死ぬほど周回したブルアカのフルダイブVRゲーム世界に転生(絶望) 作:ふい
シャーレのビルからヘリポートまでは、歩いて数分の距離だった。
吹き抜ける風は、都心部のそれとは違い、どこか乾いていて、それでいて澄んでいる。見上げれば、巨大なHALOが空に浮かび、その向こうには一点の曇りもない青空が広がっていた。現実では決して見ることのできない、非現実的なまでに美しい光景。
かつての俺なら、この風景だけでも感動し、何枚もスクリーンショットを撮っていただろう。
だが、今の俺の目には、それはただの背景データ、高解像度のテクスチャとスカイボックスの集合体にしか映らない。風の感触も、空気の匂いも、全ては五感再現システムが作り出した偽りの感覚。そう思うと、何もかもが白々しく感じられた。
ヘリポートには、一機の大型ヘリが駐機していた。シャーレ専用の輸送ヘリだ。
俺は一切の躊躇なくタラップを上がり、機内へと乗り込む。内部の座席の配置、計器類のデザイン、その全てが記憶の中にある通り。俺は勝手知ったるという様子で、窓際の席にどかりと腰を下ろした。
やがてローターがけたたましい音を立てて回転し始め、機体がふわりと浮き上がる。
眼下でシャーレのビルがみるみる小さくなっていく。俺たちの乗ったヘリは、最初の目的地であるアビドス自治区へと、一直線に進路を取った。
「先生、目的地まではしばらく時間がかかります!」
隣の席に置いた『シッテムの箱』から、アロナの元気な声が響いた。画面には、デフォルメされた彼女のアバターが表示されている。
「今のうちに、戦闘指揮の基本について、シミュレーションで練習しておきましょう! いざという時に備えておくのは、デキる大人の基本ですよ!」
有無を言わさぬ勢いで、アロナがシミュレーションの開始を宣言する。
途端に、俺の視界の端に、半透明のUI(ユーザーインターフェース)が浮かび上がった。左下には、シミュレーションに参加する生徒たちのステータスと顔アイコン。右下には、彼女たちの切り札である『EXスキル』のアイコン。そして、中央下部には、戦場の簡易マップ。
『青い軌跡』の戦闘システムは、リアルタイムで進行する。プレイヤーである『先生』は、戦況を俯瞰で把握し、生徒たちに移動や遮蔽物への待機、そしてEXスキルの使用を指示するのが主な役割だ。単純に見えるが、その実、敵の特性、生徒たちのスキル、地形の相性など、考慮すべき要素は無数にあり、奥が深い。
「では、シミュレーションを開始します! 今回協力してくれるのは、ヴァルキューレ警察学校の皆さんです!」
アロナの声と共に、俺の意識は仮想の戦場へと接続される。
目の前に広がるのは、市街地を模した訓練フィールド。瓦礫や廃車が点在し、身を隠す場所は多い。
そして、4人のヴァルキューレの生徒たちが、俺の指示を待っていた。
「まずは基本中の基本、遮蔽物の利用です! 前方のバリケードまで生徒さんたちを移動させて、安全を確保してください! 指示を出すには、移動させたい生徒をタップして、目的地までスワイプするだけですよ!」
アロナが懇切丁寧に、チュートリアルを進めようとする。その声は、まるで初めてパソコンに触る老人に操作を教える孫娘のように、親切心に満ちていた。
だが、俺はその声を右から左へと聞き流していた。
俺はアロナの指示を完全に無視し、画面の左端、一見するとただの壁にしか見えない地点をタップした。そして、生徒の一人をそこへ移動させる。
「え? 先生? そっちは何もない壁ですよ? 遮蔽物はこっちの……」
アロナが困惑の声を上げる。
だが、その言葉は途中で途切れた。
俺が移動を指示した直後、まさにその壁が爆発し、中から機械兵が3体、姿を現したのだ。
出現と同時に、待ち構えていた生徒の銃口が火を噴く。
不意を突かれ、完全に無防備だった機械兵たちは、反撃する間もなく、一瞬でスクラップの山と化した。
「え……? えええええっ!? な、な、なんで敵が出てくる場所が分かったんですか!? しかも、出現するタイミングまで完璧に……!?」
アロナが、AIとは思えないほど素っ頓狂な声を上げた。その反応は、かつての俺がRTA動画のコメント欄で、何度も目にしたものと同じだった。
