人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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シーン33:ハレの日の系譜学

 

 秋晴れの昼休み。城南大学の学生食堂は、午後の講義を前に腹を満たそうとする学生たちでごった返していた。

 その喧騒の中心で、僕はトレイに乗せた日替わり定食(今日は鶏の唐揚げだ)をどうにか確保し、窓際の席で待つ友人の元へと向かった。

 

「おー、ユウスケ! こっちこっち!」

 

 フットサルサークルに所属する友人、三浦健太が大きな声で手を振っている。彼の前には、すでに大盛りのカツカレーが鎮座していた。その圧倒的なカロリーの塊は、彼の体育会系らしいエネルギーの源なのだろう。

 

「すごい混みようだね」

 

「まあ、昼時はいつもこうだよ。それより唐揚げ美味そうじゃん! 一個くれよ」

 

「断る。自分のカツを一枚よこすなら考えてもいい」

 

「鬼かよ!」

 

 そんなくだらないやり取りをしながら席に着く。健太は良くも悪くも裏表のない、分かりやすい男だ。深く考えるのは苦手だが、その明るさと行動力には時々羨ましくなることもある。

 

 彼はカツカレーを勢いよくかき込みながら、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「あ、そうだユウスケ。聞いてくれよ。俺らのサークル、次の学祭で出店やることになったんだわ!」

 

「へえ、フットサルサークルが? 何を売るんだい?」

 

 僕は唐揚げを一つ頬張りながら尋ねた。外はカリカリ、中はジューシー。食堂のクオリティもなかなか侮れない。

 

「それがさぁ……まだ何も決まってねえんだよ」

 

 健太は、スプーンを持つ手を止め、急に情けない顔になった。

 

「なんか、3年の先輩がノリで『やろうぜ!』って言い出して、多数決取ったら通っちまったんだけど、いざやるってなっても誰も何から手つけていいか分かんなくてさ。料理できるヤツもいねえし、そもそも出店ってどうやって準備すんだ?みたいな」

 

「……なるほどな。典型的な見切り発車ってやつだね」

 

 僕は呆れてため息をついた。彼の苦労する姿が目に浮かぶようだ。

 

「だろ!? で、昨日ミーティングしたんだけど、焼きそばだの、たこ焼きだの、フランクフルトだの、言うだけは言うんだけど、じゃあ誰が作るんだよって話になると、みんな目を逸らしやがってさ……」

 

 健太は、まるでこの世の終わりのような顔で僕の両手をがしりと掴んだ。その目は、藁にもすがる思いで潤んでいる。

 

「……というわけで、ユウスケ様! この通りです! 俺たちに、料理と出店のノウハウをご教授ください!」

 

「……はぁ。やっぱりそういう話か」

 

 僕は、彼の熱意のこもった(そして少しカレーの匂いがする)手を振り払いながら、深いため息をもう一つ漏らした。そもそも健太はなぜ僕に相談するのか。サークルにも入っていない僕が、なぜ他所のサークルの学祭の心配をしなければならないんだ。

 

「君なぁ、少しは自分で調べるとか……」

 

「調べたよ! ネットで『学祭 出店 簡単』とか! でも、なんかピンとこねえんだよ! やっぱり経験者のリアルな声が聞きてえじゃん? 頼むよユウスケ! お前が前にバイトで作ってた賄いのパスタ! あの味が忘れられねえんだ! お前なら、きっと学祭の救世主になれる!」

 

「パスタと学祭の屋台は全く別物でしょ……」

 

 僕がそのあまりにも面倒な頼みをどうやって断ろうかと言葉を探している、その時だった。

 

「――お話の途中、失礼します」

 

 背後から、ふにゃふにゃした、しかしどこか楽しげな声がした。振り返るまでもない。親の声より良く知る声だ。

 

「おや、三浦君。何やら、共同体の存続に関わる非常に深刻な問題に直面しているご様子ですね」

 

