歴史のひろい話   作:高島智明

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北宋王朝の秘密

「好為之(よし!これをなす)!!」

見舞いに来た弟に対する兄の科白らしきもの、としては微妙な叫び声と、斧を振り上げ床に振り下すなどという、病人にあるまじき振る舞いの物音が、兄弟2人だけの病室から漏れ聞こえて「1000年の疑惑」と呼ばれる疑惑が始まった。

 

※        ※        ※        ※        ※                

 

中華帝国を1時代の間、統一した王朝としては「漢」「唐」に続くのが「宋」。

特に、長城の北から来た騎馬民族の“別の帝国”に、天下の北半分を奪われる以前の「北宋」である。

 

その北宋帝国の初代皇帝、趙匡胤は、唐帝国が衰亡した後の「五代十国」と呼ばれた乱世に天下泰平を創り上げるだけの、英雄の力量は確かに持っていた。

 

※        ※        ※        ※        ※        

 

その初代皇帝が、当時の寿命からしても、まだ老年期の初め頃に倒れた。

当然ながら、皇后は長男である皇子を皇帝の病室に向わせようとしたが、駆けつけてきたのは皇帝の弟、趙匡義だった。

そして、病室は兄弟2人きりにされた。

 

「…匡義…」皇帝は、残る力で弟に言葉を投げた。

「…あの衣装は、どこで手に入れて来た」

「陛下。何を何処ででしょうか」

「今更、とぼけるな。皇帝の衣装など、何処の店で売っている。

それに「儂(わし)」にピッタリだったな」

あえて、皇帝専用の1人称である「朕」を用いなかった………。

 

……。

 

…趙匡胤が仕官していた後周王国に激変が起こった。

 

後周の第2代目の帝王が急死し、後を継いで即位したのは、7歳の幼君だった。

当時の後周は「五代十国」時代を通じても有数の英主の下、天下統一を目指していたが、その「英主」を失って不安が漂っていた。

 

しかも「中国」の外からは、騎馬民族が長城の南側までも侵掠し、尚も侵掠し続けようとしていた。

 

「英主」の下、皇帝直属軍の充実を担当し、成功していた名将である趙匡胤は、期待を担って出陣して行った………。

 

……。

 

…皇帝は、病床に横たわりながらも「あの」時を思い出そうとしていた。

「…儂は、確かに酔って居た」

 

「あの時」趙匡胤の指揮する後周軍は「陳橋」という地名の場所に野営していた。

 

趙匡胤の酒飲みは本当である。戦国日本にだって、酒を友にした名将はいた。

だから、本当に酔い潰れていた。

その間に、本当に思いもかけない事態が進行していたのだ。

 

酔いと夢から目覚めた趙匡胤が最初に知覚したのは、部屋の外のざわめきだった。

外の広場に出てみた趙匡胤を迎えたのは、夜中だというのに、しっかり整列した指揮下の軍だった………。

 

……。

 

…そして。

「…そして、匡義と趙普が儂に「あの」衣装を着せた…」

 

皇帝ただ1人が着用を許される、公式の場での皇帝の衣装。

この衣装を趙匡胤に着せ掛け、そして整列した軍の兵士たちが皇帝への就任を迫って「シュプレヒコール」を叫んだ。

もはや、趙匡胤本人が否定しても「現在」の皇帝が許さなければ「反逆者」だ。

決断するしか無かった………。

 

……。

 

…皇帝は続けた。

「…“あの”衣装を何処で手に入れた…。

それに、あの兵士どもは誰が整列させた」

元々は、趙匡胤が後周第2代の帝王の下で創り上げ、指揮してきた軍だ。

その趙匡胤が知らなかったでは済まない。

 

「おそらく、誰かが疑う。儂が首謀者だとな。酔った振りで成り済ましていただけだと」

「陛下……いや…兄上。貴方の人となりを少し知れば、そんな疑いを持つ者などおりますまい」

「そう…か」

「本当に、酔って居る間に皇帝にされてしまったと、そう信じられる御方です。

そんな兄上だからこそ……」

「儂…だから?どうだと」

「兄上だからこそ「五代十国」の乱世を統一できたのです。

兄上だからこそ「宋帝国」を創り上げられたのです」

「・・・・・」

「貴方で無くては、兵士どもも付いてこなかったでしょう」

「その儂に、天下を取らせておいて、お前は…」

病室に沈黙が下りた………。

 

……。

 

…陳橋から反転した軍を率いた趙匡胤が帝都開封に迫る。

 

もはや、抵抗のしようも無かった。幼君の名で、趙匡胤への禅譲が宣言されたのである。

これに対して、趙匡胤は後周の王族である柴氏一族を保護するように厳命した。

 

―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ―

 

以来、趙匡胤は「宋帝国」を創造し続けて来た。

「五代十国」と呼ばれる通りに分裂した天下をまとめ、軍閥の横行していた国家に、文官政府を確立した………。

 

……。

 

…そして今、名実とともに皇帝となった兄を前に、弟は最後の野望を遂げようとしていた。

 

「…匡義。お前が儂に代わって皇帝になる。

そして、趙普は、引き続いて宰相となる。

最初から、その狙いで…」

「・・・・・」

「…匡義と趙普が「あの」衣装をでっち上げた。兵士どもも整列させた。

扇動する時は、儂の「ささやかな」人望でも借用したか」

「・・・・・」

「これで満足か。お前は「お前の」天下のために、儂を……」

 

「兄上。いいえ。陛下。」

「!」

「何度でも申し上げます。陛下だからこそ「宋帝国」を創り上げられたのです。

この中華の皇帝たる天命は、陛下の上にのみ、あったのです」

「・・・・・」

「ただ、私や趙宰相は、陛下の身近に居たおかげで、他の誰かよりは早く気が付けただけです………。」

 

……。

 

…そして。

「よし!これをなす!!」

見舞いに来た弟に対する兄の科白らしきもの、としては微妙な叫び声と、斧を振り上げ床に振り下すなどという、病人にあるまじき振る舞いの物音が、兄弟2人だけの病室から漏れ聞こえて「1000年の疑惑」と呼ばれる疑惑が始まった。

 

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「北宋1000年の疑惑」などという。

果たして、初代皇帝は自然死だったか。

 

しかし、北方帝国の侵掠に抵抗し続けた「尊皇攘夷」の王朝だと「北宋」「南宋」を理解することを好む、後世中国の知識人たちは1000年後でも「疑惑」に答えを出さなかった。

もっとも「兄弟殺し」や「皇帝への大逆」の前に、すでにして重病人だったが。

 

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兄の後を受け継いで、第2代の皇帝となった初代皇帝の弟、趙光義(匡義から改名)は、自らの長男を第3代皇帝とし、以後「北宋帝国」の王朝は“趙光義”の子孫によって継承されて行く。

 

その一方で初代皇帝の遺訓は明文化され、皇帝の恣意よりも重い法となって歴代の皇帝を拘束した。

曰く、

「趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見る事」

「言論を理由に士大夫(官僚・知識人)を殺してはならない」

この遺訓は「南宋王朝」の滅亡まで守られた。




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