昔を懐かしむ、鬼の話   作:つも

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勇儀の章・前

 

 

 

 

「随分と弱っちまったねえ」

 

 星隈童子と葦名弦一郎は、二人して、ある男の前に座っていた。一方はあぐらをかき、もう一方は正座を崩さない。

 二人が向く先には寝たきり動かない老人の姿があった。弦一郎にとっては、ふらりと起きては剣の稽古をする姿が記憶に新しいのだが、童子にとってその寝たままの姿はかなり衝撃的だった。

 

 当然、童子が覚えている一心は最後に会った時のものだ。雄々しく刃を振るい、鬼をさえ屠り得たほどの剣豪。

 それが今はどうだ。僅かな寝息も立てずに床に就き、そこにいるだけで強い気配を感じた頃と比べると随分遠くかけ離れた姿ではないか。

 

 振る舞われた葦名の酒を一口呑み、一番のため息を吐いた。千年以上の時を生きる鬼には、二十年の月日など泡沫のようなものだが、しかし生きてきた上で一心と過ごした時は、あまりにも濃厚だった。それが童子にとっては、あまりにも残酷な話だった。

 

 

「おじい様は病にかかっておられる。薬師のエマが、頻繁に診てはくれているが、もうあまり長くないそうだ」

 

「……そう、かい」

 

 

 部屋を見ると刀など飾られているが、どれもさしたる装飾など見受けられない、無骨なものだけだ。

 風通しのよく、風水の良い場所で寝られているなと思うと、谷底よりももっと過ごしやすい場所はあったろうなと、自分であそこに寝泊まりの判断をしたことがくだらなく笑えることに思えた。

 

「星隈童子よ。おじい様は今は眠っておられるが、後になってまた来れば起きられるだろう。それまで───」

 

 弦一郎が腰を上げ、一心の寝室を後にしようと言うが、童子にはそこを動く気にはなれなかった。

 

「私はな、弦一郎。一心に惚れ込んでいたと思う」

 

「──おじい様か」

 

「ああ。こんなに強い人間は見たことがない。鬼に切り傷をつけて、攻撃を躱して、受け流して。そんな事ができる人間は今まで無かった」

 

「だろうな。貴様の力と十全に渡り合える者が、そう居るとは思えん」

 

 軽く腹帯を巻いて止血しただけの腹をさする。まだ塞がり切っていない傷の深さが、葦名一心の流派と、それを引き継いだ弦一郎の外法の力、そしてそれらの全てを使わせてなお劣勢に追い込む内府とやらの軍隊の強さを垣間見れる。

 

 それで童子は、弦一郎が鬼を招来しようと企てた理由に思い至る。この男が命を懸けて挑発をしたのは、怪力乱神の摩訶不思議な力を頼むためにか、と。

 

「内府軍って、強いのか?」

 

「……貴様やおじい様に比べれば、強くはないだろう。しかし彼奴等の強みは装具の質と、数を頼む用兵にある。なればこその、この───」

 

「雷、か」

 

 いかずちとは、神の宿るものであり、それは本来人の身に降ろすことはできないはずのものだ。それは雷神への冒涜を意味し、神罰をすら恐れない所業である。

 鬼でさえ、神を恐れるが故に。

 

 だから異端の力なのだと、弦一郎は自らの収めた力を自虐的に語った。己では祖父のような、葦名流を極めた剣士として完成することはできぬから。

 伏せられ、畳をばかり見つめる弦一郎の心境は、今なお葦名存亡の危機と、葦名流を極めた理想の自身と、そして現実との狭間に揺れている。

 

 もう少し時が許すのならば、流派を学び、極め、一心の志を受け継いだ英傑として生きる道もあったのだろうに。

 

「……俺は」

 

 弦一郎は、まだ年若い。

 内府軍の小勢を撃退する為、鬼庭形部雅孝率いる葦名騎馬隊を引き連れ、十四の時に初陣を果たした。

 それから十年、修練に明け暮れたものの、養父たる一心の衰弱と内府軍の勢い、そして時間をかけても僅かな成長を続けるばかりの自らに焦りを隠せなかった。

 

「どうした?」

 

「……いや。俺はやるべき事がある。貴様はこの葦名においては客人。好きに見て回るといい」

 

 ───如何なる外法に身を窶してでも、俺は。

 

「俺とて今は、葦名の総大将の身だ。この国を守る為に、やることはいくらでもある」

 