僕の背後からひょっこりと顔を出したのは、やはりエリだった。彼女は僕の隣の空席に、さも当然のように自分のトレイ(今日は野菜たっぷりのヘルシーランチだ)を置くと、興味深そうに健太を見つめた。

 

「エリナちゃん!?」

 

健太が驚きの声を上げる。そして、続いてもう一人の人物が姿を現した。

 

「こんにちは、三浦君。ユウ君も」

 

「一条さん!」

 

 エリと同じ数学科の友人で、彼女の保護者役でもある一条美咲さんだ。彼女は「やれやれ」といった表情で、エリの奇行を諌めるでもなく、静かにエリの向かい、健太の隣の席に自分のトレイを置いた。

 

「エリ、美咲さん。偶然だね」

 

「いえ、偶然とは言えない出会いなの。講義終わり、二人で食事にしようとここまできたのだけれど」と美咲さんが答える。「そしたら、エリちゃんが『ユウ君の匂いがします』とか言い出して、鼻をクンクンさせながらこっちに来たのよ。あなた、犬か何かなの?」

 

「ユウ君が発する、知的で落ち着いたオーラは、この雑踏の中でも明確に識別可能です」

 

 エリは、美咲さんのツッコミを全く意に介さず、胸を張って答えた。

 

「そ、それより!」

 

 健太が、僕たちのやり取りを遮るように、再び身を乗り出した。彼の目には、エリと美咲さんという新たな救世主(候補)が現れたことによる、希望の光が宿っている。

 

「エリナちゃんも一条さんも、ちょうどいいところに! 今、俺たちのサークルが学祭でピンチなんだ! ユウスケに助けを乞うてたとこでさ!」

 

 健太がこれまでの経緯を興奮気味に説明すると、エリはふむ、と顎に手を当てて、真剣な表情で頷いた。

 

「なるほど。それは、単なるサークル活動の問題に留まらない、非常に根源的なテーマを含んだ議題ですね」

 

「え? 根源的?」

 

 健太が、きょとんとした顔で聞き返す。

 

「はい」とエリは、その大きな瞳で僕たち三人を順番に見回した。「そもそも、日本人は、なぜこれほどまでに『祭り』という非日常的な空間を愛し、そこに集うことを求めるのでしょうか? そして、その祝祭空間の核となる、焼きそばや、たこ焼きといった『屋台』の食べ物は、なぜ、わたしたちの心をあれほどまでに強く惹きつけるのでしょうか? その謎を解き明かすことはきっと、三浦君のサークルが直面している問題解決の、重要なヒントになるはずです」

 

 始まった。僕は、唐揚げの最後の一つを口に放り込みながら、内心で天を仰いだ。健太のサークルの出店という、極めて現実的で地に足の着いた悩みは、今、エリという名の触媒によって、日本の祭祀文化と食の歴史を巡る壮大な知的冒険へとその姿を変えようとしていた。

 

 美咲さんは、そんなエリの様子に「あ、スイッチ入った」と小さく呟き、諦めたようにサラダを食べ始めている。健太だけが、状況を全く理解できないまま「え? え? どういうこと?」と目を白黒させていた。どうやら、この学食のテーブルは、しばらくの間、時空を超えた文化人類学の講義室になるらしい。

 

 

「まず、日本の『祭り』の起源から考えてみましょう」

 

 エリはまるで大学の講義を始める教授のように静かに、しかし熱を帯びた声で語り始めた。健太は目の前のカツカレーも忘れ、その熱意に完全に圧倒されている。

 

「日本の祭りの原型は、古代の農耕儀礼にまで遡ることができます。特に稲作文化と深く結びついていました。春には田の神様をお迎えして豊作を祈願し(春祭り)、夏には台風や病害虫といった災厄から稲を守るための祈りを捧げ(夏祭り)、そして秋には無事に収穫できたことを神様に感謝する(秋祭り)。祭りは自然の恵みに生かされているという、古代の人々の切実な祈りと感謝の表明の場だったんです」

 

「へえ、神様への感謝が始まりだったのか」

 

 健太が、素直に感心した声を上げる。

 

