闇深い世界で…悪化させた日々   作:不良品の主人公

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船内で

 

 

俺――水野月陽哉は、まだDクラスからのクラス移籍届を提出せず、あえて今のポジションに留まって様子を見ていた。

 

焦る必要はどこにもない。手持ちの5000万ポイントという絶対的なカードは、いつでも好きなタイミングで最悪の爆弾に変えられる。いまはただ、迫り来る船上特別試験の気配を感じながら、この閉ざされた豪華客船の動向を見極めるのが最善だった。

 

 

「ねえ、陽哉。これからどこに行くの?」

 

 

隣を歩く長谷部が、俺の腕に自身の腕を絡めながら小首を傾げてくる。表向きはこうして下の名前で呼んでくる恋人だが、俺の脳内では冷静に『長谷部』と苗字で識別している。ただ、彼女が俺に向ける純粋な好意と、その柔らかい体温だけは確かに心地よかった。

 

 

「とりあえずカフェにでも向かおうかと思ってな。息抜きも必要だろ」

 

 

俺が答えると、後ろを歩いていた須藤が「おう、賛成だぜ! 水野月の奢りか?」と冗談ぽくガハハと笑い、三宅が「お前なぁ、水野月のポイントを当てにするなよ」と呆れたように須藤の頭を軽く小突いた。その少し後ろでは、佐倉がオドオドしながらも嬉しそうに俺たちのやり取りを見守り、松下は周囲の生徒たちの様子を値踏みするように観察している。

 

そして、俺のもう片方の隣には、他クラスであるはずの椎名が、当然のような顔をして並んで歩いていた。彼女もまた俺の読書仲間であり、すでに龍園クラスへの引き抜きの架け橋として動いてくれている重要人物だ。

 

Dクラスのそれなりのレベルのメンツと、急上昇中のCクラスの美少女。異様とも言えるその集団が豪華客船の豪奢な通路を歩いていると、前方から見覚えのある顔ぶれが歩いてくるのが見えた。

 

一之瀬帆波率いる、元Bクラス(現3位)の面々だ。

 

 

すれ違いざま、後ろの方を歩いていた男子生徒数人の口から、周囲に聞こえないような、しかし俺たちの耳には確実に届く音量で、陰湿な呟きが漏れ出た。

 

 

「……おい、なんで白波さんなんかを無人島のリーダーにしたんだろうな?」

 

「知らねえよ。おかげで俺たちの占有エリアに龍園が来た時、一発でバレただろ。白波って顔に出やすいし、分かりやすすぎるんだよな」

 

「全くだ。俺たち一之瀬には興味はあるしついていくけどさ、白波の奴、失敗した癖に俺たちのこと睨んでくるんだぜ? 役立たずの癖に調子乗ってよな、マジでムカつくわ」

 

「俺もだ、一之瀬に告白しようとして話しかけようとしたら白波に邪魔されたんだぜ、酷えよな」

 

 

聞こえてきたのは、クラスの中心の1人?である白波千尋への辛辣な悪口だった。

無人島試験で一切の小細工なしに正攻法で472ポイントをもぎ取った龍園Cクラスに対し、一之瀬たちは手痛い敗北を喫した。その歪みが、早くも足元から生じ始めているらしい。

 

すれ違った一之瀬クラスの面々を見送りながら、松下が呆れたように息を吐く。

 

 

「ねえ……。一之瀬さんのクラスって『全員が固い絆で結ばれた理想のクラス』じゃなかったっけ? 随分と綺麗なメッキが剥がれてきてるじゃん」

 

「無人島で龍園に完璧に裏をかかれたからな。綺麗事だけじゃ飯は食えないってことに、クラスの連中も気づき始めたんだろ」

 

 

俺が冷淡に切り捨てると、三宅も「どんなに仲が良くても、負けが込めば不満は出る。当然の帰結だな」と同意した。佐倉は少し悲しそうに目を伏せ、長谷部は「私は陽哉がいてくれればそれでいいや」と俺の腕を抱きしめる力を強めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

通路を抜け、目的地のオープンカフェに到着した時、そこにはさらに険悪な空気が漂っていた。

 

 

「よう、鈴音ぇ。Dクラスの居心地は相変わらず辛そうだなぁ、ん? だったらよ、いっそのこと俺の女にでもならねえか? 歓迎してやるぜ、クククッ」

 

 

