孤児の成り上がり   作:雷光123

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金色の祝宴

 金の音が、どこか軋んで聞こえた。杯がぶつかり、笑い声が広間を満たす。

 

 燭台の炎は落ち着かず、壁の影を乱舞させていた。光が濃すぎる。祝福の裏に、何かが隠れている気がした。

 

「乾杯!」

 

 皇帝代理の声が広間を満たす。金の杯が高く掲げられた。

 

「あなたには開拓村の統治を任せる。三割の産出物は自由に扱っていい。成果で示せ、以上」

 

 秩序を褒め称える声が一斉に上がった。だが“自由”という語だけが、鎖の音に聞こえた。

 

 監察官が去っていく。だが壁際には別班の視線が残った。背後のユーリとマリアンヌも監察官が去っていったことでそれぞれ2人で食事を楽しみ始めた。

 

 周囲は歓喜に沸いていた。だが、胸の奥には微かな冷気があった。光が強いほど、腐敗の匂いが濃くなる。まるで腐った花を金粉で覆うような眩しさだった。

 

「顔、硬いよ」

 

 赤髪のユーリが、苦笑を浮かべた。杯の縁で指を弄びながら、怯えたように目を伏せる。

 

「……慣れてないだけだ」

「ふうん。あたしも、こういうの苦手」

 

 笑い声が震えていた。口にした酒は甘いのに、舌の奥で金属の味が滲んだ。それは、血と毒のあいだにあるような味だった。

 

 壇上にはマリアンヌがいた。金の髪を揺らし、青い瞳に静かな湖面を宿している。優雅に礼を取る仕草の裏で、指先がわずかに震えていた。この“祝福”が、偽りであることを彼女は知っている。

 

 彼女の視線は、祝宴の奥に座る別席の代理付き秘書官を貫いていた。沈黙のまま、唇を噛み、杯を口に運ぶ。その喉の動きが、告発のように見えた。

 

 周囲の貴族たちは彼女に微笑みを返すが、その目の奥は硝子だった。祝福を装う掌の下で、誰もが他人の失脚を数えている。マリアンヌは一歩退き、吐息のように呟いた。

 

「政治の世界では誰の失敗も許されませんわ。アルト様、失敗だけはやめましょう」

「相手を追い落とす機会を伺う連中ばかりの世界か。俺たちの相手は敵対する上位者ではなく領民だというのに」

 

 マリアンヌはまだ渋い顔をしている。生唾を飲んで話を切り出す。

 

「マリアンヌ、うれしくなさそうだな」

「アルト様、皇帝代理はなぜ来ているかわかりますか?」

「領地を与えるためだろ?」

「おそらく何らかの命令が出されますわ。その時あなたは従いますか?」

「分からない。その時にならなければ選択できない」

 

 マリアンヌとの会話を切り上げて他のテーブルにも顔を出す。

 

「隊長、次は俺の席です」

「お前の昇給話はあとだ。酔いつぶれるなよ」

 

 笑いが走る。椅子がきしむ。

 

 壇の下を通る給仕の靴が石を擦る。銀盆が微かに揺れ、キン、と金属が鳴った。その音だけが、祝福の外側に立っていた。

 

 視線の先で、壁際に黒い影があった。シュナイダー。腕を組み、笑いもせず周囲を観察している。その沈黙は、祝宴の喧騒よりも重く響いた。

 

 襟が汗で貼り付いた。音が一段、遠のく。監察官の視線が一瞬こちらをかすめた。会釈した給仕の背筋がぴんと伸びる。空気が細くなり、息を吸うだけで咳が出そうだった。

 

 誰もが“見られている”ことを知りながら、笑いを演じていた。目を細め監察官を見る。監察官の白手袋に、黒羽の刺繍が見える。――監察局。陛下の眼。

 

「黒羽。皇帝は見ているぞと言うことか?」

「そうだろうな。祝いの場にまで来るとはな」

 

