昔を懐かしむ、鬼の話   作:つも

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弦一郎の章

 

 

 

「今日も来てあげたわよ」

 

 やる事が無いというわけではない。日がな一日、橋の半ばで友人の手伝いのために通行人の吟味をし、趣味の赴くままに草笛を吹き、妖として橋を通る者の心中にある嫉妬の炎を呼び起こすという事をしている。

 しかして、橋姫にも休息は必要だ。元の肉体が人間である以上、妖に昇華したあとも人間らしい生活をしなければ人間のように弱ってしまう。

 

 それを克服できる存在など、仙人ばかりだろう。

 

 だからこの日もまた、泥のように深く眠った。勇儀に言われたからでは無いのだと自らに言い含めるように、頭の中で何度も繰り返す。自分の胸中の思いを隠すように。

 

「おう、パルスィ。座ってくれよ」

 

 彼女が宿の一室に入ってきたことに気付いた勇儀は、パルスィを自らの隣へ呼び立てた。パルスィはすとん、といつもの席に座り、持ち寄った濁酒を盃に注いでもらった。

 盃に入ったとろみのある酒は、みるみるうちに澄んだ水のような透明さに変わっていき、部屋に漂う酒気は香りの強く、だが不快感のない昨日のそれへと変化していった。

 

「本当に便利よね、それ」

 

 安酒さえ、美味なものとしてしまうそれは、星熊盃。酒呑みには垂涎の品であり、これを狙う者もかつていた程の名品だ。

 パルスィの聞いたところでは、星熊盃の力によって注いだ酒の格を高めるという。濁酒や他の安酒にとっての最高位に位置するのが“竜泉”なのだろう。

 そのために、こうして美酒、良酒にありつけているのだから、この旧都にて巡り会えた良縁には感謝すべきであろう。

 

「ん……そうなぁ、なら今日は、この星熊盃に纏わる話をしてあげようかね」

 

「あれ……葦名一心の話は?」

 

 勇儀が零した前回の話では、一心の続きを聞かせてやると言っていた。しかし今はどうだろう。星熊盃の話が葦名一心と勇儀とのそれからの戦いに関係するとは思えなかった。

 

「それはまた今度───いや、一心のやつにも関係のある話か。今回の話はな、一心の孫の話なのさ。気になる?」

 

「孫……孫がいるほど老いた男に一太刀入れられてたのね」

 

「人ってのは侮れないね。この刀傷を撫でる度に思うよ」

 

 腸を切り開かれたと言っていた怪我だ。十文字状に払った斬撃の横振りが今も尚燻っていると。

 しかしパルスィには疑問だった。普通の怪我では傷一つつかない勇儀も、凄腕の剣士から斬撃を浴びれば傷跡がつくことはわかった。しかし、鬼の特筆すべき能力はその類稀なる生命力と怪力にあり、特に生命力に関しては、いくら遣い手が戦国最強の武士だとして、なまくらによって受けた太刀傷など、時を置けば再生し切って塞がるものだと知っているからだった。

 

「ねえ勇儀。その傷って本当に一心につけられたもの?」

 

「………あー、じゃあ今日はそこを話そう」

 

 勇儀はぐいっと自身の星熊盃を傾け、中身を零さず飲み干してから、改めてパルスィに向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀と拳がぶつかり合う。

 それだけ聞けば矛盾を孕んだ状態に思えるが、ことに鬼と剣聖の一騎討ちであるならば、それはさしたる問題ではなかった。

 

 邂逅から既に五年は経っており、眼前の剣士の顔は既に老人の顔つきだった。全盛期を過ぎた一心であるが、老いてなお益々力と技巧を身につけ続けている。

 片や鬼である星隈童子は、人と鬼という決して埋まらない溝が、互いの力量差が狭まりつつある事で埋まってきているのを直に感じていた。

 

 それは双方にとって、至上の喜びであった。

 葦名一心も星隈童子も、この凌ぎを削り合う死合いの中で、死んでも後悔は無いとさえ思っていた。

 

「うりゃっ!」

 

