昼休みになった。俊哉はカフェテリアの入口で立ち尽くしている。初めて来たが、あまりにも人が多すぎるのだ。七台の券売機の前には、それぞれ二十メートルほど列ができていた。俊哉はそれに参加する気など到底起きなかったので、食堂と人間を観察していた。
冷水器からはお湯も出るらしい。そう知った時、彼の身体が大きく揺れた。
「邪魔」
突き飛ばされたのだ。重戦車みたいな男が横を通り過ぎていく。それと比べれば、俊哉なんてなぎ倒される小木でしかなかった。なんとか立ち上がると、敵がどの席に座るかを見守った。見通しの良い場所で立っていただけの俺に、躊躇なく暴力をふるうようなクソ野郎だ。きっと誰とも顔を合わせない立ち食いスペースに行き、一人惨めにそばを食べるのだろう。彼はそう考えた。しかし、男が向かう先には円形の机があった。
そこは男女数人に囲まれていた。その一つだけ空けられた椅子が、さっきの大男を収容したのだ。プレートやペットボトルが置かれ、人間同士が向き合っている。みな笑みを浮かべ、
俊哉は、あの男に再度、地面に叩きつけられた気分になった。羨望や軽蔑、嫌悪などをミックスした感情が雪崩れ込んでくる。味は最悪だった。
ひたすらに苦しんだあと、カフェテリアの喧噪に背を向けて歩き出していく。人の流れに逆行すると、あの顔がよく見える。髪をきらびやかに染め、化粧をしたり髪を作ったりしている人間たちの顔だ。ああいった行為は、俊哉にはあまり理解できない行為であった。そもそも、みてくれを「整える」ために早く起床するなんて!
「学食なんて、二度と来るかよ……」
スマートフォンで時刻を見ると、すでに昼休みの半分が過ぎている。食堂はあの混雑であるし、傷を負い撤退したばかり。別棟にあるコンビニは食堂以上に人がいる。俊哉はその気質のために、昼食を取る機会を失った。友達がいれば食券と席をともに確保してくれただろうし、人でごった返している場所が苦手でなければ、コンビニだって行けたのに。彼は誰も使わない階段を下りながら、体は重く、足元しか目に入らない。
やがて階段は終わる。地下一階、昼休みはあまり人がいない。ぽつぽつと置かれている机椅子は埋まっているものの、逆に言えばそこを埋める程度の人しかいない。しかも図書館並みに静かに過ごしているのだから、彼らに対しては、自分と似ているような感覚を覚えるのだった。
彼らを横目に、俊哉はいちばん好きな隠れ場所に足を進めた。そこは地下一階の端の端にある小さな階段の裏だった。地上階と地下一階を繋いているため、人はほとんど通らない。いつものように階段の踊り場まで上がる。降りてくる人はいない。戻って通路の奥をじっと見つめる。人はいない。
そうして裏に向けて足を踏み出すと、視界の左端に得体のしれないものが見えた。ぎょっとして顔を上げると男と女がいた。恰好のよい男は女の背中と肩に手を回して、綺麗な女は少し背伸びをしながら男の身体にしがみついている。抱きしめて接吻していた。
「ぶおっ!」
男が吹き出して、こちらの方を向いた。そして何とも言わずにポケットからスマートフォンを取り出して、雰囲気をぶち壊した
「おまえたち強者は、俺が休める場所までも奪うつもりか!」
俊哉が叫んだ。それに対して、二人はきょとんともせず……いっそう顔をしかめた。あぁ、あの表情だ。おまえたちは気にも留めずに、さも当たり前のように他人の大切なところを侵害し、好き勝手にしている。そのくせ俺が怒りを表明しても、自分が何を犯しているか全く理解せず、俺にそんな顔を向けることしかしないのだ。
「さっき撮った写真、どうするんだよ」
「うるさいからどっか行けよ」
「どうせ、この後はさっきの写真をストーリーにでも放り投げるだろ。陰キャやら弱男と書いて嘲笑するだろ」
「お前頭おかしいんじゃねェの」
「あぁ、俺は頭がおかしい、誓ってそうだ。だから去るんだ」
そう言って、バクバクする心臓を抑えた。学内で人を殴るなんてしたら退学もあり得る。もう実刑判決を貰う年齢なのだから、いくら怒ろうと暴力だけは絶対に許されなかった。逃げた方が、負けを選んだ方が遥かにマシだった。ただし、甚だしい惨めさが、彼を教室の机に伏せさせた。
しばらくすると、部屋の照明が落とされた。昼休みに入って二十分が経つと「節電」の名目で全ての教室の照明が消えてしまう。俊哉は伏せていた顔を上げる。いつものようにスイッチまで向かい、明かりを取り戻す必要があった。三限は一年の必修授業だから、いまの時点で百人ほどが教室で過ごしている。彼らのために明かりを取り戻し、それに満足しながら席へと戻っていく。俊哉は毎回そうしていた。いつものように立ち上がろうとして、しかし恐ろしいものを見たように動けなくなった。
善性への
スマホの憎たらしい輝きに俯いた顔たちが照らされている。まったく、よく出先で画面を明るくできるなと思うと、急に照明が取り戻された。まばゆい光が突き刺さり、晴れていく。後方に座っていたのは、さっきのカップルと同じような男女たち。室内で帽子を被ったり、首にネックレスをかけたりして、みてくれを演出していた。そのうちの一定はカップルらしく、肩を寄せ合っている。その他は何人かで固まっている。そうして好きなままに談笑していた。
やはり疑念は間違いではない。俺のような人間は綺麗さっぱり不可視化されるのだろう。あの様子なら誰が電気を付けたなんて気にもしていない。
考えてみればそうだ。面倒ごとを押し付けるのは強者の側であって、被害を受けているのは常に弱者だ。それにも関わらず、弱者に課す行為を「みんなの役に立っている」などと称賛し、ありもしない善性を与えて道徳的だと宣伝しているに過ぎない。
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