孤児の成り上がり   作:雷光123

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灰に息づく者たち

「カードパックを配る。各人ここに並べ」

 

 エンデルから受け取った束の重みが指の節に残る。包み紙の擦れが耳にまとわりつき、掌の汗が紙に移る。兵の列は乾いた咳のように前へと縮む。

 

「アルト様はカードパックを持たないのですか?」

「俺はエンデルからカテゴリパックをもらった」

 

 マリアンヌは沈んだ街並みに視線を置いた。噛んだ唇から薄い血の線が浮き、指先が無意識に鞘へ触れる。失われた屋根の影が瞳に映り、そこへ自分の罪の重さを置いているようだった。

 

「アルト、出発だ。お前が先導しろ」

「後ろは任せたぞ、シュナイダー」

 

 シュナイダーは肩帯の金具を確かめた。金属の冷たさに呼気を合わせ、背骨の真ん中で重心を固定する。背後へ残す者と前へ押す者、その境目を自分の足幅に刻む癖が出ていた。 平原に風が通る。草の匂いが靴裏の泥に混じり、遠い影が土に滑る。俺は列の呼吸を数え、胸骨の奥で脈の刻みを整える。指の震えは血管に残る古い音へ引かれ、舌の奥で乾きが増す。

 

「あそこだ。あの林の先に駅があるぞ」

 

 木立が小道を覆い、世界は急に薄暗くなる。鳥の声が切れ、枝葉の擦れる音だけが残る。マリアンヌの踵が一度だけ止まり、次の一歩で深く静かに重さが落ちた。

 

 金属音がひとつ。空気が薄くなる。喉の奥で古傷が疼き、視界の角が狭まる。胸の内壁に冷えが走り、呼吸が短くなる。俺はその冷えを握り潰すようにバトルエナジーを圧縮した。 銃声。火薬の匂いが舌に刺さる。弾道がマリアンヌへ寄る。俺は解放し、金の火花で軌跡をはじく。

 

 背の息遣いが層になり、震えが隊に伝わる。 ──ここで怯めば、全員が飲み込まれる。 ユーリは吸い込んだ息を胸に止め、頬の内側を噛んだ。銃口の先で視線が揺れるが、指は引き金へ正しく落ちる位置を探し続ける。彼女の足先は一歩も退かず、踵の筋が張り詰めていた。

 

「数は多いけれど、勝てるわね」

 

 マリアンヌの声は澄んでいた。腰の剣に添えた手は静かに温度を失い、肩の力が抜ける代わりに眼差しだけが鋭くなる。失敗の余地を切り捨てる癖が戻っていた。

 

「相手は素人だ。動きが粗い。潰すのに手間はかからん」

 

 シュナイダーは前列の肩線を撫でるように見て、破綻点の角度を口の中で転がす。荒い足並みと呼吸の乱れが獲物の形を教え、戦の入口が自然と見えている。 俺は深呼吸で指先の震えを押さえ、足裏の土を確かめる。耳の奥の金属音が過去の影を呼び、仲間の声が一瞬だけ浮かぶ。それでも視線は前だけに固定した。 踏み込む。デュエルエナジーを解き放つ。

 

 轟、と林が震え、光輪が木々の間を走る。半数が吹き飛び、葉の雨が降る。

 

「今だ、突撃!」

 

 隊が雪崩れ込み、鉄の陣列が形を保ったまま静かに押す。刃と刃が触れるたび、俺の背でユーリの呼気が細くなる。だが彼女の狙いは乱れない。マリアンヌは一歩も余計に踏み込まず、斬るべき線だけを見ている。シュナイダーは最後尾の穴を先に埋め、戻り刀の角度で次の抜け道を塞いだ。 静寂。林に灰の匂いが戻る。黒い羽根だけが、立つ男の肩からはらはら落ちた。

 

「黒翼盗賊団を舐めるな! 俺一人でもやってやる」

「ユーリ、相手をしろ。危なくなったら横やりを入れてやる」

 

 ユーリは前へ出る。赤い瞳が微かに濡れ、呼吸が短く切れる。だがボードを展開する手つきは迷わない。彼女は自分の震えを“手順”に絡めて封じる術を持っている。

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 漆黒の小翼が舞い、群れが旗に引かれる。圧の波でユーリの膝が沈む。彼女は重心を一段落として、視界の縁から雑音を切り落とす。

 

「私のターン! 出てきてレベル2シルトゴーレム! レベル3グラナイトゴーレム!」

 

 石の質量が空気を押し、掌に振動が伝わる。彼女は素材を重ね、段取りを光の帯で結ぶ。

 

「——重ね合え! 二体の力、共鳴し層となれ! オーバーレイ召喚! 現れよ、《プリズム・マジックレイカー》!」

 

 光柱の縁が林の色を洗い、敵の呼吸がわずかに逸れる。シュナイダーはその瞬間、周囲の包囲角が1枚分緩むのを見逃さない。

 

