銀髪の男は気にすることもなく、悠々と炭治郎を下ろす。
そして手に持っていた長刀、否二振りの刀を抜き放つ。
柄尻が鎖で繋がれている特殊な作りのそれを、巧みな動きで振り回し、襲い来る手を次々に切り落としていく。
「なにっ!?」
「岩の呼吸 参ノ型 岩軀の膚」
(凄い・・・正直何が起きたのか、ぜんっぜんわからない。だけど凄い事はわかる!)
見事に捌き切った後、何事もなかったかのように佇む銀髪の男。
息を乱すどころか消耗した様子すら見せないそれは、炭治郎とは別格の存在であることを、雄弁に物語っている。
(間違いない、この人が試験官さんだ!)
「君、炭治郎くんだね?鱗滝さん所の」
「は、はい!!俺は失格ですか!?絶対嫌なんですけど!」
「いや、逆だ。あれは俺が相手をする。君は逃げなさい。あれは本来君等が相手をする鬼じゃない」
失格ではないことと、相手をしなくてもよいということに一瞬安堵する炭治郎。
しかし、彼は銀髪の男の隣に立ち、日輪刀を構えた。
「聞こえなかったのか?俺は逃げろと言ったはずだが?」
「はい。だけど逃げるわけにはいきません」
「なぜだ?失格にはならんぞ?」
「はい。だけど、アイツを放っておくわけにはいきません。俺も鱗滝さんの弟子なので!」
「・・・・」
炭治郎は許せなかった。
自分が不甲斐ないことは勿論だ。
自分がもっと強ければ、試験官がこうして出てくる必要もなかった。
怒りに飲まれず、冷静に立ち回っていれば、先程の一撃にも対処できていたかもしれない。
そうした自分の未熟さを、払拭したいという感情がないと言えば嘘になる。
だがそれよりももっと許せない部分がある。
「今まで死んでいった鱗滝さんの弟子の仇、せめて一太刀でも浴びせなくちゃ、俺の感情が収まらない!因縁に決着がつかない!」
手鬼は言った。
厄除の面が、鱗滝の愛情が、彼の子どもたちを喪わせたと。
手鬼は言った。
鱗滝の想いが、願いが、錆兎や真菰を殺したようなものだと。
炭治郎はそれが許せない。
鱗滝の無念が、寂しさを知っているから。
錆兎と真菰の、鱗滝への愛を知っているから。
ここで死ねば鱗滝は再び悲しみに暮れる。
それだけならばまだ良い。今度こそ心が折れてしまうかも知れない。
ならば生き残ることを優先すべきだ。
しかし炭治郎はそれだけではダメだと思った。
「俺は鱗滝さんの弟子として、錆兎や真菰、義勇さんの弟弟子として、この因縁を断つ!」
「・・・・・・・そうか。なら君が頸を斬れ。援護はしよう」
「はい!」
「話は終わったか?終わったなら・・・・二人まとめて食ってやる」
長い間になんの感情があったのか、炭治郎は知らないままに眼の前に集中する。
傷を治しきり、聳えるように立つ手鬼。
その大きさはまさに、これまでの因縁そのもの。
自らを飲み込まんとする威圧感すらも、具現化したと思わせる姿に、炭治郎は日輪刀を握る。
「来い、食らってやる」
「いや、俺が斬る!」
鬼と人。
狩るものと狩られるもの。
2つが今、対峙する。