いつものシャーレ。いつもの担当業務。
鬼方カヨコとシャーレの先生は、仕事がひと段落着いたタイミングで休憩することにした。
これは、いつだって普遍的に存在する。その一幕。
先生の性別は選択式です。お好きにどうぞ。
何ということはなかった。
何とない、いつもの昼下がり。
いつもの様に重い業務に追われて、いつもの様に生徒からの相談や、各学園から来る突発的な問題に応えて、気が付けばぐったりと休憩に身を休める。
そんな、いつもの昼下がり。
本日の当番である鬼方カヨコは、雪のような肌に朱を指して、どうしてこうなったのかと茹だって溶けてしまいそうな頭で考えた。
形の良い耳には、シャーレの先生の手が添えられて、今日のために選りすぐったピアスの付けられていない、小さな空白地帯をゆっくりと撫でるように指先が擽っている。
そうするために身を寄せたのは、先生の座る椅子の、開かれた股の間に出来た小さな隙間で、ともすれば背後から体温と息遣いまで分かってしまいそうな、カヨコが自身の指先をもじもじと絡めて羞恥するのに十分な位置だった。
「ん、ふ・・・・・・ぅ」
温かい先生の指がカヨコの耳を慈しみ、子猫を扱うみたいに優しく撫でられれば、カヨコは身体から力が抜けていくのを感じた。
「っ、ん・・・・・・先生、くすぐったいよ」
「ごめんね、もう少し」
「・・・・・・うん」
カヨコの抗議の声に、先生は謝罪の言葉を述べて指の動きを再開した。
耳たぶを優しく揉まれて、耳の裏をくすぐるようになぞられる。
その優しい手つきに、とうとうカヨコの身体は力を抜いて、先生に身を委ねようとした。
(本当に、どうしてこうなったんだっけ)
寸でのところで持ち堪えて、先生にバレないように背筋を正した。
もうきっと、うなじまで赤くなっている事だろうと、それは先生にバレているだろうと、そんな目にあっているのは何故かと、頭の片隅にまで追いやられた抵抗の意思が現状を把握するため稼働する。
こんな嬉し恥ずかしな自体に陥るまでの記憶を辿ろうとする必要もなく、暇潰しに、あるいはBGM代わりに映していたお昼のワイドショーが答えを垂れ流し続けていた。
『ご覧下さい。こちらが今、一部の生徒から絶大な人気を集めているアクセサリーで・・・・・・』
それは、何て事の無い、一瞬で消費されがちな、流行ファッションを紹介するコーナーであった。
今回リポーターが訪れていたのは、若者に人気のアクセサリーショップ。
その店内には、所狭しと商品の見本やディスプレイが並べられており、なるほど、流行にもなるだろうと納得する程度には、どれもが目を引くようなデザインをしていた。
そんな紹介と共に映された商品は、確かにカヨコの目から見ても可愛らしいデザインであった。
今写っているのは、イヤリングやカフ、ピアスといった耳を飾るコーナーだ。
小ぶりな宝石や、そのイミテーションを花に見立ててあしらったそれは、色も数種類あり、好みに合わせて別の形の物と付け替えられるらしい。
それを眺めている時に、ぽつりと。
「そういえば、カヨコも付けてたよね。ピアス」
そう言って、先生の意識がテレビからカヨコの方へ移ったのが少し前。
正直、この小さなお洒落に目を向けてくれるのは嬉しかった。
例え気付いてくれなくても構わない。
全体を見てくれて、その結果、先生が「良いな」と思ってくれればそれが嬉しいと、その程度の感覚で選んで、飾ってきたカヨコにとっては思わぬ幸福だった。
そんな降って湧いた先生の好奇心に甘えて、じゃあ、良い機会だからと。自分がどれほどこの日の為に気を使って、時間を掛けて小さなお気に入り達を選んで彩ってきたのか、鬱陶しくない程度に話してみようかと、嬉しげな微笑を浮かべて唇を湿らせた時だった。
「ずっと思ってたんだ。たくさん付けてて、日によって変えたりして、カヨコはオシャレさんだな、って」
きっとそれは、なんてことは無い。先生にとって普通の、雑談混じりの小さなコミュニケーションのつもりだったのだろう。
そう言って、カヨコの右耳を隠してしまっていた綺麗な髪を、そっと梳くように流した拍子に、先生の指が耳の縁へ触れた。
「っ!」
つい、ぴくりと肩を跳ねさせてしまい、カヨコは先生の方へ視線を寄越した。
