孤児の成り上がり   作:雷光123

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開拓村の闇

 風が止む。蹄音だけが平原を刻み、霧の奥に三つの灯が揺れる。先頭、殿、予備。息を殺すたび、肺の奥で灰の味が舞い上がった。

 

 手袋越しに刀の峰を撫でる。磨かれた鋼がわずかに光を返す。鏡だ。映るのは命令に従う兵の顔か、それとも——。

 

 副隊長のシュナイダーが肩に触れた。短く、重い圧。合図。

 

 境界は見えているか、と無言で問われた気がしてうなずく。手信号。影の塊がほどけ、三つの矢に分かれた。

 

「——突撃!」

 

「第一、突入します!」

「第二、電光石火で制圧!」

「第三、後方支援に回れ!」

 

 号令と同時に闇が裂ける。圧縮した戦気が弾け、衝撃波が草原をえぐった。馬車を牽く馬が悲鳴を上げ、御者が宙に跳ねる。油煙が舞い、夜の匂いが一瞬で火薬に変わる。 

 

「恨みはないが——死んでもらう」

 

 口にした瞬間、胸の奥が針に刺さる。舌の上で灰が崩れるような、乾いた痛み。

 

(アルト、呼吸よ。敵のことを考えすぎたら何もできなくなるわ)

 

 セイランの声が冷えた水の芯で鳴る。

 

(鏡は境界。映った影に呑まれれば、あなたは灰に還る)

 

「中を確認! 資源カードを発見したよ!」

 

 ユーリが荷台に飛び乗る。膝がわずかに震え、額の汗が油膜みたいに冷たい光を拾った。死者のそばで一息、祈りの形だけを結ぶ。

 

「種類は?」

「小麦が多いね。護衛の腰に油の資源カードが一枚」

「よし。油は街道に帯状に撒け。小麦は風下で確保、火は護衛と車両だけに延焼させろ」

 

 ユーリがカードを起動。淡い光が走り、油が地表を黒い帯に変える。夜に溶けるその黒は、月のない空を鏡のように映した。そこに揺れた影が二重に見え、彼女が一瞬、視線を落とす。

 指が強くカードを握り直した。

 

 俺は戦気を重ね、火の精霊を喚ぶ。炎が走り、馬車列が一斉に燃え上がる。ぱちぱちと弾ける音が、昔焼けた村の柱を思い出させた。灰が、また増える。

 

(灰は記録。焼け跡に残る白は、この世界に存在した証よ)

「選びたくて選ぶわけじゃない」

(それでも選んだ分だけ、あなたの影は濃くなる)

 

「回収班、急げ! 増援が来る前にカードを運び出す!」

「了解!」

 

 第一分隊が走る。焦げた空気が肺を刺す。燃えた穀粉が雪のように舞い、頬に貼り付く——白い灰。払うたび、掌に羽の形が残り、崩れて消えた。

 

 マリアンヌが炎光に現れる。頬に煤の線、瞳は揺れない。倒れた捕虜の腕章を拾い上げ、血と灰を指先で払う。その仕草は、礼拝堂で古い聖像から埃を払う手つきに見えた。

 

「アルト様。この者、別の狙いが来ると言っていました」

「別の狙い?」

「黒翼——盗賊団の名です。輸送隊を狩る者たち」

「盗賊団? ただの略奪者では?」

「物資を奪い、どこかに流している、と」

 

 胸の奥で何かが軋む。理に従うはずの路が、灰で埋まりつつある。マリアンヌは腕章を炎にかざす。縫い目が黒く光り、一瞬、羽の影に見えた。 

 

「第一、回収率七割——撤収線へ!」

 

 シュナイダーの怒鳴り声が鋼のように地形を切り分ける。彼の視線は火にも羽にも逸れない。ただ退路の角度と風の向きを計算している。

 

「第二、遮断射撃——三、二、一、今!」

 

 短く刻まれた銃声。火の縁で影が一つ折れた。リリアが砲兵隊に指示を出し砲撃を放つ。暗闇を切り裂く砲撃の音。大地がハンマーでたたかれたように崩れる。沈みやすい土を選んで撃つその癖に、耕し慣れた者の記憶が残っていた。

 

「起爆は私。合図で落とすから!」

 

 炎は高く、空は低い。刀の峰にもう一度、顔を映す。汗と煤で汚れた顔。鏡のこちらと向こうが一瞬、重なった。

 

(アルト、こちらへ戻って。敵のペースに持っていかれそうになってるわ)

「中を確認、まだカードが残ってます!」

 

 ユーリの叫び。手袋の甲に積もった灰が羽根の形になる。彼女は息で吹き払う。脆い羽は宙に散り、すぐ見えなくなった。

 

「第二、遅滞戦闘! 第一・第三は離脱路へ!」

「負傷者は風下へ。灰の流れで視界を遮りなさい」

 