「はい。そして、その祭りの日というのは日常とは切り離された特別な時間でした」とエリは続ける。「社会学者の折口信夫は日本人の時間感覚を、日常的な時間である『ケ』と非日常的な祝祭の時間である『ハレ』に分けました。祭りはまさにこの『ハレ』の時間です。人々は普段の仕事や身分から解放され、特別な衣装を身に着け、神様と共に飲食し、歌い踊ることで心身をリフレッシュし、共同体の絆を再確認したんです。祭りとは、いわば社会全体を活性化させるための定期的な『再起動』の装置だったのかもしれません」

 

「再起動、ね。面白い表現だね」と僕は相槌を打った。「確かに学祭も、普段は真面目に講義を受けている僕らが数日間だけお祭り騒ぎを許される、現代の大学における『ハレの日』と言えるかもしれないね」

 

 僕の言葉に、エリは満足そうに頷いた。

 

「その通りです、ユウ君。そして、その『ハレ』の空間をより一層特別なものとして彩る重要な要素が『市』の存在でした。祭りの日には神社の境内や参道に様々な人々が集まり、物が交換され、売買される『市』が立ったんです。そこは、単なる経済活動の場ではありませんでした。普段は出会うことのない遠方の人々が訪れ、新しい情報や文化が交流する、活気に満ちたコミュニケーションのハブでもあった。祭りの日の高揚感と市の賑わいが一体となって、あの独特の祝祭空間が生まれていったんです」

 

「なるほどな。祭りと市場ってのは昔からセットだったわけか」と健太が言う。

 

「ええ。そして、その『市』の伝統が、時代と共に形を変え、現代のわたしたちが知る『屋台』や『出店』の文化へと繋がっていくんです」

 

 エリはそこで一度言葉を切り、僕の顔をじっと見つめた。その視線は、ここからの食文化の歴史については専門家であるあなたの解説をお願いします、と雄弁に語っていた。やれやれ、と僕は内心で思いながらも彼女の期待に応えることにした。

 

「エリの言う通りだよ」と僕は、少しだけ身を乗り出して話し始めた。「江戸時代になると、平和な世の中が続いたことと交通網が発達したことで、都市部を中心に祭りはさらに大規模でエンターテイメント性の高いものになっていった。特に、江戸の三大祭りと言われた神田祭や山王祭には何十万人もの見物客が押し寄せたと言われている」

 

「何十万人!? 江戸時代の人口で、それはヤバいな!」

 

 健太が驚きの声を上げる。

 

「ああ。そして、それだけ多くの人が集まれば、当然彼らの食欲を満たすための商売が生まれる。そこで登場したのが天秤棒を担いで食べ物を売り歩く『棒手振(ぼてふり)』や、簡単な屋台を組み立てて商売をする人々だった。寿司、天ぷら、うなぎの蒲焼、蕎麦。今では高級な日本料理と思われているものの多くが、実は江戸時代の屋台で庶民が気軽に楽しむファストフードとして生まれたんだよ」

 

「え、寿司とか天ぷらがファストフードだったの?」

 

 美咲さんが、意外そうな顔で聞き返した。

 

「そうなんだ」と僕は頷く。「当時の江戸は、男性の単身赴任者が多い世界有数の大都市だった。彼らは家で自炊するよりも、手軽に外で食事を済ませることが多かった。だから、注文したらすぐに出てきて立ったままさっと食べられる屋台の食事は、江戸のライフスタイルにぴったりだったんだ。握り寿司なんてまさにその典型だよね。大きさは今のおにぎりくらいあって、それを二、三個食べれば一食分になったらしい」

 

「へぇー、知らなかったわ。なんだか、今の立ち食い蕎麦とか牛丼屋さんのご先祖様みたいね」

 

 美咲さんの的確な例えに、僕は頷いた。

 

