歴史のひろい話   作:高島智明

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皇室の方々に対しましては、自然な尊敬の気持ちを持っております。


諦(あきら)めの悪い人

今は昔、今上天皇陛下が御成婚なされた時には、不敬ながら思ったものだった。

「諦めが悪い御方だった」

当時、後の皇后さまに対して、何度も求婚された事が話題と成ったものだった。

 

その当時、連想した事が在った。

歴史上、何人かの「諦めが悪い」と思った人物が居た事だった。

 

※        ※        ※        ※        ※  

 

例えば、戦国武将の山中鹿之助だ。

彼は毛利氏に滅ぼされた主君、尼子氏を再興する為に奮闘し続けた。

一度ならず挫折したが、それでも尚、挑戦し続けた。

 

しかし、その挑戦も最後(?)を迎える。

 

天正7年。播磨の国、上月城。

鹿之助ら尼子再興軍は、織田信長と羽柴秀吉に属して此の小城を守っていたが、毛利の大群に包囲されていた。

そして遂に信長にも見捨てられ、上月城は落ちた。

 

鹿之助らが奉じていた主君、尼子勝久は切腹。

鹿之助は降伏し、毛利領に護送される途上で斬られた。

 

この顛末(てんまつ)に対して、誰かが言った。

「なぜ山中ほどの忠臣が、未練がましく生きようとしたのか?主君に殉じようとはしなかったのか」

しかし、鹿之助は諦めが悪かったのでは無かったか?

 

某SF小説の、とあるセリフに曰く

「……(その小説の主人公)が死んで、彼に妻子、特に後継者となる男児がいた場合、部下たちはその子をもりたてて王朝をつづけていく事が可能……」

 

果たして、尼子勝久は結婚していなかったのか。

子は居なかったのか。

そして、その子は何処に居たのか。

戦国武将の常識に従えば、人質として信長なり秀吉なりの手元に居たと考えるのが自然だろう。

果たして、尼子氏の後継者は絶えてしまったのか。

 

そして鹿之助には「前科」があった。

かつて鹿之助ら尼子再興軍は、毛利に降伏したことが在った。

その時、鹿之助は勝久を逃がした上で毛利に捕らえられ、その後に油断をついて脱走、尼子再興を再開したという「前科」が在るのだ。

だから毛利も、鹿之助の降伏を信じ無かったのではなかったか。

 

※        ※        ※        ※        ※  

 

それでは、別の例として南北朝の武将、楠木正成はどうだろうか。

 

正成の「湊川の戦い」での玉砕は”「太平記」史観”をもって此の時代の歴史を好む者たちを感涙させたが、果たして正成は諦め好く死んだのか?

 

伝えられる処によれば、正成は6時間に亘(わた)って敵軍に16度突撃し、700余騎が73騎に成るまで戦った末に自害している。

どう見ても、潔く諦めた将の戦い方では無い。

正成は、最後まで諦めなかったのではなかったか。

 

元来、楠木正成の本質は、地元である金剛山一帯でのゲリラ戦と籠城戦に在る。

湊川の平野での大軍との戦いは、不本意であったと「正史」ですら認めている。

そして、正成には成功体験が在った。

 

鎌倉幕府との戦いにおいて、一度は城を焼いて潜伏している。

それでも正成は、諦めなかった。

ゲリラ戦を続け、新たな城を築き、籠城戦を戦い抜いた。

そして、遂に勝利の日を迎えたのだった。

 

だから正成は「湊川」でも、最後まで諦めなかったのでないだろうか。

脱出と再起、最後の勝利の為に希望を捨てずに戦い抜いた。

しかしながら、遂に力尽きたのだ。

それでこそ、楠木正成らしいと言えるのではないだろうか。

 

※        ※        ※        ※        ※  

 

歴史上、何人かの「諦めの悪い人」が居る。

あるものは最後の勝利者と成り、あるものは遂に力尽きた。

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