昔を懐かしむ、鬼の話   作:つも

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一心の章

 

 

 

 

 旧地獄街道。

 地下にある、旧い街。かつて地獄の一部であった街が切り離され、旧都となって以降、そこに住む鬼たちによって外の世界で忌み嫌われた妖たちの楽園となる。

 

 ある一つの宿の一室。

 整然と畳が敷き詰められたその場所で、古くも座り心地の良い座布団の上にあぐらをかきながら、女が二人、酌をしていた。

 二人ともハイカラな金の髪色をしており、服の装飾は地上の里に住まう人間たちの目には奇抜に映るだろう姿だ。何よりも目立つのは、片や尖った長耳、片や鋭く天に伸びる長角。誰の目から見ても、人でないのは確かだった。

 

 ことん、と盃を机に置いた鬼の女は、いつもなら昔の自らをつらつらと語るのだが、その日ばかりは僅かに違った。まるで何かに浸るように静かに佇み、酌の相手となる女がその様子に怪訝そうに口を開くのを待つばかりだった。

 

「……今日は、いつになく静かじゃない」

 

 普段であれば『何度も聞いた』『こないだ話してた』などと軽口にも似た相槌を打つ水橋パルスィは、酌に誘ってくる鬼の友人である星熊勇儀がちびちびと口許に酒を運ぶばかりで何も話さないのを不思議がっていた。

 勇儀も、どうやら話したい話題に関して、どこから話せばいいのか思案をしていたようだし、それ以上に切り出すことで思いが晴れてしまうのを恐れているようだった。

 

 鬼という分際でありながら()()()とは、中々に聞かない状態であるが、ともかく勇儀には、おいそれと口を開く心の用意が無かった。

 

「いや……ちょっと、ね。昔の事を思い出してさ」

 

「昔。貴女の武勇伝を聞いてきた限りじゃ、そんなナイーブな面持ちをするエピソードがあるとは思えないけど。もしかしてまた『昔に比べて今は鬼に挑む人間が居ない』とか言うんじゃないでしょうね?」

 

「ん……まあ、似たようなもんだ。しかし、奴等は別格だったな……」

 

 はあ、とため息をつきながら、また同じようにチビチビと口に盃の中身を持ってきて啜る以上の事をしなくなってしまった。

 パルスィはそれに僅かな嫉妬の感情を覚えた。まだ聞いていない話があったなんて。そこまで未練がましく覚えている話がある。そんな思いは、表面上に悪態となって表れた。

 

「……なに、それ。そんなに夢中になれる相手がいたんだ」

 

「ああ。最高だった。有頂天だったと言ってもいい」

 

 普段なら悪かっただのなんだのと、ご機嫌を治そうとせっせこ酒を注ぐ勇儀が、その普段を忘れるほどに夢想に浸る存在。僅かに芽生えていた嫉妬心さえ消え去り、パルスィの頭の中にはその存在が勇儀にとって何なのかだけが興味深さと一緒に残った。

 

「じゃあさ、聞かせてよ。そいつらがどれだけ、当時の貴女を、そして今も尚貴女を釘付けにする存在だったのかを」

 

「……いいぞ。ずっと心中に残したままでは、奴等との戦いの記憶も、薄れちまいかねないからな」

 

 さて、何から話したものか。

 勇儀はそう切り出すと、早速当時の自分を思い出すべく瞑想した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は慶長元年。

 実に葦の国が、群雄割拠とするべき戦乱の世の真っ只中にあった時代である。

 剣聖、葦名一心は、その類稀なる武勇を以て国盗りを成した。曰く、古くは葦名の民の地を取り戻しただけの事だと嘯いた一心であるが、その腹の中は剣聖と謳われた自らの力を高める、その事が脳裏を過ぎり続けていた。

 

 国盗り戦の葦名衆と言えば、当時の大名の擁する軍の中で一、二を争う強さを誇ったとされた。

 

 その葦名一心が國を興してから、僅かに半月の話である。

 

 

 

 

「一心様」

 

「おう、雅考か。どうした」

 

 

 

 そこは葦名の國が興る前、この地の領主であった田村主膳の居城であった。

 国盗り戦によって葦名一心の手に落ち、葦名城と改名され、手が加えられることとなる。

 

