人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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シーン44:不確かな未来との契約書

 

 美咲さんと別れた僕たちは、学園祭の喧騒の中を再び歩き始めた。忍者やきそばパンで小腹は満たされたが、僕にはもう一つ見ておかなければならない場所があった。健太たちのフットサルサークルが運営する、あのタコライス屋台だ。

 計画の立案に関わった以上、その船出が無事に進んでいるのかどうか、この目で確かめておく責任がある。もっとも、あの雪城さんが責任者として目を光らせているのだ。大きな問題が起きているとは考えにくいが。

 

「あ、見えてきましたよ、ユウ君」

 

 エリが指さす先、中庭の一等地に陣取るフットサルサークルの屋台は、僕の心配が杞憂であったことを雄弁に物語っていた。店の前には、昼のピークを過ぎたというのに十数人の行列ができており活気に満ち溢れている。

 健太はまるで水を得た魚のように声を張り上げて巧みなトークで客を呼び込み、その隣では他のサークル員たちがぎこちないながらも必死にタコライスを作り続けていた。鉄板から立ち上るスパイシーな肉の香りと、客たちの楽しそうな笑い声。その光景に、僕は自分のことのように安堵のため息を漏らした。

 

「……はぁ、よかった。ちゃんと回っているみたいだね」

 

「はい。ユウ君の計画が完璧だったということですね」

 

 エリが自分の手柄のように誇らしげに胸を張る。

 健太は行列を捌くのに必死で、まだ僕たちの存在には気づいていないようだった。あれだけ忙しそうにしているのなら、わざわざ声をかけて邪魔をするのも野暮だろう。僕たちは、遠巻きにその盛況ぶりをしばらく眺めていた。

 

「よし、問題なさそうだね。じゃあ、僕らは僕らで、また別の場所を回るとしようか」

 

 僕がそう言って踵を返し、この場を立ち去ろうとした、まさにその時だった。

 

「あら。ご自分の仕事の成果を確認しに来ておいて声もかけてくれないなんて。薄情じゃありませんか、センパイ?」

 

 すぐ背後から、鈴の音のように涼やかで、しかしどこか棘を含んだ声が聞こえた。

 振り返ると、そこには雪城さんが立っていた。彼女は店の喧騒から少し離れた木陰に寄りかかり、僕たちのことを最初から見ていたかのように楽しげな笑みを浮かべている。今日の彼女は、先日会った時のようなモノトーンの服装ではなく少しだけラフなデニムジャケットを羽織っていたが、その存在感はやはり周囲の雑踏から際立って見えた。

 

「やあ、雪城さん。お店、盛況だね。君がしっかり手綱を握っているおかげだね」

 

「当然のことをしたまでです。論理的に計画を立て、それを実行すれば論理的な結果が返ってくる。ただそれだけのことですから」

 

 彼女は謙遜のかけらもなく言い切った。その自信は、彼女がこの店の成功にどれだけ貢献したかを物語っている。

 その時、僕の隣に立つエリが静かに一歩前に出た。そして目の前のミステリアスな後輩に、穏やかな、しかしどこか探るような視線を向けた。

 

「はじめまして。わたし、阿佐ヶ谷 絵里奈と申します。いつもユウ君がお世話になっております」

 

 エリは、深々と、そして完璧な角度でお辞儀をした。その所作は育ちの良さを隠そうとしても隠しきれない、洗練された優雅さに満ちている。

 対する雪城さんは、その丁寧な挨拶に一瞬だけ虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに表情を取り繕い、エリに向かって同じように穏やかな笑みを返した。

 

「こちらこそ、はじめまして。雪城 光です。如月センパイにはサークルの件で大変お世話になっています。あなたが噂の阿佐ヶ谷先輩ですね。お話は、かねがね」

 

 二人の間に、静かで、しかし電流が走るかのような緊張が満ちたのを僕は肌で感じた。表面上は、先輩と後輩の極めて礼儀正しく、穏やかな初対面の挨拶だ。だが、その水面下では、互いの実力、立場を瞬時に測定し合う、高度な情報戦が繰り広げられているかのようだった。

 

(……なんだろう、この空気)

 

 僕の鈍感なセンサーでは、その緊張の正体を正確に分析することはできなかった。ただ、なんとなく、二人ともいつもより少しだけ言葉にトゲがあるような気がする。

 