 隣のシュナイダーが低く答えた。マリアンヌは眉を寄せ、唇だけで言う。

 

「陛下の眼は、祝宴すら監視します」

 

 杯が鳴る。笑い声が高まる。だが、白熱が壁を舐め、石膏が乾いた匂いを吐いた。

 

 監察官たちは“理の教典”を携える。彼らにとって心は誤差、統治は算術だ。祈りの代わりに、計算が聖句を担っていた。

 

「あいつらは人の命をなんだと思っているんだ」

 

 セイランの声が、炎の向こうから届く。

 

(灯りは人を照らすためのもの。でも、ここにあるのは"焼く光"ね)

 

 その声に、無意識に背筋を伸ばした。霊導の回路が体内で微かに共鳴し、心臓が硬質な音を立てる。生と理の境が、血の中で軋んだ。

 

 杯を掲げるふりをして、息を吐いた。

 

「……黙るしかない。今はまだ。」

 

 光の檻が壁に揺れ、影が格子を描く。祝福の金は、服従の鎖だった。

 

 かつて命令に従い、村を包囲した夜がある。誰も死なず、略奪も起きなかった。半年後、その村は地図から消えた。正しさは勝ち、暮らしは負けた。

 

 夜明けの灰の中、畑に転がっていたのは、折れた鍬と焦げた玩具だけだった。誰も叫ばなかった。声を出す前に、息を奪われたのだ。その村の名を報告書に記すとき、俺は一文字だけ滲ませた。“正義に殉じた”という文言が、いまだ喉の奥に刺さっている。

 

(その記憶、誰のものなの?)

 

 セイランの問いかけに答えられない。思い出そうとすると頭が痛くなる。通路を歩き呼び出された部屋の前に着く。

 

「分からない。だが命令に従えばみんな不幸になる」

 

 扉の音が響いた。祝宴の残響が遠ざかる。部屋には燭台がひとつ、光は鉄色を帯びていた。

 

 机の上に、赤い封蝋の封書。帝国の双頭鷲が押されている。まだ熱を残しており、その熱が指を刺した。

 

「座れ」

 

 影を背負う男、グロイスが低く言う。隣には、二人の監察官。

 

「命令が下った」

 

 封を切る音が、やけに大きく響く。中には黒線と赤線が交わる地図。授与される村から平原一キロ、森二キロ、平原一キロ――その先に小さな印。

 

 第4市民開拓村。

 

「抵抗勢力の補給拠点だ」

 

 グロイスは淡々と告げる。

 

「施設を焼却し、住民は捕縛。搬送後労働登録だ。皇帝の命令は絶対だ」

 

 監察官が記録簿を閉じた。

 

「彼らは闇市と接触している疑いがあります。まずは捕らえてから話を聞きましょう」

 

 その声は、祈りのように平坦だった。光の中で、彼の影だけが濃く立っていた。

 

 封書を持ち上げ、蝋の縁に目を落とす。扉の隙間から、伝令役のユーリが顔を出した。赤い封を見て、彼女は小さく呟く。

 

「……赤いね。血みたい」

 

 音は小さかったが、刃のように残った。蝋の艶が、乾いた血の膜に見えた。

 

 監察官は視線を上げない。白手袋が机に触れ、紙の角度を正す。整った角だけが、正しさを主張していた。

 

 燭台の光が地図の線をなぞる。距離にして、わずか三キロ。祝宴で授与された“開拓村”のすぐ隣だった。

 

「なぜ内地で戦いを起こさなければいけない。村ごと破壊する必要はないはずだ」

 

 言葉は空気に溶けた。グロイスは静かに視線を上げる。

 

「我々は市民階級と対立関係にある。その市民階級が罪を犯すというのなら村の住民全員奴隷になるのだ」

「待てよ。村人は関係ないだろう」

「アルト殿、落ち着かれよ。村人も平民も三身分の所有物です」

 

