人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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シーン34:不確実性の海へ、未来を賭ける舟

 

 夕暮れのキャンパスは、秋の訪れを告げる涼やかな風が吹き抜けていた。

 僕は、健太のサークルが活動拠点にしている部室棟からの帰り道を、一人ゆっくりと歩いていた。肩に掛けた鞄には、彼らに渡した資料の控えが数枚収められている。

 

 結局、僕はあの後、彼らの学祭出店の計画を全面的にサポートすることになった。コンセプトの再定義から始まり、タコライスの詳細なレシピ作成、原価計算、食材の仕入れ先のリストアップ、保健所への申請書類の書き方、果ては当日の調理オペレーションを記述したタイムチャートまで。

 僕が作り上げたマニュアル一式を前に、健太をはじめとするサークルのメンバーたちは、感謝よりもむしろ若干引き気味の表情を浮かべていたのが印象的だった。

 

「……ユウスケ、お前、本職はコンサルタントか何かか……?」

 

 健太のその呟きは、僕に対する賛辞と言うより、少しだけやりすぎてしまったかという反省を促すものだった。

 

 今日のミーティングには、エリも当然のようについてこようとしたのだが、僕はそれを丁重にお断りした。

 

「悪いけど、今日は一人で行かせてね。君が隣にいると、つい話に夢中になって僕の思考が別の宇宙に飛んでいってしまうから」

 

 そう言うと、彼女は少しだけ不満そうに唇を尖らせたが、「ユウ君がそう言うなら仕方ありませんね。最高の計画書が完成するのをお待ちしています」と、案外素直に引き下がってくれた。

 彼女のあの探究心は、時として僕の思考を素晴らしい場所へ連れて行ってくれるが、今日のような現実的なタスク処理においては、あまりにも強力すぎるノイズ源になりかねない。

 

 

 そんなことを考えながら、大学の正門へと続く並木道を歩いていると、僕の目に信じられない光景が飛び込んできた。

 

 門のすぐそばのロータリー。学生や教職員の素朴な国産車や自転車が並ぶその風景の中で、一台だけ、明らかに異質なオーラを放つ車が停まっていた。

 流線形の、地面に吸い付くような低いフォルム。夕陽を反射して燃えるように輝く、深紅のボディ。僕の乏しい知識でも、それがヨーロッパ製の超高級スポーツカーであることは一目で分かった。

 

(……なんだ、あれは。悪目立ちにも程がある)

 

 僕は呆れて思わず足を止めた。一体どこの成金趣味の人間が、こんな場所にこんな車を乗り付けてくるのか。学生たちが遠巻きにしながらスマートフォンのカメラを向けている。

 

 僕がその非日常的な光景から目を逸らし、自分の帰路に戻ろうとした、その時だった。

 

 その深紅のマシンの運転席のドアが、翼のように上に向かって静かに開き、中から一人の青年がひらりと手を振った。日本人離れした端正な顔立ちと、夕陽に照らされてプラチナブロンドに輝く髪。

 

「――穣星さん!?」

 

 僕が驚きのあまり、思わずその名前を口にすると、彼は満足そうに微笑んだ。エリの実兄、阿佐ヶ谷穣星。その人だった。

 

「やあ、ユウ。久しぶり」

 

 彼は車から降りると、僕の方へと優雅に歩み寄ってきた。仕立ての良いカジュアルなジャケットと、非の打ち所のない着こなし。彼が立つだけで、大学の正門前がまるでどこかの国際的なリゾート地のように見えてくる。

 

「ユウ、今日は君にデートのお誘いに来たんだ。少し付き合ってくれないかい?」

 

「で、デートって……穣星さん、どうしてここに? 海外にいるんじゃなかったんですか?」

 

 僕の混乱をよそに、彼は楽しそうに続けた。

 

「両親と一緒に、少し前から一時帰国しているんだよ。今夜、都心で家族の会食の予定でね。エリナも今は母と父に捕まって、新しいドレスの品評会に付き合わされている頃だろう。だから君を迎えに来たんだ。今夜のイベントに是非君も招待しよう、とね」

 

「それなら、事前に連絡をくれればよかったのに……」

 

 僕がそう言うと、彼は悪戯っぽく片目をつぶった。

 

