以前から気になっていた2つの歴史的場面に、ふと同じ構造を感じた。
それは所謂(いわゆる)「開戦を強要した」とされている要求に関してである。
*
所謂「ハルノート」には、日本国内で少なく無く信じられている解釈が在る。
アメリカ合衆国のルーズベルト政権は、イギリスと連合してナチス=ドイツと戦いたかった。
その為に、ドイツ・イタリアと「3国同盟」を結んでおり、しかも其の条文にドイツの自動参戦条項が在った日本を挑発して、日本側から開戦させる様に追い込んだ。
したがって「ハルノート」は、最初から日本が呑めない、戦争を選択せざるを得ない条件を盛り込んで突き付けたのだ。
アメリカ側から日本を攻撃しなかったのは、国内世論向けの「アリバイ」でしか無い、そういう通説である。
実の処、戦争に成った時のルーズベルト政権は日本よりもドイツに対して、より多くの戦争資源を注ぎ込む選択をしていた。
だがしかし…
おそらくはルーズベルト政権に其の思惑が無かった、とは言えない。
だがしかし、本当に100%日本が戦争を選ぶ、と確信していたのだろうか。
それでも日本が戦争回避を選んだ時のことを想定してはいなかったのか。
アメリカ合衆国の歴代政権は、ナチスの脅威とは別に、日本は日本で太平洋からアジアの覇権を競うライバルと見做していただろう。
大日本帝国が中国大陸への侵略で、泥に嵌っている此の時を「好機」と捉えていたのでは無かったか。
だから、日本が「ハルノート」を受諾してアメリカに屈服するならば、それはそれで好し。
その為に、日本が受諾したならばアメリカが決定的に有利になる条件を突き付けたのでは無かったか。
更に言えば「ハルノート」よりも以前から、日本とは無関係にドイツを挑発する謀を巡らせ、実施していた形跡も又あるのだった。
大日本帝国が受諾するも、戦争を選ぶも何方でも好い。それが「真相」であった方が、恐ろしい。
*
そう考えた時に連想されるのは「大坂の陣」に先立って、徳川家康が豊臣家に突き付けた要求も、そうかも知れない。
通説ないしは俗説として、家康は豊臣氏がとても受諾出来ない条件を突き付けて、豊臣氏の行動を開戦の口実にした、とされる。
けれども其れは「太閤贔屓」とでも言うべき「史観」で無いだろうか。
徳川幕府は既に「天下」であり、豊臣家は「前の天下人の遺児」という特殊な事情こそ在れ、1つの大名家に過ぎない。
今更「討伐」に名分が必要だっただろうか。
成程、所謂「豊臣恩顧」とされる大名たちは存在し、彼らまでも徳川側に動員する為には「大義名分」を要したかも知れない。
だがしかし、彼ら「豊臣恩顧」も既に徳川幕府に組み込まれた大名だった。
彼らを「討伐」に動員する「名分」は既に徳川幕府に在った。
むしろ”その”ことを「天下」に明らかにする為にも、彼らを動員する意義が在ったかも知れなかった。
そして、本当に家康そして徳川幕府は、豊臣家が要求を拒否して彼らから軍事行動をとる、と確信出来たのだろうか。
要求を受諾する、という可能性は考えなかったのだろうか。
要求を具体的に見れば、受諾すれば豊臣家が徳川幕府の1大名であることを自ら認めて屈服した形に成る。
それならばそれで、徳川幕府の「天下」は確定していたことを示す結果に成る。
それが、家康たちの真意では無かったか。受諾するも好し、開戦するも好し、だと。
*
尚、家康が此処で豊臣家を屈服させようとしたのは、彼の寿命が在ったかも知れない。
結果として、要求を突き付けて2年足らずで家康は自然死した。
その間に、豊臣家は滅んだ。
当時としては長寿を全うし、直前まで健康だった家康である。
それが、今日的に言えば「健康オタク」とも言うべき彼自身の生活に会ったことは間違いない。
だからこそ、自分の病気と寿命に気付いていたのかも知れない。
自分の生きている間に徳川幕府の「天下」を確定しようとしたのかも知れなかった。
史実として、豊臣家を滅ぼした後の限られた時間で、家康は徳川幕府の基礎を固め切った。
それが、自身の寿命を知った上での意図的な行為ならば、より深い。
比較すれば、武田信玄の末路と対照的と言えるかも知れない。
信玄は若き日の家康に完勝し、盟主的立場の織田信長をも追い詰めた筈の遠征中に倒れた。
「風林火山贔屓」ならば、ここで倒れなければ信長に代わって「天下」を取っていた、などと主張する者も居るかも知れないが、実の処は自らの病気と死に直面しての足掻きだったかも知れない。
既に、この遠征の何年か前から療養し始めていた形跡が信玄には在る。
残り時間に焦りながら、病身には無理な遠征を強行したのかも知れなかった。
そして、敗戦後の家康は徹底的に信玄に習った、と伝えられる。
だからこその「健康オタク」であり、その結果としての長寿だったのだろうか。
自分が頓死でもすれば何が起こるか、を理解していたからこその。
そして、いよいよ天寿を目前にして決断したのかも知れない。
徳川家の「天下」を確定することを。
*
何れにせよ、ルーズベルト政権にせよ家康にせよ、単純に敵が開戦してくれることを確信していた訳でも無かったかも知れない。
開戦するも好し、受諾するも好し。何れにせよ、目的は達せられる。
そう読み切られていたのだろうか。
むしろ、その方が恐ろしいとすら思える。
ご意見ご感想をお待ちしております。