孤児の成り上がり   作:雷光123

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井戸は上がり、鎖は鳴る

「分隊長、前に出ろ!」

 

 兵士たちの前で声を張る。焼け落ちた町に五十の影が並んだ。三人が前へ一歩。列は崩れない。呼吸の拍は揃い、誰も目を逸らさない。

 ——焦りは見せられない。指揮官の動揺は、抜いた刃の返り血みたいに味方へ飛ぶ傷だ。俺が揺らげば全員が崩れる。

 

「第1分隊長レオン・ハルト。規律徹底、以上」

「第2分隊長シグルド・ヴァレン。速さで押す。迷ったら進む」

「第3分隊長エルミナ・ロッシュ。配分と計算は私が握ります」

 

 三人の声を聞き分ける。息遣いや足の置き方、目の揺れを事細かに観察する。規律、速度、配分。特徴ははっきりしていた。背面の監視と補給線、穴はそこにある。目だけでユーリに合図し、兵を一度休ませる。

 

「我々の命令は次の辞令が出るまで、このアルカナの復興を行う。わかったら作業に入れ!」

 

「了解!」

 

 兵たちは声を揃えて散り、三分隊に分かれて救護と捜索に動き出した。瓦礫を踏む音が町に広がる。

 

「俺たちも作業に入る。だが、その前にこの小隊について改めて説明してほしい。ユーリは兵に命令を伝えろ。マリアンヌ、説明しろ」

「えっと……伝えてくるよ。あんまり大きな声は出したくないけど……」

 

 走り去るユーリの靴音が乾いた地面を叩く。目の端で人の流れを確認する。西の広場へ流れが偏る。俺は杭で縄を張り、鍋を半歩ずらす。人の列が絡まずに進みはじめた。

 

「わかりましたわ。この小隊は三つの歩兵分隊と支援兵科で構成されています。兵站の流れを乱さぬよう、各班は最短経路で移動させます」

「救護班は教会へ。工兵は井戸の復旧を急がせろ」

 

 補給は炊き出し準備。騎兵は外縁の偵察。砲兵は城壁を巡回し、敵影があればすぐ報告。——初動で一番死ぬのは情報。見張り線を切らすな。

 

「村の人口は?」

「1000人でしたわ。しかし今は……」

 

 マリアンヌの声が途切れる。言葉の先にある数字は口にしなくても分かる。半減で済めば御の字だ。唇が渇くのを舌で湿らせた。

 

「行商人を見つけてきたよ」

 

 ユーリが女を連れて来る。彼女は落ち着いた足取りで頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。勇者殺しのアルト様。私は行商人のエンデルです」

「行商人か。何ができる?」

 

 条件を短く引き出す。行商人は金の匂いに表情が明るくなる。

 

「表市場も闇市にも顔が利きます。あなた達のカードを売りましょう」

「見返りは?」

「利益の一部を村へ。資材は私たちが調達します」

 

 善意には依らない。等価交換で回す。握手で合意を固め、回収したカードを託した。

 

「闇市にも行くんだろ。ついでに奴隷を買ってこい」

「アルト、何をするの?」

「ユーリ、現在の保護人数を。復興人手の計算に使う」

 

 ユーリがボードを開き、赤い瞳が数字をなぞる。

 

「現在保護できた人数は400人だよ」

「そうか。エンデル、表で男二十。闇で女三十、精霊三十。合わせて段取りしろ」

「「表だけで金貨袋が二つは要ります。闇の分まで抱えれば、手首が痺れる重さになります」

 

 金800を出す。必要なのは速度だ。兵には指揮所建設を割り当て、到着部隊の受け入れと復興拠点を作らせる。奴隷帳面をめくり、出産数の差を拾う。表は十〜二十。闇は三十〜五十。精霊は一週間で五十が限度。理屈は分からない。だが数字は嘘をつかない。

 

 マリアンヌには入口で来訪部隊の振り分けを任せ、その間に復興計画の骨子を引いた。優先は生存、衛生、水、治安、流通、制度の順番だ。

 

「ここからフォントまで十二時間。明日には帰ってくる。配給を回す。救えた数を確認に行く」

「わかりましたわ。案内します」

 