 国を護るためならば、人すら───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ん…」

 

 

 ぱちり、と薄目を開く。

 懐かしい夢を見ていたような気がした。勇儀は身体の強ばりを僅かに感じつつ、机に預けていた体を起こした。それと共に、毛布がぱさりと畳の上に落ちる。

 

 若干目が冴えてきて、周りを見渡した。徳利と猪口が一人分置かれており、それは盃の隣にあった。その傍には、同じように毛布にくるまって深く眠りこけるパルスィの姿がある。

 よく考えれば、毛布など被った覚えがなかった。これは話の途中で寝てしまった勇儀をパルスィが気遣ってくれたということだろう。

 

 親友の気遣いに口許が緩み、小声で感謝を呟くと、そのまま席を立って静かに宿を後にした。

 

 

 

 旧地獄街道は、朝も昼も、夜でさえその風景は変わらない。それは当然の事で、地獄の名の通り地の底にある街である。地上から降りてくるための縦穴はろくな整備もされず、飛ぶ事ができる妖くらいしか行き来する事は出来ない。

 

 故に、朝も昼も夜も、関係ない。

 仕事をし、酒を浴び、宴を催し、寝る。

 それが楽しかった。良き友人にも出会ったし、飯が美味い。特に葦名の酒に合うつまみがあるのが好い。

 

 しかし、戦いには巡り会えなかった。

 当然である。幻想郷を統治する大賢者は、人と妖との均衡を保つため、この狭い世界にひとつの法をもたらした。それが無ければ、幻想郷を封じ、あるいは外の世界から守るための結界は破られ、この世界が壊れるのだから。

 

 だから、野良の鬼だった頃が懐かしくないと言えば嘘になる。後悔も多分に有るのだろう。そうでなければ未練がましく酒に浸り、それ以上に夢など見るものか。

 

 

 

 

 街道を歩き、いつしか橋に辿り着いた。その橋は外と中とを行き来するための要衝であるものの、今の時間は誰も通らない。

 

 橋から飛び降り、浅い川底に足をつけた。どこから流れている水なのかなど知る由もないが、とにかく冷たい流れが身体に溜まった熱を急速に排出していった。

 

 手で流水を掬い、それが指の隙間から零れていくのを見届ける。この歳───数えて千より先はもはや覚えてなどないが───になって水遊び、というわけではない。

 水の流れを見て、思い出すことがあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「よくお越しくださった、御客人。某はこの流派伝場にて皆伝を名乗る事を許されました、水生氏成(みぶ うじなり)と申す者です」

 

「ほぉぉー…お前さんは一心から免許皆伝を名乗ってもよいと、言われているということか?」

 

「左様です」

 

 立派な髷をあしらった、青い道着を纏う男は、掛け軸と供え物の前で、ゆっくりと頭を下げて自己紹介をする。氏成の腰には、よく手入れされた鞘が見える。握りもほつれが見えないし、鍔の輝きは、所々の装飾が剥げながらもそれを失ってはいない。

 

「皆伝って事は、お前も一心のように強いのか」

 

「滅相もありません。一心様は、今なお強さを追い求める方です。現に、あのお体で道場に立ち寄られた時、なんと仰ったと思われますか?」

 

「……なんだろうな?」

 

「『まとめてかかってこい』と!それでみな、のされてしまうのです。某も佐瀬も、侍大将を務めるような強い流派伝授者でさえ」

 

「ははっ、奴らしい!まだまだ元気そうじゃないか!」

 

 氏成もまた、笑った。

 そうして、星隈童子は食客として扱われることを主君・弦一郎から聞いていた水生氏成から、特別にとあるものを見せてもらう運びとなった。

 

 大切に保管されていた、幾つもの和紙を束ねたものが、童子も直ぐにそれが伝書であるとわかった。

 

「葦名流のやつか?」

 

「はい。許可も既に得ていますから、ご遠慮無く」

 

 氏成から葦名流伝書を受け取り、綴じられたそれを開いた。初めの頁に健筆に描かれているものが目に入ったが、その仔細は技ではなかった。

 

 戦に勝つ、その一事をこそ至上とし、愚直に上を目指し力に貪欲であれ。水の流れるが如く強くあれ。

 

 それは、心構え。葦名という国を興すための旗揚げから、葦名という地を統一するための戦い、そして内府軍との血戦。それらすべての対手を己の力だけで下し続けてきた一心の、強き剣士ならばこうあるべきという教えだ。