「俺のターン! ——来い、《黒翼の死神》!」

 

 影が振り下ろされる。ユーリはためらわず魔法を噛ませる。

 

「速攻魔法【エクスプロージョン】!」

 

 ユーリの発動した速攻魔法から火球が飛び出る。爆ぜる音が胸骨を打つ。黒は散り、敵の体勢が沈む。マリアンヌは刃を抜かず、彼女の背中だけを見守る位置を保つ。

 

「私のターン! いくよ……!」

 

 ユーリは指先の汗を拭かない。速度で誤魔化さず、手順の密度を上げる。七体が揃い、墓地へ潜る。

 

「七色の破片よ、すべてを集束し、虹の竜と成せ! ——現れよ、《プリズマドラゴン・レインボウ》!」

 

 咆哮の圧で葉が裏返る。彼女は守りの残し方を計算し、破壊の幅を自陣だけ外す線で引く。

 

「魔法カード【ラヴァスプラッシュ】!」

 

 場が剥がれ、空気が軽くなる。敵の目から色が抜け、膝が割れた。

 

「プリズマドラゴン、ダイレクトアタック!」

 

 虹光が貫き、決着の音が林に沈む。ユーリは肩を二度だけ揺らし、すぐに息を整えた。目尻の赤は引かないが、足取りはもう乱れない。

 

 焦げの匂いがまだ濃い。葉の裏で光が揺れ、焼け焦げた木肌に湿り気が残っていた。ユーリは肩を落とし、ソウルボードを収納して銃の安全装置を戻す。金属が乾いた音を立てる。戦いが終わった証拠だった。

 

「よくやった。倒れずに済んだな」

 

 俺が言うと、彼女は小さく息を吐いた。

 唇の端が震え、笑いかけるようで笑わない。

 

「ここで負けるわけにはいかないからね」

「今後も頑張ってくれ」

 

 彼女の指はまだ汗で濡れている。その手の甲に灰が貼りつき、光を反射していた。俺はその灰を払わず、そのまま背中を叩いた。

 火照りが掌に残る。

 

「行くぞ。後少しで従属村だ」

 

 ユーリは小さく頷き、肩をまっすぐにした。歩き出す足取りは、もう震えていなかった。

 

夕暮れの道を歩く。風が、火薬の残り香を引きずっていた。林を抜けた先の道は、薄い橙の光に染まっている。地面にはまだ灰が点々と落ち、踏むたびに柔らかく沈んだ。

 

 マリアンヌは隊の少し後ろを歩いていた。剣を鞘に戻したまま、指先で柄を撫でている。金属のきしみが衣の布越しにかすかに鳴り、そのたびに視線が沈んだ。

 

「怪我はないか」

 

 俺の問いに、彼女は顔を上げた。頬の一筋の血を拭いもせず、淡く笑う。

 

「あなたの防御がなければ、弾丸の一つは届いていました。ありがとうございます」

「届かなかった。だからそれでいい」

 

 短いやり取りだった。だがその一言の裏に、戦場の匂いがまだ張りついていた。

 彼女の肩越しに沈みゆく太陽が見える。焼けた雲が、鉄のように鈍く光る。

 

「アルト様」

「なんだ」

「あなた、戦いの最中に少し笑っていましたわね」

 

 思わず歩を止めた。風が乾いた枝を鳴らす。

 

「……そう見えたか」

「見えましたわ。恐怖を押し込んで笑っていました」

「それで部下は前を向くならそれでいい」

 

 マリアンヌは沈黙した。足元の小石を蹴り、視線を遠くへ投げる。

 

「怖くないのですか?」

「怖いに決まってる。けど、止まれば誰かが死ぬ」

「その“誰か”が私でも?」

「……そうならないように、前に出てる」

 

 彼女の眉がわずかに動いた。返す言葉はなかった。代わりに、空を見上げる。空の端にはまだ煙が残り、薄紫の中でゆっくりと消えていった。

 

 マリアンヌは立ち止まり、深く息を吐く。わずかに頷き、顔をそらした。髪が風に流れ、灰の粒を散らす。

 

「無茶はなさらないでください。あなたが死ねばこの隊は回らなくなるのですから」

「わかっているさ。だが、この隊で一番強いのは俺だ」

「ええ、ですが勇者とて兵士に囲まれれば、後ろから不意打ちされれば死んでしまいます。あなたが一番わかっているでしょう?」

 

マリアンヌはユーリを見る。彼女の弓矢は勇者やポータル殺しの起点になる場面も多かった。ユーリは赤い瞳を曇らせる。俺は笑いかけた。

 

「またですわね……」

「これで彼女が頑張れるなら嘘だってなんだってついてやる。もはや戦場に生きるしか道はないんだ」

 

 ふっと笑う。その声は、戦場の熱をやっと手放したように柔らかかった。沈みかけた太陽が、地平を赤く染める。その赤が彼女の髪に映り、まるで血の色を吸い込んでいるようだった。マリアンヌは視線を戻し、かすかに言葉を零す。

