■ ■
ピンポーン、なんて。随分とありふれたインターホンの音が消えていくのには、慣れたものだった。
「……出ないな」
時間は昼頃。学校やら会社やらなら休憩時間になる時間帯な訳だが、そんな時間の中で一人の青年は何やら荷物を持ってとある家の前で棒立ちする羽目になっていた。
目の前の扉の向こうには、かれこれ数年もの付き合いがある友人とその妹が居る筈なのだが、インターホンを鳴らしても全く反応がない。
もう一度鳴らしても、やはり反応がない。ただ虚しく音が消え去るだけで、それ以上は何も無かった。
「仕方ないか」
あっさりとした風に、青年―――もとい、友人とその妹から親しみを込めて「きょー」と呼ばれている青年は、まるで気にも留めず。
右手のビニール袋を持ったまま、一歩下がって、
「お邪魔します」
その一言と共に―――ドゴンッッッ!!!! と。
豪快に扉を蹴破った。勿論これは比喩とかそういうのではなく、本当に文字通りの意味で、だ。
この青年は特に勢いを付けるでも、回転するでもなく、ただ足を伸ばして、そのまま力を込めて押す様にしただけである。
結果、扉は蹴破られた。鍵穴がどうとかではなく、付け根から完全に破壊されてしまったまま、ぎぃ、ぎぃ…と、まるで苦しむ様な音を出して揺れるばかりだった。
そんな物騒極まりない動作が行われてから、僅か数秒が経った頃、ドタバタと何やら激しい物音が玄関の向こう側から聞こえてきた。
「
勢いよく開かれた扉からは、不満たらたらと言った表情を隠さない住人達が出迎えてきた。
ボサボサで清潔感の欠片もない茶髪の青年と、同じくボサボサで寝癖が立っている白髪の少女の二人だ。青年の名前は「
よくもまぁ、こんな明らかニートまっしぐらな容姿の人間と数年間も友人としていられるものだと、自分の世話焼き具合にきょーは苦笑してしまう。
「おはよう、2人とも。良い昼頃だな」
「よくないなにもよくない!!! 熟睡中に真隣で爆弾投下された気分だよマイフレンド!? 特殊部隊にでも突撃されたかと思ったよマイフレンド!?」
「ん、ん!」
まるで何事も無かったかの様に平然と振る舞う友人に、兄妹は揃ってツッコミを被せた。
人の家のドアを蹴破っておいて最初に言う言葉がおはようとは如何なものか。普段なら、おはようと一緒に感謝とだる絡みをプレゼントして差し上げる所なのだが、今回はそうもいかない。
まぁ、正確には今回は、ではなく、今回も、であるのだが。
当のツッコまれた本人は、またもやさして気にするでもなく平然と答え出した。
「鍵が閉まっていたからな。インターホンを鳴らしても、電話を掛けても出ないから、仕方なくだ」
「仕方ないで扉壊されるこっちの身にもなってぇ!?」
「いつも直してるだろ?」
「そういう問題じゃ、ない…!」
「もうずっと合鍵を作れと言ってるのに、お前達が作ってくれないからだぞ」
「まさかの責任転換!?」
涼しい顔で堂々と『お前らが悪いんだよ?』と言ってのける親友に、空と白は若干引いてしまう。
言い分が分からないでもない―――もそも合鍵云々を最初に言い出したのはこの兄妹である―――のだが、しかし現実でそれが可能かと言われると、それはまぁ何とも難しい話である。
「いやいや待てよきょー君や! 俺と白の二人がさぁ、そんな難易度激ムズな事できる訳ないだろ!?」
「ひと、怖いぃ…!」
「このやり取りも流石に飽きてきたな」
「ひどい!」
「はは、冗談だ。じゃあ、キッチンを借りるぞ。どうせ寝るなら、食事の後からでも良いだろ?」
「いよっしゃきょー飯だ! きょー飯だぞ妹よ!」
「きょーにぃ、神…!」
「昼食一つで相変わらずこれなのか……」
きょーが作る飯、略してきょー飯。これが二人の生きる理由の一つである。
たかが飯一つで大袈裟な、と苦笑しながら、きょーはキッチンがあるリビングへと向かった。道中で些か気になる臭いが幾つかあったが、おそらくは二人の部屋のものだろう。後で徹底的に掃除をしなければ。きょーは固く決意した。
「きょーにぃ。今日は、なに、作る?」
「豚汁と白米、卵焼き。シリシリも持ってきたぞ」
「ご機嫌な朝食だぁ……」
「もう昼だけどな」
二人はもう随分と昼夜逆転の生活を続けている。
朝も昼も夜もゲーム。徹夜なんて日常茶飯事。不衛生な生活が続いている中で、しかし未だ二人が死んでいないのは、ひとえに彼が甲斐甲斐しく世話を焼いているからだった。