 

 確かに、その後の項には流派の基礎となる剣技や構えが描き連ねられている。だが、それらを極めたからといって、終わりではない……そう綴られている。

 

「これ……氏成って言ったな。お前はどこまで収めた?」

 

「某は、その伝書に書かれたものは、全て。何より我等の得意とする秘伝、葦名十文字とは、葦名流の技に精通した者にしか許されぬ技でありますゆえ」

 

 十文字か……と、童子は一心との戦いを想起する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのォ……勇儀さん……?」

 

 ふと、我に返った。

 旧都を取り仕切る立場の鬼が川に立ち尽くしている姿は、客観的に見れば変事に写るだろう。

 それで、声をかけてきたというのだと気付いた。声の主にも聞き覚えがあった。高慢で自尊心に満ち、だが表面を取り繕う賢さがある。それでいて、腕っ節の強さを隠す狡猾さもあるようなやつだ。

 

「おう、誰かと思えば鴉天狗じゃあないかい」

 

「ええ、まあ……見ての通り射命丸ですけれども」

 

 地上にある妖怪の一勢力。妖怪の山なる場所を根城とし、鬼が地下へ移り住んで以降、山を牛耳ることとした天狗らの一人。

 ブン屋……つまり新聞を刷り、売り捌く天狗であり、その名前を射命丸文と言った。

 

 川から出て、冷えた河川敷に座り込む。下駄の音を鳴らしながら、その脇に文は立った。機転が利き、また気も利く女だ。次の言葉は間違いなく───

 

「それじゃあ、またあとで───」

 

「まあ待て」

 

「ぎょっ」

 

 踵を返そうとした文を呼び止めた。既に歩き出そうとしていた足が止まり、硬直する。やっぱり予想通りだった。

 

「お前はいつもいつも、私とは話そうとしないねぇ。寂しいじゃないか、なあ」

 

「ア、イエ、ソノ」

 

「まあまあ、お前に聞きたいこともあるし。少し付き合いなよ」

 

 まるで死罪でも宣告されたかのように固まる文。その理由に思い至って、今回は聞きたい用事があって付き合わせるものだから、少しは優しくしてやらないとな、と思って笑った。

 

「安心しなって、酒の場ではないから」

 

「……?」

 

 今度は文が、その言葉に怪訝な表情を隠さなかった。

 

 

 

 

 

「あー、結局酒は飲むんですね」

 

「勿論だとも。こいつは私の血だからね」

 

 酒に付き合わせるわけではないが、こちらは遠慮なく飲む。酒が抜けている状態そのものが、収まりが悪いと言えばいいのか。中毒ではないが、昔に京を脅かしていた頃からの付き合いなので、今更抜きにすることも出来ないだけだ。

 

「それで、本題はなんでしょう?この後、地霊殿へ取材に伺いたいので、時間もあまり余裕が無いのですが……」

 

「地霊殿なんか行くのかい?腹芸の多いお前さんじゃ、あれの相手は苦手だろうに」

 

「あ、いえ。さとりさんだけに取材をする訳ではありません。近年なんとも信じられないことですが、人里における妖怪への理解が進みつつあるという話がありましてね。その一助として新聞屋であるこの私に、妖の暮らす土地への取材依頼があったのですよ!」

 

「…………つまり?」

 

「ですから、人里の方々のために幻想郷を見て回ろうという話です。勇儀さんも取材対象ですよ」

 

「…私もか?」

 

「ええ」

 

 ぐい、と盃を傾けて葦名の酒を呑む。

 葦名は雪深い地であった。なれば嗜まれる酒とは、身体が温まる甘い風味のものが好まれ、上等なものほど、農民にも武士にも等しく愛されたものだ。

 

「んぐっ……くはあっ……」

 

「…嫌ですか?」

 

「……別段、人前に露出するのが好まないだけさ。それに鬼というのは人を怖がらせるのが生き甲斐、それは妖ならば誰でも逃れ得ぬ話だと思うがね。文、お前もそう思うだろう?」

 

 盃を差し出し、中身を呑むか確認するが、首を横に振られてしまう。文とて酒は好むが、鬼と比べるほどそのキャパシティが多いわけでもなければ、常飲するほどでもない。

 そして酒の誘いと同じように文は、敢えて妖怪という種族そのものの意見としては言及しなかったが、一鴉天狗、一個人としては否定をした。

 

