とあるスペースオペラの作中に「No.2不要論」を唱える義眼の参謀が登場する。
「忠誠心の対象は代替可能であっては為らないのだ」
とか。
だがしかし、史実は「No.2必要論」と言うべき幾つかの実例を示している。
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例えば、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの「No.2」マルクス・ウィプサニウス・アグリッパである。
政治家としては「ローマ只1人の天才」ユリウス・カエサルから後継者に指名されただけの政治的傑物であり、見事カエサルの期待に応えて「パクス・ロマーナ」を実現させたアウグストゥスだったが、軍の指揮官としてはアグリッパが頼りだった。
アウグストゥスのローマ内乱に於けるライバルのアントニウス等は、その点を見下して、カエサルの副将だった自分こそ後継者に相応しいと思ったかも知れない。
けれども、結果はアントニウスの政治的自滅もあって、アウグストゥスとアグリッパの勝利という結果に成った。
むしろ、この勝利は終りでは無く始まりだった。
「パクス・ロマーナ」の建設という、新たなる異なった、そして遥かに困難な戦いが始まった。
その「パクス・ロマーナ」に於いて、アグリッパはアウグストゥスを支え続けた。
そしてアウグストゥスはアグリッパとともに「パクス・ロマーナ」を遂に実現したのである。
むしろ戦争と成ればアグリッパが頼りのアウグストゥスだからこそ「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」を実現出来た、と言えるかも知れない。
おそらくそれを見抜いて、カエサルはアウグストゥスを後継者に指名し、その弱点を補うアグリッパという「No.2」を付けたのだろう。
その期待に応えたアウグストゥスも見事なら、支え続けたアグリッパもアグリッパだった。
遂には、アウグストゥスは同年のアグリッパに1人娘を嫁がせ、病弱な自分の後を託そうとした。
そのアウグストゥスが長生きして、頑健だったアグリッパが壮年で倒れたのは誤算だったが「No.2」アグリッパを失った後の老年のアウグストゥスは、少なくとも2つの大きな失敗をしでかし、その失敗はローマ帝国の其の後に少なからず影響した。
アウグストゥスには「No.2」アグリッパが必要だったのである。
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日本史に視点を移せば、現在(西暦2026年)注目されているのは豊臣秀吉の弟、秀長だろう。
この「No.2」が秀吉に如何に不可欠だったかは、皮肉にも失ったことに因って明らかに成った。
秀長が、当時としては寿命で倒れた後、秀吉は豊臣氏の天下の崩壊に向かって暴走する。
豊臣氏の天下が徳川氏に移って後、豊臣氏の末路を嘆く者からは、
「あの人が長生きしていれば」
とまで言わしめた。
秀吉には「No.2」秀長が不可欠だったのである。
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アグリッパを失ったアウグストゥス、秀長を失った秀吉とは逆に「No.1」を失った「No.2」の例として、中国三国時代の呉の周瑜が居るかも知れない。
父孫堅とともに失われた呉の再興を果たした孫策を、周瑜は「No.2」として支えた。
周瑜と孫策は「金属を絶つほどの試練にも切れない」とまで言われた強い友情に結ばれていた。
その孫策が夭折した後も孫策の弟孫権を支え続け、呉の天下の為に戦い続けた周瑜だったが、最後は呉の勢力保全を優先する孫権との齟齬の中で、おそらくは孫策の後を追う様に倒れた。
それでも「No.1」を支え続けた「No.2」の生涯だった。
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日本の戦国時代に戻れば、又、上杉景勝に仕えた直江兼続も不可欠な「No.2」だった。
兼続の補佐無くしては、景勝も武田信玄の後を継ぎ損ねた勝頼の様に、上杉謙信の後継者に成り損ねた存在として歴史に残ったかも知れない。
だがしかし、兼続は豊臣氏そして徳川氏の天下に上杉氏を生き残らせた。
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伊達政宗の「No.2」片倉小十郎も「No.1」である政宗に不可欠だった。
そして、直江兼続も片倉小十郎も天下人秀吉からの、独立大名への抜擢を断り「No.2」であり続けた。
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戦国の世を生き抜いた「No.1」たちには、彼らを支え続けた「No.2」が存在していたのである。
「No.2」とは「No.1」の“暴走を止める者”であり「No.1」を“孤独にしない者”であったのかも知れない。
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翻って織田信長には、秀吉に於ける弟秀長の様な存在が居なかった。
この天才にて独裁者には「No.2」は不要だったのだろうか。
それとも”その”結果が「本能寺の変」という挫折だった、というのは言い過ぎだろうか。