「急に決まったことなんだ。それに、ユウを驚かせたくてね。その顔が見られただけで、ここまで来た甲斐があったよ」

 

 彼の有無を言わせぬペースに、僕はもはや抵抗する気力もなかった。というか、この状況でどれだけ言葉を弄しても、譲星さんは僕を逃がしてくれないだろう。それが分かる程度には、僕と譲星さんの関係は深かった。

 

「……分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」

 

 僕がそう答えると、彼は「決まりだな」と嬉しそうに微笑み、僕を助手席へと促した。ガルウィング式のドアをくぐり、身体が吸い込まれるように柔らかいレザーシートに身を沈める。目の前には、航空機のコックピットのように複雑な計器類が並んでいた。僕がシートベルトを締めると、穣星さんは運転席に戻りエンジンを始動させた。

 

 ブォン、と重低音が響き、車体がわずかに震える。それは僕が今まで体験したことのない、獰猛な獣の咆哮のような音だった。

 学生たちの羨望と好奇の視線を一身に浴びながら、深紅のスポーツカーは滑るように大学のロータリーを後にした。僕たちの予測不能な夜が、今、静かに走り始めた。

 

 

 大学前のどこにでもあるような郊外の道を、穣星さんの車はまるで異次元の乗り物のように滑らかに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら走っていく。

 最初は少し緊張していた僕も、完璧に計算された乗り心地と車内に静かに流れるクラシック音楽のせいで、次第にリラックスしてきた。

 

「驚かせてすまなかったね、ユウ」

 

 穣星さんは前方の道路から目を離さずに、穏やかな口調で話しかけてきた。

 

「いえ、驚きはしましたけど、穣星さんに会えて嬉しいです。夏のアメリカ以来ですね」

 

「ああ、私も君に会えて嬉しいよ……そう言えば、今日のイベントはうまく行ったのかい?友人のサークルの出店コンサルティングをしたと聞いているが」

 

「え?」

 

 僕は彼がなぜそのことを知っているのか分からず、素っ頓狂な声を上げてしまった。健太のサークルの話など、彼にした覚えはない。

 

「はは、そんなに驚かないでくれ」

 

 穣星さんは僕の反応を楽しんでいるようだった。

 

「エリナから報告を受けていただけだよ。『今、ユウ君が友人のサークルに対して、神がかり的なコンサルティングを行っています。まるで、経営不振の企業を立て直すターンアラウンドマネージャーのようです』とね。少し大げさだが、まあ、いつものことだ」

 

「……エリのやつめ」

 

 僕は、遠い都心にいるであろう友人の顔を思い浮かべ、小さくため息をついた。阿佐ヶ谷家の情報共有網は、どうやら僕が思っているよりもずっと広範囲で、そして高速らしい。

 

「君のその才能は実に得難いものだと思うよ」と穣星さんは続けた。「複雑で混沌とした状況の中から、問題の本質を見抜き出し、最適な解決策を提示する能力。それは、どんな分野であれ物事を前に進めるために不可欠な力だ。私がやっている仕事も、突き詰めればそれと同じことなんだ」

 

「穣星さんの仕事……未来への投資、でしたっけ」

 

 僕は、アメリカの別荘で彼が語ってくれた、金融の壮大な物語を思い出していた。

 

「その通りだ」

 

 彼は、夕暮れのオレンジ色に染まり始めた高速道路を走りながら静かに頷いた。

 

 「そして、その『投資』という行為の本質は常に一つの根源的な問いへと行き着く。ユウ、君はどう思う? 私たち人間は、一体何を根拠にまだ見ぬ『未来』というものに、大切なお金や時間、あるいは人生そのものを賭けることができるのだろうか?」

 

 彼の問いかけはいつも唐突で、そして本質的だ。僕は助手席の窓から流れ去っていく景色を眺めながら、その問いの重みを考えていた。

 

「……難しい質問ですね」と僕は、慎重に言葉を選びながら答えた。「でも、友人のサークルの例で言えば、彼らは『学祭で成功したい』という明確な未来の目標があって、そのために今、時間と労力を投資しているわけですよね。だから、まずは達成したい『ビジョン』があることが大前提なんじゃないでしょうか」

 