少し驚いた。
生徒たちとの距離感というか、仲の良さというか、接し方に気を付けている先生にしては、随分と大胆な行動に心臓が跳ねたと同時に、そんな、気軽に触れてくれる距離に自分という存在を置いてくれている事が、カヨコは嬉しかった。
「ああ、ごめん。いくら何でも不躾だったね。急にこんな、手を伸ばしちゃって」
「う、ううん。いいよ、先生なら。ちょっとくすぐったかっただけ」
だから、
離れようとする先生の、自分のそれと比べて一回りも大きな手をはっと掴んで、そのまま腰を上げて近付いて、自身の、幾つかの装飾で彩られた耳元に誘導した。
「触ってみたいんでしょ?」
そう言って、悪戯する子供みたいに、自身の同僚で大切な友人の一人みたいに、にんまりと笑って見せたのが、ちょっぴりの後悔と大いなる羞恥の始まりだった。
「うん、ありがとう。それじゃあ」
「っ、ん・・・・・・」
そう言って、カヨコの右耳に添えられた先生の手。
その指先が耳たぶをふにふにと弄んで、「そこじゃないでしょ」と彼女を笑わせてから、その先に飾られたピアスへそっと触れて、形や大きさを眺め、確かめている。
少しくすぐったいけれど、先生に触れられているという多幸感の方が大きくて、カヨコはされるがままになっていた。
「ピアスって、結構重たい物だと思ってたけど、カヨコの耳に付けてると、そう感じさせないね。可愛いし」
「そ、そう?」
「うん。カヨコに良く似合ってるよ」
「あ、う・・・・・・うん、ありがと」
可愛いと褒められて嬉しいのは勿論だけれど。それよりも何よりも、耳に添えられた先生の手だとか、その体温が直に伝わる距離だとかで、カヨコはもういっぱいいっぱいだった。
「こういうピアスって、どうやって選ぶの? テレビに映ってる所とは別だよね、デザイン的に。やっぱり、カヨコはメタルが好きだからそれ関係?」
「えっと、これは」
先生が耳たぶから手を離して、今度はカヨコの髪を梳きながらそう聞いてきたので、カヨコはやっとまともに答えられた。
「これはね」
きっと、少し舞い上がってて、だから調子に乗ってしまったのだと思う。
髪も耳たぶも優しく撫でられて、意中の相手との、少し深いコミュニケーションに気を良くしてしまったせいで、つい、普段より素直になってしまったのだと。きっとそうだ。そうに違いない。
カヨコは自分の心に言い訳を繰り返した。
「先生に綺麗だって思われたくて、えっと、先生のこと考えながら、選んだんだ。よ?」
そうして自身の右耳を指差しながら、その指をそのまま先生のそれまで持っていって、指先同士を淡く触れ合わせた。
「・・・・・・え?」
その時、先生の反応は劇的だった。
カヨコの右耳に触れていた手が離れて、そのままカヨコの手からも離れてしまった。
少し残念に思いながら、しかしそれ以上に、先生がどんな顔をしているのかが気になって視線を上げれば、先生は目を大きく見開いてカヨコを見つめていた。
そして、その表情が赤く、カヨコの見間違いや、差し込む日によるものでなければ、赤く染まってしまうのを隠すように顔を下に向けていき、やがて自身の手で顔を覆ってしまった。
(あ)
その反応で、カヨコは自分が何をしたのかをやっと理解した。
(やっちゃった)
踏み込み過ぎた。正直になりすぎた。
折角ここまで近寄れてたのに、その距離に自分を置いてくれてたのに、離されてしまう。
そう思って、カヨコは努めてポーカーフェイスで、内心慌てて口を開いた。
「ウソ、冗談だよ先生。えっとね、これはね」
「い、いや、大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
そう言って先生は顔から手を離して、少し赤らんだ顔で笑って見せた。
「うん、そっか。ありがとう、カヨコ」
そうしてまた優しく髪を梳かれて、優しく頭を撫でられて、「綺麗だよ。カヨコにとっても似合ってる」なんて。
もうカヨコは色んな感情でいっぱいいっぱいだったのに、先生はそんなカヨコを他所に、「もっと良く見せて」なんて言ってきて、さらに顔を赤くする羽目になってしまった。
(う、嘘。なんでそんな。今日はこんなに近付いてくれるの先生・・・・・・!)