 童子が手の甲で刀を弾く。鋭い突きであったが寸前の見切りにより、すんでのところで拳を差し込む事が間に合ったのだ。

 肉と金属では有り得ないほど甲高い金属音が鳴り響くと、今度は童子が攻め手に回った。後手を拝した一心は刀の背を鎧の腕甲で押さえ、童子からの攻撃をいなす事に集中した。

 

 いや、それだけに集中しているのではない。周囲の環境音など全く耳に入らないほど、状況の判断を視覚情報と嗅覚・聴覚に頼っていた。

 

 攻撃が来るのなら、風を裂く音が耳に微かに届くし、土を踏まなくなって滑りやすい苔むす岩場に足を踏み入れたなら、土の臭いは消え、瑞々しい植物の香りが鼻をつく。

 殴るにせよ蹴るにせよ、攻撃というものにはその一挙手一投足に事前の溜める動きがある。時を見計らって刃を傾ければ───

 

「ふんっ! …あ?」

 

 ───文字通り、弾くことができる。如何なる膂力とて、力の限り振るわれるならば、それを逸らし、力の向く先を明後日へ翻させることすら可能だ。

 そしてその勢いのまま、攻勢に転ずることさえ。

 

「おおぉっ!」

 

 鬼の如き、否、文字通り鬼の拳ともなれば、逸らし切ることは出来ない。腕でも折れようかという衝撃に、しかし一心はそれを利用した。弾けど逸らし切れぬほどの剛力を、むしろ次の攻撃に充てる補助とした。殴り抜けた衝撃が一心をくるりと回転させ、その勢いを乗せた回転薙ぎへと流れさせた。

 

「むうん!」

 

 狙うは、首。剣の切っ先が真っ直ぐと童子の喉元に突き立てられ、そして瞬きの間もなく切り裂かれる。

 それで倒れることはないと知っていて、一心は一切の手心をも加えず、返す手で振り抜いた刀の握りを掴み、袈裟懸けに斬った。

 

 だが、二の太刀はそこで止まった。いや、止められた。童子が咄嗟に突き出した手の、掌から腕にかけて半ばから真っ二つに引き裂くように刃は通っていた。

 故に、力を込めれば武器は一心の手から離れる。離さざるを得なくなる。そうしなければ、反撃できぬまま、身構える隙もなく全力の()()()()()が来ると知っているから。

 

「おぉ……ぉおぉぉぉおおお───」

 

 手を離した隙に、童子の無事な右手による全力殴打が迫っていた。

 

「───っらぁぁぁぁああッ!!!」

 

 パンッ。

 風を裂く、などという言葉では表しようもない──例えるならば、その空間が引き裂かれた──そうとでも言わなくては納得もいかない程の、破壊力。

 空気が割れ、地面がへこみ、落ち谷の鳥達が恐怖のあまり気絶する。周囲は巻き上げられた土煙に覆われていて、五寸、いや四寸……下手をすると三寸先さえ見えない程の濃霧に包まれている。

 直撃などしようものなら、そこに命があったのかなど分からないほどに粉微塵も残らないだろう。

 

「……いけね…殺しっちまったかな」

 

 どこにも見当たらない一心を慮って、僅かに落胆する。あの男が死んだら、また苔と鹿肉を肴に寂しく酒を呑むだけの余生に逆戻り。そんなのは酷くつまらない。

 

 ……だが、待てども一向に一心は姿を見せない。こりゃ、手応えはなかったけど余波で吹き飛ばしちまったかな。残念そうに、左腕に根深く刺さった打刀を引き抜こうと、握りに手をかけた。

 

 

 ─────殺気。

 

 

 

「────く、おっ!?」

 

「…そう、来たか……一心んん……!!」

 

 またも喉先に、一尺もないほどの近くに、切っ先があった。一心の握る脇差だ。

 童子が一心から放たれた殺気、気配を感じて咄嗟に防御に走った時、鬼の膂力を以て無理に左腕から打刀を引き抜いた為に、左の腕は付け根から枝分かれするように折れてしまっていた。

 

 痛みはあるのだろうが、それでもまともに動かせるらしいその様子に、致命の一撃を差し損ねた一心は脇差をぽとりと落とし、背中から地面に倒れた。

 

「……やめじゃ、やめ!」

 

「───えっ、どうしてだ。私は腕半分使えないのに対して、お前は五体満足。今押せば勝てるかもしれないんだぞ?」

 