 俺は最後尾へ下がり、炎の縁で刃を振る。反射した白が翼の線を描き、心臓が跳ねる。目を凝らす。煤が風に三度、同じ形で舞っただけだった。 

 

「回収完了! 撤収に移る!」

「全隊——離脱!」

 

 火に照らされた地面に灰が雨のように降る。

 靴跡は浅い舟となり、灰を載せて沈む。

 

(沈む前に渡れ。西から湿気。鏡は曇る。今なら影は薄い)

 

 退路へ折れたとき、ユーリが躓く。油帯に薄い水鏡ができ、そこへ彼女の顔が落ちる。

 反射的に掌をついた瞬間、水と油と灰が混ざり、指跡が羽根の縁取りになった。

 

「すまない——」

 

 腕をつかんで引き起こす。

 

「前だけ見ろ」

(鏡は割るときがある)

 

 踵で油鏡を払う。波紋が走り、翼の影が崩れた。橋の手前でリリアが合図する。

 

「今!」

 

 杭が抜け、油を吸った藁束が落ち、短く炎が走る。火と灰が噴き上がり、追手の視界を焼いた。

 

「よくやった!」

 

 シュナイダーの声。すぐ次の角度が指示される。彼の足跡は地図となり、灰が細い白墨のように線を見せる。

 

 藪影に入る。燃え残りの枝に白い灰が薄く載っている。一本摘むと、掌で崩れ、羽の粉になった。吹けば舞い、闇に消える。

 

(灰は消える。けれど、匂いは残る)

 

 焦げた麦と油の匂いが喉を焼く。咳を呑み込み、振り返らずに歩を進めこの場を去った。

 

 仮設指令所に入ると、マリアンヌが淡々と報告書をまとめていた。机に灰が落ち、紙の端に黒い指紋が残る。市民第4開拓村の従属村。そこが新たな目的地となった。

 

「灰は燃えた証ですわ」

「証、ね」

 

 灯の下で紙面に落ちた影が、自分の瞳を溶かす。

 逃げ場のない現実ほど、よく映る。

 

 カードを回収したユーリは壁際で油布を絞る。手の甲に火傷、灰が染み込んでいる。

 

「……まだ熱いのに、冷たいですね」

「灰は、燃える前の温度を覚えてる」

 

 彼女はかすかに笑った。

 

「なら私も、少しは人間のままかもしれないですわね」

 

 封蝋を落とす。双頭鷲の印。蝋の表に黒い染みがにじみ、羽の形に見えた。

 マリアンヌが眉を寄せる。

 

「偶然ではないでしょう」

「帝国の印に“黒翼”を仕込む——誰の意志だ」

「命令に見せかけた、沈黙の意志ですわ」

 

 沈黙。最も整った命令。

 何も言わず、灰のように人を動かす。

 

 報告書をシュナイダーに渡す。彼は蝋を指で擦り、鼻で笑う。

 

「便利な言葉だな、“調査行動”ってやつは」

「見なかったことにしろ、と」

「それが理だ。軍人なら、鏡は割るな」

「……理か」

 

 胸の奥でセイランが揺れた。

 

(理は線、情は呼吸。どちらが先に途切れても、世界は沈む)

「命令は命令だ。黒翼の流通経路を突き止めろ。闇市に潜る」

 

 ユーリが顔を上げる。

 

「闇市……この従属村の地下だね。黒翼が取引してるって」

 

 リリアがベルトを締め直す。

 

「軍服のままじゃ、即バレだよ」

「今夜は商人だ」

 

 マリアンヌが頷く。

 

「買い付け名目は穀物、油、精霊。足はつけません」

 

 軍装を外し、商隊の外套を借りる。

 水面を鏡代わりにすると、見慣れない影がこちらを見返した。

 

「映り込みがあるうちは、まだ理性が残ってますわ」

 

 マリアンヌの横顔は澄んでいた。闇が深くなれば、鏡は消えるだろう。

 

 馬車で村外れの廃坑道へ向かう。

 霧が低く、灰色の羽みたいに流れていく。

 

(この霧は理の欠片。あなたが焼いた灰の上を通っている)

「理は灰を忘れないのか」

(忘れたふりをして、積もり続ける)

 

 夜明け前の風は冷たい。灰の匂いがまだ残っていた。

 

 ──廃坑道を抜けた先、闇市化した従属村・地下層。

 

 湿った空気。金属と魔力の匂い。石畳に染みた油が薄く光を返し、地面までも鏡になる。

 

「……ここが、同じ帝国の地だなんて信じられない」

「秩序の裏には、こうした補助構造がございますわ」

 

 マリアンヌの声は硝子の線のように真っ直ぐで冷たい。

 

 青白いカード灯が低い天井を照らす。通路の両側で黒外套の商人が取引を続ける。油、穀物、鉱石——そして、精霊カード。棚の奥で羽根のような光がかすかに揺れた。

 

(あれは……魂の断片。人と理の境界を抜けた羽。秩序が剥がれるたび、ああして市場に流れる)

