霊力に覚醒した巴御前が活躍して追い詰められた木曽義仲軍を救います。
※この小説では越後勢と木曽勢の確執はありません。
第一章 ― 覚醒の刻 ―
近江の地に、冬の冷風が吹き荒んでいた。
木曽義仲の軍は、頼朝方の大軍と相対し、押し返されつつあった。
まだ総崩れではない。だが各地で小競り合いに敗れ、隊伍がじりじりと乱れはじめていた。
「殿! このままでは軍が瓦解いたします!」
新庄次郎左衛門高則が叫ぶ。
義仲の顔にも険しさが浮かんだ。
「……まだ退くわけにはいかぬ。だが――」
その視線の先にいたのは、巴御前である。
甲冑をまとい、血に濡れた長刀を構えて主の前に立つその姿は、すでに人並みを越えていた。
しかし敵はなお多く、各地で味方は押し返されつつある。
巴御前は歯を食いしばった。
「……このままでは、義仲様を……!」
その時だった。
風が逆巻き、耳に覚えのある声が響く。
「――巴」
「……まだ終わらぬ、まだ抗え」
振り返ると、そこに立っていたのはかつての仲間、山吹御前と葵御前であった。
討ち死にしたはずの彼女たちが、透き通るような姿で巴の前に現れ、手を差し伸べていた。
「我らの無念を……そなたに託す」
「義仲様を守り抜け。巴――お前ならばできる」
次の瞬間、冷たくも力強い光が巴の身体に流れ込む。
焼けつくような熱が血脈を駆け巡り、全身の傷がたちまち塞がった。
筋肉は唸り、瞳は紅に染まり、息一つごとに大地を揺らすような気迫が放たれる。
「……これが……霊の力……」
敵兵たちはその変化にざわめいた。
「な、なんだあれは……」「女が鬼と化したぞ!」
巴は一歩踏み出した。
その瞬間、空気が爆ぜ、風が荒れ狂う。
長刀をひと振りすると、数人の武者が甲冑ごと叩き割られて血煙の中に消えた。
「退けい――!」
その咆哮は雷鳴のごとく響き渡った。
霊力を帯びた一撃は矢を弾き、槍を砕き、敵の列を押し返す。
巴が駆け抜けるたび、味方の武将たちは歓声をあげ、失いかけた士気を取り戻した。
「巴殿が……まるで戦神よ!」
「まだ勝てる、押せ、押し返せ!」
義仲もまた、その光景を目にし、拳を固く握った。
「……巴、おぬしは……」
一人の女武者が、戦局を変えた。
敵の先鋒は総崩れとなり、義仲軍は辛うじて体勢を立て直すことができたのである。
巴が長刀を下ろすと、すでに山吹御前と葵御前の姿は消えていた。
だが彼女の中に宿る炎だけは、決して消えぬ力となっていた。
「義仲様……まだ戦えます」
その瞳の奥に燃える光は、女のものではなく、戦場を切り拓く修羅そのものであった。
第二章 ― 女傑の来訪 ―
巴御前が霊力に覚醒し、敵の先鋒を打ち破ったことで、義仲軍はかろうじて崩壊を免れた。
だが、兵の疲労も損害も大きい。
義仲は追撃を恐れ、いったん本拠へと退いた。
木曽谷に戻った軍勢は、痛手を負いながらも再び旗を掲げた。
将兵の多くが「巴殿の霊力があればまだ勝てる」と信じ、士気はかつてないほど高まっていた。
しかし義仲は知っていた。
――巴の力に頼るだけでは、天下は掴めぬ。
新たな戦力が必要であった。
木曽の山々に守られた義仲は再び兵を募り、傷ついた将兵を立て直し、諸国の浪人を糾合した。
その折、越後の地より一人の女武者が訪れた。
「木曽義仲公にお目通り願いたい」
堂々と声を張り上げ、軍門に姿を現したのは、長身にして屈強な女傑――板額御前であった。
その名は越後の山河に轟き、男武者を百人討ち取る膂力を持つと謳われる猛者である。
義仲が面会すると、板額は深々と膝を折った。
「噂は聞き及んでおります。巴御前様が霊力を得て修羅のごとく戦ったと。……ならば、私もその軍に身を投じたい」
巴は彼女を見据えた。
広い肩、鋭い眼光、そして揺るがぬ胆力。
ただの豪腕ではない、戦場を知り尽くした者の風格があった。
「なぜ、そなたは義仲様に仕えようとする?」
巴の問いに、板額は即答した。
「女の身に生まれながら、武の道を歩もうとすれば孤独となります。だが、巴御前様――あなたはそれを越えて軍を救った。私はその背を追いたいのです。どうか姉と呼ばせてください」
その言葉に、巴の胸に熱が灯った。
山吹御前や葵御前を失い、孤高の槍を振るうしかなかった自分に、「妹」が現れたのだ。
「……よかろう。だが板額、姉と呼ぶならば、我が信を裏切ることは許さぬぞ」
「はい! 命に代えても」
こうして板額御前は義仲軍に加わり、その剛力と勇猛さで瞬く間に名を馳せた。
巨岩をも割る大槌を振るえば敵は潰え、豪快な笑い声で兵を励ませば士気は倍増した。
やがて巴と板額は並んで稽古に励み、互いの刃を交えるようになった。