 一心は笑った。

 

「クカカカッ!お主は遊びのつもりでおるのかも分からんが、儂にとって戦いとはすなわち全て死地!あれで主の首を刺す最大の好機を逃したとあっては、脇差の一振りだけで鬼を殺す事など出来まい。つまるところ、儂の負けじゃ!!」

 

 

 

 

 童子もまた、笑った。

 

 不快感など何処にもない、快活でいて、心底から溢れるような笑みだった。

 

「はははっ!!ここまで実力と頭で理詰めしてきたお前が、殺せない、か!あーっはっはっはっ!!」

 

 童子は痛みさえ忘れて、両の腕で腹を抱えて笑い転げた。一心の全力を見たのにも関わらず、それにはまだ伸び代を感じていた。もう少し待てば、この男は私を殺し得るかもしれない。

 

 その有り得るだろう未来を想起すると、面白おかしくてたまらないのだ。酒呑童子の四天王の一人、大江山の星隈童子が人の子一人に切り伏せられ、殺される。

 

 その風聞が人の世に流れることを想像すると、愉快でたまらなかった。

 

「ひっひっひっ……なあ、一心!私はお前ならやれると思うぞ……っ、くくくっ!あー駄目だ、笑っちまうよ……あははははっ!!」

 

「カカカ…ッ!まだまだ修練が足りんわ…!」

 

「ははは……ふう……。とりあえず、今日も盃は渡せないねえ。残念だったね!」

 

「ぐおぉぉ……それが一番口惜しい!」

 

 そうして一心と童子の対決は、またも決着が着かずに終わった。これで何十、何百、何千と引き分けてきたものだろうか。双方共に覚えてはいない。

 だが、戦後の葦名で暇を持て余していた二人にとって、互いとの邂逅はこれ以上ない楽しみであった。

 

 しかも、今回に至っては童子の持つ星隈盃を賭けて本気の殺し合いに殉じる覚悟でいた。

 だが、負けた。

 

 常勝無敗……少なくとも人間相手の戦いではそれを誇った一心でさえ、鬼相手とはいえ初めて敗れた。それまで引き分け続けた相手に喫した、初めての敗北。

 不思議と悪い気分では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、十五と余年。

 

 

 いつしか、あの男は来なくなった。

 葦名一心の剣裁きが相手ならば、いくらでも楽しめたはずなのに。

 また、星隈童子の心に埋まらぬ虚空が開けた。

 

 それが、まるで恋人が失われたかのような喪失感だと気付くのに、二十年もかからなかった。

 恋慕の想いを向けている訳ではなかった。ただ、只人の身でありながら怪力乱神の星隈童子にあれほど食い下がれた男は、今も昔もただ葦名一心一人だけだったな、と、寂しい思いを連ねるばかりだ。

 

 今日も、滴る水を盃に注いで酒となし、それを呑み干すだけの、空虚な一日を過ごしていた。

 

 

 一心よ。お前は何処へ行ってしまった。

 この星隈に、寂しいなどと思わせたのはお前だけだ。

 

 

 童子の心にぽっかり開いた大穴は、もう何があっても埋まらないのだろうか。それが例えば、一心ほどの古強者がまた来たのなら、それは僅かばかりでも埋まるのかもしれない。

 だが、あれ程鬼との決着に執心であった一心が、けりを着けずに来なくなったのならば、それは最早、二度と完結しない物語の頁をひたすらに捲らせ続けるような意味の無いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ……ざり。

 

 

 

 耳が揺れる。土を踏む草履の音だ。

 

 まさか、と思い、岩のように梃子でも動かさなかった首を上げ、その姿を見ようと目を凝らす。

 

 確かに、人だ。人間だ。

 帯刀しているのが見える。背に大弓を背負っている。その立ち姿は一心にも似ていたが────だが、やはり違う。

 この独り寂しく酒を煽る鬼の噂を聞きつけでもしたか、見知らぬ男に星隈は落胆した。

 やはりもう、二度と会えぬのだろう。

 

 葦名一心は、よもや死んだのだろうか。

 

