人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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友達以上恋人以上恋愛意識無しの体格差男女が一生小難しい事喋ってイチャついてる性癖を満たすために自炊したヤツです。
社会の苦痛に耐えられぬ時にキメてください。



シーン00:理論と現実のマーマレード

 僕、如月 裕介(きさらぎ ゆうすけ)の一日は、大抵このキッチンから始まる。

 五月の朝の光が、磨かれたシンクに反射して柔らかく跳ね返っていた。トースターがちん、と軽快な音を立て、きつね色に焼かれた角食パンが二枚顔を出す。隣のコンロでは、ケトルの注ぎ口から白い湯気が静かに立ち上っていた。

 

 大学二年生にもなり一人暮らしを始めて一年が過ぎると、家事という名のタスク群はすっかり体に馴染み、ほとんど無意識の領域で処理できるようになった。最初は試行錯誤の連続だったけれど、今では冷蔵庫の中身だけで一週間の献立を組み立て、最短の動線で調理から後片付けまでを終える最適化されたルーチンが構築されている。我ながら、なかなかの進歩だと思う。

 

 これもすべては、僕のこの城に頻繁に出入りする、ある『同行者』の存在のおかげかもしれない。自分ひとりなら、朝食なんてコーヒーとシリアルで済ませてしまう日だってあるだろう。だが、被保護者がいるとなれば話は別だ。

 

「……ユウ君、おはようございます」

 

 背後から、少しだけ舌足らずな、眠気の残る声がした。振り返ると、リビングのドアからひょっこりと顔をだした阿佐ヶ谷 絵里奈(あさがや えりな)が、大きなあくびを噛み殺している。小柄で華奢な体格、色素の薄いふわふわの長髪に、どこか遠くを見つめているような大きな瞳。僕が貸した、彼女には少し大きすぎるシャツの袖が余って、その小さな手をすっぽりと覆っていた。

 

「おはよう、エリ。顔を洗っておいで。もうすぐ準備できるから」

「はい……生命維持活動(あさごはん)の準備、ありがとうございます」

 

 彼女はぺこりと頭を下げると、ふらふらとした足取りで洗面所へと消えていった。あの調子だと、歯磨き粉と洗顔フォームを間違えかねないな。

 

 テーブルの上に、焼きたてのトーストを二枚ずつ乗せた皿を並べる。ガラスのボウルには、レタスとキュウリ、ミニトマトのシンプルなサラダ。そして、テーブルの中央には小さなガラス瓶。中に入っているのは、先週僕が時間をかけて煮詰めた手製のマーマレードだ。黄金色のジャムの中で、オレンジの皮がキラキラと光っている。

 

 僕とエリの関係性を、他人に説明するのはいつも少し骨が折れる。中学時代からの友人であり、腐れ縁。それが最もシンプルで、そして最も実態に即した表現だろう。

 彼女は、数学という分野においては疑いようのない天才だが、こと生活能力に関しては、驚くべき無能さを発揮する。一人で放置すれば、三日で部屋はカオスの海と化し彼女自身は栄養失調、この現代社会で遭難しかねない。そんな有様だから、彼女が僕の部屋に週に二、三度泊まりに来る、または僕が彼女の部屋にお邪魔するのは、もはや僕たちの間では当たり前の日常になっていた。彼女のご両親からも「娘がいつもお世話になっています」と定期的に付け届けが送られてくる始末だ。

 

 まあ、放っても置けないし、僕が作った料理を心の底から幸せそうに頬張る彼女の顔を見るのは、悪い気分じゃない。

 

「お待たせしました」

 

 さっぱりとした顔で戻ってきたエリが、テーブルに向かって歩いてくる。傍から見れば、僕たちの姿は奇妙なコントラストに映るだろう。180センチを優に超える僕と、その胸元にも届かない小柄な彼女。まるで不揃いな駒が並んだチェス盤のようだ。彼女はそんな身長差など意にも介さず、僕の向かいの席にちょこんと座った。

 二人で静かに手を合わせ、それぞれのトーストにバターとマーマレードを塗っていく。カリ、という心地よい音を立てて、僕たちはそれぞれの朝食を口に運んだ。手作りマーマレードの、爽やかな甘さとほのかな苦みが口の中に広がる。

 

「……ん、美味しいです」

 

 エリは幸せそうに目を細めると、二口、三口とトーストを食べ進めた。そして、ふと自分の手の中にある、四角く切り取られたパンをしげしげと眺め始めた。その目に、いつもの光が灯る。

 