「姉上、もっと強く!」
「ふふ……まだまだ甘いな!」
その光景を見て、義仲軍の将兵は口をそろえて言った。
「巴御前と板額御前が並び立てば、まさに鬼神二人。これに義仲様がおわすなら、天下も夢ではあるまい」
義仲もまた、静かに頷いた。
「巴、板額……そなたらが余を支えてくれるなら、頼朝も義経も恐るるに足らぬ」
こうして義仲軍は立て直され、反撃の刻を待つこととなった。
第三章 ― 会戦 ―
戦場の空気は張りつめ、風さえ息を潜めていた。
義仲軍と義経軍、両軍の旗が翻る中央に、ただ二人の影が立つ。
一人は長大な薙刀を構えた巴御前。
もう一人は大槍を携えた大男、武蔵坊弁慶。
巴は鋭い視線で弁慶を睨み据える。
その巨躯の周囲に、淡く青白い光が揺らめいているのを彼女だけが見抜いていた。
――これは……。
あの光は、山吹や葵が遺した霊力と同じ。
だが弁慶は、それを制御しているわけではない。
無自覚に、しかし確かに霊力を身に纏っている。
「なるほどな……強いわけだ」
巴は息を吸い込み、義仲に振り返った。
「義仲様、聞いてください。あの男はただの剛力ではない、霊の加護を受けている。並の武者では歯が立ちません」
義仲が眉をひそめる。
「ならば、おぬしが行くのか」
巴は頷いた。
「はい。あやつは、この巴が受け持ちます。その間に――義経を斬ってください」
そして板額を振り返り、真剣な眼差しを向ける。
「板額、頼みがある。義仲様を必ず助けよ。義経は俊敏にして智謀を巡らす男……義仲様を一人で戦わせてはならぬ」
板額の瞳が輝いた。
「承知いたしました、姉上! 義仲公と共に、必ずや義経の首を討ち取ってご覧に入れましょう!」
義仲も力強く頷き、刀の柄を握り締める。
「巴……おぬしの信に応えよう。弁慶を頼んだぞ!」
巴は振り返り、長刀を掲げた。
「弁慶! 貴様の相手は、この巴だ!」
弁慶はにやりと笑い、大地を揺るがすような声を放つ。
「よかろう! この弁慶、源義経に仕える身として、木曽の鬼女を屠る栄誉を得るとしよう!」
両者が踏み込み、大地を割る一撃が交錯した瞬間――
義仲と板額は義経へと馬を駆った。
「義仲!」
義経が鋭く叫ぶ。
まるで舞うように軽やかに刀を閃かせ、義仲の前に迫った。
だがその刃を、巨槌が受け止める。
「甘いぞ、義経!」
板額御前が笑いながら槌を振り抜き、義経の体を弾き飛ばした。
「姉上に託された命だ、死んでも守る!」
「板額、よくぞ!」
義仲はすかさず間合いを詰め、義経と斬り結ぶ。
その背を、板額が守る。
一方で巴と弁慶は、霊力と霊力をぶつけ合い、戦場を揺るがしていた。
第四章 ― 鬼神、そして終焉 ―
轟音が止むことはなかった。
巴御前と弁慶の一騎打ちは、もはや戦の範疇を超えていた。
「うぉぉぉぉぉぉっ!」
弁慶が吼え、槍を振り回すたびに霊力の奔流が荒れ狂う。
その力は山をも穿ち、雷鳴のように戦場を裂いた。
「やはり……ただの怪力ではない。貴様は無自覚ながら霊に操られし鬼よ!」
巴の瞳が赤々と燃え、長刀が霊炎を纏って唸る。
両者の一撃が交錯するたびに、光と衝撃が四方に炸裂する。
兵どもは恐れおののき、誰も近寄れぬ。
ただ二人の巨人だけが、戦場の中心に立っていた。
その頃、義仲と義経の死闘も極限を迎えていた。
「義仲! 力だけでは我を討てぬぞ!」
義経の刀は疾風のように走り、義仲の鎧を裂いた。血が飛び散る。
「小癪な……!」
義仲は雄叫びと共に刀を振り下ろす。
だが義経は舞うようにかわし、逆に義仲の背へ回り込む。
そこへ――
「させるかぁッ!」
板額御前が割って入り、巨槌を横薙ぎに振るった。
義経は辛くも飛び退き、しかしその鎧の端を砕かれる。
「ちっ……女武者まで化け物揃いか!」
板額は血に濡れた頬で笑った。
「姉上に頼まれたのだ。義仲公を死なせはせぬ!」
義仲は息を整え、板額に短く頷いた。
「今だ、共に奴を仕留めるぞ!」
巴と弁慶の戦いは最高潮に達していた。
「弁慶ッ!」
巴が渾身の力で斬り込む。
霊炎を纏った刃が槍を弾き飛ばし、弁慶の胸甲を裂いた。
鮮血が飛沫を上げる。
しかし弁慶はなおも立ち、両腕で槍を構える。
「まだだ……我は義経公の楯……ここで倒れるわけには……!」
その執念は、霊力に呼応してさらに膨れ上がる。
彼の背から、亡霊のような影が噴き出した。
巴は歯を食いしばる。
「貴様が己の命を削ってまで従う忠義……見事だ。だが――ここで終わらせる!」
紅蓮の炎が巴を包み、彼女は天へ跳び上がった。
長刀が弧を描き、流星のごとく弁慶を断つ。
――ズガァァァンッ!