 いままで考えずにいた可能性。一心の死。

 それは、あの老齢ならば有り得てしまう可能性だ。信じたくはなかった、考えたくなかったもの。一度思案してしまえば毒のように頭の中を駆け巡り、いつしか本当の意味で胸中に絶望をもたらしてしまうと知っていたから。

 

「……貴様が、鬼か」

 

 男は、声色低く尋ねた。

 

「ああ、そうだとも。人間が、この星隈童子に如何なる用があって参った?」

 

「単刀直入に言う。俺の名は葦名弦一郎、葦名一心が孫。星隈童子よ、俺は貴様の力を借りたい」

 

「───ほう? 人風情が、何の因縁があって鬼の力を借りたいと?」

 

 弦一郎は弓も刀も傍に置き、深く頭を下げ、土下座をした。頼み、というよりも懇願に近かった。

 

「葦名は、存亡の危に瀕している。俺は、葦名を救う為ならば、外法にも身を染める。だが、内府の軍は強い。紛い物の赤鬼などでなく、本当の鬼が要る。───俺はおじい様から聞いたのだ、落ち谷の深い底に、ただ一人、倒せなんだ強者がいたと」

 

「おじい様か……一心のやつめ、息災なのか?」

 

「……俺の口からは言えぬ。だから──」

 

「だから来い、か。餓鬼があまり、鬼様を舐めるもんじゃないねえ。私が戦いたいのは一心ただ一人で、葦名とお前の敵ではないのだからさ」

 

「なんだと……」

 

 弦一郎は下げていた頭を上げて、その眼で童子の瞳を睨みつけた。愚弄されたから怒りを湧かせたのではない。葦名の明日にかける命懸けの覚悟、決意、それらを踏み躙るような言動に腹を立てたのだ。

 

「俺が貴様の事を舐めていると思うのか。貴様がおじい様に負けた鬼なのであれば、最初から招来のために落ち谷を訪れたりなど、するものか」

 

 正座をやめ、武器を握って立ち上がった弦一郎は、一触即発の雰囲気を纏わせたが、すぐにやめて踵を返した。背中を向けたまま、言葉を紡ぐ。それに次に反応したのは童子だった。

 

「おじい様が唯一勝てなんだ相手と聞いて、俺は逸る思いでここへ来た。それが蓋を開ければどうだ。ここには、好敵手一人消えただけで戦いなど捨てた、世捨て人のような風体の女がひとりいるだけだ」

 

「……何?」

 

 それは明確な挑発だと分かっていたが、鬼としての自尊心が、それを続ける弦一郎を見るたびに頭に血が昇っていくのを助けていた。

 

「ああ、失望した。草臥れた女など戦力になりもせん。俺は帰る。決して来ぬおじい様の幻想を見て、萎びていくがいい」

 

「……はははっ。そこまで鬼の本気が見たいのかい?随分と恐れ知らずな若造だ、面白いよ」

 

 握り拳に爪が食い込む。それほど全力の拳は、鬼の怪力ならば───

 

 

「────フンッ」

 

 

 空に向かって掲げただけの、僅かな動き。

 しかしそれでも、まるで突風が吹き荒れたかのように周囲の空気がびりびりと震えた。

 

 それまで失望の目を向けていた弦一郎の瞼が、大きく見開いた。それを見て、童子は喉を鳴らした。

 

「うっくく……本気になったね。この力が欲しいのだろ?」

 

「……俺が欲しいのではない。葦名のために必要なのだ」

 

「どっちでも変わらんさ。鬼に頼み事をする人間が、鬼に示さねばならない事はただ一つ。───分かるだろう?お前も葦名一心の孫なのならば」

 

「……フーッ…………いいだろう」

 

 刀を抜き、それが始まりの合図だった。

 

 

 

 

 弦一郎は軽快に、だが姿勢を低く保ち、素音もなく駆け寄る。鞘を投げ捨てながら抜き身の刀の切っ先を向けて間近に迫る。

 

 童子もまた、拳を振りかぶり、ただ勢いのままに突く。それは一心と凌ぎを削っていた頃とは比べ物にならぬほどなまくらだが、それでも速さ、威力、どれをとっても当たれば致死のそれだった。

 

「……!!」

 