(もしかして、数学と哲学って、学問的な相性があまり良くないのかな……? 論理を重視する点は似ているけど、アプローチの仕方が根本的に違うから、お互いに相容れない部分があるのかもしれないな。うーん、仲良くしてくれたらいいんだけど)

 

 僕がそんな分析をしている間に、二人の間の見えない火花はさらにその激しさを増していた。

 

「立ち話もなんですし」

 

 先に沈黙を破ったのは雪城さんだった。彼女は、近くに設置されている屋外用のテーブルセットを顎でしゃくって見せた。

 

「あちらで少し座っていきませんか? 阿佐ヶ谷先輩とは一度、ぜひお話ししたかったんです」

 

「雪城さんは、お店の方はいいのかい? まだ忙しそうだけど」

 

「開店前にセンパイの計画をさらに最適化して、トラブル発生時の対応マニュアルまで叩き込んでおきましたから。私がサボっていても、あの単細胞生物たちでもしばらくは問題なく回るはずです。それに、優秀な指揮官は、戦場が落ち着いている時に次の戦いのための外交を行うものですよ」

 

 彼女はそう言うと、僕の返事を待たずに僕とエリをテーブルへと促した。その態度はどこまでも自然で、僕たちはまるで彼女の手のひらの上で巧みに誘導されているかのようだった。

 

 僕たちは雪城さんに導かれるまま、屋台の喧騒から少し離れたテーブルセットに腰を下ろした。幸いにも一つのテーブルが空いており、まるで僕たちのために用意されていたかのようだ。エリが僕の隣に、そして雪城さんが僕たちの正面に座る。秋の午後の柔らかな日差しが、三人の間に落ちる影を長く伸ばしていた。

 

「それにしても見事なオペレーションですね」

 

 最初に口火を切ったのはエリだった。彼女は感心したように屋台の方に目をやりながら、雪城さんに対して賞賛の言葉を送った。

 

「あれだけの人員を抱えながら無駄な動きがほとんどない。ユウ君の計画が優れていたのはもちろんですが、それを現場で完璧に実行に移すには相当なマネジメント能力が必要だったはずです。雪城さんの手腕には、ただただ敬服します」

 

「お褒めいただき光栄です、阿佐ヶ谷先輩」

 

 雪城さんはエリの賛辞を優雅に受け取った。

 

「ですが、これは単に合理的なシステムを構築し、それを遵守させただけのこと。いわば、短期的なプロジェクトマネジメントに過ぎません。それよりもわたしが興味があるのは、もっと長期的で、持続的な関係性をいかにして築くか、という問題です」

 

 彼女はそう言うと、テーブルの上で指を組み、その切れ長の瞳でエリの目をまっすぐに見つめた。その視線は、まるでこれから始まる議論のテーマを宣言しているかのようだった。

 

「例えば、の話ですが」と彼女は、静かな、しかしどこまでも明瞭な声で続けた。「私たちは人生の中で、様々な『契約』を結んで生きていますよね。友人関係、恋人関係、あるいは、仕事上のパートナーシップ。阿佐ヶ谷先輩は、そういった関係性を築く上で何を最も重視されますか?」

 

 唐突な、しかし極めて本質的な問いだった。エリは、その問いの裏に隠された意図を探るように一瞬だけ思考を巡らせた。そして、彼女らしい穏やかで、しかし確固たる信念に満ちた声で答えた。

 

「そうですね……わたしが最も大切にしたいのは、その契約が、いかに『長く』続くか、ということです」

 

 エリは、そう言って僕の方をちらりと見た。なんだろう、飲み物でも買ってきて欲しいのかな?

 

「強固な信頼関係というのは、そう簡単に得られるものではありません。それは、長い時間をかけてお互いの理解を深め、共に困難を乗り越える中で、少しずつ育まれていくものですから。だからわたしは、目先の利益や一時的な感情の変化に惑わされることなく、一度結んだ大切な契約をできる限り誠実に、そして永続的に守り続けていきたいと考えています。それは、ある意味で非合理的で不器用な生き方なのかもしれませんが」

 

 彼女の言葉は、まるで古い友情や変わらぬ愛情の尊さを説く、古典的な物語の一節のようだった。その言葉には、中学時代から続く僕との関係性を何よりも大切に思っている彼女の、偽らざる心情が込められているように感じられた。

 