 その天守閣の離れ。

 一心の根城であるそこは、常ならば人が立ち入ることは無い。そこに入ることを許されていない、という話ではないのだが、非常事態の報告を除けば誰もが入室を遠慮していた。

 葦名衆はそもそも、葦名一心の強さに惚れ込んだ者が殆どを占めており、一心のために設えられた空間に、みだりに踏み込みたくないというのが本当のところだった。

 

 して、雅孝がそんな場に立ち入る理由。それは城主・一心に諸用があったからに他ならない。

 

「まず、これを」

 

「……おお!猿酒か!落ち谷で見つけたのか?」

 

「いえ、平田からの献上品です。正信殿が、臣下の見回り中に偶然見つけたものであると」

 

「ほう…平田屋敷の方にか。猿ども、随分と人里近くにやってきたようじゃな。して、これだけではあるまい」

 

 一心は雅孝の秘め事を見抜いた。そればかりは出来れば伝えたくはなかったと思うも、普段は落ち谷に住んでいる危険な猿が人里近くまでやってきているとなると、原因の追求する先は自然とその理由に行き着く。

 

 鬼庭形部雅孝。

 鬼庭一族を纏めあげた賊であり、葦名一心の強さに誰よりも惚れ込んだ男。それ故に、その秘め事をさらけ出した後の一心がどのような行動に出るかは想像に難くなかった。

 

「…実は、大猿の()()()の一方が死んでおったと報せを受け、手勢を連れ偵察に向かったのです。それで──」

 

「どうした?勿体ぶらずに言え、雅孝」

 

 信じられない事だが、主君に嘘を謀るような気は毛頭起きなかった。ややあって、既に猿酒に口をつけていた一心に告げる。

 

 ……それは、想像を絶する戦いの始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 半年ほど前の戦の折に身につけた甲冑を、またも着込む事になるとは。一心は内心で独り言ちた。臣下には誰も着いてこぬようしっかりと言い含め、切り立った崖を少しずつ降っていく。

 

 やがて底が見えてくると、確かに猿が倒れている。

 死んで間もない様子の、茶の体毛をした大猿だ。間違いなく、この近隣の猿の群れを牛耳っていた長であろう。

 

 …しかしながら、それよりも圧倒的な存在感を放つ何かがそこに座っていた。腹心のひとり、鬼庭形部雅孝の言っていた、常ならむ西洋人。

 

 盃の中身──恐らくは酒──をぐびぐびと飲み下し、美味そうに息をつく西洋風(ハイカラ)の女。煌びやかな和服に身を包んではいるが、その金色の髪が葦の国の生まれでは無いのだろうと思わせた。

 

 遠目から見れば海の向こうからやってきた高貴な出の女が、酒を飲んでいるだけのように見えるが、場所が場所。

 猿の死体を脇に、地面にどかっと座り込んで盃を傾ける様子は、その美しい姿から一顧傾城、傾国の美女にも例えられる容姿も相俟って、まるで伝承に聞く妖怪のそれだ。

 

 遠間から谷底に降り、兜に射す陽の光の隙間から女をじつと見つめながら近付いた。

 

 女は最初からこちらに気付いてきたらしく、盃を持たない方の手で近付くよう指を自身の方へ曲げて合図をした。

 

 ──こっちへ来い。まるでそう囁くような細い目で、一心の瞳をじっと見つめていた。

 

 一心はそれに敢えて乗った。兜の緒を緩め、脇に挟んで近くまで歩く。確かに女の容姿は金の髪が至極目立つ。しかしそれ以上に目を惹くもの、それは一角の赤角だ。

 

 まるで()。しかし御伽噺や昔話で聞くような鬼は、筋骨が隆起するかのような大柄な男の姿で、肌は青いか赤いか、あるいは人ならざる色をしており、そして人に扱えない程の大きさの金棒を持つものだ。

 しかしながら、目の前に座って酒を煽っているのは、どう見ても普通の人と変わらない。頭の角だけが特別目を惹くが、それだけだ。

 

「んくっ…んくっ……くはぁっ……美味い…」

 

 美味そうに酒を呑み、喉を鳴らす様は、容姿を抜きにすれば、酒をせびりに来る身内の馬鹿者どもと、さほど変わりはなかった。

 

「おい、酒は嗜むのか、人間」

 

 そう問われた一心の目にあるのは、女の傾ける盃だった。

 くん、と鼻を利かせて酒の香りを嗅ぐ。その瞬間に目を見開く。それは滅多に手に入らぬ代物。製法など分かるはずもない、どこからともなく、偶然に見つけるようなもので、それこそ上質なましら酒(猿酒)などより余程、上等な酒だった。