霊力と霊力が爆ぜ、大地が揺れた。
そして弁慶の巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「……義経公……お先に……」
血の泡を吐きながら呟き、弁慶は動かなくなった。
巴は荒い息を吐きつつも長刀を立て直し、義仲の方へ目を向ける。
その瞬間――義仲と板額が義経を挟み撃ちにしていた。
「義経! 貴様の命、ここで尽きる!」
義仲の刃が義経の肩を斬り裂く。
「ぐっ……!」
義経はたまらず後退するが、その背を板額の巨槌が塞ぐ。
「逃がさん!」
轟音と共に、義経の足場が砕ける。
義仲は一気に距離を詰め、渾身の力で刀を振り下ろした。
義経の瞳に、一瞬の驚愕が走る。
「これが……我が運命か……!」
――刹那。
義仲の刃が義経を斬り伏せた。
血が宙に舞い、義経の体が崩れ落ちる。
戦場に一瞬の静寂が訪れた。
巴は弁慶の亡骸を見下ろし、そして義仲と板額が並び立つ姿を見やった。
胸の奥に熱いものが込み上げる。
「……やりましたね、義仲様」
呟く声は、誰に届くともなく、風に消えた。
源義経と武蔵坊弁慶。
歴史に名を刻んだ二人が、この日、木曽義仲と巴、板額の前に斃れた。
第五章 ― 木曽勢の盛り返し ―
義経と弁慶を討ち果たした戦場に、凄烈な余韻が残っていた。
勝ち残った兵たちは、血と汗に濡れながらも歓声を上げた。
「義経を討ったぞ! 弁慶も討ち取った!」
「木曽義仲様の世が来る!」
その声は山々に木霊し、かつて敗北に沈んだ軍の影を拭い去る。
巴御前は、戦場の中央で長刀を地に突き、深く息をついていた。
霊力の奔流はまだ彼女の体を巡っている。だがその瞳は静かに、義仲と板額へと注がれていた。
義仲は疲弊しながらも凛として立ち、軍勢に向けて声を張り上げる。
「見よ! 義経を討ち、弁慶を斃したのは我らだ! 木曽の軍は死せず、ここに生き残った! これよりは頼朝の専横を正し、天下を正す!」
兵たちは鬨の声を上げ、剣や槍を天へ突き上げた。
その渦の中で板額御前が巴に歩み寄る。
「姉上。弁慶を討ったのはあなたで、義経を仕留めたのは義仲公。……これでもう、誰も木曽を侮ることはありますまい」
巴は彼女の言葉を聞き、短く頷いた。
「板額、お前がいてくれて義仲様は救われた。これからも、その腕で義仲様を支えてほしい」
板額は真剣な眼差しで巴を見つめる。
「もちろんです。……私は姉上を慕い、姉上の戦いに倣います。義仲公の天下を、この手で掴み取りましょう」
二人の女武者が肩を並べる姿は、兵たちにとってまさに鬼神が二人並び立つ光景であった。
この勝利をもって、木曽義仲の名は再び天下に轟き、頼朝に抗する大義と戦力を手にしたのである。
巴御前は血塗られた戦場を一瞥し、低く呟いた。
「……ここからが始まりだ」
風が吹き抜ける。
その風の中、鬼神と呼ばれた女武者の影は、これから訪れる大戦乱を予感させるように揺れていた。