 なるほどな。エリは、一度決めたことをとことん突き詰めるタイプだもんな。数学の難問に何日も向き合い続けるように、人間関係においても、一途で、継続的なものを好むんだろう。

 

 僕がエリの性格を分析していると、正面に座る雪城さんが、ふっと、まるで子供の理想論を諭すかのように静かに微笑んだ。

 

「永続的な契約、ですか。それは、とても美しい理想論ですね」

 

 彼女のその言葉には、エリの価値観に対する敬意と、同時にそのナイーブさに対する冷徹な批判が同居していた。

 

「ですが、阿佐ヶ谷先輩」と彼女は続けた。「その考え方には、一つの大きなリスクが潜んでいるとは思いませんか? 世界は常に変化し、人もまた変わり続けます。かつては最良だと思えた契約も、時間が経てばもはや自分を縛るだけの『枷』になってしまうこともある。古い契約に固執するあまり、もっと良い条件や、より素晴らしい可能性を提示してくれる新しいパートナーシップの機会をみすみす見逃してしまうとしたら? それは、むしろ、自己の成長を妨げる『停滞』でしかありません」

 

 雪城さんはそう言って、今度は僕の方に鋭い視線を向けた。まるで、僕の意見を問うているかのように。

 

「わたしは、こう考えます」と彼女は、自らの信条を宣言するように言った。「契約とは、その時点での『最適解』を求めるための合理的な選択の結果に過ぎません。そして、その最適解は状況の変化に応じて常に更新されていくべきものです。より良い条件を提示する相手が現れれば、ためらわずに古い契約を解消して新しい契約へと乗り換える。それは決して不誠実なことではない。むしろ、常に自分をより高みへと引き上げてくれる可能性に対して常にオープンであり続けるという、極めて知的で誠実な態度だとわたしは思いますけど」

 

 彼女の言葉は、エリのそれとは対照的に徹底した合理主義と変化を恐れない柔軟性に貫かれていた。それは、より良い未来を求めて常に自己変革を続ける、現代的な価値観の表明のようでもあった。

 

 確かに、雪城さんの言うことにも一理あるな。古いやり方に固執して、新しい技術や考え方を取り入れなければ、進歩は生まれない。彼女は、人間関係においても常に最適な選択を追い求める、プラグマティックな考え方の持ち主なんだろう。

 

 僕は、二人の対照的な意見にただただ興味津々だった。エリの「継続性」を重んじる考え方も、雪城さんの「最適化」を重視する考え方も、どちらもそれぞれの立場から見れば筋が通っているように思える。

 

(しかし、なんで二人とも、そんなに頻繁にこっちを見るんだろう……?)

 

 議論の最中、エリも、雪城さんも、事あるごとに僕の方へちらちらと視線を送ってくるのが僕には少しだけ不思議だった。まるで、僕がこの議論の重要な要素であるかのように。

 

 

「なるほど。雪城さんの考え方は、とても合理的で現代的ですね」

 

 エリは、雪城さんの徹底した合理主義的な主張に対し、少しも動じることなく穏やかな笑みを浮かべて応じた。

 

「確かに、関係性というものを投資ポートフォリオのように捉えるならば、常にパフォーマンスを最大化するために銘柄を入れ替えていくというのは一つの賢明な戦略なのかもしれません。ですが」

 

 エリは、テーブルの上に置かれていた僕の手にそっと自分の手を重ねた。その突然の行動に僕は少しだけ驚いて彼女の顔を見たが、彼女は僕ではなく、正面にいる雪城さんを真っ直ぐに見据えていた。

 

「わたしは、人間関係というものをそのような市場原理だけで語ることにはどうしても違和感を覚えてしまいます。なぜなら、そこには合理的な計算だけでは決して測ることのできない『時間』という変数が存在するからです」

 

「時間、ですか?」

 

「はい」とエリは、重ねた僕の手に少しだけ力を込めた。「例えば、ここにユウ君という非常に信頼できるパートナーがいたとします」

 

「え? 僕?」

 

 突然、議論の具体例として名指しされた僕は素っ頓狂な声を上げた。一体、何の話が始まるというのか。

 

「はい、ユウ君です」

 

 エリは僕の動揺を意にも介さず、雪城さんに向かって話を続けた。

 