 だから奴隷化するのだと、言外でそう言っていた。マリアンヌは黙って立会い、床の暗い部分を見つめた。踏み荒らされた飾り石の間に、黒い点がいくつか。乾いた血か、煤か。光が届かず、色だけが沈んでいた。

 

 セイランの声が、心の奥でさざめく。

 

(この世界の理は冷たい。でも、あなたが震えるのは、まだ熱を覚えているから)

 

 赤い蝋が固まっていく。それは命令そのものが血を凝らせているようだった。

 

「明朝、出発だ。行け」

 

 グロイスは立ち上がり部屋を出る。炎が一度揺れ、壁に長い影を落とす。机の上の封蝋が光を吸い込み、黒く沈んだ。

 

 ――封蝋は従属の鎖。触れた瞬間、自由は凍りついた。

 

 その夜、屋上の石畳は冷たかった。街の光が遠く散り、風が襟の中へ滑り込む。実体化したセイランが隣に立ち、空の低い雲を見上げる。

 

「正しさは命令を疑わないわ。だけど人間は?」

「疑う。だから壊れる。だから、繋ぎ直す」

「壊れずに済む道を、正しさは指さない」

「人が指す。傷のある指で、子どもを抱く手で」

 

 しばらく風だけが鳴った。遠くで見張りの靴が鳴り、鈍い鐘が一度だけ揺れた。金の音。祝宴の残響ではなかった。

 

 夜が明ける。空は鉛色を引きずり、土の匂いが濃かった。封書を懐に入れ、出発命令を下す。

 

 その手の中で、封蝋が微かに脈を打った。命令が血流のように、自分の内に入り込んでいく。拒絶すれば、心臓ごと止まりそうだった。

 

 丘を越えると、霧の向こうに村があった。木の戸が連なり、畑に湯気が立っている。朝露が桶を満たし、子どもの笑いが風に弾けた。

 

 平穏だった。それだけで、痛みを覚えるほどに。

 

 畦道を歩くと、土の匂いが濃くなった。霧はまだ残り、朝の光が粒になって浮かんでいる。村人たちはもう畑に出ていた。手押し車の軋む音、子どもの笑い声、犬の吠える声。どれも理とは無縁の、まっとうな音だった。

 

 井戸のそばでは、女たちが桶を並べていた。水面がきらめき、誰かの笑いに小さな波紋が走る。マリアンヌはその様子を黙って見つめ、頬に光を受けていた。青い瞳が、井戸の水と同じ色をしている。

 

「きれいね。ここだけ、時間が止まっているみたい」

「止まってるんじゃない。守られているんだ」

 

 そう答えながら、アルトは足元の泥を見た。靴裏に絡む土は柔らかく、温かかった。都市の石畳にはない匂いがした。パンを焼く香ばしい匂い、干し草の湿り、焚き火の煙。

 

 ユーリが子どもたちに手を振ると、ひとりが駆け寄ってきて、小さな花冠を差し出した。彼女は照れくさそうにそれを受け取り、頭にのせた。

 

「似合う?」

「似合ってる。けど……兵士の顔には見えないな」

「じゃあ、休暇中ってことで」

 

 笑い合う声が風に溶けた。風車が回り、薄くきしむ。光が木々の葉を透かし、畑の上にまだらな影を落とす。小麦の穂が風に揺れ、ざわめきが波のように広がっていった。

 

 老人が通りかかり、籠を背負ったまま深く頭を下げた。

 

「遠路ご苦労さまです。どうぞ、井戸の水を」

 

 差し出された桶の水は冷たく、舌の上で甘かった。命令の言葉よりも、確かな重みを持っていた。マリアンヌが静かに目を閉じ、指先でその冷たさを確かめる。

 

「この水が……命令ひとつで消えるのね」

 

 言葉が小さく、風に紛れた。誰も続けなかった。だが、子どもたちの笑いがもう一度響くと、その沈黙さえも赦される気がした。

 