カヨコが内心でそう叫ぶも、それは言葉にならずに飲み込むしかなかった。
結局、先生が満足するまで、カヨコは耳や髪を先生に弄ばれて、その度ごとに小さく声を漏らしてしまったりで、もう羞恥は限界ギリギリだった。
そうしてようやく解放された頃には、お昼休憩なんてとっくに終わっていて。
「耳の縁に付けてるの、カッコイイね」
とか、
「これ、耳の端を貫通してるみたいだけど、痛かったりしないの?」
とか、
「カヨコの耳って、飾られてて綺麗だけど、小さくて可愛いね」
とか、
時間いっぱい優しく触れて、囁くように温かい褒め言葉を紡がれて、カヨコはくらくらとしていた。
もうとっくに容量オーバー。隙を見て揶揄って、反撃してやろうと思っていたのに、蓋を開ければ一方的な褒め殺し。
カヨコは嬉しいやら恥ずかしいやら、やっぱり嬉しいやらで爆発してしまいそうだった。
そうして、華やぐ感情ばかり詰め込まれてパンクしそうな中、カヨコは先生が離れるまで粘って、あまりの羞恥に早く終わってと思っていたくせに、いざ終わって先生が離れると、小さく寂しさの声を上げたりして、また頬を赤く染めた。
「じ、じゃあ先生、仕事。仕事に戻ろう。休憩おわり、ね」
「うん。ごめんね、なんか変なことに付き合わせちゃって」
「う、ううん! 全然! 謝らないで」
ああもう、本当にこの人は。
と、内心歯噛みするカヨコの心情など知る由もなく、先生はいつもの調子で穏やかに笑って続けた。
「見せてもらって、触らせてもらって、ちょっと興味でちゃった。私も着けてみようかな、なんて」
その言葉に、カヨコの首筋がチリリと焼けるような感覚を覚えた。
それは先生と接している時、カヨコの良く知る感覚で、しかし今までに感じたことの無い熱を伴っていて、カヨコは先生から視線を逸らした。
同時に、良くない。とも思った。
(だって)
視線を向けた。
そこにあったのは、大人の、先生の、何も付けられていない裸の耳。
自傷行為にも似たピアスによる装飾なんて、何だか、その何も飾らない先生に踏み込んで、まるで荒らしてしまうような行為を、して欲しくないなと。カヨコは思った。
いや、ピアスでなくても傷つかないイヤリングや、そもそも穴を開けなくても付けられるタイプもあるのだけれど、何故か自身と同じようになろうとする事に、引け目を感じてしまった。
それは、まるで周囲に向けて、自惚れでなければ、先生との仲をリードしている示威行為の様に思えて、また、そんなことを先生にさせたくない、して欲しくないという勝手な思いでもあった。
(まあ)
その考えが完全な思い込みで、きっと先生は何も考えていないのだろうけど。
じゃあこのバグった距離感は何? とか、カヨコは自身に都合よく思考を進めようとする、早鐘を打つ胸に手を当てて軽く深呼吸した。
「ダメだよ先生。生徒の見本になる大人が、バチバチに耳に穴開けてたら格好付かないよ」
「い、いや、何もそこまでするつもりは。ひとつか、やって二つくらいのつもりで・・・・・・!」
「だとしても、やめた方がいいと思う。だから、さ」
思わず、もう一歩だけ踏み込んでしまったのは、きっとそのピアスに嫉妬してしまったのもあるからだろう。とカヨコは思った。
我ながら頭の悪い、おかしい情念の向け方だ。
カヨコはそう、自嘲気味に息を吐いて。
自身のバッグに入れっぱなしになっている物を思い出しながら、悪戯好きなあの子みたいに微笑んだ。
「先生。代わりに付けてみる?」
「え」
椅子に引っ掛けていたバッグを引き寄せ、その中にある小さなメイクボックスを開けて、そこから取り出したのは長方形の、箱のようなもの。
「私に、新しいピアス穴」
それは、カヨコがよく使っているピアッサーの、未使用品だった。
「いや、それは。冗談で言っただけだし」