 だが星隈童子は、弦一郎の足さばきに目を見開いた。

 まるでふわりと宙に浮くように飛び跳ね、刀を二度、三度と煌めかせた。振り抜こうとした拳を横に薙いで刀に沿わせ、攻撃に合わせるように二度拳を這わせるが、それは四度、五度と続き、締めの斬撃が彼女の手の甲をすぱりと斬り裂いた。

 鮮血の煌めく中、童子の瞳には鋭く獲物を見つめ続ける猛禽のような、弦一郎の曇りなき眼がばかりがあった。

 

 良く整った刃、それならば鬼の皮膚を裂くこともできる。だが、血が滴るほどに深い切り傷を与えたのは、正面からでは二人目だった。

 死んだような目だった童子の瞳孔が開き、光を伴って大いに輝いた。往来の一心を見たかのような、感動さえ覚えていた。

 

 そこから更に畳み掛けるように、上段からの振り下ろしを見せた。腕の筋肉を使ってそれを弾く。

 

「甘い!」

 

 ───が、それには次がある。

 

「おぉぉッ!!」

 

 二度目の一文字。

 それは葦名に伝わる流派技が一つ、一文字・二連。

 腕の筋肉と、刀の重み、そして身体全体を前に勢いよく踏み込ませる事で得られる、落雷の如く叩き斬るための高速かつ重い斬撃である。

 

 一度受け、弾いたつもりであったはずの叩き斬り。

 正確に二度放たれたそれは、左腕を斬るに留まらず、下まで斬り下ろした事で、童子の踏み込んでいた右の膝小僧に刃をめり込ませた。

 

「ふうんッ!」

 

 身体中を強ばらせ、刃が抜けぬよう仕掛けた。一心はこれをした時、別の武器を以て刀を奪い返しに来たものだが、弦一郎がこれにどう対処するかを見たかったのだ。

 

「むッ…抜けぬ…!」

 

 そのまま左腕を横に大きく広げ、勢いのまま薙ぎ払おうと振りかぶった。

 

 弦一郎はそれをすんでのところで飛び退いて回避し、後転しながら背中の弓を取り出し、目と、切り傷の深い膝を目掛け、二射放った。

 

「おおっ!?」

 

 一本は目を抉る前に寸前で掴むが、膝を狙ったものは間に合わなかった。着弾点は肉と肉の合間、刀が刺さっていた部分だ。痛みに笑みが零れた。

 しかも、その隙に間合いを詰め、刀をもう一度両の手で掴むと、弦一郎は力一杯に引き抜いた。痛みよりも、笑って力が抜けた事で筋肉が弛緩したのだ。

 

 刀と弓の、両利き。

 歳こそ若いものだが、武の才ならば、もしや一心にすら届きうるかもしれない。

 

 心中で湧くものがあった。葦名の剣客とは、あるいはこの男のような強者ばかりなのか。童子の胸の内に、葦名の地への強い興味が芽生えた。

 

「考え事など……ハァッ!!」

 

 気合いと共に、弦一郎の周囲からちりちりと髪の毛の逆立つような気配がする。

 それは、何よりも童子を驚かせるに相応しいものだった。

 

「───それほどに見たいのならば、見るがいい」

 

 刀が、金色の閃光を纏う。それは何度も刀身の周囲を反芻し続けた。それは人の身で扱えるとは到底思えないほどの力。弦一郎の言う外法の意味が、この時童子は初めて理解した。

 巴の雷。それは、人の武器に雷電を宿す業。流派というものではない、ただ力としてこれが存在する以上、弦一郎はそれを納め、そして究めている。

 

 弦一郎は人とは思えぬほど高く飛び上がり、身を翻して刀の威力を最大限にまで高め、回転しながらその刃を振るった。

 本命は刀ではなく、雷の方だ。

 自ら飛び上がる様は雲、繰り返す刃は雨、ならば雷を纏った斬撃とは、言わば雷霆。

 

 奥義。

 それは、今の葦名にて葦名弦一郎だけが振るう、極められた必殺の剣。一心と流派を同じくしつつも、袂を分かち外法に身を落とした弦一郎が振るった、雷撃の一閃だった。

 

「あが、ぐ………はっ」

 

 またも裂かれた腹は、そこから雷が地面に流れ、肉体をいかずちが迸り、打雷によって身体の内側を直に焼かれるような痛みが走った。

 

 弦一郎は、刀に手を這わせるように構えたまま動かない。それが童子によって合格か否かを見極めたかったのだ。童子の意に沿えたのならばそれまで。そぐわなかったのであれば、幾度でも喰らわせるのみ。

 そういった、不退転の覚悟が、弦一郎の視線にはあった。

 

「良い……お前も良いな……!」

 

「む、ならば──」

 

 もっと見せてみろ!