「いえ、生憎と今は、ルポライターとしての名の方が知れ渡っていますから。で、結局のところ取材はさせて頂けるんでしょうか?」

 

 何を聞くのかは定かではないが、妖怪が幻想郷維持のために賢者から与えられた仕事、それらに対して取材をするのならば、根掘り葉掘り聞こうとしてくるのは目に見えている。

 無論それらを話してやっても、鬼達がこなしている業務にこそ支障はないが、ただ取材に応じるのに無条件であるというのも、面白みのない話である。

 ぴっと人差し指を立てて、勇儀は口を開く。

 

「天狗は剣術に優れ、源義経(みなもとのよりとも)に剣を教えたというじゃないか」

 

「………? ………あー!」

 

 文は最初、何を言っているのか分からないという表情を浮かべたが、すぐに納得が言ったように笑った。

 

「それ、鞍馬ですね。牛若丸のやつは覚えが早いだのなんだの、よく話していたのを覚えてますよ」

 

「知り合いか」

 

「知り合いも何も、同じ頃合いに天狗として生まれた友人でしたねえ。あ、勇儀さんが知ってるウチの山の鞍馬は、ありゃ別人ですけどね。同じ名を名乗ってるだけの若造ですよ」

 

「………」

 

 懐かしさに口許を綻ばせ、嬉々として話し始めるも、すぐになぜその話題を出したのか疑問に思ったことだろう。こと、苦手とする鬼が……特に大江山の四天王であるほどに力を持った勇儀がわざわざとそんな話を振ったとなれば、不気味極まりないはずだ。

 

「……なんで急に?」

 

「お前も剣が扱えるのか?……と思ってな」

 

「刀術ですか───ふむ、覚えが無いわけではありませんよ。長く生きた身ですので、戯れに身につけたこともありますけど……」

 

 手を握ったり、開いたりしながら文は答えた。当時の事を思い出して懐かしみを覚えているのだろう。

 

「そうか。ならお前は、この川流れをどう見る?」

 

 眼前の河川は、清いせせらぎの音が絶え間なく続いている。太陽の光こそ差し込まない旧都ではあるものの、毎日を宴のように過ごす大馬鹿者どもが屋内で着ける行燈の灯火に照らされて、火の色を映し出す鏡面のように美しく輝いている。

 それらはまるで夜景の中、微かに残った夕陽の明かりを水面に照らしているような情景を思い起こさせた。

 

「どうって、良い川ではないですか。風情のある、好きな雰囲気ですが」

 

「お前もそう思うかい。よかった」

 

「あの。……あの、怒らないで聞いてくださいね。何か、仲の良い人に毒でも盛られました?」

 

「言ったなぁ?……人がセンチメンタルに浸るのがそんなに珍しいか?」

 

「まあ、そこそこには。今だから言いますけど、貴女方が山を統治してた頃の横暴な雰囲気は全く感じられませんね」

 

「正直言うなあ。中々好感の持てる」

 

 確かに、と勇儀は思う。

 常に酒盛りをしているような奴らが、四天王を名乗って山の妖怪達を無理矢理に酒の席に押し付けてくるのだ。今にして思えば、一心から直に手合わせをさせられた、道場の連中にも同じものが感じられたろう。

 

「……少し感傷的になっちまってさ。取材は受けてやる。少し昔話に付き合ってくれないか?」

 

 昔話、というワードにピンと来たのだろう。

 どこかから取り出したのか、いつの間にペンとメモを手に持っており、いつでも来いと言わんばかりだ。

 

「……まだ取材の番じゃないけど」

 

「まあまあまあ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼヒッ、ゼヒッ……く、そ……内府の連中、め…」

 

「おい」

 

 葦名の城の城下にて、小競り合いが勃発していたという話を聞き付け、星隈童子は様子を見ようとそこを訪れていた。城下の門のそばに、陣羽織を身に付けた男が一人、石壁に背を預けて血を流していた。

 男は童子に気付くと、一際大きな咳をして血の塊を吐き出す。周囲には朱に塗られた鎧を纏った雑兵が数人、倒れており、それが内府軍の連中であるとすぐに分かった。

 

 ただし、それ以上に多くの葦名兵が屍となって横たわっているところを見るに、この隊は大きな被害を出しはしたが、辛くも撃退した、といったところだろう。

 

「ああ……童子殿……このような格好で、あいすみませぬ……」

 