それを苦痛だと思った事はないが、万が一の事も考えてどうにかマトモな食事だけでも取らせる様にしなければ……と、食材の準備をしながら、きょーは思案する毎日だった。
「細かい事は、気にしない」
「禿げるぜ?」
「空の分は無しだな。代わりに白の分をサービスしよう」
「やった」
「すいませんすいません謝りますんで飯食わせてぇぇ!!! マトモな飯食ってないんですぅ!」
「人間の頭はブドウ糖だけで機能するんだろ?」
「前言撤回します!」
「情けない限りだな」
大の男が飯一つに必死になってる様は、少し面白いとは思いつつ。そうも懇願されると、友人としては折れる他ない。
出汁を入れ込み、豚肉のアクを取りながら、三人は雑談に花を咲かせ始めた。
「最近はどうだ? 黒星は付けられたか?」
「いーや、全く。白星に白星の連続だよ」
「『 』に、敗北はない、から」
それは、一種の都市伝説の様に語られる最強にして無敗のゲーマー。
どんなチートを使おうが、バグを使おうが、あらゆるプレイヤーは『 』の足元にも及ばない。あらゆるゲームで、あらゆるプレイヤーに勝ち越し、敗北を刻み込む最強無敗の都市伝説ゲーム。
その正体が―――この自堕落引きこもりニートの兄妹だった。
「きょーの方は? なんかあったか?」
「特にこれといった事はないが……あぁ、新作のFPSがあるだろ? あれを買った」
「え……きょーにぃ、が……」
「ゲームを買った、だと……!?」
「そんなに驚くか」
流石に心外だった。確かに、決してゲームが上手い訳ではないし、寧ろその逆で下手くそな部類ではあるけれども、だからと言ってゲームが嫌いという訳ではない。
それこそゲームは好きな方だ。下手くそでも、やっていて楽しくはある。自分には出来ない事だから、というのもあるけれど、友人と共通の事で楽しくなれるから、という理由の方が強いとも思う。
「相変わらずキャンペーンも進められないけどな。未だに序盤から進まん」
「お前のそれ天性だよな。フィジカルと引き換えにゲームスキルが欠損してやがる」
「産まれながらの、脳筋」
「使えるものを使っているだけだ。それに、そこまで脳筋じゃないだろ。ただイカサマが通用しないというだけで」
「じゃんけんを動体視力だけで勝ち越して来る奴は脳筋だろ。ポーカーも大富豪もぜーんぶイカサマ見抜きやがって」
正当にプレイしているだけだと言うのに、酷い言われようだ。とは言え、彼を相手にする側になればそれも至極当然であると、呆気なく掌を返す事だろう。
産まれながらにして、人並み外れた―――と言うよりは、
「それでも勝つだろ」
「テレビゲームは、な」
『 』に敗北はない。
が―――それは、正確ではない。
一度だけ。
たった一度だけの話ではあるが。
じゃんけんという、ただそれだけの遊びではあるが。
勝った方がなんでも言うことを聞く、なんてという実にありふれたルールを設けたゲームにおいて。
「きょー」という青年は―――『 』に、勝利した事がある。
空に、ではなく。
白に、でもなく。
空と白の二人に。
◆
「うぉぉぉぉい!?!?!? お前またか!? またフレンドリーファイアしやがったのか!?」
時はかなり過ぎて夜中。時間を指し示すのであれば、12時という深夜帯である。
きょーが作った昼食をありがたく頂いた空と白は、そのままぐっすりと二人仲良く眠り始めた。
こんなにもぐーたらしているのに、何故こうも痩せているのか甚だ疑問である。
もっと食え。そして身体を動かせ。白は女の子だから仕方ないとして、空は男としてあまりにも細過ぎる。友達として普通に心配なきょーだった。
私室があまりにも汚かった為、二人を一旦ソファに移してから己の五体をフル活用して迅速に掃除を終わらせ、再びベッドにまで移動させたら、二人にきょーは引っ捕まえられてしまった。
無論、彼のフィジカルを以てすれば離す事は簡単なのだが、それをするのは些か酷だろう。大人しく引っ張られて、三人で寝るには少し狭いベッドで昼寝を楽しむ事にした。
それから夕方くらいに起きて、今に至るという訳である。
「すまん、またエイムがブレた」
「さっきからずっとそれですよねぇ!? てかなんで俺ばっか!? ぜんっぜん妹の方には当てねぇじゃん!」
「きょーにぃ、白が好きだから」
「それで言うと俺のこと大嫌いじゃん! いや野郎に大好きって言われるのも嫌だけどさ!」
「では嫌いという事で宜しいな」
「いやぁぁぁぁ!!!! 俺の事も好いてぇぇぇ!!!!」
「流石に気持ち悪いな」
「相変わらず辛辣ぅ!」