「わたしとユウ君の間には、中学時代から数えてもう7年近くの歳月が積み重なっています。その時間の中で、わたしたちは数えきれないほどの会話を交わし、共に笑い、時には些細なことで喧嘩もしました。その共有された記憶の全てが今のわたしたちの関係性の土台となっている。それは、どんなに優れた条件を提示する新しいパートナーが現れたとしても、決して一朝一夕に再現することのできない代替不可能な価値です」

 

 彼女の言葉は静かで、しかし絶対的な確信に満ちていた。僕は、自分の手の甲に伝わる彼女からの信頼に、少しだけ心が温かくなるのを感じた。

 

「雪城さんがおっしゃる『より良い条件』というのは、突き詰めれば将来に対する『期待値』に過ぎません。それは不確かな未来に対する確率論的な予測です。でも、わたしが信じたいのはそのような計算可能な未来ではなく、共に積み重ねてきた、決して裏切ることのない『過去』なんです。この確かな過去の重みこそが、不確かな未来の嵐の中にあってもわたしたちの契約を揺るぎないものにしてくれる、最も強力な(いかり)なのだと、わたしは信じています」

 

 エリのその力強い宣言に、雪城さんは初めて、ほんのわずかに表情を揺らがせたように見えた。エリが持ち出した「共有された過去」という変数は、彼女の合理的な計算式の外側にある、予測不能なパラメータだったのかもしれない。

 

 だが、雪城さんはすぐに冷静さを取り戻し、反撃の言葉を紡ぎ出した。

 

「……なるほど。共有された過去、ですか。それは確かに感動的な物語ですね」

 

 彼女は、まるでエリの主張を一度受け止めてみせるかのように、そう言った。

 

「ですが、阿佐ヶ谷先輩。その『過去』という名の錨は、時に船を港に縛り付け、新しい航海へと旅立つことを妨げる『重り』にもなりうるのではありませんか?」

 

 雪城さんは、僕の瞳そのものを射抜くような鋭い視線を向けた。

 

「例えば、の話ですが」と彼女は、エリの論法をそのまま借用して続けた。「ここに、如月センパイという、極めて有能で、まだ計り知れないポテンシャルを秘めた人材がいたとします」

 

「また僕?」

 

 今度は自分が具体例に挙げられた僕は、再び間の抜けた声を上げた。二人とも、なぜ僕をダシにして議論を進めるんだ。

 

「はい、センパイです」

 

 雪城さんは僕を一瞥して続けた。

 

「センパイは今の環境でも十分にその能力を発揮されているでしょう。ですが、もし、全く新しい環境、例えば、もっとセンパイの論理的思考能力や問題解決能力を高く評価し、それを最大限に活かせるようなパートナーと組むことができたら? センパイは、今とは比べ物にならないほど大きく飛躍できるかもしれない。それなのに、『過去からのしがらみ』や『古い契約を守らなければならない』という同調圧力によって、その輝かしい未来への可能性を閉ざされてしまっているとしたら? それは、センパイ自身にとって、そして社会全体にとっても大きな損失だとは思いませんか?」

 

 彼女の言葉は、まるで優秀なヘッドハンターが僕のキャリアプランについてコンサルティングをしているかのようだった。その言葉は、僕の知らない僕自身の可能性を巧みに示唆し、現状に甘んじることの危険性を鋭く指摘していた。

 

「わたしが言いたいのは、過去を軽んじるべきだということではありません。ですが、過去への固執が未来の可能性を曇らせてしまうのだとしたら、その契約はもはや健全な関係とは呼べない。真に相手のことを思うのであれば、時には、相手が新しい世界へ旅立つことを許容し、その背中を押してあげることこそが本当の誠実さなのではないでしょうか。たとえ、それが、自分との契約の終わりを意味するとしても、です」

 

 雪城さんのその言葉は、冷徹な合理主義の仮面の下に隠された、彼女なりの誠実さと、そして、どこか自己犠牲的でさえある愛情の形を示しているかのようだった。

 

 エリの「過去」を重んじる永続的な契約と、雪城さんの「未来」の可能性に開かれた流動的な契約。

 二人の議論は、完全に平行線をたどっていた。そして、その二つの全く異なる価値観の中心に、なぜか僕が置かれている。僕には、この状況が一体何を意味しているのか、全く理解が追いついていなかった。

 