 

「……!!まさか、竜泉か!?」

 

 香りを嗅ぐだけで、まるで喉の焼けるような熱さの後に来る、心地良さと浮遊感が想起された。心中にある竜泉の記憶は、田村主膳の支配下にあった葦名で雌伏の時を過ごしていた時、偶然に得た僅かな数滴を呑んだに過ぎないものだった。

 しかしそれでも、香りから飲んだ瞬間の情景が脳裏に浮かぶほどには、その味も、味に紐付けされた記憶も鮮烈なものだ。

 

 その盃に飛びつきたくなる気持ちをぐっと堪え、尋ねられたことに答えることにした。

 

「……酒は、好みじゃ。ガキの頃から、酒に舌を焼かれておった」

 

「ははっ、そうかい、そうかい。そりゃ好都合。この酒はなかなか美味いが、故に独りで呑むには味気ない。()()が欲しくてねえ」

 

 すくりと立ち上がった女は、盃をまたも傾け、中の酒を飲み干してしまった。

 

「こうしてやる気のある鎧武者が来たんだ。相手をしてやらないと、お前さんが可哀想だろう?」

 

 ぐ、と拳を握りしめる女。徒手空拳で刀と打ち合うのか、などと考えるのはやめた。角からして、鬼やそれに類する何かである事はもはや明白で、尋常ならざる力を持つのは確実だったからだ。

 

 それに、相手が欲しいと言ったからには酒が手に入るアテがあるのだろう。それを勝ち取るも良し、はたまたこの女がどこまでやるのかは分からないが、研鑽の為に刃を交えるも良し。

 

 どちらに転んでも美味しい思いを出来る。一度は取り去った兜も、もう一度被り直して緒を締めた。

 

 刀を抜き、その切っ先を女へ向けた。落ち谷の底に僅かな風が靡き、鎧の緒や女の着る着物の裾がたなびいた。

 

「名乗れいっ!」

 

「酒呑童子の四天王が一人、大江山の星隈童子!」

 

 星隈は盃を置き、力一杯に叫んだ。まるで大地が揺れるかのように錯覚した……と、一心はすぐにその認識を改めた。まるで、ではない。

 その咆哮のようにも形容できる程の名乗りで、事実落ち谷は揺れていた。仁王立ちで声に吹き飛ばされんとするのを持ち堪え、負けじと喉をかっぴらき、声を張り上げた。

 

「葦名衆が一人、葦名一心!」

 

 ここには一国一城の主として来ているのではない。武人として、挑戦者として来ている。だからこそ、只戦士としてある本来の立場を名乗った。葦名衆とは、國を興すために集めた僅かな武士達が、のちに戦国最強の武士として名を轟かせた存在。

 だからこその、それを率いる長としてではなく、共に背を預け戦った仲間としての、あるいは死んだ者達への。そしてそれを知らぬ眼前の星隈への名乗りだった。

 

「その気迫、いいぞ……滾る……!」

 

 びりびりと互いは感じていた。双方の発する両名へ対する殺意。敵対心などは介在しない、対戦者への純粋なる敬意。僅かに構えを取っただけで伝わる、その強さ。

 

 一心とて、額から汗がこぼれたのは数知れず。しかしながら、対面しただけで初めて身近に死を感じたのは、これが最初だった。

 

「……でえええぇぇいっ!!」

 

 動いた。

 葦名一心が手始めに打ち込むのは、ただの上段からの叩きつけ。抜いた打刀は変哲もない平凡なもので、業物など宝物庫や自室にでも飾っていた。

 しかしその刀は、よく研ぎ澄まされ、入念に手入れをされていた。他ならぬ、一心自身の手によって。

 

 それに、ただの叩きつけと言っても、算段なく無闇矢鱈に放つほど自暴自棄になっている訳では無い。

 その打ち込みは洗練され、見切る者は少ない。それこそ若衆はともかく、葦名衆が精鋭、七本槍でさえ数える程もいないほどに速いのだ。

 

 研ぎ澄まされた刃による、限りなく速い、閃光の如き一閃。居合切りなどではなく、ただの上段からの斬撃。しかしながら、それをわかっていてなお受けられる者が少ないということは、すなわちそれだけの速度を会得するに至った技なのである。

 

