目覚まし時計が鳴るより早く、一階から漂ってくる味噌汁の香りで目が覚めた。
一ノ瀬澪(いちのせ みお)は、寝ぼけ眼をこすりながら制服に袖を通し、ぼんやりとした足取りでリビングへ向かう。
肩まで伸びた黒髪が寝癖で少し跳ね、まだ17歳の高校二年生には似つかわしくないほど無気力な顔をしていた。
テーブルの上には母の作った朝ごはん。焼き鮭と卵焼き、そして炊き立ての白米。
妹の紗月(さつき)はすでに席について、テレビの画面にかじりついていた。中学に入ったばかりとはいえ、その姿からはまだ子どもっぽさが抜けきらない。画面では、煌びやかな衣装を身を纏った魔法少女たちが魔物を討伐する映像が繰り返し流れている。
「見て見て!昨日の夜の討伐戦!!やっぱり<白蓮のソフィア>様が一番かっこいい!!」
紗月が目を輝かせ、手に持った箸を振り回す。
「こぼすわよ。」
母が笑いながら紗月を嗜めるが、その表情もどこか楽しげで。
魔法少女の活躍は、今や朝のニュース番組の定番。人々にとって、それは恐怖であると同時に希望の象徴だった。
澪は鮭をひとくち、箸でつまみ上げ、ふぅと小さく息を吐く。
「・・・朝からよくあんな騒げるね。」
その冷めた目線に気づいた母が、にやりと笑う。
「でも澪だって、昔は憧れてたじゃない。ほら、小学生の頃、『わたしも変身したい!』ってテレビの前で真似してたの、覚えてる?」
ガタッ
澪は思わず箸を落とし、顔を真っ赤にした。
「なっ...な、なんで今それ言うの!?」
紗月が「えー、お姉ちゃんそんなこと言ってたの!?やば!」とケタケタ笑い出し、澪は居心地悪そうに目線を逸らした。
窓の外では、何事もないかのように朝の通学路を学生たちが行き交っている。
自分とは無縁の世界。とっくの前に、彼女はそう割り切っていた。
朝食を終えた澪は、洗面所で歯ブラシを動かしながら鏡に映る自分をじっと見つめていた。
ニュースの中で笑顔を振りまいていた魔法少女たちと、自分。
制服の襟を整える姿は、どう見ても"どこにでもいる普通の女子高生"だった。
背後から紗月が顔を覗き込む。
「お姉ちゃん、ほんとは魔法少女になりたいんでしょ?」
「はぁ?何言ってんの。なりたくなんてないから。」
口いっぱいに泡を立てながら澪が返すと、紗月は「ふーん。」と意味ありげに笑って去っていった。
やがて玄関の方から「行ってきまーす!」という声と、母の「いってらっしゃーい!気をつけるのよ!」という声とともにドアの閉まる音が響く。
澪は、鏡の中の自分としばし目を合わせてから、静かに吐息をついた。
ほんの4つしか違わないのに、あの無邪気さはもう取り戻せない気がする。なんて考えながら。
タオルで口元を拭い、制服の襟を直すと、そのまま玄関へ向かった。
玄関で靴を履き、鞄を肩にかける。
「行ってきます。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
母の声を背に、澪は扉を開いた。夏の気配を含んだ朝の空気が、肌に少しひんやりとまとわりつく。
校門へ向かう途中、待ち合わせ場所に立っていたのは幼なじみの相沢 凛音(あいざわ りんね)。
肩までの明るい茶髪が朝日を受けて揺れ、澪を見つけた瞬間にぱっと笑顔を咲かせる。
澪が姿を見せるなり、彼女は勢いよくスマホを突き出した。
「澪!見た?昨日の討伐!やばくない!?ソフィア様マジ女神!」
「...朝から元気だね。」
「元気じゃなくてどうするの!ソフィア様だよ!?ほんとにこの世界に存在してるんだよ!?歴史的奇跡だよ!文化遺産だよ!」
澪は苦笑しながら鞄の肩紐を握り直した。
凛音は筋金入りの“魔法少女オタク”で、円卓の順位や新星デビュー組のプロフィールを暗記しているほどだ。
「ま、私らには関係ないし。」
「あるよ!だって、もし魔物が出てきたら一番に守ってくれるのは魔法少女なんだから!」
「...守るのが役目だからね」
「澪ってほんと夢がないなぁ。」
凛音は頬をふくらませるが、その目はやっぱり楽しそうに輝いていた。
自分には関係ない。
そう繰り返すことで、どこかで胸に生まれたざわめきを誤魔化した。
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