「いいの。付けて欲しいんだ。特集見たおかげで、新しいの欲しくなっちゃったし、そうでなくても、近々新しく空けるつもりだったし」
先生だからするお願いなんだよ。と、カヨコは続けた。
きっとこれも、ちょっとした独占欲から出たもので、それに付き合わされる先生も可哀想だけど、でも、そう。好き勝手された今日くらい良いじゃないかと。
そんな、意趣返しの気持ちも込めて見つめる先。先生は少し困ったように眉を下げて答えた。
「・・・・・・分かったよ」
その答えに、カヨコも先生を悪い事に誘っちゃったと笑顔で返しながら思う。
ああやっぱりこの人は優しい人だと。だからそんな貴方に甘えてしまうのだと。
カヨコはピアッサーを手に、今度はカヨコから先生に触れて、その手を引いてソファまで歩いていった。
先生が普段使いするデスクからソファまで、僅かな距離ではあるけれど、カヨコは何だかその歩みが酷く遠く感じた。
(う・・・・・・、なんか。なんか、緊張する)
ちょっぴり冷静になった頭の中で、カヨコは自分がとても凄いことをしようとしているのではないかと、先生と繋いだ手が汗で濡れるのを感じながら思った。
その冷静になった部分が囁く。自分は今から、先生に傷付けられのだ。
ピリリ。また、カヨコの首筋が焼けるような感覚を覚えた。
(そう、今から私は、先生の手で、傷を付けられる)
キヴォトスの人間は、銃弾程度ではビクともしない。
その外から来たという先生からは常識外れな、つまりは自分たちからすれば圧倒的に弱い存在で、守りたくて、大切で、また、大切に思ってくれている。
そんな、守りたいと思ってくれている相手から、今から自分は、小さなピアスホールとはいえ、直々に傷を付けられる。
そう改めて自覚した瞬間、カヨコの胸はいっそう強く音を打った。
きゅぅ、と切なくもあった。
そうして、いつの間にか到着していたソファに、先生が先に腰を下ろしたのを見計らってから、カヨコはピアッサーを先生の手に握らせた。
「はい、先生」
緊張か高揚によって震えそうな声を抑える為の、囁きと共に渡された先生は、それをしげしげと眺めてから、カヨコに顔を向けて口を開いた。
「えっと、本当にするの?」
「うん」
カヨコは即答して続けた。
「空けてみたいんでしょ、ピアス穴」
こっそりとすり替えた好奇心の先。
その言葉に先生は少し驚いたような顔をして、それからまた困ったように笑った。
「カヨコ・・・・・・」
溜息に近い、零れた言葉に含まれた感情は呆れだろうか、それとも諦めか。
カヨコは先生のその反応に、少しの罪悪感と、それを上回る背徳感を覚えながら続けた。
「大丈夫。開ける時はそんな痛くないし、慣れてるから」
「いや、それはそうだろうけど・・・・・・!」
「ほら」
そう言ってカヨコは、さっきまで好き勝手されていた自身の右耳と逆、左耳を先生に見せた。
「こっちの、まだ何も無いところ。先生の好きな所に、やって」
有無を言わさず、許さず。強引に進めてしまえば先生が押し切られてしまうのを知っているから、ずるくてごめんねと胸の中で謝って、消毒用の道具を渡しつつ、自分から身を寄せた。
緊張からじっとりと浮くカヨコの汗が、薄く纏った香水に捕まって香気に変わった。
「・・・・・・本当に、良いんだね」
そうして数秒。
言葉を選ぶように少し黙りこくってから先生はそう言って、消毒用の道具をカヨコから受け取って、小さく息をついて、その腕をカヨコの左耳へ伸ばしてきた。
「えっと、じゃあ」
消毒ジェルが出される微かな音が、静かな部屋へ妙に響いた。
テレビの音は、もう二人の耳に届いていない。
互いの息遣いと、動作に発生する音が全てだった。
そうして先生の指先が触れると、一瞬肩が跳ねて、しかしすぐに力を抜いて身を委ねた。
