チャイムの音と同時に、昼休みのざわめきが教室に広がった。
購買へ走る生徒、机を寄せ合うグループ、廊下に駆け出していく部活動の仲間たち。
どこにでもある高校の昼休み──ただし一つ違うのは、会話の端々に「魔法少女」という単語が頻繁に飛び交うことだった。
「昨日の映像、見た? 新しく出てきた子、めっちゃ可愛くない?円卓入りも夢じゃないかも!」
「円卓に入るのはまだ先でしょ。あのクラスに食い込むのは相当大変だよ。」
「でもさ、もし同い年くらいの子が円卓入りしたら超エモくない?」
どのクラスにも一人はいる“魔法少女評論家”みたいな男子が得意げに語り、女子たちはキャーキャー盛り上がる。
机に突っ伏して弁当を食べていた澪は、その賑わいを横目で見ながらため息をついた。
「ねぇ澪。」
隣の席から、凛音が身を乗り出してくる。
「仮にだよ、仮に澪が魔力に目覚めたら、どんな魔法少女になると思う?」
「はぁ? そんなのありえないから。」
「えー! 夢がないなぁ。絶対似合うのに。」
凛音は口を尖らせ、手元のノートにサラサラと何かを書き込んだ。覗き込むと、そこには「魔法少女・一ノ瀬澪(仮)」と大きく書かれ、衣装の落書きまで添えられていた。
「やめてよ! 変なこと書かないで」
「変じゃないよ! こう、クール系で、氷の魔法とか似合いそうじゃない?」
凛音は本気で言っているらしく、目がキラキラしている。
澪は顔を赤くしながらノートを閉じて押し返した。
──魔法少女は、自分には関係のない存在。
そう言い聞かせながらも、どこか胸の奥で小さな熱が疼くのを、澪は見ないふりをした。
窓の外では、昼下がりの灰色がかった雲の隙間から、わずかな陽光が差し込んでいた。
それはどこか、この世界の混沌を一瞬だけ照らし出す“灯”のように見えた。
午後の授業は社会科。
だが黒板に書かれていたのは「戦後日本と魔界災害」という文字だった。
「──というわけで、二十年前の〈第一次大規模侵入〉以降、日本政府は魔界対策庁を設立しました。魔法少女協会との連携は皆さんもニュースでご存じの通りですね。」
教師は何でもないように説明するが、教科書の年表には普通に「魔界ゲート出現」や「円卓制度制定」といった項目が並んでいる。
凛音は前のめりでノートを取り、クラスの何人かも熱心に聞き入っていた。
一方、澪は窓の外の曇天に視線を向ける。
突然、チャイムの代わりに校内放送が入った。
『──えー、ただいま市内に小型魔物の出現が確認されました。近隣の生徒は下校時、教師の指示に従い速やかに帰宅してください。』
教室がざわつく。
「やだー、また近く出たんだって。」
「でもどうせ魔法少女が倒してくれるでしょ。
女子たちの会話は、怖がりながらもどこか“イベント感覚”を帯びていた。
教師は手を叩いて注意を促す。
「慌てる必要はありません。こうした事態に備えて、月末に避難訓練も予定されていますからね。魔法少女たちが対応してくれる間は、私たちが冷静でいることが一番です。」
──魔法少女が守ってくれる。
その言葉に、クラスの空気は少しだけ安心に傾いた。
澪は机に肘をつきながら、ふっと小さく息を吐く。
(結局、誰かが戦ってるから、私たちは普通に笑っていられる...か)
そのとき、凛音が小声で話しかけてきた。
「ねぇ澪。もし本当に、今ここに魔物が来たら...どうする?」
「...逃げるしかないでしょ」
「うーん...やっぱ澪らしい。」
凛音は苦笑しながらも、それ以上は何も言わなかった。
教室はざわついたまま授業は打ち切りになった。
教師の指示で班ごとに分かれて下校することになり、生徒たちは慌ただしく荷物をまとめる。
「家に着いたらすぐ連絡するんだぞ。寄り道はしないこと!」
教師の言葉に、全員が声を揃えて「はーい」と返す。
廊下には緊張の色が漂っていた。普段なら笑い声が絶えない放課後の校舎も、この日ばかりは小さな囁き声と靴音しか響かない。窓の外には、雲に覆われた灰色の空。夕暮れが近いのに、太陽はほとんど姿を見せていなかった。
凛音と並んで歩きながら、澪は肩掛け鞄の紐をぎゅっと握りしめる。
「...ほんとに、出たんだね。」
凛音が小さく呟いた。
「うん。まぁ、でも私たちの近くには来ないでしょ。」
「そうだよね。だって魔法少女がいるし。」
言葉に頼るように笑う凛音の横顔を見ながら、澪は複雑な気持ちを抱えた。
人々にとって魔法少女は、希望であり守護者だ。
だが澪にとっては、それ以上に“遠い存在”だった。手を伸ばしても届かない光。昔憧れた自分を思い出すと、なぜか少しだけ胸が痛む。
二人はしばらく並んで歩き、駅前の交差点で立ち止まった。
遠くにサイレンの音が響き、街の空気は夕暮れに染まりながら、どこか張り詰めている。
人通りは普段より少なく、みな足早に家路を急いでいた。
「じゃ、私はこっちだから。」
凛音が手を振る。
「うん、気をつけて。」
「澪もね。……なんかあったら、すぐ逃げるんだよ?」
「わかってるって。」
凛音はまだ何か言いたげだったが、結局それ以上口を開かず、改札へと駆けていった。
人混みから離れると、澪はようやく一人になった。
夕焼けは灰色の雲に覆われ、街路灯が灯り始める。
放送のせいか、どの通りも普段より静かで、空気は張り詰めていた。
澪は歩きながら、胸の奥に生じる感情を持て余していた。
(...魔法少女か。小さい頃は、いつか自分もなれるんだって思ってた。
でも現実は違う。普通の高校生で、ただ守られるだけの立場。)
ポケットの中で指先をぎゅっと握り込む。
そんな自分を“つまらない”と切り捨てるのは簡単だ。
でも──本当に、それでいいのだろうか。
考え込んでいた澪の耳に、不意に甲高い悲鳴が飛び込んできた。
足が止まる。心臓が強く跳ねた。
振り向くと、細い路地の先で小さな少女が尻もちをつき、闇のような影に追い詰められていた。
ぐにゃりと歪んだ腕、光を吸い込むような瞳。テレビでしか見たことのない“魔物”が、そこにいた。
──逃げろ。
頭のどこかがそう叫んだ。けれど次の瞬間には、澪の体は勝手に動いていた。
「やめろッ!」
少女を庇うように立ちふさがる。
足は震え、声も裏返っていた。それでも一歩も引かなかった。
魔物の口が裂け、低い唸り声が響く。
恐怖で呼吸が詰まる。だが背後には怯え泣く少女がいる。
(逃げるしかないって言ったくせに...なにやってんだッ、私!)
灰色の街路に、影がじわじわと迫ってきた。