Fate/Sangoku Revenant【三国志×聖杯戦争】   作:司馬櫻

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5話 星を被り月を戴かず

 

 寒空に冴え渡る月の光は、この地から望めない。

 霧がかった闇夜を惜しむように、黒衣の弓兵は目を細めた。

 

 「……良い夜、とは言い難いがね。月に惑わされずに済む分、悪くはないのかもしれないな」

 

 その言葉を境に、戦場の空気が弓弦のごとく張り詰める。

 その厳粛なる佇まいが告げていた。これより行われるは射礼、すなわちは神事であると。

 

 そうして──天に捧ぐように、その一射は放たれた。

 

 遥けき天の頂きを射抜いた男の姿を、姜維はただ呆然と眺める。

 弓馬を修めた身として、己の才覚にいささかの自負はあった。

 しかし、眼前の射儀を見るがいい。執り弓から残心に至るまで、まさしく神域に至らんばかりの御業ではないか。

 射は仁の道という。つまるところ、弓術とは己の正しさを映す鏡だ。なれば、眼前の弓兵は何者であろうか。

 古今東西のあらゆる弓取りが夢に見ることすら叶わない射の極致が、そこにあった。

 

 霧の彼方から光が瞬く。

 皇天に奉られた一矢は、空を覆い尽くさんばかりの流星雨となって、地上に降り注いだ。

 はじめに穿ち抜かれたのは烏の(ばけもの)

 矢の雨はただの一矢も過たず、ライダーの召喚した異形らの命を刈り取っていく。

 甲冑で装った鉄人に突き立った光の矢は、その輝きによって生じた影から、蝕むように鎧と骨を崩壊させていった。

 

 ライダー、と呼ばれた将帥が大筒から打ち出した石礫を消し去ったのもこの影であろう。

 

 「その光の精髄は、影にこそあるのか」

 「ふうん、勘は良いの。ちょっと見直した」

 

 我知らずそう呟いた姜維を尻目に、諸葛果は微笑を浮かべる。

 彼女の視線の先には、降り注ぐ光の矢を打ち落としていく、二騎のサーヴァントの姿があった。

 

 「チ、きりがねぇな!」

 「早々と泣き言とはな。泰西の騎士が聞いて呆れる」

 

 龍碽の砲撃を相殺せしめた先程の一射と比すれば、その威力は足元にも及ばない、とライダーは見て取った。

 矢の一、二本が突き立つことを覚悟して吶喊すれば、この矢の雨から抜け出せるやも知れぬ。しかし、霊体をも蝕む矢傷はそう簡単に癒せはすまい。

 恐るべきはその数と精度。このような序戦で手傷を被ることは得策ではなかろう。

 

 絶え間なく迫る矢の雨を凌ぐライダーとアサシンの意識は、俄然アーチャーに向けられる。

 それは、只人であれば失神は免れぬほどの殺気に等しい。

 傍らの姜維ですらも気圧されたその殺気を射手は意に介さない。

 そうして、彼は神聖さすら窺わせる手つきで弓弦を引き絞った。

 

 「──儀の見届け人に代わって問おう。おまえたちは人理に刻まれし英雄豪傑の似姿か。(いたずら)に力を誇示し、民の安寧を揺るがす災禍か」

 

 炯々たるその瞳が言外に告げていた。

 天罡に喚ばれたサーヴァントが英霊の誇りを失い、望みのために悪しを為すようであれば、儀の見届け人に代わって射抜くと。

 

 凛然たるその姿に、姜維はある逸話を想起する。

 

 轅門射戟(えんもんしゃげき)

 蜀漢を建国した先帝……劉玄徳(りゅうげんとく)が、かつて精強を誇った袁術の手の者と争っていた時分である。飛将軍と称えられた反覆の猛将・呂布奉先(りょふほうせん)は、玄徳が殺されてはなるまいと、轅門に戟を射て両者の戦いを止めたという。

 力なき調停など戯言だ。

 その武威は、まさしくこのようなものであったに違いない。

 

 「そうさな。円卓を名乗った以上、その誇りを汚してなるものかよ。……たとえ、騎士道なるモノが幻に過ぎんとしても、だ」

 

 興が削がれた、というように溜め息をついて、アサシンはそう言い切った。

 

 矢の雨はいつのまにか止んでいる。

 偶然ではないだろう。ろくでなしの花の魔術師と同様、眼前の弓兵は千里眼に類する異能でも有しているに違いない。

 

 アサシンは剣を納め、(ヘルム)越しに何やら虚空に語りかける。

 徒に戦いを長引かせ、儀の見届け人らと敵対するのは得策ではない。元より、マスターの目的は七人七騎の殺し合いなどにはないのだから。

 

「あばよ、御一行。次は、正々堂々たる一騎打ちを繰り広げようじゃないか」

 

赤鎧の騎士の姿が虚空へと掻き消える。霊体化。降霊術の極致たるサーヴァントの有する超常の遁術である。

 

 「……して、おまえは如何にする。天権のライダー」

 

 猛禽の如く目を細め、アーチャーは重ねて問いかける。

 アサシンと激闘を繰り広げ、アーチャーの掣肘を受けてなお、ライダーの魔力は一切衰えていない。

 楼上のライダーは苦虫を噛み潰したように彼の姿を見下ろすが、背後の砲門は神威を失ったように瓦の上に転がる。

 

 「是非の心無きは、人に非ざるなり。これでは、マスターの怯懦を笑えんな」

 