「ビジョン、か。良い言葉だ。確かに、それなくしては何も始まらない」

 

 穣星さんは僕の答えを肯定しながらも、さらに深い層へと僕を誘おうとする。

 

「だが、ユウ。そのビジョンが必ずしも実現するとは限らない。むしろ、ほとんどの計画は思い通りにはいかない。それが現実だ。競合する他の出店がもっと魅力的な商品を出すかもしれない。当日の天気が最悪の土砂降りになるかもしれない。あるいは、メンバーの誰かが急に病気になって計画が頓挫するかもしれない。未来とは、常に『不確実性』の霧に包まれている。その霧の中で、私たちはどうやって進むべき道を選べばいいんだろう?」

 

 彼の言葉は、僕が健太たちに渡したあの完璧に見えたマニュアルが、いかに脆い土台の上に成り立っているかを改めて気づかせた。僕が考慮できたのは、あくまで予測可能なリスクだけだ。予測不能な「何か」が起きた時、あの計画は果たして耐えられるのだろうか。

 

「……僕の専門分野で言えば」と僕は、自分の得意な領域に引きつけて考えてみた。「それは、システム設計における『冗長性』の考え方に近いかもしれません。例えば、絶対に故障してはならない重要なシステムを設計する時、僕らは同じ機能を持つ回路を二重、三重に用意しておくんです。一つの系統がダメになっても別の系統がバックアップとして機能するように。あるいは、想定外のノイズや電圧の変動が起きても、システム全体がダウンしないような、安全装置を組み込んでおく」

 

「なるほど。フェイルセーフの思想だね。非常に重要な考え方だ」

 

「はい。だから未来への投資も同じで、一つの計画が絶対に成功すると信じ込むのではなく、常にいくつかの代替案や、失敗した時のためのプランBを用意しておくことが不確実性に対する備えになるんじゃないでしょうか。リスクを分散させる、というか」

 

 僕のその答えに、穣星さんは満足そうに頷いた。

 

「素晴らしい。それは、現代のポートフォリオ理論の根幹を成す考え方そのものだ。だが、それでもまだ答えは半分だ、ユウ」

 

「半分、ですか?」

 

「ああ」と彼は言った。「君の言う通り、リスクを分析しそれに備えることは賢明な投資家にとって必須のスキルだ。だが、本当の意味で世界を変えるような革新的な投資は、時としてその合理的な計算を超えた場所で生まれる。なぜなら、未来には『リスク』とは似て非なる、もう一つの不確実性が存在するからだ」

 

 車は、都心の摩天楼が放つ無数の光が迫ってくる首都高速のジャンクションを滑らかに駆け抜けていく。その光の洪水の中で、穣星さんはまるで世界の秘密を打ち明けるかのように、その言葉を口にした。

 

「それは、フランク・ナイトという経済学者が名付けた『真の不確実性(True Uncertainty)』。あるいは、近年では『ナイトの不確実性』と呼ばれるものだ」

 

「ナイトの不確実性……」

 

 僕は、その初めて聞く言葉を反芻した。穣星さんは夜景の光をその知的な横顔に受けながら、静かに話を続けた。

 

「ナイトは『リスク』と『不確実性』を明確に区別したんだ。彼によれば『リスク』とは、起こりうる未来の結果とその確率分布が統計的に計算可能なものを指す。例えば、サイコロを振ってどの目が出るか、あるいは保険会社が計算する交通事故の発生確率のようなものだ。君がさっき話してくれたリスクを分散させるという考え方は、この計算可能な『リスク』の世界では極めて有効だ」

 

「では、『不確実性』は違うんですか?」

 

「ああ。全く違う」と彼はきっぱりと言った。「『真の不確実性』とは、そもそもどんな未来が起こりうるのかその結果のリストさえも分からず、もちろんその発生確率など計算のしようもない状態を指す。それは前例のない、全く新しい出来事に直面した時の状況だ。例えば、インターネットが発明されたばかりの頃を想像してみるといい。当時、誰がその技術が後に世界のコミュニケーションや商業のあり方を根底から変えてしまうと正確に予測できただろうか? あるいは国家レベルで言えば、冷戦の終結や近年のパンデミック。そういった歴史の転換点となるような出来事は、常にこの『ナイトの不確実性』の中から生まれてくる」