 救護所へ向かう。外縁はシュナイダーに偵察と警戒を任せた。夕刻、乾いた風が頬を撫でる。夜は静かに落ちていく。

 

「こちらですわ」

「救護兵、状況は?」

「負傷者の救助完了しました」

 

 第3分隊も支援に加わったらしい。ロッシュが進み出る。

 

「物資が不足しています。包帯と薬のカードは灰になりました」

「カードショップだぞ。資源カードは?」

 

 マリアンヌが差し出した報告書をめくる。灰化と焼失で在庫は消えた。——期待は捨てろ。ある手で回すしかない。

 

「すべての包帯と薬カードは灰に帰しましたわ。他の資源カードの在庫も尽きつつあります。早急に補填が必要です」

「わかった。マリアンヌ、エンデルに資源カードも手配させろ」

「了解ですわ」

 

 救護所を出る。漆黒が町を呑み込む。久々に静かな夜を過ごせるかもしれない。

 

「エンデルから連絡。明日リエーズ公が来るって」

「なぜこちらに?」

 

 書類を受け取り、目を走らせる。来訪は確定。——権威の波が町を襲う。避けられない衝撃だ。

 

「なぜ公爵が……。ありがとう。明日は対応を頼む」

 

 マリアンヌの横顔が固い。私情は切り離せ。俺は兵士だ。予定表を組み直す。仮設住居の完成報告を受け、部隊に休息を与える。眠気は薄い。水を飲もうとした時、扉を叩く音がした。

 

「ちょっと見回りに行かない?」

「わかった。少し待て」

 

 装備を整えて外に出る。ユーリが待っていた。

 

「行こうか。城壁に行くぞ」

「わかった」

 

 マスケットを手に、城壁を登る。夜は深く、三歩先も見えない。

 

「久しぶりの平和な日だったな」

「軍隊に入ってからずっと戦い続きだったからね。何もない日があってもいいよね」

 

 頷きながら、星と影を見上げる。明日の動線を脳裏に描いた。——公爵応対、配給拡張、資材受領、治安線の増設、会談。頭が痛くなる。

 

「そうだ。昨日の戦闘の後、カードはどれだけ拾えた?」

「レアカードは少なかったよ。大半は【血戦の歩兵】とか【焔角の斥候】とか。他の人のカードも盗んでみたけどアストラルデッキに入ってるレアカードが1枚しかなかった」

「盗みは辞めろって言ってるだろ……」

 

 ユーリは盗んだカードを見せる。戦場に落ちてたカードは見事に弱いカードしかなかった。

 

「シルヴァーンのカタストロホースくらい強いカードはないか……」

 

 肩を落とす。この先小隊を運営するとなるとお金がかかる。もし金ケチれば……。突如頭のなかに靄がかかったように思考が停止する。

 

「どうしたの?」

「いや何でもない」

 

 口を手で押さえる。なぜか分からないがそうしたくなった。

 

「ユーリ。盗みは辞めるんだ。また懲罰部隊に送られるぞ」

「わかってるよ。でもやめられないの」

 

 彼女は表市場で盗みを働いたせいで軍隊に捕まり懲罰部隊に入れられた。

 

「とにかくやめるんだ」

「わかった」

 

 この話を切り上げる。彼女は未だに盗みがバレていない。冷や汗が流れ、春風が体温を奪っていく。略奪は早い者勝ちだからお咎めはないだろう。

 

(そう信じたいのね……)

(セイラン、部下の失態は俺が責任を取る。彼女には辞めてもらわないと困る)

(わかってるわ。でも私だけは絶対にあなたの味方よ)

 

 セイランは頼もしい言葉を言ってくれた。

 

 夜が明けた。焼け跡を舐める光が広場に落ちる。住民と兵が集まり、瓦礫の匂いに湯気が混じる。

 

「皆、静まれ!」

 

 声が響く。怯え、疑い、それでも生き残った眼差しがこちらを向いた。

 ——命じるな、支えろ。剣を振るうだけの兵なら黙って従わせればいい。だが、この場にいるのは生き延びた民だ。背中を押す言葉でなければ動かない。

 