声の主は龍園翔。数人の同クラスの男子を従え、テーブル席に座る堀北鈴音を完全に見下ろす形で、下卑た笑みを浮かべて絡んでいた。

 

 

「……断るわ、龍園君。あなたの冗談に付き合っている暇はないの。今すぐ目の前から消えてちょうだい」

 

 

堀北は毅然とした態度ではねつけた。しかし、その声にはいつもの鋭さがない。無人島試験での惨敗、そしてリーダーとしての責任の重さが、彼女のプライドを内側からズタズタに引き裂いているのが見て取れた。何より、クラスを支えていたはずの俺が完全に自分から距離を置いている状況が、彼女を精神的に追い詰めているのだろう。

 

 

「おい、堀北の奴、かなり参ってんな……」

 

 

須藤が少し心配そうに呟く。以前の須藤なら「何すんだテメェ!」と龍園に殴りかかっていただろうが、俺に『暴力を振るうな』と釘を刺されているため、今は拳を握りしめて堪えている。成長したものだ。

 

 

そこへ、Bクラスの一之瀬たちがカフェへと足を踏み入れてきた。一之瀬の後ろには、先ほど悪口を言われていた白波が、周囲の視線を恐れるように小さくなって隠れている。

 

 

「龍園君、そこまでだよ。女の子を執拗にいじめるのは、感心しないな」

 

 

一之瀬が正義感の強い瞳で龍園を睨みつける。だが、龍園はそんな一之瀬の登場を待っていたと言わんばかりに、椅子の背もたれに深く体重を預け、狂気的な笑みを深めた。

 

 

「ああん? 誰がいじめてるって? 俺はただ、鈴音とお友達にならねえかって優しく誘ってるだけさぁ。なぁ、鈴音?」

 

「そうは見えないな。彼女は明らかに嫌がっているよ」

 

「くくくっ……いーや、お前の勘違いだ、一之瀬」

 

 

龍園は一之瀬の言葉を鼻で笑うと、その視線を一之瀬の背後にいる白波へと移動させた。獲物を見つけた蛇のような、冷酷極まりない視線。

 

 

「それよりよぉ……一之瀬ぇ。お前、いつからユーカリの木にでもなったつもりだ? ――そこの、見るからに弱そうな『コアラ』が、必死にお前にしがみついてるぜぇ?」

 

 

龍園の挑発的な視線が直撃した瞬間、白波はヒッと小さな悲鳴を上げ、目に見えて萎縮してガタガタと震え出した。無人島でカードリーダーを暴かれた恐怖が、完全にトラウマになっているのだ。

 

 

「龍園君! 千尋ちゃんにそんな言い方は――」

 

「ククッ、図星だからって吠えるなよ。実力もねえ奴を優しさだけで神輿に担ぎ上げるから、そうやって簡単に壊れんだよ」

 

 

カフェの入り口付近でその様子を静観していた俺たち。

松下が白波のあまりの怯えぶりに眉をひそめ、俺の耳元に顔を寄せて囁いてきた。

 

 

「ねえ、水野月くん。なんであんな子が、少し前まで上位にいた元Bクラスの主要メンツなの? 正直、見てるこっちが不安になるくらい打たれ弱いじゃない」

 

 

須藤や三宅もその言葉に同意見のようで、一之瀬クラスの歪な構造に怪訝な視線を向けている。

 

 

「さあな、詳しくは知らない。だが、あの一之瀬の側近に収まっていられるくらいだ。おそらく、取り柄は『協調性』の一点張りだろう。……まあ、女子限定のコミュニティにおいてだろうがな」

 

 

俺は適当に、しかし本質を突いた分析を返した。

一之瀬クラスは、全会一致の仲良しグループだ。裏を返せば、白波のような精神的に脆弱な生徒でも、周囲の「優しさ」という温室の中でなら優秀な生徒として振る舞うことができた。

しかし、ひとたび龍園のような本物の悪意に晒されれば、一瞬で機能停止に陥る。実力至上主義のこの学校において、それは致命的な弱点だ。

 

 

「……ここはあまり、良い空気が流れている場所ではありませんね。水野月くん、私達は離れましょうか」

 

 

それまで静かに龍園たちの様子を見ていた椎名が、おっとりとした口調のまま、しかし明確に拒絶の意思を含んだ声で俺に提案してきた。これ以上、低レベルな泥仕合に付き合う必要はないという、彼女なりの的確な判断だ。

