Fate/Sangoku Revenant【三国志×聖杯戦争】 作:司馬櫻
夜という器に雷の紋様を絵付けする様を
忘我に耽り、自我という一滴が世界に溶け出したが最後。思想魔術師はその存在を保つことができない──とは師の教えだったか。
鋭く紡がれる口訣に、闇を引き裂いて稲光が瞬いた。
「──
轟き渡る雷鳴にも勝る裂帛の気迫。姜維の掌から迸る閃電は、趙雲の槍の一薙ぎで断ち切られた。
神秘はより強い神秘の前に敗れ去るのは必定とはいえ、簡略化しきった詠唱では足止めにすらならないか。
老練なる槍技と若盛りの体捌きに、姜維は舌を巻く。ともすれば、かつて相対した時分よりも、その槍捌きは冴え渡っているのではないか。
時は健興五年(二二八年)。
諸葛亮率いる蜀漢による魏への北伐は、もはや蜀漢に名将なしと侮っていた魏にとって青天の霹靂であった。
蜀との国境に近い天水の中郎(郡の軍事に携わる職務)であった姜維は、征伐の一翼を担う鎮軍将軍たる趙雲と矛を交える。
遠く離れた
少壮気鋭なる姜維に対するは老いてなお盛んな趙雲。一騎打ちについぞ決着は訪れず、勝負は翌年の趙雲の死と姜維の降伏によって立ち消えとなった。
天罡の七星に導かれた邂逅は、言わば因縁の再戦であろう。
姜維は路傍に転がった剣を掴み取り、細い路地へと身を翻した。
槍に対して剣というのはあまりに心許ない。圧倒的な間合いの差を覆すためには、長物の取り回しに不向きな路地で戦う他あるまい。
せめて|愛槍を携えていたのならば迷わず打って出るものを。
……やはり、鈍っている。戦場で無い物ねだりは禁物だ。
姜維はかぶりを振って、益体もない考えを振り払う。
「
路地に踏み込んだ趙雲の視界と魔力感知を遮って、濛々たる霧は波濤のように立ち込めた。
一寸先も定かならぬ霧の中。姜維はまっしぐらに趙雲の懐へと飛び込む。
白刃が生気の失せた
「が──はっ──!」
「このような小手先の技に頼ろうとは。腑抜けたか、姜伯約」
転がり込むように地に伏せた姜維。濁った琥珀の瞳でそれを眺める趙雲は、冷ややかに吐き捨てる。
もはや蜀漢の将軍に非ずとも、かつての俊英が牙を抜かれた様を甘受するほど、趙雲は非情ではなかった。
在りし日の彼であれば、このような無様を晒しはすまい。痛々しいまでに勝利を求める瞳。その勇姿にこそ、大器の片鱗を見たのではなかったか。
姜維の歯の根ががちがちと鳴る。
かつて彼と矛を交えた趙雲は知り得ている。それが恐怖などでないことを。
──
趙雲が反射的に背後へ飛び退いたが刹那。
九泉の淵より生じたかのような寒風が吹き荒び、一瞬にして霧が凍てついた。星の光を乱反射して氷の粒子がさんざめき、我知らず息を呑めば肺胞が凍りつく。
「──思想鍵紋、励起。──第二種乾坤領域、接続」
「それは、孔明殿の……!」
よろよろと立ち上がった姜維の肌に浮かんだ鍵紋に、趙雲は驚愕した。
苦しげに目を細めていても、その瞳には堅固たる意思の光が浮かんでいる。
「──
姜維は起霧の術式に重ねて祈雪の口訣を唱えた。それにより過冷却された霧は周囲の物体に付着して凍結し、氷の彫刻にも似た幻想的な風景を形作る。
「くっ!」
趙雲は姜維を睨め付ける。
重たげな睫毛に霜が降り、左目の視界が完全に奪われた。黒の袍鎧に降りた霜は、白銀の氷となって身体を凍りつかせてゆく。自由が利くのは咄嗟に地面から浮かせた右足と、手袋で覆われた左腕のみ。
一面の銀世界に白刃が閃く。
体勢を崩して倒れ込む趙雲に、姜維は追撃を仕掛けた。
真っ向から迫る刃に臆して、たたらを踏んだが最後。敗北は必至だろう。
……しかして。この程度の逆境、打ち破らずして何が英雄か。
趙雲は地面に凍りついた左足を支えに、腹筋の力のみで体勢を戻す。