「酷い怪我だな。内府の連中がやったのか?」

 

「げほっ、がふっ……左様です……」

 

 その物言いに、僅かに聞き覚えがあって、面を確かめようと顔に手を伸ばし、面頰を取り去った。それはやはり見た顔で、葦名流伝場にて伝書を授けた水生氏成であった。

 顔見知りと知るや否や、童子は焦りが胸中に芽生えるのを感じた。鎧を脱がせ、血の吹き出る場所を、着物を引きちぎって布切れとし、圧迫する。

 

 童子の頭の中で、私は何をやっているのだろう、顔見知りに死なれると目覚めが悪い、という二つの気持ちがせめぎ合った。

 これが一心や、弦一郎のような童子を打倒してくれる可能性の秘められた人間相手ならば、自分の今の行いを理解できる。死ぬ前に一戦交えたいからだ。しかして、この男と童子とは、まだ一片たりと拳を合わせていない。

 

 だが、自分の行いを理解できない間にも、氏成の死が近付いているのがわかっていた。

 

「死ぬのか?」

 

「…………手は、まだ……」

 

 氏成は、一所懸命に止血を続ける童子の耳に、言葉を吐き出した。

 曰く、人の死を遠ざけ、死なずの研究をしている者があると、弦一郎は言った。葦名存亡の危機に立ち向かうための、勇士を募るために、死なずの強者を作り出したいと、一部の武将を募ったのだと。

 

「そいつは、誰だ?」

 

「道順殿………」

 

 それきり、氏成は言葉を発せなくなった。血を流しすぎ、衰弱しきってしまったからか、あるいはもう、命の火の消える、瀬戸際にあるのか。血の吹き出そうな腹を抑えながら、童子は氏成を抱きかかえた。

 

 

 

 

 

 人を頼って葦名城を奔走した童子が辿り着いたのは、湿り気酷く、息の止まるような閉塞感のある地下水道であった。

 常ならむ雰囲気は、人ならば怖気付いてしまうような深淵の様相を孕んでいる。

 

 桟橋に浮かんでいた小舟を頼んで、水路のさらに奥まった場所まで進んだ。向かい側の桟橋が見えてきたと同時だろうか、不意に鼻腔を血の匂いがくすぐった。

 今出ているばかりの鮮血の匂い、これは氏成のものだ。であれば古いものはなんだ。千差万別で、僅かに劣化しただけのものだと思えば、極端に古いようなものまで匂ってくる。

 きな臭さを感じつつも氏成を運んだ先に待っていたのは、顔の大半を黒子のような白い覆い布で隠した男だった。

 

「おや、貴女は───おお、氏成どの。お労しいことです……さあ、こちらへ…」

 

「道順だな。こいつは助かるか?」

 

「ええ、この道順、師・道策に誓って嘘は申しませぬ。むしろ、死ぬ前に連れてきてくださって、助かりました……」

 

 白装束に身を包む、医療者といった風体の男は、縫合措置を続けながらも童子に礼を述べた。純朴そうな声色であったが、邂逅した場所が場所のために、一層不審に思わせた。

 

 だが、自然治癒にばかり身を任せていたが故に、医術の知識など一切合切を持ち合わせていない童子であり、だからこそ道順の言葉を純粋に信用するしかない。

 

「ならいい。ところで聞きたいのだけどさ」

 

「ええ、なんなりと」

 

「『死なずの研究』っていうのは何だ」

 

「───何方から、それを?」

 

 道順は、死なずという言葉を聞くや否や、視線だけを、まるで鎌首を擡げるように童子へ向けた。

 妖怪とて、人の世における常識など知っている。それこそ、鬼とて避けられぬ死を、人が克服できる道理が童子には分からなかった。それ故に禁忌だと考えずとも分かるし、それに言及もする。

 ただ、鬼が手ずから運んできたということは、少なくとも死なれたくない人間ということだ、()()はそう判断した。この人間を治療できるのもまた、私だけなのだ…と。

 

「まあ、よいでしょう。どの道、この方の傷をお治し致しませんと……」

 

「まあそうだな」

 

 腕を組み、治療行為が終わるまでじっ…と道順と、その手元とを睨み続けた。何か事ある事に指摘をするつもりなのだろうか、と聞く間もなく、轟音のような声が道順の耳を劈く。

 

「…おい!!」

 