コントを繰り広げながらも、しかし空と白は上手くゲームを進めている。
今やっているのはFPSゲームのチームデスマッチだが、きょーが
正直、この二人がカバーしていなかったらきょーには罵詈雑言の嵐が降り掛かっているだけでなく、通報すらされかねないだろう。それくらい、コイツはFFを連続しているのだ。ガチでゲームが下手くそである。
「怖ぇ……これだよこれ。きょーとやるゲームって、楽しいけどスリルとホラーが尋常じゃないんだよ。それもリアルに直接関わってくるレベルの」
「チャット開くのは、地獄に行くのと、同じ」
「悪気は無いんだが」
「いちばん、質が悪い…!」
「それは……普通にすまん」
わりと声を張った白に、思わず謝罪が出てしまう。
下手くそ過ぎるのは良い。だが、それで迷惑を掛けてしまうのは流石に申し訳がない。どうにかマシにはしたいと練習はするものの、そのどれもが上手くはいかない。
大いなる力には大いなる代償が伴う、とはよく言ったものだが、それがこれだ。代償というには些か軽い様にも思えるが、日常生活で、しかもゲーマーの友達が居るのならば、それもまた話が別だ。
いや、この場合はそうではないか。
ゲーマーの友達『しか』居ないから、困るのだ。
「普段は味わえないのを味わえるって意味では、楽しいんだけどな。けどそれはそれとして普通に怖い」
「俺もふとした拍子にキーボードを破壊してしまわないかヒヤヒヤしている」
「それだけは、ダメ。ぜったい」
「それは俺ではなくキーボードに言ってくれ」
「脳筋言いくるめ……にぃ、ヘルプ」
「無理に決まってるだろ妹よ。脳筋に漬ける薬はないんだ」
パワーイズパワー、筋肉こそ正義。力があればなんでも出来る。それが脳筋というものであるが、彼がその脳筋に当てはまるのかと言われると、悩ましい所である。
きょーは脳筋にしては器用だ。それこそ、和食から洋食まで幅広い料理が出来るくらいには。
まぁ、扉が開かないからと言って蹴り破るという行動を取った部分かれ鑑みれば、確かに脳筋と言われても仕方なくはあるのだけれども。
「うし、FPSは一旦終了! コレやろうぜ」
「悪いが、俺は少し休む事にするよ。目が痛くなってきた」
「ん、了解」
ベッドに背中を預けて、軽く目を閉じる。
優れた身体は、何も良いこと尽くめという訳ではない。寧ろプラスよりもマイナスな事の方が多く、それ故に苦労も絶えない。
ゲームを少しやっただけでこれだ。すぐに目が痛くなってしまう。休もうにも、耳が良いからしっかりとは休めない。些細な雑音すらも、この耳は拾い上げてしまう。
起動中のPC、キーボードとマウス、二人の息遣い。この部屋に存在するありとあらゆる音が、彼の耳には届いている。それこそ、うざったい程に。
産まれながらにして何らかの才能を持った人間を、『ギフテッド』と世間は称する。
きょーの場合は、その
成長すればする程に、本人の気も知らずに出来上がっていく五体は、もはや才能と言うよりも『異常』と表現した方が正しいものだった。
五体五感に万物あり。天は二物を与えずとはよく言ったものだが、こと肉体というその一点において、彼は二物はおろか万物を宿していた。
だからこそ。
対等というものは、存在しない。
例えそれが―――長年の友であったとて。
真の意味でのそれは、この世界には無い。
―――
「―――なんだ」
ふと、意識が覚醒する。
どれ程の時間が掛かっていただろうか。様々な雑音を拾い上げる耳の所為で、茫然とする余裕も無かった筈なのに、気が付けばかなりの時間が経っている。
だが、きょーはそんな事には目もくれず、謎の感覚に警戒心が芽生えた。
「うぁー……お、起きたか、きょー」
「つかれた……きょーにぃ、デザート……」
「ズルいぞ妹、俺も食べたい……ガチで疲れた」
「……何が来た」
「んぁ? 何がって、挑戦状叩き付けられたんだよ。くっそ手強かったわ。久しぶりだよ、あんな強敵」
『 』が、手強いと断言した。
だが、あくまでも
しかし、きょーの警戒と緊張は止まない。画面の向こうに居るであろう誰かに対して、きょーは形容し難い何かを抱いていた。
危険、という訳ではない。
しかし、安全でもない。
未知。理解の遥か向こう側。
「―――誰だ。お前はいったい、なんだ」
返答はない。
だが、あえてコチラから表現させてもらおう―――画面の向こうで、その誰かの口角がつり上がった、と。
【君たちの世界は―――生きやすいかい?】
返信が来た。
この世界が、生きやすいか?