「ッ──!」
全身が総毛だつ感覚。射殺さんばかりの気迫に、姜維の剣筋が微かに狂った。
趙雲の重い踏み込みに足元の氷が砕け散る。万雷のごとく轟き渡る震脚の衝撃。
放射状に走るヒビは縦横無尽に広がり、氷の彫刻にも似た幻想的な風景は跡形もなく崩れ去った。
眼前に突き出された剣の軌跡を尻目に、震脚の勢いから一閃。低く腰を落として繰り出された掌底に、姜維は鞠のように撥ね飛ばされる。
「ぐ──うっ……!」
高く張り巡らされた壁に激突して、姜維はうめき声を上げた。
目の粗い網のように視界が狭まり、拍動は大鐘のように頭蓋を打ち鳴らす。
趙雲は凍てついた頬の血を拭い去り、壁を背にへたり込んだ彼の元へ悠然と迫り来る。
陸に打ち上げられた鯉のようだ。
死の気配が肺を満たして。呼吸すら満足に行えない。だが、姜維は眼前の槍兵から目を離すことはできなかった。
何故、と問うのが愚にもつかぬことなど請け合いだ。それでも、彼が何を為さんとするのか。それを知らぬまま討たれるなど御免だった。
「何を、望んで──戦うのです。子龍、殿……!」
今にも落ちそうな瞼を意志の力で縫い止め、血痰の絡む喉を必死に振るわせて。息も絶え絶えに姜維は訴えかけた。
その言葉に射抜かれたように、趙雲の動きがぴたりと止まる。
重たげな睫毛に縁取られた瞳には懊悩の色が浮かび、強く握りしめた槍の柄がみしりと音を立てた。
まるで答えを口にするのを躊躇うように、趙雲は凛々しげな眉を顰めて歯噛みする。
眼裏に浮かべるのは忠義を捧げた主の姿。
短く深い沈黙を経て、彼は面を上げた。
その瞳には、痛々しいまでの決意と覚悟が宿っていた。
「知れたこと。若子様……あの御方を、この手で弑し奉る。──それが我が願いよ!」
その気迫に姜維は絶句する。
弑逆……主君殺しは儒を尊ぶ中華世界では大罪であり、千古に渡って雪がれぬ汚名に他ならない。
「命が惜しくば、天罡の儀から手を引くがいい。憐れみなどで、我が志は曇るまい」
胸元に槍の切先が向けられる。返答を誤ったが最後、その刃は違わずに心臓を貫くだろう。
「……いいえ。僕は、こんなところで退くわけには──!」
姜維は令呪の浮いた左手を強く握りしめる。爪が柔らかい皮膚に食い込み、血が指を伝って滴り落ちた。
その一雫が地面に落ちんとするその時──令呪が赫く輝いた。
目も眩むばかりの蒼光が辺りに満ちる。
荒れ狂う魔力の奔流は、逆巻く風を先触れに奇跡を顕す。
人でありながら人の域を超え、その勲功を境界に記された者を英霊と呼ぶ。
その身はあまねく人々の幻想により編み上げられ、その魂は抑止の輪から現れ出る。
彼らこそ、遥けき過去から遠い未来に渡って歴史に刻まれた、英霊豪傑の霊魂である。
「──間が悪い。七騎目のサーヴァントか……!」
趙雲はそう吐き捨て、暴風と極光の中心から距離を取った。
吹き荒れる暴風によって大城の路地を覆う霧は晴れ、冬の寒空に冴え冴えと輝く星々が顕になる。
壁に背を預けて座り込む姜維の方へと、そのサーヴァントは振り返った。
闇にさざめく海のように波打つ長髪が翻る。中程から大雑把に結い上げられた結髪が、夜風に靡いて輝いた。
「──案ずるな、この
口元は不敵に弧を描き、炯々と輝く翠色の瞳は真っ直ぐに姜維を見据える。
その自信に満ち溢れた振る舞いには、死地に立っていることすら一時の間忘れさせてしまうほどの魅力があった。
「貴方、は──」
「まァ、大仰に崇め立てられても癪だ。ひとまずは
セイバー、と名乗ったサーヴァントは手元に顕現した蛇行剣を正眼に構え、槍を翻して迫り来る趙雲へと向き直る。
「
「あんたは
運命は巡り始めた。遥か天上に輝く北斗は影を落とし、宿命に導かれるように二騎のサーヴァントは激突する。