 村の上を、雲がゆっくり流れていく。陽の光が畑の麦を撫で、金色が波のように揺れた。その光は、あの祝宴の金とは違う。焼くためではなく、育てるための光だった。

 

「遠路ご苦労。監査かね?」

 

 皺の刻まれた村長が出迎える。

 

「私がこの村の統治者となるアルトです。よろしくお願いします」

 

 言葉を選ぶ声が重かった。家々の中で糸車が回り、子を抱く腕が揺れている。戦場ではないのに、命の線が緊張していた。

 

 マリアンヌは家並みを見渡し、井戸の屋根に視線を止めた。古い印章の刻みが、苔の下から覗く。小さな双頭鷲。いつからここにあるのか。

 

「遅いじゃない」

 

 背後から声。リリアだった。軍服の裾に土、腰の金具が朝日に光る。孤児院時代から続く関係。彼女もまた軍に所属していたようだ。

 

「前線の補給線、見てきた」

「命令の件、聞いたか」

「聞いた。敵の市民村の襲撃だって」

 

 少しだけ胸が緩んだ。畑の端で、子どもが花を差し出した。黄色い花。リリアがそれを見て、拳を握る。

 

「砲は撃ちたくないよ」

 

 彼女は言った。

 

「でも、兄さん。記録を残して。あたしは砲で守るより、字で残したい」

 

 彼女の意見にうなずく。ペンを取る手が震えた。ノートに、村人の名と職と皺を写す。それが唯一の抵抗だった。

 

 家の陰でユーリが帳面を抱え、視線を落とす。赤い封の色が、まだ瞼の裏に残っている。

 

「……血みたいだよね、やっぱり」

 

 誰にともなく零れ、風に溶けた。

 

 昼下がり、霧雨が上がる。兵たちが村の周囲で測量を続けていた。

 

「北の丘は反応なし。西の井戸、微弱な霊波残留が残っていた」

 

 シュナイダーが報告する。アルトは地図に目を落とした。

 

 青い印。井戸の中心。そこに旧時代の導霊核が眠っているという。

 

「導霊核が生きていれば、焼却命令の理由は立つ」

 

 言葉の奥で、鉄の味が広がる。

 

 井戸の水で人が生きている。その命を理由に、理が火を望むのか。

 

「どう判断する?」

 

 シュナイダーの瞳は冷静で、ほんの少しだけ揺れていた。

 

「掘り出すな。封鎖だけでいい」

「監察局には?」

「まだ報告するな。法理は炎で清算したがる」

「そうだな。まだ事を起こすわけにはいかない」

 

 風が吹き、地図の端がめくれた。そこには祝宴の日の“授与印”。命令書と同じ印だった。

 

 胸の奥が、静かに冷えた。

 

「……第4市民開拓村、何か隠されているな」

「探るのか」

「ああ、もしかして裏取引が行われているかもしれない。俺は周辺を探る」

 

 外では、測定器の針が微かに震えている。風の音の中で、鈴のような音が響いた。

 

(この土地、沈黙が深い。精霊が眠っているわ)

 

 セイランの声が、光の底で囁いた。その音が胸の内側で反響し、呼吸がわずかに乱れる。

 

 ――光は腐り、理は焼く。だが、その間にある人の声を、まだ捨ててはいけない。

 

 目を閉じた。冷たい風が頬を撫でる。命令の線を越える、その時が近づいていた。風の下で、何かが鳴った。

土の奥、井戸のさらに深い場所で、鉄と石が擦れる音。

 

 それは枠組みの声か、忘れられた祈りか。セイランの光が微かに揺れ、冷気が頬を撫でた。

 

 その瞬間、遠くの都市で鐘が鳴った。金の音。祝宴とも処刑ともつかぬ響き。空気が一度だけ冷え、井戸の水面が細く震えた。

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