 始まったな、と僕は内心で思う。僕たちのありふれた一日は、いつだって彼女の唐突な問いから、その様相を変えるのだ。

 

「ユウ君」

「ん?」

「このトーストの形を見ていたら、ふと取り留めもない事を考えてしまいました」

 

 彼女は、食べかけのトーストを、まるで世紀の発見物のように僕の前にかざして見せた。その目は、もはやただのパンではなく、その向こう側にある世界の真理を見つめている。

 

「人間は、どうして『四角』という形にこれほどまでに安心感を覚えるんでしょうか?」

「四角に安心感、ねえ」

 

 僕はコーヒーカップを手に取りながら、彼女の投げかけた問いを反芻した。確かに、僕たちの身の回りは四角いもので溢れている。このテーブルも、部屋の窓も、僕が昨晩読んでいた専門書のページも。だが、そこに特別な注目を向けたことなど一度もなかった。

 

「自然界にはあまり存在しない形だからじゃないかな。森や山はもっと複雑で、ランダムな形をしている。それに比べて、直線と直角で構成された四角は、明らかに人間が作り出した人工的な形だ。だから、自分たちがコントロールできる領域の象徴として、無意識に安心感を覚えるんじゃないか」

 

 僕が工学的な視点から、機能と心理の関連性を推測して答えると、エリは満足そうに頷いた。

 

「なるほど。自然というカオスに対する、人間の理性による秩序の象徴……まさにその通りだと思います」

 

 彼女はトーストの最後の一口を頬張ると、こくりと飲み込んだ。そして、まるで温まってきたエンジンのように、その思考をさらに加速させていく。

 

「でも、ユウ君。その『秩序』への憧れは、時としてわたし達の思考を縛る檻にもなるんです。例えば数学の世界。古代ギリシャのピタゴラス学派は、世界のすべては美しい整数の比で説明できると信じていました。それは完璧な調和と秩序に満ちた世界観です。でも、彼らは自分たちの手でその完璧な世界を破壊してしまうことになる」

「無理数の発見、かな」

「ご名答です」とエリは微笑む。「一辺の長さが1の正方形。これ以上なくシンプルで秩序正しい図形です。でも、その対角線の長さは√2。決して分数で表すことのできない、無限に続く不規則な数。秩序の象徴であるはずの正方形の中から、彼らの信じる世界の調和を根底から覆す『混沌』が生まれてしまった。彼らはその事実を恐れるあまり、発見者を海に突き落として隠蔽しようとしたとさえ言われています」

 

 彼女は、まるで見てきたかのようにその光景を語る。サラダのミニトマトをフォークで突き刺しながら、彼女の思考は古代ギリシャの数学者たちが抱いたであろう恐怖と絶望に寄り添っている。

 

「わたし達が当たり前に使っている四角い紙……例えばA4のコピー用紙。あれも、よく考えれば不思議な性質を持っていますよね」

「というと?」

「A判の紙は、どこまで半分に折っても、縦と横の長さの比率が常に同じ『1:√2』になるように設計されています。白銀比と呼ばれるこの比率は、まさにピタゴラスたちを絶望させた無理数そのものです。わたし達は、古代人があれほど恐れた混沌の比率を、最もありふれた日常の道具として、無意識のうちに使いこなしている。そう考えると、なんだか痛快じゃないですか?」

 

 彼女は悪戯っぽく笑いながら、空になった自分の皿を指さした。その円形の皿と、食べ終えた四角いトーストの痕跡。その対比が、彼女の頭の中では何らかの数学的な意味を結んでいるのかもしれない。

 

「円と四角。完全性と実用性。無限性と有限性。この朝食のテーブルの上だけでも、数学の歴史における数々のドラマが見えてくるようです」

 

 僕は空になったコーヒーカップを手に、キッチンへと立ち上がった。彼女の壮大な話を聞いていると、僕の頭も少しずつ回転を始める。僕たちの日常は、彼女というフィルターを通すことで、いつも思いもよらない深みと広がりを見せるのだ。

 

「エリの話を聞いていると、僕らが作ったシステムも同じかもしれないと思うよ」

「システム、ですか?」

 

 僕は自分の分のコーヒーを淹れながら、振り返って言った。

 

「僕が設計する電子回路も、基本的には0と1のデジタル信号、つまり四角いパルス波の組み合わせで動いている。極めて秩序だった、計算可能な世界だ。でも、そのシステムを現実に動かすためには、ノイズや発熱、部品の個体差といったアナログで予測不能な要素……つまり、エリの言う『無理数的な混沌』と常に向き合わなければならない。完璧な設計図通りには、世界は決して動いてくれないんだ」