 

 

「そうだな。せっかくのコーヒーが不味くなる。行こうか」

 

 

俺が頷くと、長谷部は「賛成ー。あんなピリピリしたところ、いたくないもんね」と同意し、佐倉も「はい……水野月君がそう言うなら」と俺の後ろにピタリとついてきた。松下や三宅、須藤も、龍園や堀北たちのいる空間から興味を失ったように背を向ける。

 

 

「あ、水野月君……!」

 

 

背後から、こちらの存在に気づいた堀北が焦ったような声を上げて俺を呼んだ。助けを求めているのか、それともクラスの最高戦力である俺が他クラスの女子(椎名)と親しげにしていることに危機感を覚えたのか。

 

だが、俺は振り返ることすらしない。すでに俺の視線は、来るべき船上特別試験の先、彼らをCクラスへ亡命させる完全なるシナリオの作成へと向いていた。

 

歩き出す俺たちの背中を、龍園だけが「クククッ……」と不敵な笑みを浮かべながら見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

船内の施設や飲食店は、基本的にすべて無料で使える仕様になっている。

 

俺たちはカフェを後にした数時間後、船内にある少し贅沢な高級レストランへと足を運んでいた。テーブルの上には、絶妙な焼き加減で肉汁が溢れる特大のステーキが並んでいる。

 

 

「んおっ! この肉、めちゃくちゃ美味いな! 無人島のカンパチも悪くなかったけど、やっぱり文明の利器って最高だぜ!」

 

 

須藤が豪快に肉の塊を口に放り込み、満面の笑みを浮かべる。三宅も「同感だな。あの無人島の後だと、温かい料理が腹に染みる」と頷きながら、ナイフとフォークを器用に動かしていた。

 

 

「あ、陽哉、お肉の焼き加減ちょうどいいね。一口食べる?」

 

 

長谷部が自分の皿から小さく切り分けたステーキを、フォークで俺の口元へと運んでくる。恋人としての当たり前のような距離感。周囲の目を気にせず堂々としている彼女のこういう真っ直ぐなところは嫌いじゃない。

 

 

「ああ、美味いな」

 

 

俺がそれを受け止めると、長谷部は嬉しそうに「でしょー?」と目を細める。佐倉はそれを見て少し顔を赤くしながらも、おずおずと自分の料理を口に運んでいた。そんな穏やかな空間で、松下がふと上品に口元を拭いながら俺に視線を向けた。

 

 

「それにしても、学校に戻っても水野月くんのおかげでこれだけの贅沢を気兼ねなく楽しめるんだから、本当に感謝しなきゃね。プライベートポイントの心配が一切ないなんて、この学校じゃ奇跡みたいなものだし」

 

 

松下が不敵に微笑む。彼女は俺の莫大な資金力の意味を、すでに正しく理解し始めている。

となりで静かにスープを嗜んでいた椎名も、ふわりと微笑みを添えた。

 

 

「はい。お友達が有能だと、こうして美味しいご飯が一緒に食べられて、私もとっても幸せです」

 

 

そんな風に、俺たちが食事と会話を楽しんでいると――テーブルの脇から、軽薄で聞き覚えのある男の声が降ってきた。

 

 

「よう、水野月。無人島試験では随分と世話になったな」

 

 

見上げると、そこにはAクラスの橋本正義が立っていた。ポケットに手を突っ込み、いかにも油断のならない笑みを浮かべている。無人島試験の際、食料調達の取引の窓口として俺が接触した男だ。

 

 

「……その割には、お前は随分と辛そうな顔をしてるな、橋本」

 

 

俺が肉を切り分けながら淡々と返すと、橋本は「おいおい、勘弁してくれよ」と大袈裟に肩をすくめて見せた。

 

 

「当然さ。俺は最初から、葛城をリーダーとして認めたつもりはねえからな。あいつはまんまと龍園の策に転がされて、挙げ句の果てにお前の食料調達に頼って、やっとの思いでギリギリの『1ポイント差』で1位を取った程度だ。あんな勝ち方、俺は認めないね。ぶっちゃけ、今回のAクラスの1位は、裏で龍園に作られたようなもんだろ」

 

 

