善逸はひたすら自分を弱いと卑下しているが、第三者視点ではとんでもなく強い。そんな善逸の日常の話、炭治郎視点です。
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周囲の人間だけが把握し、困惑している。
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日帰りで片が付く程度の簡単な任務を終えた炭治郎は、無意識のうちに鼻を利かせて確認していた。善逸と伊之助はまだ帰っていない。
中途半端な待ち時間に炭治郎の話相手になったのは、顔は知っているが名前は知らないし今さら聞きづらい、とある隊士だった。
「あの金髪のやつ、いかれてる」
他愛のない世間話をしていたが、ふと漏らされた言葉に炭治郎の動きがとまる。
「善逸が君になにかしたのか?」
「そういうんじゃない。そういやお前、我妻と仲いいんだよな。誤解しないでほしい。悪いやつじゃないのはわかる」
「ならなぜそう思うんだ」
名前も知らない隊士は少しためらった後に口を開く。
「竈門はまだ参加してないと思うけど……。我妻と合同訓練する機会があってさ」
相手は自分の名前を知っている。ますます名前を聞きづらい。そんな内心の葛藤をおくびにも出さず、炭治郎は返す。
「また泣いてたのか?」
「まあそうなんだけど……俺は弱いからすぐ死ぬってめそめそ泣いて、稽古が始まったわけなんだけど」
正直、話の続きがものすごく気になる炭治郎は、土産のつもりで買った饅頭を差し出して先をうながす。
悪いな、ありがとうと美味そうにほおばり、誰だかわからない隊士は語りだした。
はじめは皆、やれやれと肩をすくめて苦笑していた。
善逸は、俺は弱いんですみませんほんと訓練にならないのでと言いながら、それでも逃げはせずに竹刀を取った。
鬼が出る実戦とは違い、泣き言を言いながらも善逸は震えていなかったという。
先輩格の隊士が善逸に向けて竹刀を振るった途端、空気が変わった。
並みの隊士なら避けられない距離と速度で振り下ろされたはずの竹刀は、虚空をむなしく切って終わった。その場の誰も善逸の動きを追えなかった。え、と息をのんで目をさまよわせ、善逸が一瞬で稽古場の端から端へ移動したことを見て取る。
「は……?」
善逸の稽古相手は間の抜けた声を漏らしたが、すぐに気を取り直した。
まぐれだ。逃げ足だけは速いやつなんだ。
次の瞬間、竹刀が吹き飛ばされた。
稽古場の端にいたはずの善逸は、瞬きをする間に目の前に迫り、無言で竹刀を持つ手を打ちすえたのだ。
相手はしびれる手をそろそろと見下ろし、ぽかんと口を開けたまま何も言えなかった。
一体なにが起きた。なにも見えなかった。なんの反応もできなかった。
「す、すみません、なんの稽古にもならなくて。俺なんか相手にしても時間の無駄ですよね、めんどうだからってわざと負けるような真似させてすみません……!」
善逸はおろおろと目線をさまよわせ、心底申し訳なさそうに頭を下げる。
次の相手も、その次の相手も同じだった。
善逸はごめんなさいすみません俺弱くてほんとすぐ死ぬんで稽古にならなくてすみませんと言いながら、一瞬で勝負を終わらせる。霹靂一閃を使っているように思えるが、技を使用していないことはその場の誰もが知っていた。ただひたすらに、純粋に、単純に、息をのむほど、善逸は速い。
からかう者も野次を飛ばす者もなく、その美しい雷光のような動きを皆黙って鑑賞していた。
観戦、ではなく、まさに鑑賞だった。善逸の刀は戦いのためのものというより、もはや芸術の域に達していた。
気づけば我も我もと集まり、善逸と一戦交えようと列をなしていた。
善逸は速さだけではなかった。
ある隊士は、速すぎて目視できないなら刃の軌道を予測してやろうと奮闘した。だが善逸は、ある時は姿勢を低くしてななめ下から切り上げ、またある時は突き技を使い、かと思えば上段から攻撃を繰り出す。
雷の技一つきりしか使えない、半端者の弱虫野郎ではなかったのか?