 対する星隈は、何も構えを取らなかった。

 正確に言うならば、ほんのわずかに身体を強ばらせて打ち身に対する備えはしたものの、武術的な構えの姿勢は見られなかった。まるで刃を直に受けても問題ないと言わんばかりに。

 

 打ち込める、そう思った。

 

「……はぁっ!!」

 

 

 気合い。

 

 言ってしまえば、それだけ。それだけだが、受けたことで身体に痛みを覚え、刀を振るう腕が僅かに揺れたのを感じ取った。

 発した声が気合いとなって周囲に伝わる。気迫などでは到底ない、衝撃波として。一心はそれを受けた事が信じられなかった。そして目を輝かせた。

 

 鬼の扱う、見知らぬ技。

 気迫を周りに、衝撃として放つ。

 

 まだ見ぬ宿願の対手。それが目の前にいることに悦びを隠せなかったのだ。

 

「グ……ぉぉおおっ!」

 

「む…ん!?」

 

 痛みと実体の伴う衝撃を受けてなお、全力を込めて打ち抜いた一心の葦名流・一文字は、無骨に正面から叩き斬るだけの、純粋な振り下ろし。故に極まった葦名一心のそれは、巨木も瓦も、岩でさえ真っ二つにして退けた。

 そして、肉を鋭く穿つ手応えがあった。

 

 しかし、一心は目を見開く。

 

 一文字を受けたその腕は、今なお両断されていない。それどころか、見たところ骨にさえ達せず止まっている。引き抜こうとするも、まるで怪力で止められているかのようにびくりとも動かなかった。

 

「…ははっ!」

 

 星隈は、純粋に笑った。何もかもを諦めて酒浸りだった今生に、よもや鬼に挑む者がいたとは。

 それも、見掛け倒しのハッタリなどではなく、本気で害し、本気で殺す。そんな能力を持ち合わせているかもしれない存在があったとなれば。

 

「凄いよ、お前!守りに入ったのは初めてだ……!!」

 

 これまた純粋に、星隈は褒め称えた。

 一心もまた、一文字を耐えられる腕があるとは思いもよらなかった。それ故に先があるのだと気付かせてくれたことを、星隈に感謝してさえいた。

 

「であれば、本気で応えてやるのが鬼としての礼節、礼儀よ! …刀は返す!」

 

 力んでいた腕のちからを抜き、刀を解放する。一心は抜けた刀を握り直し、後ろへ飛び去って攻撃への備えを行った。斬撃であるならばただ弾くだけ、打撃であるなら耐え、受け流すだけ。

 それだけの単純なものだが、それでどんな戦いも制してきた一心ならではの防御だった。

 甲冑の頑強な鉄片の装甲部で受ける受動的な防御でなく、刀を這わせて逸らし次の攻撃へ繋げる能動的な防御。

 万能の防御とは言い難いものの、刀がダメなら鎧で受ける、二段構えの守りでもあった。

 

「では、受けてみせろ、一心!」

 

 ただ力み、力任せに放たれた拳。その先が刀に触れる直前。

 

 

 

 

 危。

 

 その瞬間には何も無く、感じたのはそれだけ。

 それでも、何をするべきかはわかった。身を捻り、打刀を限界まで逸らして、足を僅かに浮かせた。そうしなければ、身体の上半分が吹き飛んでも不思議では無いからだ。

 

 凄まじい金属音。拳による当て身、やっている事は言ってしまえばそれだけだが、故に異質さ、異常さが浮き彫りとなった。

 音と共に、まるで中空に浮き上がるように弾き飛ばされる一心の身体。田村主膳もまた、体躯を活かした怪力で一心を追い詰めたものであるが、星隈は身の丈こそ一心よりも低いが、力は田村より、いや一心が知る他の誰よりも強い。

 

「おお!!」

 

 星隈が感嘆の声を漏らす。まるでそれを初めて見たかのように。一心もまた、身一つでこれ程までの威力の攻撃を繰り出せる肉体に、感動さえ覚えていた。

 

 しかし見惚れているばかりでは戦いなどできない。何より力戦となれば、疲れ知らずの鬼に負けるは自明の理。であれば、受けるのではなく流し、守勢に回るのでなく攻め続けなければならない。

 

 地面に足を着け、抜き身の刀を鞘へしまう。す、と腰を落として静かに星隈へ迫った。するりというような抜き足が、まるで音もなく間合いを詰める。

 

 そして、鞘と鍔の間から僅かに覗く刃がきらりと瞬いた、その僅かに一瞬あと。

 