橋本はフッと鼻で笑い、自クラスのリーダーである葛城への冷めた評価を隠そうともしなかった。周囲を常に観察し、強い派閥を見極めようとする橋本らしい立ち回りだ。彼はそのまま、値踏みするような視線を俺へと深く向けてくる。

 

 

「まあ、それはそれとしてさ。水野月、多分お前、近いうちにうちの姫さん(坂柳)に絡まれると思うぜ。あの人、俺の報告で無人島でお前が裏から糸を引いてたことに相当興味を持ってるみたいだからな。……まあ、その時は仲良くしてやってくれよ。ついでと言っちゃ何だけど、お前なら俺たちのクラスに引っ張ってもいいんだぜ?」

 

 

橋本がそう言った瞬間、それまでおっとりとしていた椎名の動きがピタリと止まった。

椎名はスープスプーンを置き、前髪の隙間から俺の顔をじっと見つめてくる。いつも穏やかな彼女の瞳に、かすかな緊張が走っていた。彼女としては、俺をなんとしてでも自分のCクラスに引き入れたいのだろう。ここで俺がAクラスに興味を示すのは、彼女の計画にとっても面白くないはずだ。

 

まあ、俺にそんなつもりは毛頭ないがな。

 

 

「悪いが、俺はAクラスに行けるほどの知能なんて持ち合わせてない。基本的にはただの脳筋なんだよ。今回の無人島試験だって、俺の得意分野でたまたま状況が有利だっただけだ」

 

 

俺が至って真面目なトーンでそう告げると、対面に座っていた松下が「ぶふっ」と思わず吹き出した。

 

 

「ちょ、ちょっと待って、水野月くん……っ。あなたが脳筋を自称するなんて、それ、そっちの二人に失礼じゃない?」

 

 

松下はクスクスと笑いながら、俺の隣と後ろにいる須藤と三宅を交互に指差した。須藤は「あ? 何だよ松下、俺の顔に何か付いてんのか?」とステーキを頬張ったまま首を傾げ、三宅は「……俺も一応、そっちの分類なのか?」と苦笑している。

 

橋本は俺の『脳筋』という言葉を当然のように鼻で笑い、さらに一歩踏み込んでささやいてきた。

 

 

「嘘つけよ。お前、入学直後のテストからずっと、裏で満点を取り続けてるって噂だろ? 隠したって無駄だって。なぁ水野月、そんな勿体ぶってねえでうちへ来いよ。Cクラスなんかに行かねえでよ」

 

 

どうやら橋本は、俺が龍園のクラスに肩入れしていることや、移籍を視野に入れていることすら、ある程度嗅ぎつけているらしい。さすがに情報収集能力だけは一級品だ。

俺はナイフを置き、橋本の目を正面から見据えて、冷徹に言い放った。

 

 

「断る。それに、お前たちのトップにいる坂柳は、少々『遊び』が過ぎる所がある。俺から見れば、あの女はお前たちのことを本気で『Aクラスで卒業させてくれるリーダー』には到底見えないがな……」

 

 

俺のその言葉に、橋本の目が一瞬だけ細まり、軽薄な笑みがスッと消え失せた。

 

 

「ほう? ……そう思うか?」

 

 

橋本は低く呟き、俺の言葉を吟味するように数秒の沈黙を置いた。そして、すぐにいつもの食えない笑みを顔に張り直す。

 

 

「ま……俺も薄々、それを感じているところだけどよ。やっぱりお前、面白いわ。まあ、気が向いたらいつでも声をかけろよ。俺は歓迎するぜ」

 

 

橋本はそれだけ言い残すと、ひらひらと手を振ってレストランの奥へと去っていった。

 

 

「……行ってしまいましたね。少し、お耳が痛いお話でした」

 

 

椎名がホッとしたように小さく息を吐き、再び俺の隣で柔らかい微笑みを取り戻す。

 

 

「陽哉、本当にAクラスには行かないよね?」

 

 

長谷部が少し不安そうに俺の袖を引いて上目遣いで見てくる。俺は長谷部の頭に手を置き、軽く撫でて安心させた。

 

 

「行くわけないだろ。約束通り、お前たち全員を連れて行く場所はもう決まってる」

 

 

俺がそう告げると、テーブルを囲む全員が嬉しそうに、そして確かな覚悟を持った表情で頷いた。

 

Aクラスの坂柳、そして他クラスの思惑をよそに、俺たちの水面下の計画は静かに、かつ強固に形を成しつつあった。

 

 

 

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