 星隈童子は叫ぶ。彼女の咆哮が如き魂の言葉は空気を震わせ、外目には歪んでいるようにさえ見せた。弦一郎もまた一筋縄では行かないことを予見しつつも、実際に続けるとなれば消耗も考えねばならなかった。

 一心の容態が知れぬ今、最後に出せる戦力として自らの体力を温存したい狙いもあったが故だ。

 

 だが、この戦いで童子が納得をしてくれるのならばと思えば、全力を出し惜しみしていることなど出来なかった。

 

「ゆくぞ!」

 

「応、来い!」

 

 距離を離すのでなく、近付きながら弓を構え、一、二、遅れて三本目の矢を射る。その尽くを正面から拳で叩き割るが、すぐに二連続の薙ぐ様な連撃を放ってきた。

 腕の筋力を活かした強引な防御で刃を通さぬよう防ぐが、そこからまた、浮き舟の如く浮かびながらの連撃が襲い来る。

 

 息をつかせぬ攻めも、一心のものとは比べるに値しない陳腐なものであるが、その鋭さばかりは流石に孫を名乗るだけはあった。なにより接近のための布石とする動きが童子に感動を生む。それは愚直に近付いて己が技量で対手を斬り伏せるだけの一心では決して使わないだろう搦手。

 

 しかし、布石として扱うばかりでもないようだ。

 先程放った矢の本数は三、そのどれもが心の臓、眼、額を狙っているのがわかっていた。可能であれば致命となる一撃を与えようとする、あくまで勝ちの姿勢で臨む射撃である。

 

 弦一郎は剣と同じか、いやそれ以上に、弓の技に秀でた男のようだった。

 

「面白い!」

 

 少しばかり距離を離して、気力だけで衝撃波を放つために、大きく息を吸い込んだ。弓が来たとて弾いてしまえば、こちらのもの。

 童子はそう油断していた。

 

「……はぁッ!」

 

「──おおっ!?」

 

 弓ではなく、己自身が矢のように身を捩り、反動で鋭く飛び上がって刃を突き出す。肉体をこそ一矢とする、刺突の一撃は、矢を弾こうと考えていた童子の掌を穿った。

 

 そのまま振り上げて手を裂こうとした弦一郎の刀を、もう一方の手で止めた。弦一郎はそれを抵抗の意として捉え、刀を離して飛び退け、弓に矢を番えようとするが、それさえも手で制し、刀を引き抜いて返した。

 

「お前も、かなり良い……。一心程じゃないが、興味が湧いた」

 

「……ならば」

 

 刀を拾い上げ、振り抜いて血を払い、陣羽織の肘の付け根で残った汚れを拭い去ると、落とした鞘を回収して納刀する。

 望む答えが得られると思い、険しかった表情もまた、僅かに温和なそれに戻った。

 

「……手を貸すかはまだ決めてない。ただ、一心に会ってみたいからな」

 

「…今はまだ、それで構わぬ。おじい様も喜ばれるだろうな」

 

 童子は、いつから落ち谷の底にいたかもう数えてはいない。それでも人の時勢の流れに準えれば、長年に相当するだろう時を一心との対決のためだけに谷底で過ごし続けたことは想像に難くない。

 

 故に、決断は固かった。

 長く会わなかった友に顔合わせをしたいという、郷愁にも近い感情を、星隈童子は初めて覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少なくとも、そう言って話を終えた勇儀の手元にまだ星熊盃があるということは、葦名一心はこの後、ついぞ彼女から盃を得ることがなかったのだろうな、とパルスィは内心で姿の知らぬ飲兵衛爺を哀れんだ。

 

「それで、葦名城へと邪魔する運びとなった───ということだな」

 