「まさにその通りだ。そして、明治、大正時代になると、西洋の文化が入ってきたことで屋台のメニューも多様化していく。お好み焼きやもんじゃ焼きの原型が生まれたのもこの頃だと言われている。そして、戦後の復興期。食料が乏しい中で、人々は焼け跡の闇市に集まり、少ない材料を工夫して、安くて、お腹いっぱいになる食べ物を求めた。そこで、たこ焼きや、焼きそばといった小麦粉を主原料とする『粉もの』の屋台が大衆の人気を博し、日本中に広まっていったんだ。学祭の屋台で今でも粉ものメニューが定番なのは、その歴史の名残と言えるかもしれないね」

 

 僕がそう締めくくると、健太は「なるほどぉ……」と、深々と唸った。彼の頭の中では、古代の農耕儀礼から江戸のファストフード、そして戦後の闇市までの壮大な歴史が学祭の焼きそばと一本の線で繋がったのかもしれない。

 

「つまり、三浦君」

 

 エリが健太の目を見て、静かに、しかし力強く言った。

 

「あなたがやろうとしていることは、単なるサークルの資金稼ぎではないんです。それは、日本の人々が古来から受け継いできた『ハレの日』の記憶を現代において再現するという、非常に文化的で意義深い営みなんですよ」

 

 彼女のあまりにも壮大な結論に、健太は完全に気圧されていた。

 

「い、意義深い……営み……」

 

「はい。ですから、メニューを決める際もただ『簡単だから』とか『儲かりそうだから』という視点だけでなく、『自分たちは、この学園祭というハレの日にどんな物語を提供したいのか?』という、もっと高い視点から考えてみるべきです。そうすればきっと、他のどのサークルにも真似できない、あなたたちだけの最高の出店が作れるはずです」

 

 エリはそう言ってにこりと微笑んだ。その笑顔は、まるで全てを見通した女神のようでもあり、無邪気な子供のようでもあった。

 

 エリの壮大すぎるアドバイスに、健太は完全に思考のフリーズを起こしていた。彼のCPUは「サークルの出店」というタスクを処理することはできても、「ハレの日の記憶の再現」という高度な概念演算には対応していないようだった。ぽかんと口を開けて固まっている健太を見かねて、美咲さんが助け舟を出した。

 

「まあ、エリちゃんの言うことも分かるけど、少し話が飛びすぎじゃないかしら」

 

 彼女は呆れたようにエリを見ると、健太に向き直って、もっと現実的な視点から話し始めた。

 

「要するに、『何となく』で決めるんじゃなくて、ちゃんとコンセプトを立てなさいってことよ、三浦君。あなたたちのサークルの『色』を出せるような、何か特別なメニューを考えてみたらどう?」

 

「俺たちのサークルの……色?」

 

 健太が、ようやく再起動した頭でオウム返しに呟く。

 

「そうよ。例えば、フットサルサークルなんでしょ? 体を動かす男の子たちが多いんだから、『スタミナ満点!』とか『筋肉が喜ぶ!』みたいなのをテーマにするとか。あるいは、フットサルがブラジル発祥のスポーツだからって、思い切ってブラジル料理の屋台をやるとか」

 

「ブラジル料理!?」

 

 健太の目が、カッと見開かれた。その目は、もはや僕ではなく、美咲さんという名の新たな救世主を崇めるように輝いている。

 

「なるほど! その発想はなかった! ブラジル料理かぁ……例えばどんなのがあるんすか、一条さん!」

 

「そうねぇ……」

 

 美咲さんは少し考える素振りを見せ、そして僕の方にちらりと視線を送った。その目は「あとはよろしく」と語っていた。えー、そこまで言ってノープランなんですか?

