20連勤を終えてクタクタになった会社員が、10年前の夏に博多で少女と過ごした思い出を回想するお話。

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博多とラムネとチキンラーメンと

 午前0時。仕事を終えて帰宅した俺、北島信治はドアを開けると同時にカバンを前に放り投げて玄関に倒れ込む。

 

「……無理……」

 

 残った力を振り絞って足を畳み、ドアが閉まった音を聞くと初めて完全に脱力する。

 

 ――20連勤の過酷なプロジェクトを終え、どうにか土日の連休を獲得出来た。誰か俺を褒めてくれ……

 

 芋虫のような動きで廊下を進みつつズボンを脱ぎ、身をよじってジャケットから袖を外す。そうしてYシャツとパンツだけのだらしない姿になったところで――

 

 半開きになったドアを軽い頭突きで開け、唸りながら立ち上がってゴミだらけのリビングに入った。

 

 そこら中に散らばるゴミ袋を蹴飛ばして座るスペースを作り、壁に掛けてあった座布団を取って乱雑に投げて置く。

 

「さて、と」

 

 俺は踵を返してカバンを取り、その中からチキンラーメンとラムネ瓶を取り出す。

 

 ――買ったのは俺だとはいえ、なんという食い合わせの悪さだ。どうやって食おうか。

 

 忙しさから解放され、自我を取り戻した俺。そんな俺が夕食を買おうとコンビニへ立ち寄った時、気付かぬ内にその二つをカゴに入れていた。

 

 だが、どうしてこれを買ったのかは察しがつく。恐らく今日は、あの日から丁度10年が経った頃だからだろう。

 

 ◇  ◇  ◇

 

 10年前、高校2年生の夏休み。両親の仕事の影響で夏休み中福岡の祖父母の家に住む事になった俺は、とにかくダラダラ過ごしていた。

 

 蝉の声、農機の駆動音、おばさん達の談笑。今となっては、全てが懐かしい。

 

 そしてその日もいつも通り畳張りの居間でゴロゴロしていたのだが――

 

「おじいー! お家上がるっちゃんねー!」

 

 そんな、快活な女の子の声が玄関から響いて来た。体を起こして台所の方に目をやると、間もなく小麦色の肌を持つセーラー服の少女が姿を現した。

 

「あれ? あんた、転校生たい?」

「いや、九月になったら東京に戻るけど」

「へえ! 東京もんか! じゃあお土産として、ここの事色々教えなきゃいけないっちゃんね!」

 

 少女はワクワクした表情で俺の元に駆け寄り、俺に向けて手を伸ばす。

 

「うち、緒方ソラ! あんたの名前は?」

「北島信治……」

 

 ソラからは仄かに甘い香りが漂っており、顔の可愛さもあってか、その時の俺はやや上の空といった状態だったのは覚えてる。

 

 こうしてソラと出会った俺は、田舎の夏の良さをその子からたっぷりと教わる事になるのだった。

 

 セミ取りをしたり、川での水浴びをしたり、あぜ道を二人乗りで自転車で走ったり……ベタだが、心の底から楽しめた。

 

 しかし、そんな日々も永遠には続かない。両親が予定より早く帰ってくる事が決まり、突如として帰宅が決まったのだ。

 

 端的に言って、ショックだった。あともう1週間はソラと遊べると思っていたから。

 

 そして俺は、いけないとは分かりつつも祖父と揉めに揉め、家出をしてどこかへ走り去ってしまう。

 

 走って、走って、走りまくって。そうして俺がたどり着いたのは……山奥の神社だった。

 

 苔むした石畳の道、黒ずんだ狛犬の像、カビだらけの本殿。誰が見ても、この神社がもう使われて居ないと言う事は明らかだった。

 

「……終わった」

 

 ――お腹が空いた上、帰り道が分からない。しかもこんな所に人なんか、寄りつかないに決まってる。ここで俺は死ぬんだ……

 

 絶望して膝を突く俺。すると、右側から砂利を踏む足音が近づいて来る事に気づく。

 

 その音に振り向くと、そこにはラムネ瓶とチキンラーメンのカップを持ったソラが居た。

 

「ん、信治? なしてここが分かったと?」

「それは――」

 

 安心感からか、腹が鳴ってしまう。それも盛大に。ソラはその音を聞いてカラカラと笑った後、持っていたチキンラーメンのカップを俺の目の前に置く。

 

「ウチその味に飽きてしまったけん、信治が食いんしゃい。お腹空いとるんちゃろ?」

「……いいのか?」

「よかよ! ちょっと寂しくなって来たころやけん、ウチに付き合ってくれた礼の先払いと思ってたんと食うばい」

 

 それから俺とソラは、本殿の縁側にくっついて座り、それぞれ手に持っている物を味わった。

 

「ここねー、ウチだけが知ってる穴場なんよ。もー20年前くらいから使われんくなっとうけん、誰も寄りつかんっちゃん」

「ソラも、一人になりたい時が?」

「あるよ! ウチも人間やけん、人のしがらみから離れたいときもあるたい。そんなときはここに来てダラダラして、ストレスをリセットするっちゃん」

「……じゃあ、俺はその時間を邪魔しちまった事になるな」

「気にせんでよかよ。そろそろ帰ろうと思ってたころやけん、ストレスの解消はもう終わっとう。それに――」

 

 ラムネ瓶をグッと握り、俺の方を見るソラ。

 

「アンタなら、ここに来ても許せると。ウチの遊びにとことん付き合ってくれたのは、アンタが初めてばい」

「大したことをした記憶は無いがな」

「けど、その大したことない事で確かにウチはばり救われとう。この頃みんな、受験だ受験だー言うてウチに構ってくれんくなっとったからね。やけん――」

 

 ソラは僅かに残ったラムネ瓶の中身を全て口に含み――

 

 俺の顔を両手で掴み、唇を重ねた。

 

「……!!」

 

 口の中に流れ込んできたサイダーは泡立っていて、温かったが、特別な風味をはらんでいた。

 

 そうしてしばらく唇を交わしたあと、ソラは唐突に唇を離して俺の前に立つ。辺りはすっかり暗くなっていたが、ソラが浮かべていた、今まで見た事の無い妖艶な微笑はハッキリと見えた。

 

「特別な思い出を、アンタにもあげちゃる。この思い出を胸に、東京でも頑張って欲しいっちゃん」

 

 唇に人差し指を当て、白い歯を剥き出しにして笑うソラ。

 

「ウチも絶対そっちに行くけん、ちゃーんと生きて待つっちゃんね!」

 

 ◇  ◇  ◇

 

 ――これが俺の、あの夏に関わる最期の記憶。刺激的なあの夏は、思い出す度に俺の心を清涼感で満たしてくれる。

 

 回想を終えた俺は、丁度出来上がったチキンラーメンのスープをすすり、それを飲み込んだ後でラムネを飲む。

 

 ……が、すぐにビニール袋に吐き出してしまう。

 

 ――不味い。本当にこの二つは食い合わせが悪すぎる。

 

 そうして口の中が落ち着くのを待っていると、机の上に置いた携帯がブルブルと震える。

 

 俺は携帯を手にとり、誰からの着信かを確認する。

 

「やっぱ、あの味が欲しいなら本人から施して貰うに限るな」

 

 緑色のボタンを押し、携帯を耳に当てる俺。電話越しに聞こえた声は――

 

「――明日アンタの家に行くけん、予定空けとってね!」

 

 そんな、懐かしさを覚える明朗快活な声だった。


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