 

 彼の話を聞いていると背筋が少しだけぞくっとするような感覚があった。僕たちが生きるこの世界は計算可能なリスクだけで構成されているわけではない。その背後には、予測も計算も不可能な広大で未知の領域が広がっているのだ。

 

「そして、ユウ」

 

 穣星さんは僕の方にちらりと視線を向けた。

 

「本当の『起業家精神』とは、この『ナイトの不確実性』が支配する霧の深い海へと、自ら進んで舟を漕ぎ出していく勇気と洞察力のことなんだ。誰もその先の海図を持っていない。成功する確率なんて誰にも分からない。そこにあるのは論理的な計算ではなく、経営者の『直感』や『信念』、あるいは『アニマル・スピリッツ』とでも呼ぶべき非合理的な衝動だけだ」

 

「非合理的な衝動……」

 

「そうだ。例えば、イーロン・マスクが宇宙開発企業スペースXを立ち上げた時のことを考えてみたまえ。彼は民間企業がロケットを開発し火星移住を目指すなんていう、誰もが不可能だと笑った途方もないビジョンに私財のほとんどを投じた。その成功確率は当時のどんな専門家にも計算できなかったはずだ。でも、彼は『人類は複数の惑星に住む種になるべきだ』という、ほとんど宗教的とも言える強烈な信念に突き動かされてその不確実性の海へと飛び込んだ。そして結果的に彼は宇宙開発の常識を覆し、世界で最も価値のある企業の一つを作り上げた。それは、合理的なリスク計算の結果ではない。一人の人間の狂気にも似た未来への『賭け』が、新しい現実を創造したんだ」

 

 深紅のスポーツカーは首都高速の出口を滑り降り、銀座の華やかなネオンがきらめく大通りへと入っていった。

 高級ブランドのショーウィンドウが、次々と僕たちの横を流れ去っていく。そのきらびやかな光景さえも、過去の誰かの、非合理的な「賭け」の結果なのだと思うと不思議な感慨があった。

 

「それは、国家の意思決定においても同じことが言える」と穣星さんの話はさらにスケールを大きくしていく。「例えば、冷戦時代のアメリカのアポロ計画。当時のケネディ大統領が『10年以内に人間を月に送り、無事に帰還させる』という目標を掲げた時、その実現可能性を保証するものは何もなかった。ソ連との熾烈な宇宙開発競争という政治的な動機はあったにせよ、それは国家の威信と莫大な予算をまだ見ぬ未来に投資するという、途方もないギャンブルだった。しかし、その結果として人類は初めて地球以外の天体に足跡を残し、その過程で生まれた数多くの技術が後のコンピュータ産業や医療技術の発展に計り知れないほどの恩恵をもたらした」

 

「目的そのものよりも、その過程で生まれる副産物の方が結果的に大きな価値を生むこともある、ということですか」

 

「その通りだ、ユウ。イノベーションとは常にそういう予測不能な形で生まれるものだ。だからこそ、国や組織のリーダーに求められるのは単に計算可能なリスクを管理する能力だけではない。時には合理性を超えて、国民や従業員を鼓舞するような大きな『物語』を提示し、不確実な未来へと共に踏み出す覚悟を示すことなんだ。それは極めて人間的な、そして孤独な決断だよ」

 

 車は、目的地のレストランが近いのか、ゆっくりと速度を落とし始めた。穣星さんはまるで長い物語の結論を語るかのように、その声のトーンをわずかに落とした。

 

「私が毎日やっている仕事も、その延長線上にある。もちろん投資先の企業の財務状況や市場の動向を分析し、計算可能なリスクを徹底的に洗い出すことは大前提だ。だが、最終的に投資を決断する最後の決め手は数字には決して表れないものだ」

 

「数字に表れないもの?」

 

「ああ」と彼は頷いた。「それは、その企業の経営者がどんな『未来の物語』を信じ、語っているのか。その瞳の奥に『ナイトの不確実性』の海を乗り越えてでも実現したいと願う狂気にも似た情熱の炎が燃えているかどうか。私はその物語と情熱にこそ投資するんだ。なぜなら、未来とは予測するものではなく、自らの手で創造するものだと信じている人間だけが本当に世界を変えることができるのだからね」