俺は表情一つ変えず、ただ静かに答える。
「……なんとなく、嫌な予感がしただけだよ」
内心では、舌打ちをしていた。
(この出現パターンの場合、開始15秒後に左壁から軽装甲兵が3体。その後、25秒後に右手の廃車裏から重装甲兵が2体……クソッ、他の出現パターンと比べて時間のかかるパターンじゃねぇか)
「い、嫌な予感……!? そんな……エスパーですか、先生は!?」
アロナの混乱をよそに、俺は休むことなく次の指示を出す。
今度は、残りの生徒三人を、右手の廃車の前に扇状に展開させる。
一見、無防備に身を晒しているように見える配置。アロナが「先生、危ないです! 遮蔽物に隠れないと!」と悲鳴のような声を上げる。
だが、俺は構わない。
「問題ない。カザミ、スキルコストが溜まり次第、EXスキルを廃車の後方に叩き込め。タイミングは任せる」
ゲーム内の生徒『カザミ』(チュートリアルでしか登場しないモブ生徒だ)に、簡潔に指示を飛ばす。本来、ゲームではスキル発動の指示はプレイヤーが出すが、この『リアル』な世界では、ある程度の裁量を生徒に与えることも可能だ。そして俺は、彼女がどのタイミングでスキルを撃つのが最適かを知っている。
直後、アロナが警告を発するより早く、廃車の影から、分厚い装甲に身を包んだ重装甲兵が二体、ぬっと姿を現した。
「敵です! しかも重装甲タイプ! 固いですよ、この敵は!」
だが、遅い。
敵が銃口をこちらに向ける、そのコンマ数秒前。
「―――今」
俺と、シミュレーション内のカザミの声が、完璧に重なった。
彼女の持つアサルトライフルにエネルギーが集中し、強力な単体攻撃スキルが放たれる。寸分の狂いもなく、重装甲兵の一体のコアへと着弾。オーバーキル気味のダメージが叩き出され、敵は一撃で沈黙した。
残る一体がこちらを狙うより早く、俺が展開させていた他の生徒たちの集中砲火が浴びせられる。重装甲タイプは、一度射撃体勢に入ると動きが鈍る。その弱点を完璧に突き、一秒たりとも反撃の隙を与えない。
あっという間に、二体目の重装甲兵も、火花を散らして崩れ落ちた。
開始から、わずか30秒。
チュートリアル第一波、被弾ゼロで、完璧に終了。
「……うそ……」
『シッテムの箱』から、アロナの呆然とした呟きが聞こえた。
「今の……何ですか……? 敵の出現位置も、種類も、タイミングも、全部……全部お見通しみたいじゃないですか……。先生、本当に戦闘指揮は『初めて』なんですか……?」
「ゲームは、少しだけ得意なんだ」
俺は、それだけを返した。
得意、なんてものじゃない。俺はこの戦闘を、全く同じ状況、同じメンバーで、数万回は繰り返している。敵の思考ルーチン、行動パターン、耐久値、弱点属性、その全てが、俺の脳内データベースに完璧に記録されている。
もはや、これは戦闘ではない。 指が覚えている譜面を、ただ正確に、無感情に、なぞっているだけの作業だ。
「次の敵が来ます! 今度は数が多いです! 先生、気をつけて!」
アロナの声に、焦りの色が混じり始める。
マップの奥、複数の建物から、新たな敵部隊が出現する。軽装甲の兵士が8体、後方にはスナイパータイプのドローンが2機。厄介な編成だ。初心者が最も苦戦するチュートリアルの山場。
アロナは「まずは数を減らすために、手前の兵士から攻撃を!」と叫ぶ。
セオリー通りの、悪くない指示だ。だが、最適解ではない。
俺は、またしても彼女の指示を無視する。
「全員、射撃停止。後方のビル屋上へ、スキルによる制圧射撃を準備」
「えっ!? 射撃停止!? どうしてですか! 敵が目の前に!」
「いいからやれ。敵スナイパーを先に潰す」
俺の口調から、有無を言わせぬ響きを感じ取ったのか、アロナは押し黙る。
生徒たちがスキル発動の準備に入る。その間にも、敵の兵士たちは遮蔽物を利用しながら、じりじりとこちらへ距離を詰めてくる。着弾音が、生徒たちの足元で鳴り響く。
だが、不思議と一発も当たらない。 それもそのはずだ。俺は、このマップにおける敵AIの射線が、どの位置だと通りにくいかを、ピクセル単位で把握している。俺が指示した待機場所は、一見すると開けているようで、実は敵の射撃アルゴリズムの死角になっているのだ。