「俺たち小隊は今日からこの町の復興を共に担う。兵だけでは足りない。だが、皆と力を合わせれば必ず立ち直れる!」

 

 沈黙を破り、大工が一歩前へ出た。

 

「道具は焼けたが腕は残ってる。井戸を掘り直すなら手を貸そう」

 

 子を抱いた女も声を上げる。

 

「食料は少ないけど炊き出しはできます。子供も水運びを」

 

 頷き、分隊長に視線を送る。レオンが胸を張る。

 

「護衛と秩序を守る。働く背中は俺たちが守る!」

 

 シグルドが言葉を重ねる。

 

「第2は速い。瓦礫を崩し、道を通す」

 

 エルミナが淡々と告げた。

 

「第3は配分を担当。資材と人を無駄なく回します」

 

 空気が揺らぎ、疑いが期待へ傾く。補給が大鍋を担ぎ出す。湯気が立ち上った。

 

「まずは皆で食おう! ここにいる全員が、生き残った仲間だ!」

 

 子が椀を受け取り、母が涙を浮かべて頭を下げる。列には兵と住民が並び、互いに言葉を交わす。——これでよし。流れは掴んだ。

 

「これでいい。ここから始めよう。俺たちは共に生きる」

 

 伝令が駆け込む。

 

「リエーズ公がこちらに来ます!」

 

「わかった! 全軍出迎えに向かう! 村長は作業を続けろ!」

 

 城門へ移動。兵が整列する。草原の向こう、黒鉄の旗が翻る。槍列が光を返し、公爵が黒馬で姿を現した。重圧が町を覆う。手が自然と敬礼を取る。

 

「お前が噂の小隊長か」

 

「覚えていただきありがとうございます! 第一小隊隊長です!」

 

 視線の硬さを測る。——受け、流し、必要なものだけを抜き取れ。

 

「公爵。今回はどのようなご要件で?」

「炎馬族と虹魚族、完全に滅ぼした」

 

 声が草原に響く。広場がざわめき、歓声と涙が広がった。俺は言葉を選ばず、沈黙を選ぶ。

 胸の底に冷たく重いものが沈む。勝利は秩序の楔だが、同時に次の犠牲を求める鐘の音でもある。

 ——人は喜ぶ。だが、兵を数に換えてきた俺には、歓声が次の動員の合図にしか聞こえない。

 

「リエーズ公……。炎馬族も虹魚族も、完全に討伐なさったのですか。記録に残すべき転換点ですわね」

「絶滅って……。人間だって精霊界を襲撃しているのに……」

 

 2人の反応は正反対だ。リエーズ公爵はマリアンヌの姿を見るもすぐに馬を返す。

 

「私はこれで帰る。資源カードを置いていく。アルト小隊長貴様には南方のブルス村所属第2開拓村へ移動だ。鉄道の復旧を急げ!」

「承知しました!」

 

 住人たちは破裂するような音を立てて返答する。公爵は帰っていった。先日のグロイスの言葉を思い出す。マリアンヌは王族だったのか。公爵に聞ければよかったがもう聞けない。

 

「資源カードの見返りだ。連れて行け」

 

 荷馬車の脇に、若い娘が三十人ほど並んだ。色褪せたリボンをつけ直す指が小刻みに震えている。笑っている口元と、笑っていない目。

 

「だいじょうぶ、すぐ戻るから」

 

 一人が弟の額に額を当てて囁いた。弟はうなずくふりをして袖を離さない。袖口は、炊き出しの汁でまだ湿っていた。

 

 別の娘は、兵の視線を一度だけ正面から受け止め、それきり少し顎を上げて歩幅を揃えた。覚悟というより、段取りのような動きだ。腰の布袋には乾いた硬貨が二枚。指で確かめるたび、爪の白い縁が割れていく。

 

 彼女は布袋を撫でる。硬貨二枚の角が当たって指が止まる。礼だけ深い。返事は、ない。

 

 彼女は近くの役人に低く言い、すぐに口を噤んだ。返事はない。けれど彼女は礼だけは深くした。礼の角度で、願いが叶ったことにしてしまうみたいに。

 

