Fate/Sangoku Revenant【三国志×聖杯戦争】   作:司馬櫻

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一章 竜驤麟振
1話 君に勧む酴清酒


 

 時は建興十三年(二三五年)、正月。

 

 稀代の軍師として名を馳せた蜀漢の丞相・諸葛孔明は、志半ばで世を去った。

 蜀漢の京師(みやこ)、成都に召還された若武者・姜維伯約は、孔明の死の陰で起こる権力争いに巻きこまれ、いまや明日をも知れぬ身の上である。

 

 じきに流罪の命も下ろう。異土の辺境行きに、家僕までも巻き込むのは忍びない。

 ただでさえ短い成都の日も暮れ方に近づき、大城の大路の人通りもまばらになった頃。姜維はとある(やしき)の門を密かに叩いた。 

 

 「よくぞおいでくださいました、姜将軍」

 

 千秋の雪が残る西嶺に沈みゆく夕陽。

 その残光がかすかに差し込む堂(漢代の建築における応接間)に案内された姜維の前に、屋敷の主人が進み出る。   

 姜維が蜀に降って以来の知己、趙広(ちょうこう)だ。

 漢人には珍しい鮮やかな赤毛が、精悍な面立ちをいっそう際立たせている。  

 

 「生憎と今は無官の身。伯約で構いませんよ、趙牙門」

 

 姜維の境遇を慮って家僕を下がらせた趙広に、姜維はそう微笑みかけた。

 濡れ衣を着せられて官を解かれた姜維を、誰しも我が身を恐れて助けようとせず、──ただ一人、彼だけが窮地の姜維を迎え入れたのだ。

 

 「はは。貴殿ほどの方を無遠慮に呼び捨てなどと。先年の戦でのご活躍も聞き及んでおります……こうして昔のようにお目にかかるのも久方ぶりですね」 

 「ええ。思えば、卿に初めてまみえたのは、丞相の名代としてお父君の見舞いに参じた時でしたか」

 

 二人が旧交を温めるようにいくつか話し込んでいる内に、外はもう真っ暗になっていた。

 亀の甲羅めいて連なる城壁の内で、千畳の(いらか)を争う大城の家々にもぽつぽつと明かりが灯り始める。

 かくして夜も更けた頃。(やしき)ではささやかな酒席が催されていた。

 (テーブル)には若鶏の羹が供され、青銅の耳杯には馥郁(ふくいく)たる香りの酴清酒(とびしゅ)が注がれる。

 

 「将軍……いえ、伯約殿。此度の沙汰は誤りに違いありません。貴殿の潔白が明らかになれば、必ずや放免を得られましょう。卿への疑いを晴らすためならば、この趙広、犬馬の労を惜しみませぬ」

 

 幾分と酔いの回った調子の趙広は熱っぽく弁を振るう。一方の姜維はどこか憂うように目を伏せた。

 

 「いいえ、此度の沙汰は丞相の死に端を発する宮中の勢力争いによるもの。卿にまで累が及ぶといけません」  

 

 そのような、と口惜しげに細められた橄欖(オリーブ)色の瞳は父君譲りであろう。

 趙雲子龍(ちょううんしりゅう)。長板の戦いにおいて、のちの皇帝を単身救い出した不撓の英傑。

 虎威将軍と謳われた猛将の面影は、たしかにこの若武者に受け継がれている。

 かつて北伐の折に彼と矛を交えた己が、蜀漢に降って彼の子息と誼を結ぶことができたのは、なんという奇縁だろうか。

 ……だからこそ、頑なとも言える態度で、姜維は言い退ける。

 

「──なにより、大恩ある趙氏との縁故を政争の具に使ったとあらば、亡き趙将軍(趙雲)になんと顔向けすればよいのです」  

   

 不退転の決意を宿した瞳が趙広を射抜く。  

 彼が何ら申し開きをしないのは、自分の行く末よりも、係累や仲間を案じているからだろうと、趙広は思い至った。

  

 「はい、罪に服するのは無理からぬこととおっしゃるのですね。なればこそ、後事はお任せください」

 「ええ。この御恩は忘れえません。どうか、お元気で」

 

 知己の末路を憐れんでか、姜維が算段した以上に話は上手く纏まった。趙広は屋敷にかれの家僕を幾人か雇い入れ、皇帝の身許で働く兄にも口利きを頼んでくれるという。

 これ以上の面倒をかけまいと立ち去ろうとする姜維を、趙広はそれとなく引き止めた。

 

 「いいえ、今宵はお帰りをお控えください。ここしばらく成都では、得体の知れぬ怪死が相次いでいると申します。人が忽然と消えた、という噂も……」

 「はは。人心が乱れている際にはかような噂も立つものです。ご心配には及びませんとも」

 

 人定(21時)を大いに過ぎた頃である。 こんな夜更けに客人を一人で帰らせるなどと。思わず立ち上がって彼の左手を取った趙広は、ふとその手の甲に目を向けた。

 

 「伯約殿、恐れながらこのお怪我は?」

 

 姜維の左手の甲には、何かの紋様を描くかのように赤く滲んだ痣が浮かんでいる。痛みはない。当の本人でさえ覚えのない跡だった。だから、姜維はこともなげに微笑んでみせた。

 

 「いえ、どこかで打ち身でもしたのでしょう」

 

 ──我知らず刻まれたその呪訣が、運命を変える契機となるとも知らずに。

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