(あ・・・・・・)
先生が触れた瞬間、消毒ジェルのひんやりとした感覚が先行して、そこから染み込むような熱を感じてしまって、カヨコは内心「まずいな」と呟いた。
ピアスホールを開ける為。そんな目的があっての行為なのに、先生の意思より、カヨコ自身の意思が介在する割合が高いくせに、なんだかさっきの、ピアスを見られている時より敏感な気がした。
(あ~・・・・・・)
カヨコは思う。きっと、先生に傷を付けてもらう事を意識してしまったから。そんな指先から伝わる熱のせいだと。
その熱が、自分の耳を溶かすような錯覚を覚えて、カヨコはまた少し身動ぎした。
そうして先生は、消毒を終えてジェルを拭き取った手で、カヨコの左耳に触れながら続けた。
「じゃあ、えっと・・・・・・」
「・・・・・・? 先生?」
「ど、どこがいいかな!?」
「ふっ」
そうして先生は、カヨコの左耳に指先を添えながら、焦ったような声音で聞いた。
あまりに余裕がなさげな、情けないその声に、カヨコは一瞬前までのドキドキを吹き出してしまった。
「なにそれ先生。好きな所で良いって言ったのに」
「いや、だって。生徒の大切な体だし、流石に私の一存で決める訳には・・・・・・!」
「もう・・・・・・」
さっきまでの雰囲気が、なんて。言いかけた言葉を飲み込んだ。
そんな風に感じていたのはカヨコだけで、今、自分の隣でピアッサーを片手にわちゃついている面白い大人は、きっとそんな事を思ってすらいないだろうからだった。
呆れ半分、安堵と残念に思う気持ちを少々混ぜた溜息を、わざとらしく見せつけてから、カヨコはしっしと、未だ自身の耳に添えられた先生の手を払い除け、さっきまで感じていた熱の残る耳たぶに、自身の指先を重ねた。
「ん、ここ。耳たぶの真ん中くらいにお願い。左のは、最近ヘリックス中心にしてたから塞がりかけててさ」
「ヘリ・・・・・・?」
「あー、ここ。先生がカッコイイって言ってた、耳の縁側。軟骨に刺さってるやつ」
「なるほど」
至近距離で見られるのも、触られるのもついさっきしたばかりだったが、その時とは空気が変わったからか。
カヨコは友人にするような心持ちで、「本当ならマークしてからピアッサー当てるんだけど、先生がやるし必要ないかな」努めて冷静に、説明を添えながら改めて耳を差し出した。
「よ、よし。じゃあ、やるよ。カヨコ」
「はーい」
もうすっかりいつも通りの、先生と生徒のやり取りだった。
そこに寂しさを感じつつも、やっぱりこの位の距離感が、気安くて心地良いのかも。なんて思いながら、カヨコは髪が邪魔にならないように、自身の手で避けようとして、
(あ、そういえばピアッサーの使い方)
肝心なことを教え忘れたことに気付き、また先生が面白くなる前に説明を、と視線を流した時だった。
「動かないで、カヨコ」
「──。う、ん」
僅か半分。いや、それよりも小さな視界の隅に、先生の大きな手が一瞬だけ映ると、カヨコの髪を上手に纏めて梳き流して、ピアッサーをパチンと開いた。
その時に覗いた表情は凛と真面目で、真剣そのもの。
「っ・・・・・・」
髪を避けて、耳元に掛けてくれる瞬間触れた、先生の指の感触に、また少し肩が跳ねて、同時に自分の口から小さく息が漏れるのを聞いた。
(待って。待って私、単純すぎない。ちょっと先生が真剣な顔で傍に居るからって、こんな)
そうカヨコが思っても遅くて、一度意識してしまうともうダメだった。
先生が触れた箇所からまた熱が広がっていって、その熱はどんどん強くなっていって、彼女を再び羞恥で満たした。
ただ、今度は少しだけ違いがあった。
他の『良い子な生徒』では辿り着けない、こんな、好んでピアスなんてしている自分だからして貰える、そんな特別な体験をしようとしている。