 泣く声はあまりしない。泣く代わりに、帯の結びを結び直す音、髪を撫でつける手の音、深呼吸の音が重なっていく。

母親が一人、背中を撫でながら「いいところに行ける、働けば食べられる」と繰り返す。その「いいところ」に具体がないことを、娘は知っている顔だった。それでも頷いた。頷くたびに耳飾りが鳴り、震えだけが音になる。

 

 列の端で、一人だけ足が止まった娘がいた。靴底が石畳を擦る。彼女は俺を見た。助けを求める目ではなかった。ただ、事実を証人にするための目。

 

「行ってくるね」

 

 俺にではなく、自分の喉へ言い聞かせるように言って、前へ出た。

 

 兵が合図を送り、列が動く。歓声は上がらない。代わりに、手を振る小さな手が幾つも揺れる。娘たちは振り返らない。振り返らないことが礼儀だと知っている歩き方だった。

 

 周りでは男たちが視線を落とし、女たちは口を結ぶ。感謝も非難も、形にしないまま飲み込まれていく。飲み込まれた感情は、喉の奥で石のように重くなる。

 

 荷馬車の扉が閉まる直前、ひとりが胸の前で指を二度、軽く叩いた。扉が鳴り、車輪が軋み、埃が舞って、彼女たちの顔が見えなくなる。

 

——喜びではない。生き延びるための笑顔だ。俺にはそう見えた。

 

 焼け跡の家々の前で兵と住民が肩を並べる。崩れた梁を押し上げる声。瓦礫を砕く槌の音。埃と煤が舞い、汗が流れる。

 

 俺も手をかけた。重さが掌に食い込み、筋肉が震える。だが人の呻きが下から聞こえれば、止めるわけにはいかない。

 

「せーの!」

 

 声を合わせ、横梁を退かす。土埃の中から少年の顔がのぞいた。煤にまみれ、瞳だけが鮮明だった。母親が駆け寄り抱きしめる。その安堵の声が、兵士の背中を押していく。

 

 井戸の工事は町の中心で進められていた。工兵が縄を回し、土を引き上げる。湿った風が穴の底から吹き上がった瞬間、歓声が上がった。

 冷たい水を桶に満たし、子どもたちが両手ですくって飲む。喉を潤す音が、戦場では聞けなかった平和の音に思えた。

 

(この町はまだ生きている。だから繋がなければならない)

 

 石を積み直す兵の背、鍋をかき混ぜる女の手。そのすべてが秩序の一部に変わっていく。

 

――その時、城門に土煙が上がった。

 

 黒い荷馬車が列をなして近づく。護衛の影、鉄の枷。エンデルの姿が先頭に見えた。

 

「ただいま戻りました!」

 

 声を張る彼女の背後には、鎖につながれた奴隷たちがいた。痩せこけた男たち、怯えを隠せない女たち、そして瞳だけが異質に光る精霊たち。

 

 門前にざわめきが広がる。兵士は銃を握り、住民は口を押さえる。

 

 俺は前へ出た。冷たい空気を切り裂き、声を放つ。

 

「——入れ」

 

 奴隷たちが一度だけこちらを見る。その直後、列の中でひとりが鎖を規則正しく鳴らした。四拍子から一拍抜ける。靴音とは噛み合わない裏拍。冷えた金の歯が噛み合うみたいな響き——記憶に刺さる。

 

 まるで呪文の断片のように——。

 

「……?」

 

 思わず目を細める。奴隷はすぐに俯き、沈黙した。だが口元がわずかに動いていた。言葉は読めない。

 

「アルト様?」

 

マリアンヌの声が横から差す。俺は短く首を振った。

 

「何でもない。進め」

 

 だが、胸の奥にひっかかりは残る。あの鎖の響きは、ただの偶然か。それとも意図された合図か。

 

 風が冷たく吹き抜ける。奴隷の瞳が一瞬こちらを射抜いた気がして、背筋に薄い痺れが走った。

 

——嫌な予感だ。だが今は復興が先だ。

 

 俺は視線を前へ戻し、歩を進めた。

 

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