そして、敵スナイパーが狙いを定め、赤いレーザーサイトがこちらを捉えた、まさにその瞬間。
「―――撃て」
俺の号令と共に、二人の生徒の範囲攻撃スキルが、同時に、後方のビル屋上へと叩き込まれた。
派手な爆発が二つ。
スナイパードローンは、一発の銃弾も撃つことなく、轟音と共に爆散した。
「スナイパーを……一瞬で!?」
後方の脅威が消えたのを確認し、俺はすぐさま次の指示を出す。
「前進。敵部隊の右翼が薄い。そこから回り込んで、十字砲火を形成する」
「十字砲火……クロスファイアですか!? そんな、教科書でしか見たことないような戦術を、この状況で!?」
もはや、アロナは解説役ではなく、俺の指揮に驚くためだけの存在と化していた。
俺の指示通り、生徒たちは見事な連携で敵部隊を攪乱し、包囲殲滅していく。
誰一人として、無駄な動きはない。
誰一人として、弾を無駄撃ちしない。
誰一人として、傷を負わない。
それは、あまりにも一方的で、あまりにも美しく、そして、あまりにも―――機械的な戦闘だった。
熱狂もなければ、興奮もない。心拍数は平常時のままだ。
俺はただ、脳内の攻略チャートを読み上げ、それを現実に反映させているだけ。
シミュレーションの最終フェイズ。大型のボスエネミーが出現する。
その巨体と圧倒的な火力は、初見プレイヤーに絶望を与えるように設計されている。
さっきの山場を乗り越えることができたプレイヤーに対する、いわゆる『負けイベント』というやつだ。
大抵のプレイヤーはここで敗北し、シミュレーションが終了する。だが―――
「ひゃああっ! ボ、ボスです! とっても大きいボスです! 先生、ここは一度引いて態勢を……!」
「不要だ」
俺は、アロナの悲鳴を、冷たく切り捨てた。
「全員、その場で最大火力。ボスの行動パターンは完全に把握している」
「は、把握してるって……初見のはずじゃ……」
「第一攻撃、正面への薙ぎ払いレーザー。発射まで3秒。左右に回避」
俺の言葉と同時に、ボスが腕を振りかぶり、レーザーを発射する。生徒たちは、俺の予測通り、コンマ数秒のタイミングでそれを回避した。
「第二攻撃、追尾ミサイルを6発射出。着弾まで5秒。一人が囮になり、残りはその隙にコアを集中攻撃」
「第三攻撃、自己修復シークエンス。阻止するには、3秒以内に特定部位へ規定ダメージを与える必要がある」
俺は、ボスの次の行動を、まるで未来予知のように、淡々と読み上げていく。
そして、その全てに、完璧なカウンターを指示していく。
生徒たちは、俺の言葉を寸分の狂いもなく実行し、巨大なボスを少しずつ、だが着実に追い詰めていった。
アロナは、もう何も言わなかった。
ただ、画面の隅で、信じられないものを見るかのように、呆然と口を開けているだけだった。
そして、開始からわずか5分後。
チュートリアルの想定クリアタイムを大幅に短縮し、大型ボスは轟音と共に爆散した。
『SIMULATION COMPLETE』
『SCORE: 999999 (MAX)』
『TIME: 05:13:24』
『DAMAGE: 0』
画面に表示されたリザルトは、開発者の想定すら超えたであろう、完璧なものだった。
俺は、その表示を無感情に一瞥すると、ふぅ、と一つ、ため息をついた。
(……終わったか。指慣らしにもならんな)
「……先生」
しばらく沈黙していたアロナが、ハッと我に帰り、目をキラキラさせながら口を開いた。
「……す、すごいです! こんなスコア、見たことないですよ! まるで熟練の指揮官みたいでした! 先生、一体何者なんですか!?」
その問いに、俺は答えなかった。
ちょうどその時、ヘリの機体がわずかに高度を下げ始めたからだ。
窓の外に目をやると、眼下に、広大な砂漠と、そこに埋もれるようにして佇む、古びた学園の姿が見えていた。
アビドス高等学校。 これから始まる、最初の『作業』の舞台だ。
俺は、アロナの問いかけを無視したまま、彼女に聞こえないくらいの声量で静かに呟いた。
「……茶番は終わりだ。さっさと本番も終わらせよう」