 

 

 穣星さんはそう締めくくると、車を都心の一等地にそびえ立つ高級ホテルのエントランスへと静かに寄せた。

 ドアマンが恭しく駆け寄り、僕たちのためにドアを開ける。僕たちは車を降り、きらびやかなシャンデリアが輝くホテルのロビーへと足を踏み入れた。

 

「……なんだか、すごい話でした」

 

 僕は、まだ彼の語った壮大な物語の余韻の中にいた。未来とは、計算と合理性だけで切り拓かれるものではない。その先にある未知の領域へと飛び込む、人間の非合理的な情熱や信念こそが新しい現実を創造する。

 その考え方は、僕が今まで学んできた工学的な世界観とは少し違う、しかし力強い説得力を持っていた。

 

「はは、少し話しすぎたかな」

 

 穣星さんは、いつもの穏やかな笑顔に戻っていた。

 

「だが、君と話していると、つい長々と語りたくなってしまうんだ。君は最高の聞き手だからね」

 

 僕たちはコンシェルジュに案内され、高層階にあるレストランへと向かう専用のエレベーターに乗り込んだ。ガラス張りのエレベーターが上昇するにつれて、眼下に広がる東京の夜景が、まるで星々の海のようになっていく。

 

「でも、穣星さん」

 

 僕は最後に一つだけ、どうしても聞いておきたい質問を口にした。

 

「そんな不確実性に満ちた世界で、未来に賭けるというのは怖くないんですか? 自分の信じた物語が、全くの間違いだったということだってあるわけですよね」

 

 僕のその問いに、穣星さんは一瞬だけ真顔になり、そして静かに答えた。

 

「もちろん怖いさ。眠れない夜だってある。だが、私はこう考えるようにしているんだ、ユウ」

 

 彼は、眼下に広がる無数の光の点を指さした。

 

「あの光の一つ一つにそれぞれの人生があり、それぞれの未来への願いがある。そして、その集合体である社会全体もまた、常にどちらへ進むべきか迷いながら揺れ動いている。未来とは、あらかじめ決められた一点に向かって進む直線ではない。無数の可能性が枝分かれしていく、確率の霧のようなものだ」

 

 エレベーターが目的の階に到着し、静かにドアが開いた。その向こうには、息をのむような美しい夜景が広がるレストランの入り口が見えた。

 

「そして投資とは、その無数の未来の可能性の中から『こうあってほしい』と願う未来の枝を一つ選び出し、そこに自らの意志とリソースを注ぎ込む行為なんだ。その選択が、ほんの少しだけ未来の確率の霧の形を変えるかもしれない。もちろんその選択が正しいという保証はどこにもない。だが、何もしなければ、未来はただ不確かなまま誰かの選択に委ねられていくだけだ」

 

 彼は僕の方に向き直り、そのプラチナブロンドの髪を輝かせながら、最後にこう言った。

 

「未来に投資するというのは未来を正確に予測するゲームじゃない。それは、自分が信じる未来を自らの手で実現しようとする、ささやかで、しかし尊い『意志』の表明なんだよ。怖さよりも、その意志を貫く喜びの方が私にとっては大きい……ただ、それだけのことさ」

 

 その言葉は、静かに、しかし深く僕の胸に染み渡っていった。

 

 健太のサークルのささやかなタコライスの出店。それもまた、彼らが「こうあってほしい」と願う学園祭という未来への、一つの尊い「賭け」なのかもしれない。そう思うと、僕が作ったあの分厚いマニュアルも、彼らの不確実な航海を支えるささやかな羅針盤としての役割を果たしてくれるのかもしれない、と少しだけ誇らしい気持ちになった。

 

 穣星さんの隣を歩きながら、僕は自分がこれからどんな未来に「投資」していくことになるのだろう、とぼんやりと考えていた。その答えはまだ不確実性の霧の向こう側にあって、僕には見えなかったけれど。それでも、なんだか不思議と怖いという気持ちはなかった。

 

 レストランの個室では、すでにエリと彼女のご両親が僕たちを待っていた。窓の外に広がる宝石のような夜景を背景に、僕たちの長い夜はまだ始まったばかりだった。

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