それを再認識したことによる、仄かな、けれど確実な独占と、今一度、鎌首をもたげた背徳が、首筋に感じるジリジリとした感覚をカヨコに与えた。
「ええと、たしか。こう」
開かれたピアッサーの、不格好な捕食者の口みたいな針の突出部に耳たぶを挟んで、塞がりかけ故にそれが目印になっている点を中心に添えて、先生はブレないようにスライダーをグッと掴んだ。
(・・・・・・)
その動作が少しのぎこちなさこそあれ、何だか慣れていそうだったので、カヨコは少しだけ心が落ち着くのを感じた。
もしかして、これが初めてじゃないの? なんて、勝手に先生からこうして貰えるのは自分が初めてなんだと、そんな子供っぽい独占欲で高揚していた気持ちに、一滴の冷水が垂らされた気分だった。
考えてみれば当然の話である。
先生は大人で、自分は子供。
そこには人生を歩んだ時間という圧倒的な開きがあって、自分たちと接している時に慌てることはあっても、きっと、その後に格好が付くのは、どうすればいいのか今まで得た経験がそうさせているのだと、今更に、こんな時に理解した。
(・・・・・・)
だからこれも、もしかしたら、そういう人にこういう事をした経験があるのかも。だとか、本人に聞いたことなんてない、敢えて避けていた話題の、事実無根の嫉妬心が、彼女の幸福感に影を差した。
それがなんだか、非常にモヤッとしたので、
「じゃあ、いくよ。カヨコ」
(・・・・・・。ごめん、先生)
僅かに頷いて、心の中で謝って、先生がスライダーを思い切ってバチりと押し込む瞬間。カヨコはほんの少しだけ、首を傾げた。
「ああ!」そんな、情けない悲鳴のような声を聴きながら、ヂリッとした痛みにカヨコは顔を顰めた。
目標を僅かにズレた針は、塞がりかけのホール跡の、窪みに沿って確かに薄皮を貫いたけれど、動いたカヨコによって狙いを外された針先は、確かに彼女の耳たぶを少しだけ削り取った。
「う、わ。ごめん、ごめんカヨコ! 今、変な入り方した! 痛かった? 痛かったよね!? ええと、どうしよう」
「・・・・・・ふ、あはは。先生、慌てすぎ。言ったでしょ、慣れてるし、そんなに痛くならないって。大丈夫だから、その絆創膏と軟膏は置いて。てかそれ火傷に塗るやつだから」
「で、でも・・・・・・!」
「ま、初めてにしては上手かったんじゃない?」
そう言って誤魔化し微笑んで、閉じきったピアッサーが所在なさげにぶら下がる自身の耳を指差すカヨコ。
自分が動いたことで失敗したのに気付いていないのか、気付いた上で心配してくれているのか。どちらにしても、先生には悪い事をしたな、と。
しかしその罪悪感と自己嫌悪は、微かに痛む耳によって起こる首筋のピリつく感覚が和らげた。
(・・・・・・何やってんだろ。先生の前で、勝手に暴走して居たかも分からない誰かに嫉妬して。バカみたい)
痛みで冷えた頭が、自分のした事に対する評価を冷静に下した。
何とも自己中心的な、別に先生とそういう仲でもないし、嫉妬するにしてももう少し格好の付くやり方が良かったな。カヨコは自己嫌悪の再攻撃に、眉間にシワが寄っていくのが分かった。
「か、カヨコ怒ってる・・・・・・? 本当にごめんね、痛くしちゃって」
「え。ああ、いや。まあ、うん。先生には怒ってないかな」
「ええと?」
「気にしないで。こっちの話」
なおも心配してくれて、目の前にしゃがんで顔を覗き込んでくれる先生に、また別の意味で胸がきゅぅと締め付けられるカヨコ。
感情に振り回されるのは子供の特権とはいえ、情緒も理性も他の生徒たちに比べて形になっているカヨコには、その優しさがグサグサと刺さった。
ただ、それはさて置き。
(・・・・・・変な事になっちゃったけど、先生にして貰っちゃった)
ピアッシングしたままの、間抜けな状態の耳に触れる。