 

「なるほど……」エリは顎に手を当て、真剣な表情で僕の言葉を聞いている。「理論という名の美しい正方形と、現実という名の割り切れない対角線。ユウ君の世界も、なかなかスリリングで面白そうですね」

 

「君ほどじゃないさ」

 

 僕は彼女の分の紅茶も淹れてやると、二つのカップを持ってテーブルに戻った。温かい湯気が、二人の間の空間を優しく満たしていく。

 

「さて、と」と僕は席につく。「世界の謎を解き明かす前に、まずこの目の前のテーブルを片付けないとね。僕らの日常という名のシステムは、そういう地道なタスクの積み重ねで動いているんだから」

 

 僕がそう言って笑うと、エリは「それもまた、一つの美しい定理ですね」と返して、にこりと微笑んだ。

 

 

 

 食後、僕が洗い物をしている間、エリはソファに座って今日の講義で使うであろう専門書を読みふけっていた。カチャカチャという食器の音と、彼女が時折ページをめくる紙の音だけが、静かな部屋に響いている。それが僕たちのいつもの朝の風景だった。洗い終えた皿を拭きながら、僕は彼女の小さな姿を眺める。

 

 中学二年生の、あの土砂降りの日に出会ってからもう五年になる。休み時間も一人で難解な数式を解いていた、少し変わったクラスメイト。それが彼女に対する最初の印象だった。空腹で泣いていた彼女に、僕が自分の弁当を分け与えたあの日から、僕たちの奇妙な共生関係は始まった。

 

 最初はただ、生活能力のない危なっかしいクラスメイトを見かねただけだった。だが、いつしか彼女の存在は、僕の日常にとってなくてはならないものになっていた。彼女が投げかける突飛な問いは、僕の凝り固まった思考を柔らかくほぐしてくれる。僕が当たり前だと思っていた世界の風景が、彼女の言葉一つで全く新しい意味を持ち始める。その知的興奮は、どんな精緻な電子回路を組み上げた時の達成感とも違う、特別な種類の喜びだった。

 

「ユウ君」

 

 僕が物思いに耽っていると、エリが専門書から顔を上げずに話しかけてきた。

 

「うん、何かな?」

「今日の夕飯ですが、鶏肉の気分です。できれば煮込んだものが望ましいです」

「……まだ朝の九時だよ」

「未来の出来事を予測し、現在において最適な行動を選択する。それは人間が持つ最も優れた能力の一つですよ。わたしは今、夜に訪れるであろう自らの空腹という名の危機を回避するため、ユウ君という最も信頼できるエージェントに対してタスクの予約を入れているんです。極めて合理的でしょう?」

 

 彼女は顔も上げず、さも当然のように言う。僕は呆れてため息をついた。

 

「はいはい、トマト煮でも作ろうか。冷蔵庫にトマト缶の残りがあるんだ」

「素晴らしいです。期待していますね」

 

 彼女は満足そうに頷くと、再び数式の海へと意識を沈めていった。

 

 僕は最後のカップを拭き終え、食器棚にそれを収めた。キッチンはすっかり元の静けさを取り戻している。ふと、テーブルの上に置かれたままになっていたマーマレードの瓶が目に入った。朝の光を受けて、黄金色のジャムがきらりと輝く。

 

 僕たちは友人だ。それ以外の言葉でこの関係を定義しようとしたことはない。でも、時々思う。僕が彼女に与えているのは、ただの食事や寝床だけなのだろうか。そして、彼女が僕に与えてくれるのは、ただの知的な刺激だけなのだろうか。

 

 僕たちの間に横たわるこの心地よくて、少しだけ奇妙で、そして名前のない関係性。それこそが、ピタゴラスたちを絶望させた無理数のように、決して割り切ることのできない、僕たちだけの世界の真理なのかもしれない。

 

「さて、と」

 

 僕は気持ちを切り替えて、大学へ行く準備を始めた。

 

「エリ、そろそろ出ようか。忘れ物はない?」

「はい。ユウ君さえいれば、わたしは何も要りません」

「僕を忘れ物リストに入れるな」

 

 軽口を叩きながら玄関へ向かう。その後ろを、エリが嬉しそうな足音でついてきた。

 

「行きましょうか、ユウ君。世界の謎を、今日も一つ解き明かしに」

 

 ドアを開けると、五月の爽やかな風が僕たちを迎えた。ありふれた、しかし僕たちにとってはかけがえのない一日が、今また始まろうとしていた。




こんな感じで、この二人がひたすらイチャつき続ける話です。
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