 僕は、食堂の天井を仰ぎながら、自分の料理の知識データベースを検索した。

 

「ブラジル料理の屋台、ね。面白いかもしれないな。例えば『パステル』なんてどうだろう」

 

「ぱすてる?」

 

健太と、そしてエリまでもが、不思議そうな顔で僕を見る。

 

「ああ。薄いパイ生地のようなもので、ひき肉やチーズ、ヤシの新芽なんかを包んで揚げた、ブラジル風の揚げ餃子みたいなスナックだよ。サクサクしてて、片手で気軽に食べられるから、屋台にはぴったりだと思う。中身の具材を色々アレンジすれば、オリジナルも出しやすい」

 

「揚げ餃子! うまそうじゃん!」

 

 健太が身を乗り出す。

 

「あとは、『コシーニャ』もいいな。鶏肉をほぐして、ジャガイモを練り込んだ衣で包んで揚げた、コロッケみたいな食べ物だ。雫みたいな形が特徴的で、見た目も可愛いし、食べ応えもある。ブラジルでは、国民的なおやつとして大人気だよ」

 

「コロッケ! それもいいな! なんか、聞いたことある名前だ!」

 

 僕が具体的なメニュー名を挙げるたびに、健太の顔がどんどん明るくなっていく。彼の頭の中では、すでに学祭でブラジル料理の屋台が大成功を収めている光景が広がっているのかもしれない。

 

「でも、ユウ君」

 

 そこで、静かに話を聞いていたエリが、ふと疑問を口にした。

 

「そういった揚げ物は、調理のオペレーションが少し複雑になるのではないでしょうか。特に、学園祭のような限られた設備と、素人の人員で、大量の注文を効率よく捌くことを考えると、揚げる時間や油の温度管理がボトルネックになる可能性があります。もっと、作り置きができて、提供までの時間が短いメニューの方が、リスクは少ないかもしれません」

 

 彼女の指摘は、極めて冷静で、そして的確だった。さすが、物事を常に数学的なモデルやシステムとして捉えようとする頭脳だ。浮かれていた健太の頭に、冷水を浴びせるような鋭い分析だった。

 

「……確かに。揚げたてを提供しようとすると、ずっと誰かが揚げ物に付きっきりにならなきゃいけないし、お客さんを待たせる時間も長くなるかもな……」

 

 健太が、再びしょんぼりと肩を落とす。

 

「それに、美咲さんの『スタミナ満点』というコンセプトも素晴らしいと思います」とエリは続けた。「お祭りの高揚感の中で、人々が求めるのは、小腹を満たすスナックだけではありません。もっと、こう、胃袋を直接的に満たし、エネルギーが湧いてくるような、パワフルな食べ物への需要も大きいはずです」

 

 エリの言葉に、僕も同意した。

 

「確かに。となると、ご飯ものがいいかもしれないな。作り置きしておいた具材を、温かいご飯の上にかけるだけなら、提供スピードも格段に上がる」

 

「ご飯もの……丼、とか?」

 

 美咲さんが尋ねる。

 

「そうだなぁ。ブラジル料理にこだわるなら、『フェジョアーダ』をご飯にかけるスタイルもアリかもしれない。黒豆と豚肉や牛肉を煮込んだ、ブラジルの国民的なシチューだ。ただ、見た目がちょっと地味だから、学祭のメニューとしては華やかさに欠けるかな……」

 

 僕がそう言って唸っていると、健太が何かを閃いたように、ばっと顔を上げた。

 

「……なあ、ユウスケ。別に、ブラジル料理にこだわる必要、なくね?」

 

「え?」

 

「いや、一条さんのアドバイスはマジで神だったけど、俺たちが本当にやりたいのは、たぶん『フットサルサークルらしい、ガッツリ系の飯』ってことなんじゃねえかなって。だったら、もっと日本人に馴染みのあるメニューの方が、みんなも作りやすいし、お客さんも買いやすいかもしれねえ」

 

 健太のその言葉は、意外にも、非常に的を射ていた。コンセプトの本質を見抜き、それを自分たちの現実に合わせて軌道修正する。こいつ、たまには良い事言うじゃないか。

 

「……良い視点じゃない、三浦君」

 

 美咲さんが、感心したように微笑んだ。僕も、少しだけ健太のことを見直していた。

 

「だろ!? でさ、今思いついたんだけど……」

 

 健太は、僕たちの顔を順番に見回し、そして満を持して、そのアイデアを口にした。

 