隔絶された空間。隔離された関係。他者の評価によって成り立つ知名度と噂に塗れたクソッタレの現実ばかりが広がる世界が。
その狭い世界が。
このつまらない世界が。
生きやすいか、否か?
そんなのは――――――もはや、三人で答えるまでもなく。
―――
【もし、
あまりにも怪しい文章に、訝しげに、しかし想像し、憧れを隠さぬ二人。
ただ一人だけは―――決してその限りではなかった。
【目的も、ルールも明確な
『 』は顔を見合わせ、自嘲気味に笑って頷いた。
は、その二人を後ろから見守った。ただ、それだけだった。
カタカタと、空は文面をなぞらえて。
『あぁ、そんな世界があるなら、
そう返信した。
―――その刹那の出来事だった。
ぶつん、と。そのメールが移された画面を除いた、部屋にある全ての機器が暗転した。
部屋全体にノイズの様な何かが迸る。空間に……いや、まるでこの部屋という隔絶された世界そのものを、否定するかの様に。
静電気と火花が乱れるケーブルを横目に、 は目を見開く。
『僕もそう思う。君達はまさしく、生まれる世界を間違えた』
唐突に、白い腕が生えた。
「―――空、白っ!」
守る様に、手を伸ばす。
だが、白い腕は二人だけでなく、 の腕も掴み取った。
「なっ―――」
『勿論、君も含めてだよ。自分の全てが通用して、それ以上がない、退屈な世界に生まれてしまった。でも大丈夫。だからこそ、
―――……そして。
刹那の白が全てが包み、その部屋は無人となり。
眩い光に覆われた三人が、その目を開けば――――――
「――――――は、ぁぁぁぁぁっっっ!?!?!?」
そこは、空だった。
人名としての「空」の事ではなく、我々が見慣れてしまった広大で果てしない世界―――大空だった。
現在進行形で、三人は落下の最中だったのだ。辺り一面、これまでに見てきたあらゆる景色と合致する事のない世界を。
「ようこそ、僕の世界へッ!」
この壮大で異常な景色の中で、それを背後にする様に『少年』は大袈裟に腕を広げて笑みを浮かべた。
「此処が、君達の夢見る理想郷―――全てがゲームによって決まる世界【
ご丁寧な解説に、きょーは声を張り上げて、
「今それどころじゃないだろッ!? というか誰だ!?」
ご尤もに吠えてみせる。
だが、少年はそれを気にもしない。怯えもせず、寧ろ余裕綽々に笑っていた。
「僕はね〜、あそこに住んでる」
少年が指差した方角に、三人が目を向ける。
巨大なボードとチェスが象られた景色のそれは、どこか神々しさの様なものをすら感じた。まさにこの世界が、ゲームによって全てを決める世界であるのだと証明されたかの様に。
「君達の世界風に言うなら―――
頬に人差し指を添えて、可愛げに、愛嬌を振りまく様に自称する少年。
対して、きょーは心から馬鹿にする様に笑った。
「そうか、じゃあ今こそこの言葉が正しく使える訳だな―――ファッキンクライスト様々だってよッ!」
「あははっ!
「オイオイっ! そんな事よりどうすんだよこれっ、地面! 地面が迫って―――うぉぉぉ、白っ!」
「……〜〜〜〜〜〜〜っ」
「クソッ!」
白の小さな手を取り、意味があるかどうかはさておくして、自分を下にする空。それをさらに守る様に、きょーは自分を下にして二人を抱え込む。
この高度では、きっとこれも意味を成さない。自分だけが助かって、二人は衝撃によって全身が粉々になる可能性の方が高い。
だが、それでも何もしないようにはマシだ。友達を見殺しにする様な、そんな事をするよりもずっとマシだ…!
まさに命懸けな三人を見て、尚も少年は笑って、楽しげに告げる。
「また会える事を期待してるよ。きっと、そう遠くない内に、ね」
「そのいけ好かない顔面を絶対にぶっ飛ばしてやるぅぅぅ―――ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!…………………………………………………」
最後の最後まで、 は怨嗟を吐き出した。
だからこそ、少年はそれを楽しく思ったのだと、きっと今は知られる事はない。
かくして。
最強無敗のゲーマー『 』と、その友人である は、盤上の世界に降り立ったのである。
■(きょー)
『 』のただ一人の友人。STRとDEXに全振りでゲームINTが絶望的によわよわな極めて理性的で器用な脳筋。
かつて■■にて、人間でありながら■■■しを成し遂げた■■の生まれ変わり。ただし、その記憶は欠片もない上に意識も存在しない。