なんだこいつは強い速いぞもう一度見せてくれ、もっと剣技を堪能させてくれ、もうひと試合、俺が先だ……。
大勢を相手にしているというのに、善逸はけろりとした顔で汗もかかずに心底申し訳なさそうに、俺は弱いのにこんな親身に稽古つけてもらってすみません、皆さん優しい、死なないようにがんばります、などとのたまうのだ。
遠い目をしながら、ぶるりと肩を震わせて名も知らぬ隊士は言った。
「……おかしいだろ。さっきは言い方悪かったかもしれないと申しわけなく思ったけどやっぱり考えれば考えるほど、いかれてるとしか言いようがない。我妻っていったい何なの? 新人ってのは仮の姿で、実は任務中の高位の剣士で年中泣いてるのはそれを隠す演技かなにかか?」
もっともな意見に、炭治郎は返答に困る。
「……善逸は、間違いなく俺の同期で新人隊士、だよ……」
「あれはわざとやってんの?」
「善逸がいちいち泣いて叫んでジタバタ怖がってるのも、謎の俺は弱い発言も、善逸にとっては真実なんだ」
「なんで? あいつ耳がいい代わりに目が悪いのか? それか頭?」
「それは俺からはなんともいえない」
善逸は目も頭も悪くないとは思うが、炭治郎にはこれ以上何もいうことができない。すまない、善逸。
二日ぶりに見た善逸はあいかわらずだった。
鬼を前にどんなに怖かったか、どんなに勇気を振り絞ってがんばったか切々と訴え、身振り手振りで寸劇をする。
一通り善逸の泣き言を聞いてやり、落ち着いたところで炭治郎はいった。
「ところで善逸。俺と手合わせをしよう」
「……なんで?」
善逸が強いのも優しいのも匂いで分かっていると自分では思っていたが、名前を聞きそびれたあの隊士の言葉はいくらなんでも大げさなんじゃないか、そんな思いも心の奥底にあった。
「炭治郎さんや。俺なんかと稽古したってどうしょうもないよ。それより、任務帰りに珍しい西洋の菓子を買ってきたんだ。もうじき八つ刻だぜ」
「それは後でいただく。俺からも土産があるから伊之助と食べよう。善逸から、仕掛けてくれ」
あの隊士の話を聞いていなかったら、最初の一太刀で竹刀を弾かれていた。
善逸が少しでも動く前に回避、ただそれだけを念頭に神経をとがらせていたからこそ、避けられた。
細くたなびく美しい雷が善逸の足にまとわりついている。
ぎりぎりで避けた、というより逃げたので、体勢を崩してしまったが善逸は追い打ちをかけてこなかった。ただ心配そうに炭治郎を見守り、静かに待っている。
善逸にとってこれは、命を取り合う戦いではない。気心の知れた同期の友人との戯れ。だから怖くない。だから身体に余計な力が入ることもなく、泣きわめいて呼吸が乱れることもなく、ただの『練習』として善逸本来の力を発揮できている。
善逸は強いと、何度も彼に言ってやった。なぜそんなに怖がるのかと。
俺は本当に、善逸の強さを知っていたのだろうか。善逸はこんなにも強いと、わかっていたのだろうか。泣き顔ですがりつく善逸と、冷静に炭治郎の動きを観察している善逸が、同一人物だとはにわかに信じられなかった。
ぞくっと冷えた空気から酸素を取り込み、炭治郎は気合を入れ直す。
善逸は強い、それは疑いようもない。しかし、危うすぎる強さだ。強さが安定しない。実戦で臨戦態勢に入るまで時間がかかりすぎる。
速さに特化しているせいで、打たれ弱い。だからこの年上の友人から目が離せない。
「今度は俺が仕掛ける」
わざわざ宣言して仕掛けた技は、最小限の動きでかわされた。竹刀でぴしゃりと頭を叩かれたが、本気の技ではなかった。真剣なら勝負はついていた。
雷光と水のうねりが大気を震わせ、竹刀がかすめた頬からは血がにじんでいる。これならどうだと身をひねり駆け抜けても、善逸はぴたりとついてくる。速すぎる。
小半時ほど『手合わせ』を続け、炭治郎は片手を上げて宣言する。
「参った。休憩しよう。おやつ、だもんな」
ぱあっと一瞬で顔を明るくした善逸に、炭治郎は心が痛くなった。
善逸が修行したのはほんの一年かそこらだという。なのにこの強さ。
善逸は強いけど、本当はもっと平和な世の中で、もっと穏やかな時を過ごして、剣なんか一度も握ったこともなくて見たこともなくて、そうしておいしいものを食べて働いて笑って幸せに生きたほうがいいんだ。そういう人なんだ。そんな人にこんな才能を与えるなんて、なんて残酷なんだろう。善逸を見出した育手も戦いに巻き込んだ運命も、なにもかも気に入らない。
「なんなの炭治郎。急に稽古をつけてくれるなんて、心配させちゃってる? 俺めちゃ弱いけどさ、逃げ足だけは速いからまだまだ死ぬつもりはないよ」
善逸の顔を穴のあくほど見つめ、炭治郎は笑った。
「……善逸が鬼殺隊に入ってくれてよかったよ。俺と伊之助だけじゃ、おやつ食べきれないもんな」
「炭治郎の中の俺の存在意義ってなに?」
「頼りにしてるってことだよ」
そういえばあの隊士、最後まで名前を聞けなかった。
遠くから伊之助の騒がしい声がする。どんどん近づいてくる。息苦しくないのかいつも心配になる猪頭を取り去り、炭治郎の分まで食べてしまうのかもしれない。それでよかった。おやつなんていくらでも用意するから、いまこの瞬間の、三人揃って甘味に舌鼓を打って、笑いあってじゃれあう日がずっと続けばいい。
炭治郎のささやかな祈りは、この場にいる者共通の願いでもあった。
起きていても無自覚に無双している善逸もいいなと思い書きました。
最終決戦の善逸恰好いいですね。