 口撃ならぬ攻撃に、思わず肩を大きく跳ねさせ、しかし手許のずれなく目だけを向けた。

 

「っ…………なんです?」

 

「その針は何に使う?」

 

 どうやら、医道というものを分からないようだなと推測しつつも、変に誤解をされてしまわないよう、言葉を選んで返答する。

 

「これは、縫合です。傷口を物理的に繋ぎ止め、傷が自然に治癒するのを助けるのです」

 

「ふうん────おい!それは?」

 

「これは───」

 

 

 

 

 

 

「これで、治療はおしまいです。……ほら、何もしませんでしたでしよう」

 

 童子は近寄り、水生氏成の容態が、良くなったとまでは言わずとも落ち着いた状態にまで回復したことはわかった。バツの悪い顔で、何度も脅かしたことを謝った。

 

「んん……わかった、認めてやる。妙に疑って悪かった。が、弦一郎の奴がどうして死なずにこだわってるかは教えてもらうぞ」

 

 道順が死なずとされる何かを研究しており、弦一郎がその得体の知れない()()を欲していることまでは、氏成からの言葉で聞いていた。だが、童子が気になっていたのは『死なず』の実態。すなわち、妖が得られぬものを人がどうして得られるのか、その道理である。

 

「……それは」

 

「言えないってんならいい。お前の首根っこ引っ掴んで弦一郎に聞きに行くまでだからな」

 

 脅す必要などない。そうすればいいだけだし、そうする権利がある。正確にはその乱暴を通すだけの権威がある、というだけだが。

 それに、どうやら道順にも、流石に命の危機を感じてでも隠し通しておきたいという事柄ではないらしかった。

 道順は、隣の机の上に置かれた、一杯ほどの透明な液体を取り寄せた。それは一見して普通の水のようにも見えるが、だが周囲を取り巻く光景や、それを手に持った道順の様相が、それをただの水だとは思わせなかった。

 

「これは、変若の澱。童子殿、貴女が知りたがっている死なずとは、これの効力の事を指します」

 

「水に見える」

 

「ええ、実際水なのです。ただし、これは澱の源……飲まば、死に難くなる、だけですが」

 

「死に難くなる?死なずではないのか?」

 

「これを飲むことで、肉体が強靭となり、如何様(いかさま)にも見紛う生命力を発揮します。理性もまた、著しく退化しますがね」

 

 それは道順の手の内で、ゆらりゆらりと僅かな波を立てている。その水全てが、人、あるいは妖、はたまたその双方の、命の有り様を歪める悍ましきものに見えて仕方がなかった。

 それを嬉々として語る、道順の姿もまた、然り。

 

「……まあ、鬼の身で言うことでもないが。お前は命を歪めることに自らを呵責することはないのか」

 

「いえ、その……」

 

 

『道順、我が弟子よ……だからお前は未熟なのだ』 

 

「ああ…師匠、済みませぬ…」

 

 

 

 道順は顔を抑えて背を丸め、屈む。誰かの声が聞こえてきた。それは道順の事を弟子と呼んだが、周囲には誰もない。ただ、蠢く屍があるばかりだった。

 つまり、道順はひとりでに会話を始めた。しかし、その様子は酷く異様だ。まるで自分は師匠に叱られているのだと言わんばかりに、誰もいない空間に向かって謝罪を繰り返している。

 声色まで変え、他者を演じる。

 

「……おい、道順?」

 

「───童子殿、済みません。とにかく、変若水は下手には扱えぬものです……が、これを正しく用いること叶わば、きっと葦名は再興できます。弦一郎様も、我が師も…私とて、信じているのです」

 

 

「そうか……」

 

 踵を返し、寝かされている氏成を担ぎ上げ、礼を述べた。

 

「とにかく、助かった。不死の件については、改めて直接弦一郎に聞く事とするよ。お前はまだ、死なずの研究を続けるのか?」

 

「無論です。師も弦一郎様も、それをお望みが故に…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 葦名流伝書

 鬼、星隈童子の手に渡った、葦名流の伝書
 本来は、葦名流の剣技を学ぶためのもの

 葦名流は、若き一心の戦いの歴史であり
 老いてなお、一人の鬼を相手取り続けた
 その後、葦名衆の為に己の技を束ね、葦名流とした

 伝書とは、人の手によって引き継がれていくもの
 だが、後世に葦名流は存在しない
 それは揺るがぬ一つの事実を、暗に語っていた
 
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