プラプラとぶら下がる軽いそれが、カヨコの欲した先生からの傷であると認識して、胸が高鳴るのもまた事実。
「こっちのホール、もう閉じれなくなったね」
微小の声にしてみても消えない耳の感覚が、白昼夢ではないと教えてくれて、燻っていた多幸感を再燃させるには十分な着火剤だった。
「カヨコ?」
「っと、ごめん先生。ぼーっとしてた。落ち着いた?」
「う、うん。なんとか」
「良かった。じゃあ、最後まで責任をもって面倒みてね。はい、ピアッサー外して?」
余韻を味わって、まだ心配する大人に笑みを浮かべて安心するよう言外に伝えると、元の位置に座り直したその人は閉じられたピアッサーを、今度は慎重に解いた。
「ちょっと血が出てる・・・・・・」
「仕方ない、仕方ない。そういう時もあるよ。そんな事より、ほら。これ塞がらないようにしなきゃだから、私のバッグ取って」
「あ、はい」
しおしおになっている先生の背中が可笑しくて、カヨコはクスクス笑ってやりながら、テーブルのティッシュを貰って耳を拭った。
『前回ご紹介しました小料理屋が、多発している飲食店を狙った爆破テロの被害にあった件ですが・・・・・・』
先生との行為に集中しすぎて、消えていた音がカヨコの耳に戻ってきた。
いつの間にやら流行を追いかけるコーナーは終わっていて、ニュースを流していた。
(どれだけ夢中になってたの、私)
急に恥ずかしくなってきて、カヨコは顔を覆った。
でもまあ、
(発端は先生なんだし、落とし前も先生に付けてもらおう)
もうこうなったら開き直ろう。自分は録に気持ちを制御できない子供だし。などと、らしくない。或いは小狡い切り替え方をして。
「先生」
「持ってきたよ、と。何かな」
「この後、ちょっと付き合ってよ」
「いいけど、急だね」
バッグから取り出したメイクボックスの、ファーストピアスで空けてもらった穴を埋める。
慣れた手つきで行われたそれに、おおと間抜けな感嘆を零した先生に、カヨコは続けた。
「ワガママ聞いてくれたお礼もしたいしね」
空けたピアスホールを安定させるための、簡素なピアス。
綺麗に微笑んだカヨコの左耳にあるそれが、差し込む日に当てられて輝いた。
何ということはなかった。
何とない、いつもの昼下がり。
いつもの様に業務に追われて、いつもの様に陸八魔アルが取って来た依頼に応えて、気が付けばぐったりと休憩に身を休める。
そんな、いつもの昼下がり。
便利屋68は、今日も元気に仕事を失敗させた。
「んぁ〜、仕事終わりのアイスは格別だあ〜」
「最近、暑くなってきたものね」
「アルちゃんの奢りだから一回り美味しいよぉ」
「おかげでお財布、薄くなってきたわ」
「はひっ、ももも申し訳ありませんアル様っ。いいい今すぐご馳走して頂いたものお返しして倍にしてお戻しします銀行、銀行襲えば直ぐに稼げるかな。とと取り敢えず預金全額下ろしてから行ってきます善は急げいやアル様に習って悪は急げ・・・・・・!」
「それはもうアウトローではなく、ただの犯罪者よ。やめなさいハルカ。無用な悪行は便利屋68の名が泣くわ」
「くふふ、泣きを見るのは本当に看板だけかな〜?」
「ど、どういう意味かしらムツキ室長」
事務所のソファにこんもりと。アルの脚にお腹を預けてカップアイスをモグつくムツキと、二人の隣で小さく浅く座ったハルカが顔を青くさせて慌てんぼう。手にした棒アイスが冷や汗をたらり。
いつも通りの、なんとも落ち着きが足りない平和なやり取り。
給湯室から人数分の麦茶を盆に乗せ、戻ってきたカヨコが見たのはそんな光景だった。
「皆お疲れさま」
「うい〜、カヨコちゃんもお疲れ〜」
「あ、は、はい。お疲れ様ですカヨコ課長」
「貴女もね、カヨコ。的確な援護、いつもながら見事だったわ」