 

 そこへ男が一歩、こちらへ出た。銀の帽章、黒い羽根飾り。片眼鏡の奥の目が笑う。その笑いに、胸の奥の灰がざわつく。

 

 俺は名を呼ぶより先に、指で刀の峰を押さえた。鏡がわずかに俺の顔を返す。

 

「バルド! こんなところで何をしてるの?」

 

 リリアの声が跳ねる。その頬に一瞬、昔の午後の光が戻った。孤児院の裏庭、ひび割れた水面を覗いたあの日の温度が蘇る。

 

「……やっぱり、君らか」

 

 バルドは肩を竦め、小さな銀貨を掌で弾いた。くるりと回る面。片側は鷲章、もう片側は黒い羽。その羽が鏡のように俺の目を映した。

 

「再会の挨拶は嬉しいけど、ここは勘定が先だ。買う側か、売る側か。あるいは——黙って見ている側か」

「待って、バルド。あなた、本当に……ここで商ってるの?」

 

 リリアが踏み出す。

 

「あの庭で皆でパンを分け合ったあなたが?」

「分けたろう?」

 

 バルドは片眼鏡を押し上げ、笑みを鋭くした。

 

「分けるには流れが要る。停まった祈りも、滞った善意も腐る。だから俺は回す。価値を、命を、願いを。等価にね」

「等価……?」

「孤児院でパンと引き換えに君が差し出した“明日の労働”——あれだって交換だろ」

 

 リリアの拳が震える。

 

「でも、精霊まで札にするのは——」

「札にしなければ、灰になるだけだ」

 

 バルドは棚から赤い庭門の意匠のカードを摘む。

 

「【紅き庭の守り手】。覚えてるか。君が水を撒いて、俺が花を踏んで怒られた庭だ。今は銀貨20枚という値だけが残ってる」

「値なんて、要らない」

「戻すには、代価が要る」

 

 カードを差し出す手が、かつて割れた鏡片を渡した時と同じ角度だった。

 

「で、君らはどっちだ。買うのか、売るのか。それとも今夜も、見なかったことにするのか」

 

 俺は息を殺し、答える。

 

「買い付けだ。穀物・油・……精霊」

「いい返事だ」

 

 銀貨が掌に落ちる。黒い羽の面が上を向く。薄い鏡が、俺の目をもう一度映した。

 

「通行税。烏の小路のルールだ。——忠告。南の坑道は二刻で閉じる。“光の客”が来る前に終えな」

「光の客?」

 

 マリアンヌが目を細める。

 

「アーデル・ヴァン=ヘリオス。『浄火の勇者』。焼き残しの灰を見ると、身体がむず痒くなる御仁でね」

 

 バルドが指を鳴らす。幕が降り、棚の影がすっと薄くなる。

 

(アルト、風が変わる。正義の圧が近い)

 

 通路の奥から銃声。悲鳴。炎。油が溢れ、火が鏡面を滑るように広がる。

 

「撤退だ!」

 

 リリアが動かない。燃え上がる棚の前で【紅き庭の守り手】が炎に呑まれていく。

 

「……あの庭も、焼かれた」

 

 その声は崩れた祈りのように小さい。炎の反射に、二人の俺が映る。命令を叫ぶ俺と、立ち尽くす俺。

 

(戻って。鏡の中に立ち続ければ、あなたの羽は灰になる)

「……灰でも、残れば証だ」

(証は羽じゃない。呼吸。命令の外にある鼓動)

 

 黒い羽根のカードが風に舞い、空中で裏返った。刻まれた名——【理の影】。

 

(呼んではいけない! 結界を食う裏位相!)

 

 青白い光が天井を走り、魔力が暴発。灰が渦を巻き、羽の軌跡を描く。リリアが悲鳴を上げ、ユーリが抱き寄せる。マリアンヌの結界を黒い羽がすり抜けた。

 

「撤退だ! 南の坑道を抜けろ!」

 

 鏡のような空気が割れる。黒い羽が灰になり、灰が羽のように舞い上がる。秩序と影が溶け合い、音のない風が吹いた。

 

 坑道を駆け下りる途中、地上で白い光が夜を洗う。地鳴りのない火——誰かが呟く。

 

「浄火だ」

 

 風向きが変わり、焦げの匂いが一瞬消えた。

 

(アルト、あれが“光の客”。灰の匂いを奪う火だ)

 

 崩れた梁の隙間から風。羽の粉が細い尾を引いて暗闇に消える。俺たちは息を合わせ、土の匂いのする出口へ走る。掌の中で銀貨が冷たい音を立てた。黒い羽の面が、再び俺の顔を映す——小さな鏡のように。

 

(その羽は取引。払うのは誰か、受け取るのは誰か)

「……次は、俺たちが値札を剥がす番だ」

 

 背後で白光がもう一度瞬き、灰が舞い上がり、静かに落ち着いた。

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