 ……万能の願望器。そのような奇跡に縋るほか、我が望みは叶えられようはずもない。瞳の奥に自嘲の色を浮かべて、そう吐き捨てたライダーの姿も闇に消え去った。

 

 嵐が過ぎ去ったかのように戦場の熱気は去り、凍てつく夜の静寂が訪れる。

 

 アーチャーは役目は終わったとばかりに構えを解き、高く結い上げた長髪を翻して霞の如く霊体化した。

 

 こうして、聖杯戦争の序戦は幕を閉じた。

 後に残されたのは、白皙の少女と黒髪の若武者が二人。

 

 「女官(女道士)殿、ひとつお聞かせ願えませぬか。丞相が遺したという"天罡の儀"とは、如何なる儀式なのです」

 

 ひとつ息を吐いて姜維は白皙の女官に問いかけた。「諸葛果で構わないわ」と前置きして、彼女は柔らかに微笑んだ。

 

 「──ええ。過去から未来に渡る英雄豪傑の魂を呼び出し、たったひとつの願いを叶える禳斗の儀式。それこそが"天罡の儀"なのです」

 

 託宣のように告げられる言葉に、姜維は我知らず頭上の寒空を見上げる。

 天罡、すなわちは死命を掌るという北斗七星へ捧ぐ儀式。

 三騎のサーヴァントがそれぞれ開陽、天権、天璇なる北斗の星々の名を冠する訳だ。

 霧に霞んだ天の先に、北斗七星はただ輝いているのだろう。五丈原の陣中で丞相が倒れた、あの日の夜空のように。

 

 「それは、五丈原の儀式と……」

 

 誰に聞かせるともなく、姜維は呟いた。

 泰然とした振る舞いを崩さなかった諸葛果は、その言葉に不意を打たれたように目を伏せる。  

 

 「……さあ、どうかしら。これ以上の助力は儀の見届け人としての務めに反します。その手に令呪(みしるし)が刻まれている限り、貴方も望みをかけて争うマスターの一人なのだから」

 

 その瞳の先には、ついぞ自分を顧みることのなかった相手の姿があった。それでも、そう言い切った諸葛果の口元には常と変わらぬ薄い笑みが戻っていた。

 白雪のような肌に緋色の痕。姜維の視線は、諸葛果の令呪に吸い寄せられる。

 

 「……諸葛果殿も、何かを望むがゆえに儀の執り成しをなさるのですか。それとも──」

 

 姜維の言葉を遮るように一陣の風が吹いた。諸葛果は風に靡いた髪を白魚の細指で絡めとる。その仕草は崑崙に遊ぶ仙女を思わせた。

 

「天罡に選ばれたマスターを、何も知らぬまま死なせるのは惜しいと考えたに過ぎません。貴方が見定めるべきは、自らの望みの他にないでしょう」

 

 出来の悪い弟子を教え諭すような少女の言葉。その姿に姜維は在りし日の丞相の姿を重ねた。彼は拳を左手で包み、拱手の礼を取る。

 

 「ええ。必ずや、このご恩はお返しします」

「そ。天命を掴み取った暁には、少城の朝真観においでなさい」

 

 そう意味深に言い残した白皙の少女は、裳裾を翻して霧の向こうへと去っていった。

 

 「望み、か」

 

 ただ一人残された姜維は、手の甲に浮かび上がった令呪をまじまじと眺める。

 天罡に選ばれたマスターは、願いをかけて相争うのだという。

 しかし、焦がれるほどに切実な願いを抱いて儀に臨んだ覚えは姜維にない。 

 元より、讒言によって立場を失ったことすら、心の何処かで仕方ないと諦め切っていたのだ。

 無辜の民を巻き込んだ戦いを見過ごすことはできようもないが、丞相の娘御だという諸葛果とアーチャーならば心配は不要だ。 

 なれば、如何なる望みを抱いて戦おうというのか。己にはもはや、縋るべき師もなければ、誇りとする身分もないというのに。

 

 姜維は我知らず、令呪の宿った拳を握りしめる。

 思索に耽る彼は、霧の彼方から迫る足音に、土壇場まで気づかなかった。

 

  「一手、遅かったか。まさか、貴殿に令呪が宿るとはな」

 

 戦場の気配に息が詰まる。

 柄に手をかけて振り返った姜維は、相手を見るや絶句した。

 炯々たるその眼光を忘れられるはずもなく、堂々たるその体躯を見紛うはずもない。

 

  「趙……雲、子龍」

 

 生気の失せた褐色の肌と黒備えの袍鎧に見覚えはなくとも、彼こそ蜀漢の五虎将がひとり。長板の戦いにおいて、のちの皇帝を単身救い出した不撓の英傑に違いない。

 唸りをあげて迫り来る白銀が、高らかな音を立てて火花を散らす。

 咄嗟に振りかぶった直剣を撥ね飛ばしたのは、竜爪の意匠が施された槍の一閃であった。

 

 「久しいな。このように刃を交わすのは北伐以来か」

 「貴殿もまた天罡に導かれたサーヴァントがひとり、と仰るのですか……!」

 

 姜維は剣訣を組み、槍を構え直す趙雲を正眼に捉える。 

 張り裂けんばかりの心臓とは裏腹に、意識と感覚は澄み渡る。それは生の実感であり、死の覚悟であった。

 

 姜維伯約にとっての聖杯戦争が、ここに幕を開けた。

 

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