「ちょっと待ってください! 2人部屋ぁ!?」
「ハイ、そのように承っておりマシタノデ……」
フロントの機械族さんに予約ログを確認してもらいながら、俺は内心かなり焦っていた。
ーー出張先の宿泊手配ミス……? いや、申請は先輩だった。先輩に限って、そんなミスしないはず……。
「あの〜、そのままでいいですよ〜」
カウンターの下からのんびりとした声がする。
俺の上司のカピバラ獣人の先輩だ。
ふわりとした雰囲気で、誰に対しても優しく、穏やかで、そして仕事も完璧。尊敬すべき上司だ。
「せ、先輩! いいわけないでしょ!?」
「まぁまぁ。経費節約と思ってさぁ〜」
先輩は動揺なんて全くしていない様子で、ほんわかとした笑顔を俺に向ける。
「……っ、いや先輩、でもーー!」
「空き部屋もないみたいだし、仕方ないでしょ〜?」
そう言いながらテキパキと手続きを済ませてしまう。
いつもの通り。結局、俺は先輩に頼りっぱなし。
男の俺と同じ部屋になってもあの落ち着いた態度。
先輩にとって俺なんて、やっぱり子供みたいなものなのだろうか……。
「おっ! 結構広いねぇ〜!」
部屋に着いた先輩が息を漏らす。
その可愛らしい後ろ姿を見つめていると、次第に後ろめたさのようなものが込み上げてきた。
「俺、やっぱり近くのホテル探してきますよ、先輩」
「勿体無いじゃん〜。別にいいでしょ〜?」
鼻歌交じりに荷解きをする先輩の背中は、俺を異性として意識していないと主張しているかのようだった。
つい、意地の悪い言葉が口を突いて出る。
「ダメです 俺だって一応、男ですからね」
「……へ?」
気の抜けた声を出して、驚いた様子で先輩は目を丸くして、こちらを見たままの格好で固まってしまった。
「あ、あの……先輩?」
「ぴゃ!?」
声をかけると、軽く浮くほど先輩は飛び上がった。
わたわたと手を振りながら取り乱している。
「そんな、わたしなんか、意識しないでいいよぉ! あはは……あっ! ご、ご飯の時間じゃないかなぁ!この話おしまいっ! ねっ!?」
矢継ぎ早にまくし立てられて、俺の抗議はあっさりと子供をあしらう様にスルーされてしまった。
「……ちょっと、先輩、飲み過ぎですよ!」
食事が来た途端、砂漠で水を飲む遭難者かの様な勢いで、先輩はお酒を煽っていた。明らかにやけ酒だ。
「うるさいよぉ……こっち来てぇ、お酌しろぉ〜」
テーブルに頬杖をつき、先輩が手を伸ばしてくる。
「いやいや! まず水飲んでください!」
慌ててグラスに水を注ぎ、差し出すが、先輩はぷいっと顔を背けたまま、手を出そうともしない。
「いららいよぉ! へへぇ……ふわふわするぅ……」
舌の回らない口調で笑いながら、ゆらゆら揺れていた先輩は、突然、ぴたりと動きを止めた。
「……そうらぁ! ちょっとぉ! 言いたかったことあるんだからぁ! そこに座れぇ! お説教らぁ!」
据わった目でそう叫ぶ先輩に、訳もわからないまま、言われた通りに俺は正座させられる。
「お昼のなんらあれぇ!? こっ、こんなおばさん、ゆーわくすんらぁ! ドキドキしたらろぉ!」
「誘惑ってなんのことですか!? ってか、おばさんじゃないですって! 先輩、可愛いんですから……」
慌てて口から出た言葉に、先輩の表情が一変した。
にへらと笑っていた顔が、急に真顔になる。頬の赤みがさらに濃くなり、耳まで真っ赤に染まっていく。
……これじゃ、おばさんどころか、まるで恋している女の子みたいだ。
「……な、なんで黙るんですか!」
「そ、そっ、そんなこと言うならぁ! 証明ぃ!」
先輩はぷるぷると震えながら、顔を真っ赤にして、 指を突きつけてくる。
「おばさんって思ってないって証明しろぉ! そうだちゅ、ちゅーしろぉ!」
「は!? いや、ちょ……!? それは、違うんじゃないですか!? 先輩、あの、落ち着いて!」
混乱した俺の言葉を、先輩はまるで聞いていない。
「間違ってないもん! キスされたいんだよぉ! キミがキスしてくれるってことはぁ、つまりそういうことでしょぉがぁ!……ほらぁ、ちゅーしろよぉ!」
勢いそのままに先輩が身を乗り出してきた。酔ってふらついたその小さな身体に、そのまま押し倒される。
ぐい、と顔を近づけられ、先輩の体温を感じながら、甘い匂いがふわりと鼻をかすめる。
暖かくて、柔らかくて、落ち着く香り。
「もぉさぁ! ……好き、大好きだよぉ……! もう、どーしようもないでしょーがぁ!」
唇が触れそうな距離。先輩の吐息が、頬にかかる。
「結婚しろよぉ……わたしを惚れさせたぁ、責任取ってぇ、お婿さんになってぇ……幸せにしろよぉ……」
どうしてこの人はこんなに可愛らしいんだろうか。
目を瞑った彼女の唇に、そっと、自分の唇を重ねた。