現実の反逆   作:足立海

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前 現実と虚構の狭間で

 俊哉は人生でたった一度も異性と交際関係を結んだことがない。女に触れた経験といえば、ごく幼い頃母親の頬にキスをしていたくらいである。人間に対しはせいぜい母親、父親のような区別しかできず、己の欲望のままに過ごしていた頃だ。例えば、イオンに行けば玩具をねだって床に転がり、買い与えられないとみるや棚の商品を盗もうと試みていたし、無断で(もちろん有料の)室内遊園地へ侵入していたという。母親とのスキンシップはともかく、両親から述懐される苦労に関しては俊哉の記憶になかった。

 

 逆に、いまだ強固に記憶しているのは初恋である。幼稚園でのある秋、俊哉はクラス全員で発表する劇で王子役を務めた。自らは執事役に挙手したものの、教諭が見逃したのだ。手を挙げていないと見做されて希望者のなかった王子役を当てられた。ラストシーンで王子は眠りから覚めたヒロインと結ばれ楽しく踊る。女の衣装は夕刻の空のような深い青色をしていて、そこから色白の腕が俊哉の体へ伸びていく。その先を自分の手でそっと掴むと、両親の手やらとはまさに次元の違う感触があった。友達の男にはない柔らかさと弾力があった。驚いて顔を上げると、女は演技を指導する先生や脇に控える級友たち、そして共演している自分を順に見渡している。至って冷静でいて澄ました表情をしていた。目線が動くたびに、耳に挟んだイヤーリングがゆらめく。同じくして、彼の心にはこれまで抱いたことのない感情が浮かび上がった。俊哉は、このとき人生で初めて人間を美しいと思った。その美しさをどうにか伝えて、自分だけで独り占めする未来を思い描いた。しばらくして母親にこれを伝えたところ、それの感情は恋だよと言って喜んでいた。実際その感情は小学校の半ばまで持続したから、熱意に関しては大いにあった。

 

 俊哉は突っ伏していた。つい数か月前まで過ごしていた場所と同じように、小奇麗なキャンパス内の机で寝ていた。ただ、彼は腕の中の暗闇でかっと目を開いている。実際のところ明瞭な意識を保持しているのだ。周囲の男女の話題に全ての集中力を費やしている。そうして、耳に入る事柄のほとんど全てを蔑んでいた。

 

「あの新しいコラボメニュー食べた?」

「うんうん、美味しかった。グッズも貰えたしね。」

 

 俊哉は眉を上げながら目を閉じて、実際に見てもいない女たちを思い浮かべる。あいつらは、あの店がどこにでもあるような都会の生まれで、どうせメニューの高価さなど気にせず、喜んで金を払うのだろう。もちろんたいそうな美人であり、親に頼めば好みの服なんていくらでも買ってもらえる。しかし、だ。あれはバスや電車内ではTikTokやShort動画をとりあえず見るような思慮が浅はかで、社会や世界のことなど全く考えていない人間なのだろうなと。

 

「はぁ……」

 

 そこまで考えたところで、俊哉は上半身を机の下に潜らせた。椅子に座りながら股のぞきをするような姿は、周囲にいる人間に奴は変な人間であって、避けるべき類なのだという印象を与えるには十分だった。このようにして、彼は自身のおかしな行動により孤立を深めていくのだ。

 

 やがて起き上がると、ポケットから電子端末を取り出した。延々と孤独下にある男が興味を向ける話題といえば、総合的には一つだった。晴れやかな画面を暗転させながらXを開いた。

 

 おすすめ欄をなぞると、様々な文章が流れてくる。ある外見の男に対する冷笑、「いいね」も「リポスト」もされていない広告、性行為しないと出られない部屋について、画像に語らせた言葉、絵の女、AIを友達にする男、自爆ドローンで吹き飛ばされる兵士、爆散する戦車、男性と女性に関する事柄。それらへ惰性で「いいね」を付与していく。毎回ハート型がエフェクトで揺れ、赤色に染まった。しかし、彼の心に温かさが注がれることはない。ポストを眺めて沸きあがるものといえば、激しい憎悪と途方もない悲しみなのであった。やはり自分はインターネットで馬鹿にされる外見なのだ。そんな広告など見たくはない。語り尽くされたものは退屈だ。ひどい、むごい。人の好きなコンテンツを排斥する行為は嫌いだ、クソじゃないか。と。

 

 もうずいぶん前になる。俊哉は中学に入ると、当時はTwitterなる名称であったこのソーシャル・メディアの虜になった。同じゲームを愛好する者同士で繋がり、ユーモアが満載であるうえ、実際に役に立つインターネットの知を受容していった。DMでグループを作り、団体を名乗り活動もした。現実では絶対に会えない人間との交流は新鮮で、同じ服で同じ場所へ通うだけの現実よりもよほど面白く思えた。いまの年代に変わる前のタイムラインは、フォロー・フォロワーの他愛ない日常や、家系図メーカー、俳句メーカーなどといった外部機能の遊びで溢れていた。しかし、あの頃に接していた人間は、みな消えてしまった。名前も住所も知らぬ彼らとはもう二度と会うことはできない。この点もまた、彼を嘆かせていた。

 

「くぅ……」

 

 彼はひときわ大きなため息を吐く。すると指を横に振ってフォロー欄に目を移した。表示されるのは、昨日の試合結果、プレミア公開の告知、新譜の情報、ゲームの更新について。などであった。

 

 こちらの方がよほどマシである。だが、読んでいても楽しくはない。贔屓チームはサヨナラ負けを喫していた。プレミア公開の時刻は過ぎていた。興味のないアーティストの新譜は多分聴きやしない。ゲームをする余裕もなかった。

 

 どうしようもなくなり、開いたばかりのXを閉じる。ぎくしゃくした気持ちを込めて、ポケットに思い切り突っ込んだ。

 

「あぁっ」

 

 現実を退屈に思った。そうしてインターネットにのめり込んだのに、いつのまにかそこは、怒りと悲しみで満ちた空間へと変容してしまった。かといって、これから現実に戻ろうとしたところで変わらない。

 

 自爆(カミカゼ)ドローンに吹き飛ばされる兵士は、間違いなく現実の悲劇なのだから。

 

 実際のところ、俊哉はソーシャアル・メディアでの立ち振る舞いしか知らないのである。彼は悲観に暮れて、またも机の下に潜り込むの。それを見かけた通行人はきっとこう思うのだ。あの男は大学に進学してもでも高校での休み時間のように寝ているのだな。あれはきっとオタクで、チー牛で、肉体も精神も()()()なのだな、と。




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