 エリは僕の手を握ったまま、雪城さんはテーブルの上で指を組んだまま、二人ともそれ以上は何も語らず、ただ互いの出方を窺うかのように静かに相手を見つめている。その緊張感に満ちた沈黙に耐えかねたのは、その中心に置かれてしまったにもかかわらず、全く状況を理解していない僕の方だった。

 

「……いやあ、すごい議論だね、二人とも」

 

 僕は、その重苦しい空気を何とかしようと、わざと明るい声を出した。

 

「エリの言う時間をかけて信頼を育むことの大切さもよく分かったし、雪城さんの言う変化を恐れずに新しい可能性に挑戦することの重要さも、すごく理解できたよ。どっちが正しいというわけじゃなく、どちらも真実なんだろうね」

 

 僕は、自分なりに公平なジャッジのつもりで当たり障りのない総括を述べた。そして、この奇妙な緊張状態から解放されるために、僕にとっての、そしておそらく二人にとっても最も重要だと思われる結論を、善意100%の笑顔で口にした。

 

「でも、何よりだよ。こうやって、エリと雪城さんが真剣に話をしているところを見られて、僕は嬉しいよ。最初は、学問分野の違いから少し打ち解けにくいのかとも思ったけど、二人とも根っこは真面目で物事を深く考えるところが似ているのかもしれないね。うん、仲良くなれて、本当によかった」

 

 僕がそう言って満面の笑みを浮かべた瞬間だった。

 それまで僕を挟んで睨み合っていた二人の視線が、ぴたりと僕の上に固定された。そして、エリと雪城さんは、まるで示し合わせたかのように、顔を見合わせ、全く同じタイミングで、心の底からの、深くて長いため息を、はぁー……、と吐いたのだ。

 

「え? な、なんだい二人とも、急にため息なんかついて……」

 

 僕の心配をよそに、二人は僕の存在などまるでないかのように、互いに言葉を交わし始めた。

 

「……阿佐ヶ谷先輩。失礼を承知でお伺いしますが」

 

 雪城さんが、こめかみを指で押さえながら、疲れ切った声でエリに尋ねた。

 

「センパイは……いつも、こういう感じなんですか?」

 

「はい」

 

 エリは、重ねていた僕の手をそっと離すと、諦観に満ちた表情で、しかしはっきりと頷いた。

 

「これが、如月裕介という人間の、デフォルト設定なんです。一応、わたしが7年という歳月をかけて、少しずつ人間性をインストールし、ある程度の改善は見られたのですが……この、根幹にある致命的なまでのバグだけは、どうしても修正できなくて……」

 

「7年……それは、ご苦労なさったんですね……」

 

「ええ……本当に……」

 

 二人は、再び顔を見合わせ、今度は同情と共感に満ちた、苦笑いのようなものを交わした。さっきまでの敵対的な雰囲気はどこへやら、そこには共通の、そして極めて厄介な問題を抱える二人の同志のような、不思議な連帯感が生まれていた。

 

(……え? なんだ? いつの間にか、僕が悪者にされていないか?)

 

 僕には、二人が何を嘆き、何を共感し合っているのか、全く見当もつかなかった。

 

「……よかったら、連絡先、交換しませんか? 阿佐ヶ谷先輩」

 

「ええ、ぜひ。雪城さんとは、また二人でゆっくりお話ししたいと思っていました」

 

 二人は、僕を完全に無視して互いのスマートフォンを取り出すと、慣れた手つきで連絡先を交換し始めた。その様子は、まるで長年の友人のように、どこまでも自然で和やかだった。

 

「これから、色々と情報交換させてください。この『難問』を解くためには、わたし一人だけの視点では限界があるかもしれませんから」

 

「ええ、こちらこそ。異なるアプローチを用いることで新しい解法が見つかるかもしれません。共同研究、といきましょうか」

 

 二人はそう言って、くすくすと笑い合った。その笑顔は、もはや何の偽りもない、心からのものに見えた。

 

 僕だけが、その和やかな空気から完全に疎外されたまま、ただ呆然と目の前の光景を眺めていた。

 まあ、いいか。結果的に、エリと雪城さんが仲良くなれたのなら、それで。

 

 僕たちの頭上を、学園祭の喧騒と秋の柔らかな光が何もかもを知っているかのように、ただ静かに通り過ぎていく。テーブルの上に落ちた木漏れ日が、まるでチェス盤のように揺れて、僕だけが気づかない盤外戦の決着を物語っているようだった。

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