暗がりで蠢く魔物が、じわりと澪へにじり寄る。
背後の少女の泣き声が、胸の奥を鋭く抉る。
──怖い。
足は震え、呼吸はうまくできない。
けれど、逃げ出せばこの子はどうなる?
「……っ、来るなッ!」
精いっぱいの声を張り上げるが、影は止まらない。
触手のように伸びた腕が、澪に振り下ろされようとした瞬間──
閃光が、夜の街を切り裂いた。
轟音。衝撃波。
魔物の身体が弾き飛ばされ、澪の視界に光の残滓が散る。
次の瞬間、そこに立っていたのは――眩しいほどの少女だった。
純白の衣装に銀の紋章。長い髪が光を帯び、手にした杖からは淡い輝きが零れている。
「……大丈夫?」
振り返った魔法少女は、澪と庇われた少女を一瞥し、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、テレビやニュースで見慣れた“希望”そのものだった。
だが、目の前で見ると現実感があまりにもなくて、息を呑むしかない。
魔物が再び吠え、立ち上がる。
少女は杖を構え、声を張る。
「〈聖なる光よ、我が道を照らせ〉!」
地を蹴る音と共に、白い光の矢が放たれる。
魔物は悲鳴を上げ、灰のように崩れ去った。
静寂。
ほんの数十秒の出来事だった。
だが澪の心臓は破裂しそうなほど暴れている。
魔法少女は、背後の少女を安心させるように頭を撫でた。
「もう大丈夫よ。怖かったね。」
泣きじゃくる声が小さくなっていく。
澪は呆然とその背中を見つめていた。
──これが、自分が憧れていた“ヒーロー”。
手を伸ばしたはずなのに、届かなかった存在。
「……っ」
胸がちくりと痛み、視界がにじんだ。
自分はただ震えて立ち尽くすことしかできなかったのに、彼女は笑って誰かを救っている。
その圧倒的な差に、言葉は喉の奥で凍りついた。
静まり返った路地に、少女の嗚咽だけが残る。
光に包まれた魔法少女は、その背で澪と少女を守り続けていた。
澪は、声が出なかった。
映像でしか見たことのない“ヒーロー”が、目の前で自分を守っている――その事実が、恐怖と同時に現実感のない衝撃となって胸を打った。
だが同時に、心のどこかで思ってしまった。
(……これは、私の望んだことじゃない)
助けられる自分。
戦う誰か。
それはあまりにも、手の届かない遠い世界だった。
胸の奥で、ちり、と小さな痛みが走る。
それが悔しさなのか、憧れの残滓なのか、自分でもわからない。
魔物が灰と化して消えた路地に、静けさが戻る。
魔法少女は杖を収め、泣きじゃくる幼い少女にそっと膝をついた。
「よく頑張ったね。」
優しく頭を撫でる声は、あまりにも自然で、日常の一部のようだった。
少女はすがりつき、震える声で「ありがとう」と繰り返す。
それから魔法少女は立ち上がり、澪に目を向けた。
「あなたも...ありがとう。あの子を庇ってくれたんでしょう?」
「...え。」
喉がひりつき、声にならない。
「とても勇気がある行動だよ。普通なら逃げるだけで精一杯なのに。だからこそ、私が間に合ったの。」
その瞳は真剣で、澪の存在を肯定するものだった。
けれど澪の胸に広がったのは、誇らしさではなく──どうしようもないモヤモヤだった。
自分は何もできなかった。震えて立ち尽くすことしかできなかった。
それなのに「勇気」と呼ばれることが、痛いほどの皮肉に思えた。
(違う...。私は、ただ怖くて、どうすることもできなくて...)
うまく返事もできないまま、澪は視線を落とす。
魔法少女はそれ以上追及せず、ただ微笑んで背を向けた。
「もう心配はいらないわ。──気をつけて帰って」
夕暮れの街路に、その背中はひときわ眩しく輝いて見えた。
だが澪は立ち尽くし、胸に渦巻く痛みから逃れられずにいた。