「『タコライス』なんて、どうかな?」

 

 その瞬間、僕とエリ、そして美咲さんの三人の動きが、ぴたりと止まった。

 

「タコライス……」

 

 僕は、そのメニューが持つポテンシャルを、頭の中で瞬時に計算していた。白米、レタス、チーズ、トマト、そしてスパイシーなタコミート。彩りも豊かで、野菜も摂れる。辛さの調整も可能で、老若男女に受け入れられやすい。何より、オペレーションが極めてシンプルだ。

 

「……悪くない。いや、かなり良いアイデアじゃないか、健太」

 

 僕がそう言うと、健太は「だろ!?」と、子供のようにはしゃいだ。

 

「沖縄発祥の、メキシコと日本が融合した独創的な料理。ご飯の上に具材を乗せるだけというシンプルさ。そして何よりも、あの多国籍で、お祭りみたいな賑やかな見た目!」

 

 エリが、いつものようにその料理の背景にある物語を付け加え、目を輝かせている。

 

「ええ、素敵ね。栄養バランスも良さそうだし、女の子ウケもするんじゃないかしら。トッピングでアボカドとか追加できたら、さらに人気が出そう」

 

 美咲さんも、具体的なアイデアを添えて、その提案を後押しした。

 

 健太の、ほとんど偶然の産物のような一言が、僕たち四人の思考を一つに収束させた。古代の農耕儀礼から始まった壮大な議論は、今、沖縄生まれの陽気なソウルフードという、最高に現実的で、魅力的な着地点を見つけようとしていた。

 

「よし!」

 

 健太は、勢いよくテーブルに拳を叩きつけた。

 

「決まりだ! 俺たちのサークルは、学祭で最強のタコライス屋をやるぜ!」

 

 その声は、食堂の喧騒の中でも、ひときわ大きく、そして希望に満ちて響き渡った。問題は、まだ何も解決していない。レシピも、予算も、人員配置も、これから決めなければならないことだらけだ。だが、少なくとも、健太の船は、進むべき航路を確かに見つけたのだ。

 

 

 とは言え、健太の希望に満ちた宣言に、僕は少しだけ冷や水を浴びせるように釘を刺しておくことを忘れなかった。

 

「まあ、盛り上がっているところ悪いんだけど、一つだけ言っておくよ」

 

 僕は、空になった定食の皿を片付けながら冷静に告げた。

 

「僕が手伝えるのはあくまで事前準備まで。レシピの開発とか、調理の段取り、必要な機材のリストアップとかね。当日は、僕はサークルの人間じゃないんだから手伝う義理はない。そこは勘違いしないでよ」

 

 僕のその言葉に健太は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みでぶんぶんと首を縦に振った。

 

「おう! もちろんだ! 当たり前じゃねえか! つーか、そこまで手伝ってくれるだけで俺たちにとっては神様、仏様、ユウスケ様だよ! マジでありがとうな!」

 

 彼は心の底から感謝しているようだった。どうやら、一番厄介な「ゼロからイチを生み出す」部分さえクリアできれば、あとは自分たちの力で何とかできると考えているらしい。その根拠のない自信が彼の美点でもあるのだろう。

 

「……あら」

 

 その時、僕の隣で静かにランチを食べていたエリが意外そうな、そして少しだけ不満そうな声を漏らした。

 

「わたしはてっきり、ユウ君のことですから、当日もなんだかんだ言いながら結局手伝ってあげるものだと思っていました」

 

「なんでそうなるんだよ」

 

「だって、ユウ君は根がお人好しで、面倒見が良いですから。それに、三浦君たちが作ったタコライスがもしレシピ通りに再現されていなかったら、きっと我慢できなくなってキッチンに乗り込んでいくに違いありません。あなたの聖域である調理場が素人によって汚されるのを、あなたは許せるんですか?」

 

 彼女は僕の性格を的確に分析しながら、挑発するように僕の顔を覗き込んできた。そのからかうような視線に、僕はカチンときた。こいつ、もしかして忘れてるんじゃないだろうな。