 星隈の目に、十字の閃光が迸った。

 

「ん……おおっ…!!」

 

 それを庇った腕が、守りきれなかったはらわたが、前に突き出ていた片足が、まるで血の十文字を描くように線が描かれ、そしてそれに添うように鋭く鮮血が噴き出す。

 鮮血と言っても人の血のような真紅ではない。ほとんど黒く濁ったような、人のものとは思えないどす黒い血潮だ。

 

 一心は、とどめを刺すという訳では無いが、戦闘不能に追い込むまで続けようと刀を再度、横に振るった。

 

「むんっ!」

 

 しかし、それを()()()、打刀のちょうど腹に、突き上げた掌底を直撃させた。

 驚きを隠せない一心は、振り抜いたはずの刀に手応えがないばかりか、その刃が中程からへし折れていくのを見るしかなかった。

 そして二歩三歩と後退りし、折れた刀を捨てた。今度は星隈がそれに驚いた。

 

「いってて……それ、折っちまったとはいえ、棄てていいのか」

 

「棄てる?……確かに急拵えのなまくらではあるが、棄てるのは刀に偲びない、か?」

 

 目を見開く。人が鬼を討伐するとなれば、用意するのは毒物や業物の刀。何れも最上の物を用意して臨んだものだ。それをこの男は、屁でもないかのように無銘のなまくら刀だと言ってのけた。

 

「なまくらぁ? ……あっははは!こいつは驚いた、あたしの腸を切り裂くものだから、どのような大業物かと思えば、なまくらだと!」

 

 星隈は身体から血が噴き出ているのも気に留めず、腹を抱えて全力で笑った。生半な刀では刃ひとつ通さない鬼の肉体を、この一心はあろう事かなまくら一本だけで斬り、傷付けてみせたのだ。

 その事実に、笑わずにはいられなかった。

 

「傑作だ、一心!気に入った!お前には私が直に酒を振舞ってやろうとも!さあさあ、来な!」

 

 

 

 

 

 

 その場にどかっと座り込み、瓢箪の中からとくとくと酒を盃に注いだ。一心もまた、言葉に甘えて目の前に座った。

 胡座をかく一心と星隈は、その盃に収まった何の変哲もないにごり酒だったはずだが、注がれると共に、まるで薄く光り輝くようにも見え、只のどぶろくだったはずのそれは、先程嗅いだばかりの形容しがたく芳醇な薫りを醸していた。

 

 どぶろくが、間違いなく、竜泉に。目を擦るも眼前の光景は何も変わっていない。

 

「儂は化かされておるのか?」

 

「私の認めた人間に、そのような無粋な真似はしない。これは正真正銘、お前さんの呑みたいものさ」

 

 そうして再度、薫りを鼻腔に取り込んだ。ああ、と思わず声が漏れる程に、竜泉に伴う蠱惑的な誘惑の芳香。一心の知る限り葦名において至上の酒。思わず喉が鳴る。

 

「本当なら人間風情になど、この盃に口など付けさせない。だがお前は別だ一心!これほど血湧き肉踊る死合は生まれて初めてだからな」

 

 恍惚としながらも、一心に盃を差し出した星隈に、遠慮なく盃を受け取る一心。久方ぶりに味わう竜泉を想像して涎が零れそうになる。

 

「遠慮をするな。さあ、呑め」

 

 妖による誘い。常ならばそんなものは人を謀る為の罠だと思うだろう。しかし、わずかな間とはいえ刃と拳を交えた相手が、そうまでして謀る性根の持ち主だとは思えなかった。

 

 刀を置き、鎧を脱ぎ去り、着流しにほんの少し鉄片が張り付いただけのような、おおよそ殿様とは思えないみすぼらしい姿で、しかし盃に口許を近付ける瞬間は強敵と刃を打ち合った時のように輝いている。

 

 ずっ。

 一口含んだ途端に、口内へ濃厚な風味が広がった。次いですぐに辛さと、そして甘さ。

 輝いていた目は、殊更に眼前の盃に夢中になる。もう一口、喉を鳴らすように口いっぱいに頬張るように呑み込み、そして口を開いた。

 

「ングッ………カァッ…!!!」

 

 甘い、美味いではない。

 ()()()()。天にも登るような快感。それが、竜泉を喉に通した感覚だった。

 

「堪らん!」

 

「ははっ、がっつくなよ、一心」

 

 とくとくと盃に酒を注ぐと、今度は星隈が竜泉へと変貌したそれを飲み干す。

 