「じゃあお腹の傷は、その一心の孫から付けられたものってこと?」

 

「実はな。とは言っても、一心から受けた傷も妙に治りが遅くってさ。はらわたの何かが治り切ってなかったんだろうなあ。それで受けたのが雷電を纏った斬撃と……つまりは、私は祖父と孫の二世代に渡って同じところを斬られたって事だな」

 

 ははは、と勇儀は快活に笑って、パルスィからの憐憫と呆れとが入り交じった視線から目を逸らしつつ、つまみの鮎の刺身を口に放り込み、猿酒を喉に通した。

 酒の格を高める星隈盃であるが、どのように格の高い酒と成るかは、ある程度は想像通りになる。今回は竜泉ではなく、一心から話に聞いていた、猿が木の洞なんかに溜め込んだ果実が偶然に発酵した事で作られるという猿酒を作り出している。

 

 こくり、こくりと盃を傾け、舌の上で転がしながら喉奥へと流し込んだ。口の中に含んだ時から相当の辛さに見舞われ、焼けるような熱さが口を蝕む。

 だが、その内側でどこか、何かがおかしい。辛いはずの酒は、何故かするりと喉を通った。辛い、確かに辛いのである。ただ、呑みやすくもあった。

 そしてその理由に納得が行った。

 

 数百年の間を竜泉の味わいだけで過ごしてきたが、なるほど確かに、と一心の言葉を脳裏で繰り返す。辛い、熱い、そして美味い。ましらの蓄えた果実が酒となる時、濃厚で辛く、味わい深いものとなるのだと。

 

「んッ…くぉぉお……熱っついな…こりゃ癖になる……」

 

「……それ、飲んでみてもいい?」

 

「ん?もちろん。──あ、辛いから気を付け」

 

「───辛っっっっらい!!なにっ、これっ!!?」

 

 勇儀の警告を聞き入れる前に、運悪くも口許に運んでしまったパルスィは、その喉を焼かれるような刺激に思わず嚥下しそうになるのを咄嗟に堪えた。

 

「言うのが遅かったね、ごめんごめん。……でも、どう?」

 

「どうって…ん………あ、ちょっと甘みもある? …そっか、果実が発酵したものだから、果汁の風味も味に現れてるんだわ」

 

「やっぱり、そう思うかい……竜泉もいいが、ましら酒もまた堪らないねえ…」

 

「あ、待って。その二つで比べるなら私は断然竜泉派よ!だって甘味を感じるまでが辛すぎるんだもの!」

 

「えー」

 

「『えー』じゃないの!だって竜泉は良いお酒じゃない。透き通るような色で、お猪口の底の柄が際立って美しいわ。とっても濃醇で、味わい深くて、お腹に沁みるような暖かさと心地良さがあるし。人里から取り寄せた濁酒じゃあ、相手になりもしないわね」

 

「おお、辛辣」

 

 パルスィはもうすっかり、竜泉の虜のようだった。酒は人が作り出したものの中で、最も妖怪に好まれる品だ。

 

 パルスィは橋姫という妖であり、元は嫉妬に狂って橋から飛び降りた人間が変じた妖怪であるのだが、それは人が妖に変容してしまう場合だけだ。ならば元から橋姫らしいパルスィは、なぜ橋姫なのだろう。

 

 勇儀は緑眼の綺麗な彼女が、美味しそうに新しく注いだ竜泉を少しずつ呑むのを見つめた。

 

「ん……ん?なに?」

 

 勇儀は何でもないと笑いながら、指を櫛に見立ててパルスィの髪を梳かす。急に触れられて少し驚いたようだが、すぐに大人しく手に体重を預けてきた。住処を出てくる前まで寝ていたらしく、髪の毛が僅かに絡まっているのがわかった。

 

 

 

 

 

 ───橋姫様の髪を梳かしながら久々に酒の回る感覚を思い出した。初めて酒を飲んだ時の記憶。酒呑童子から勧められた安酒は辛く、そして美味かった。

 

 酒が回ってか、腹の古傷がほんのり暖かかった。姫様の身体から感じる温もりもあって、机に突っ伏すように微睡んで───。

 

 

 

 

 

 

 

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