 

「……君ねえ。僕をただの世話焼きの心配性みたいに言うなよ。僕にだって、僕の予定というものがあるんだ」

 

「予定、ですか?」

 

「ああ、予定だ」

 

 僕はわざとらしくため息をつくと、エリの目をまっすぐに見つめて言った。

 

「去年の学祭の帰り道、誰かさんが僕に言ったんだよ。『来年も、絶対に一緒に学祭を回りましょうね』って。僕が当日に君を放って出店のヘルプなんかしてたら、その約束、破ることになるだろ?」

 

 僕がそう言った瞬間、エリの動きが、まるで時間が止まったかのようにぴたりと固まった。

 

 彼女は大きな瞳をぱちくりと数回瞬かせ、僕の言葉の意味を懸命に理解しようとしているようだった。そして、その意味がようやく彼女の脳の深奥部にまで到達したのだろう。みるみるうちに、彼女の白い頬が、耳まで真っ赤に染まっていくのが分かった。

 

「……あ……え……わ、わたし、そんなこと、言いました、でしょうか……?」

 

 エリは完全に狼狽していた。いつもは理路整然と、世界の真理について語るあの饒舌さはどこへやら、今はしどろもどろに言葉を探している。あ、やっぱり、自分で言ったことを完全に忘れてるな。

 

「言ったよ。僕は、ちゃんと覚えてる」

 

僕はたたみかけるように、しかし静かな声で言った。「だから僕は、君が興味を持ちそうな学術系の研究発表とか、面白そうな展示とか、 今からちゃんとリサーチしてるんだぞ。君も、ちゃんと当日は時間を空けておくように」

 

 僕のその言葉は、彼女にとってとどめの一撃だったらしい。エリは「う……」と小さく呻くと完全に黙り込んでしまい、ただただ顔を赤くして俯いてしまった。その手元では、フォークが意味もなくサラダのミニトマトをつつき続けている。

 

 僕たちのその一連のやり取りを目の前で静かに見ていた美咲さんが、深く、そして心の底から呆れたような長いため息を、ふーーーーーっ、と吐き出した。

 

「……あなたたち、さ」

 

 彼女はこめかみを指で押さえながら、絞り出すように言った。

 

「時々、本気で心配になるのよ。自分たちのその異常な距離感、本当に自覚してる? それ、傍から見たら、もうただの痴話喧ゲンカだからね?」

 

「いや、痴話喧嘩って……」

 

 僕が呆れて否定しようとすると、隣にいた健太が、がしっと僕の肩を掴んだ。彼は美咲さんと同じように呆れ果てた、しかしどこか納得したような、複雑な表情を浮かべていた。

 

「……ユウスケよぉ」

 

「な、なんだよ」

 

「お前……そういうとこやぞ」

 

「どういうとこだよ……?」

 

 健太の、妙に迫力のある言葉に、僕は気圧されてしまう。

 

 食堂の喧騒の中で、僕たちのテーブルだけが奇妙な四角関係を描き出していた。顔を真っ赤にして固まるエリ、深いため息をつく美咲さん、そして何かを悟った顔で僕を見る健太。

 なんなんだ、この空気は。まるで僕だけが、この場の言語ゲームのルールを理解できていないような、疎外感に似た居心地の悪さを感じる。僕の何気ない一言が、どうしてこんな複雑な波紋を広げてしまったのだろうか?

 

……まあ、いいか。

 

 僕は、グラスの水を一口飲んで、その答えのない問いを静かに飲み下した。分からないことがあるのは、いつものことだ。むしろ、その方が面白い。

 

 秋学期は始まったばかりだ。サークルの出店という新しいプロジェクト、エリと巡る学祭、そしてまだ見ぬ講義や議論の数々。どうやら今年の秋も、解きごたえのある方程式が、僕を待っていてくれるらしい。

 

 そんな悪くない予感を胸に、僕は少しだけ楽しくなってきた気分を抱えて、食後のコーヒーを買うべく席を立った。

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