「なんで単なる配達に戦闘が必要な事態になるのか、ちょっと分からないけどね」
「う゛・・・・・・。だ、だって、あんなの許せないじゃない。いくらお金になるからって、可愛い動物を物みたいに扱うだなんて、主義に反するわ。何より、私の中の悪の矜恃がこれは違うと叫んだのよ」
「別に責めてないよ。社長らしくて、私は良いと思うから」
「うんうん、らしいらしい〜♡」
「は、はいっ。とてもアル様で、素敵でした!」
「・・・・・・ふふん、そうでしょう! 理想のアウトローに一歩前進といった所かしら!?」
和やかで、気の置けない仲間たち。
三人の対面に座ったカヨコは、きゃっきゃと姦しい彼女たちを眩しそうに見つめながら、モナカアイスの封を開けた。
「くふふ〜」
「あわわ、真っ白なバニラアイスにそんな意味があっただなんて・・・・・・!」
「こらムツキ、ハルカをからかって遊ぶのはやめなさい。・・・・・・今日は本当にごめんなさいね、カヨコ」
「えっ、なに社長。戦闘になったのは別に何とも思ってないってば。私もアレは許せなかったし」
「ええ、まあ。それも謝罪の範疇なのだけれど、違くてね」
それ、とアルが視線で訴えたのは困惑で目を細め、若干怖くなったカヨコの顔・・・・・・ではなく、左耳に輝く目新しい装飾だった。
「? これがどうかしたの」
「止むを得ず急遽、戦闘になった時に外すか迷っているみたいだったから。大切な物なんでしょう?」
その言葉に、カヨコの細まっていた目が丸くなった。
本当にこの人は仲間のことをよく見てる。上にお人好しだ。ゲヘナでここまで善性と気遣いを持っている存在も珍しいと、改めて自身の友人を尊く思った。
「あ〜、それ私も思った! カヨコちゃん、ここ最近ずーっとそのピアス気にしてるんだもん。デザインも今までと違うから珍しいし!」
「あ、え、っと。じ、実は私も、その。可愛いのを着けてて気になってましたすいませんごめんなさい」
「あー・・・・・・」
しんなりとしたモナカアイスの、梅雨時でもバリバリ! とかいう胡乱なパッケージ文句に非難を浴びせたくなりつつ、カヨコは自分の迂闊さに天を仰いだ。
(バレてた・・・・・・)
別に隠しているつもりはなかったのだが、それはそれとして見抜かれていたのは恥ずかしい。それなら普段使いするなと言う話ではあるのだが、常に身に着けていたいのが乙女心。
そういう代物が、カヨコの左耳に輝いていた。
「ねーねー、カヨコっちそれなぁに? なんでそんな大切にしてるの〜? カヨコっちの趣味と外れたやつだしぃ〜、くふふ♡」
「ムツキ気付いてるでしょ。わざとらしいのやめて」
「え、何。私もしかして何か変な事聞いちゃった!?」
「うわわ、すいません私なんかが人様のプライベート事情に疑問を持ってすみませんお洒落に気を引かれてすいません身の程知らずにも可愛いなんて私のような存在が評価を語ってごめんなさい死にます」
「あんまり騒ぐと怒るよ」
「お手を煩わせる前に死にますのでご安心です!?」
「ちょっとハルカその爆弾の山どこから出したの!?」
「わあCー4爆弾」
わちゃわちゃ。きゃあきゃあ。
ハルカの活躍によってなあなあになりつつある雰囲気で、話題が流されて助かったような、教えてみたかったような。
揺れる心と一緒に踊る、左耳で輝く花を象ったイミテーションの、流行りのピアスがキラリと輝いた。
受け役に爪を切らせながら、攻め役と普通に雑談を続け、ふとした拍子に「そこ、ちゃんと切らないと痛くなっちゃうよ」なんて助言を告げて。受け役が顔真っ赤にして修正に取り掛かるのを、周囲は仲良いなあなんて眺めてる。
そんな美しい光景が好きな者が、某動画投稿サイトの無限short地獄に陥っている時に流れてきたピアッサー動画が切っ掛けで書きました。ご査収ください。