 

 踏み荒らされた路面に、彼女の足音だけが一定だ。灰が舞い、靴の縁で小さく弾けた。

 

「……怖いのは、あなただけが前に行くことじゃありません。あなたが戻らないことです」

 

 その言葉に、胸の奥で何かが鳴った。風が冷える。夜がもう近い。

 

「夜営はなしだ。従属村まで一気に行く」

「了解しましたわ。でも休める者には少しでも休息をとらせてあげませんと」

「指揮は任せるぞ」

 

 マリアンヌはうなずき、隊の方へ歩き出した。その背を見送りながら、俺は呼吸を整えた。空には、まだ光精霊灯が点りはじめていない。残照の中で、風が灰を巻き上げる。それがまるで、戦場がまだ息をしているように見えた。

 

 足を踏み出す。音もなく、灰の上に自分の影が重なる。夜がすぐそこまで来ていた。

 

 捕らえた盗賊の足鎖が石を弾き、乾いた音が続く。駅の焦げた匂いが風に混じり、鉄の味が舌へ移る。

 

「シュナイダー、盗賊たちの尋問は頼んだ」

「後で報告しに行く。待ってろ」

 

 彼は返事の後、短く空を見た。雲の切れ目で風向きを確かめ、夜の警戒線を心の地図に描いている。 市場は細い熱で灯っていた。札の数は少なく、手数の音も軽い。マリアンヌは値板の欠けた角を撫で、指先の煤を見つめる。そこに積み重ねるべき正しさを測っていた。

 

「やはりアルカナに比べると少ないな」

「あそこはカードショップだからね。鉄道でカードショップに輸送するために作られた村だろうし」

 

 神殿区で白灰が線路に撒かれる。粉の匂いが喉に張りつき、風の湿りに溶ける。ユーリは灰の線を跨ぐとき、靴底を地面へ強く押し付けた。沈む感覚で自分を戻す癖だ。 軍用区の砲塔は黒く沈黙していた。若い兵士の汗が灰を裂き、細い線を頬に描く。シュナイダーはその手の角度を見て、結界柱の位置が微かにずれているのを指でなぞるように覚える。

 

「ここの責任者はいるのか?」

「……後数日で鉄道路線の復旧が終わるため戻ってこないと思います」

「また不在か」

 

 俺は瓦礫の隙間の白いもやを視界の端に留める。数日で終わる景色ではない。舌の裏側に鉄の味が戻る。 夜。光精霊灯が一本だけ灯る。光が届かない闇の縁で、人の声が湯気に包まれる。マリアンヌはその灯りを一度振り返り、歩幅を半歩だけ広くした。置いていく痛みを誰よりも知っている歩き方だった。

 

「アルト、現場の兵士から報告。新たに盗賊を捕らえたって」

「情報は聞き出したか?」

「それについては俺が答えよう。……マリアンヌ軍曹を狙えという命令があったらしい。ほかには、マリアンヌ殺害で金100枚だ」

 

 空気が一段冷え、窓の布がゆっくり揺れる。マリアンヌは瞼を閉じず、視線の高さだけを変えた。脈を落とし、刃を抜かずに立つ姿勢を作る。

 

「一人金一枚か。村人の月収50か月分が一瞬で手に入るのか」

 

 机上の貨幣へ視線を落とす。銅と銀と金の差が、血の温度差に見える。レアカードなら金貨30枚だってあり得る。だが一般人にそんなカードは基本手に入らない。

 

(名前付きのカードなんて後世に名を遺すレベルの活躍をしないと無理よ)

 

 セイランが念話を使って話しかけてくる。

 

(ハルミやセナも、お前の部下だから名前がついてるだけだもんな。俺が死ねば名前を失う)

(だからこそ死ねないわね)

 

 ユーリは唇を結び、言葉の代わりに顎を引いた。自分の背で誰かが倒れる形を嫌い、次に備える動作だけを増やす。

 

「それで、盗賊からの話に続きはないか?」

「それ以上は聞き出せなかった。特に雇い主とかはな」

「全員無事ならそれでいい。今後は襲撃が来ないか警戒しよう」

 

 頷きの連鎖が部屋を一周し、床板が小さく鳴る。解散後、闇は帳のように落ち、光の粒まで吸い込んだ。俺は手探りで壁を撫で、呼吸を深く落としてから扉を閉めた。胸のざらつきはまだ消えない。外では、光精霊灯の火が風に揺れていた。灰の粒が舞い、淡く光を反射する。 俺はそれを見つめながら、掌をかざす。 焼け跡の熱も、戦いの匂いも、指の隙間から少しずつ逃げていく。 けれど心の奥では、まだ何かが燻っていた。 明日また歩くとしても、今日の灰を忘れてはいけない――そう思いながら、灯りを背にして歩き出した。

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