「くっ…くっ……くはぁぁぁっ………!」

 

 酒盛りの場は、鈴虫さえ無いかのように静かだった。ただ、二人の酒呑みだけが、苔むし、あるいは水に濡れた地べたに座り込み、互いに酌をし、互いに交わし飲みをしていた。

 

「……のう、星隈」

 

「んあ……どうした?」

 

 中々に酒も回ったところで、一心が切り出した。

 

「お主、酒呑童子の四天王と言っていたな。それに大江山とも。京の山々からこんな東北の雪国まで、なぜ来た?」

 

 

「おお……それを聞くのか。まあ、今は気分も良い。つまらん話だが、聞くか?」

 

「是非とも」

 

 ふう、と星隈童子は盃を床に置き、御伽草子を語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───と、こうして大江山の鬼・星隈童子と、剣聖は出会ったというわけだ」

 

 竜泉へと成ったどぶろくの入った盃を置き、話をそこで一旦区切った。勇儀は過去を懐かしむように、腹のへそから僅かに左をさすった。そこは彼女が負った傷の位置だった。パルスィは目敏くそれを見て、眉を微かに顰めた。

 

「剣聖……葦名一心って、本当に実在した人なの?勇儀に傷を負わせられる人がいるなんて信じられないけど」

 

「さあ?安土桃山から数えて四百年、あいつも死んでいるだろうし、もう本当に存在してたかなんて、誰も証明できないね」

 

「……つまり、嘘の話ってこと?」

 

「それもわからんね。だってほら」

 

 パルスィに見せつけるように、服を捲った。一瞬瞳を逸らしたものの、興味本位でそこを見る。

 

「……う、そ。本当についてる……」

 

 指でそこをつついてみる。こそばゆいからやめろ、という勇儀の声に慌てて手を引っ込めるが、そこには確かに、横一文字に斬り付けられたのだろう綺麗な刀傷があった。裂傷でさえない、鮮やかな切り傷にパルスィは、ああ嘯いた勇儀の話は本当の事なのだろうかと思わざるを得なかった。

 

源頼光(みなもとのよりみつ)は、山伏に化けて鬼の仲間を偽り、酒に毒を盛って酒呑童子の首を切り落とした。人間というのは知恵はあっても力は無いから、そうするしか無かったのさね」

 

「じゃあ、それまで本当の戦いなんていうのは…」

 

「ああ、もちろん挑んでくるやつはいた。私の首にかかった賞金を求める浪人、軍を駆り立てて討伐に来た貴族、腕に覚えのある剣豪。みーんな()()()()。連中と拳を交えていた時が一番、生を実感したものさ。でも、よかっただけだ」

 

「だけ?」

 

 パルスィが聞くと、勇儀はもう一度盃を傾けた。

 

「そう、()()。みんな、私が殴ったら死んじまう。一太刀浴びせたやつは多くても、二太刀と浴びせたやつは居なかったのさ」

 

「そこに、一心ね……」

 

 パルスィは葦名一心の為人(ひととなり)を想像する。

 

 ……勇儀と同じ酒を嗜む酒豪。勇儀が気に入った数少ない人間。そこから導き出せるのはどう考えても筋骨隆々の化け物みたいな人間だった。

 

 

 

「さて、そろそろ空も白んできちまう頃合だな」

 

 旧地獄街道に陽の光は差さない。勇儀が言っているのは時間を地上の空の色に置き換えただけのものだ。

 

「お開き?」

 

「せっかくの鬼狩り奇譚を一息で語り終えっちまったら、面白くないじゃないか、橋姫?」

 

「……じゃあ、また聞かせてね、その話」

 

 飲みかけだった酒の、最後の一雫まで呑み干すと、パルスィは手をさらりと振って宿を後にした。

 

 それを見送ったあとも酒をちびちびと呑んでいた勇儀は、竜泉で火照った身体を冷ますように、地獄の街並みを歩いて回っていった。

 

 

 

 

 





 戦いの残滓・葦名と大江山

 心中に息づく、類稀な強者との戦いの記憶

 今はその残滓だけが残り
 記憶は確かに星熊勇儀の思い出となった

 乱世に生きる一人の剣士と、世捨て鬼
 互いに強く、酒を酌み交わす良き友であった
 ふらりと立ち寄っては、刀と拳を交えた

 鬼と剣聖の話には、まだ先がある


 
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