人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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最大の恋敵=兄


シーン48:すべての道は誰に通ずるのか

 

 十一月の夕暮れは、まるで世界から色彩を奪うように急速に訪れる。

 学園祭の熱狂が嘘だったかのように静けさを取り戻したキャンパス。僕は、その余韻が残る空気の中、久しぶりに健太たちのフットサルサークルの練習に参加させてもらっていた。

 

 今日はエリと雪城さんが二人で「女子会」をするとのことで、僕には珍しく単独行動の時間が与えられたのだ。日頃の運動不足を解消するにはちょうど良い機会だった。ボールを追いかけて全力で走り回り、仲間とパスを繋ぐ。思考ではなく身体が純粋な疲労と達成感を求める感覚は、僕にとって心地よいリフレッシュになった。

 

 シャワーを浴びて火照った身体を冷たい夕風にさらしながら、僕は大学の正門へと向かう。いつもならエリが隣で今日の講義のレビューや新しい数学のアイデアについて語っている時間だが、今日聞こえるのは自分の足音と遠くで練習に励む運動系サークルの掛け声だけだ。少しだけの手持ち無沙汰と不思議な解放感。これもまた、悪くない。

 

 正門を出て、駅へと向かう緩やかな坂道を下り始めた、その時だった。

 街路樹の影に停められた一台の車が僕の目を奪った。流線形のボディ、夕暮れの光を吸い込んで鈍く輝く深紅の塗装。見覚えがある。というより、一度見たら忘れようのない、圧倒的な存在感を放つそのスポーツカーは――

 

「やあ、ユウ。いい汗をかいたみたいだね」

 

 運転席のウィンドウが滑らかに下り、中から現れたのは、やはりあの人だった。寸分の隙もなく仕立てられた上質なカシミアのセーターに身を包んだ、阿佐ヶ谷 穣星さん。その彫りの深い顔立ちとプラチナブロンドの髪は、日本の地方都市のありふれた夕暮れの風景の中ではあまりにも異質で、まるで映画のワンシーンのようだった。

 

「穣星さん……!?」

 

 僕は驚きに目を見開いた。何故、あた、この人がこんな場所にいるんだ?

 

「どうしてここに……また一時帰国されてたんですか?」

 

「ああ、少しね。それより、驚いているユウの顔が見られて満足だよ」

 

 彼は楽しそうに笑うと、悪戯っぽく片目を瞑った。

 

「エリナに言われてね。『ユウ君が一人でいると、悪い虫がつかないか心配です。お兄様、しっかり見張っておいてください』とさ。全く、私の時間を何だと思っているんだか」

 

「またエリは、わけのわからないことを……すみません、穣星さん。そんな馬鹿げた頼みに付き合わせるなんて」

 

「いや、いいんだ。むしろ、渡りに船だった」

 

 彼はエンジンをかけたまま、僕に助手席のドアを開けるように促した。

 

「実を言うと、今回はある案件のために日本に戻ってきたんだが、その下準備が少し早く終わってね。せっかくエリナが『ユウを貸してくれる』という、またとない貴重な機会だ。このままホテルに戻るのも味気ないだろう?」

 

 穣星さんは、エリの言葉を額面通りに受け取って、本当に僕を「借りて」いると思っているようだった。クールな知性の塊のような外見に反して、この人は実は結構、天然というか、少しだけズレているのかもしれないな。僕は内心でそんなことを考えていた。

 

「さあ、乗りたまえ。少しドライブでもしようじゃないか。男二人、当てもなく走るのも悪くないだろう?」

 

 その魅力的な誘いを断る理由など僕にはなかった。僕は頷くと、少しだけ躊躇しながらもその非日常的な空間へと足を踏み入れた。革張りのシートは、僕の身体を吸い付くように包み込む。静かにドアを閉めると外の喧騒が嘘のように遠ざかり、静寂が僕たちを支配した。

 

「さて、と」と穣星さんは滑らかな手つきでハンドルを握った。「特に目的はないのだが……そうだな、首都高に乗って、夜景でも見に行こうか。海ほたるあたりまで行ってみるのも一興かもしれないね」

 

「あ、それなら」と僕は、ふと思いついた行き先を口にした。「東京ドイツ村に行ってみたいです」

 

「東京ドイツ村?」穣星さんは、意外そうな顔で僕を見た。「また、奇妙な名前の場所を出すね。確か、千葉にあるテーマパークだったかな。なぜ、そこに?」

 

「あの東京でもドイツでも、そして村でもないというネーミングの矛盾が前々から気になっていたんです。それに、あそこの冬のイルミネーションはすごいらしいですよ」

 

「はは、なるほど。君らしい知的好奇心に満ちた選択だ。いいだろう、気に入った。ナビを設定するよ」

 

 穣星さんは楽しそうに笑うと、タッチパネルを操作して目的地を設定した。深紅のスポーツカーは猛獣が喉を鳴らすような低いエンジン音を響かせ、滑るように夕暮れの街へと走り出した。

 街の灯りが流れ、僕たちの会話が始まる。それは、いつものエリとの対話とは少し違う、男同士の、より乾いた、しかし同じように知的な興奮に満ちた時間の始まりだった。

 

「それにしても、日本の道路は本当によく整備されているね。どんな地方都市に行ってもストレスなく移動できる。この国の最も優れた資産の一つだよ」

 

「ええ、本当に。特に高速道路網は、日本の経済成長を支えた大動脈ですもんね」

 

 僕がそう応じると、彼は「大動脈、か。言い得て妙だね」と頷いた。そしてその言葉をきっかけに、僕たちのドライブは単なる気晴らしから壮大な知的探訪へとその舵を切っていった。

 

「だが、ユウ。その『動脈』は、単に物や人を運ぶだけの管ではない。それは国家という巨大な生命体を維持し、その意思を末端まで伝えるための、極めて高度な権力装置でもあるんだ。歴史を振り返れば、いつの時代もこの『インフラ』を制する者が世界を制してきた。そうは思わないかね?」

 

 

「インフラを制する者が、世界を制する……」

 

 僕は穣星さんのその言葉を口の中で反芻した。高速道路のオレンジ色の街灯が、彼の真剣な横顔を次々と照らし出しては後方へと流れ去っていく。

 

「それは、まるで古代ローマ帝国のようですね」

 

 僕は、歴史の授業で学んだ知識を思い出しながら言った。

 

「『すべての道はローマに通ず』という言葉がありますけど、ローマ帝国が広大な領土を2千年近くも統治できた最大の要因は、彼らが築き上げた圧倒的な道路網にあったと言われています。全長8万キロにも及ぶローマ街道は軍団の迅速な移動を可能にし、反乱が起きれば即座に鎮圧部隊を送り込むことができた。それは、帝国の権力を隅々まで浸透させるための、まさに物理的なネットワークだった」

 

「その通りだ」と穣星さんは、僕の言葉に満足そうに頷いた。「だが、その道が運んだのは軍団だけではない。それ以上に重要だったのは『情報』だ。ローマは街道沿いに駅伝制度を整備し、皇帝の勅令や各地からの報告書を驚異的なスピードで伝達するシステムを作り上げた。遠く離れた属州で何が起きているかを中央がリアルタイムで把握し、的確な指示を出す。この情報伝達の速度こそが、巨大な帝国を一つの有機的な統一体として機能させるための神経系だったんだ。そして、その道を旅する商人たちがもたらす富と文化が帝国の経済とアイデンティティを支えた。道路とは、軍事、情報、経済、文化、その全てを循環させるための国家の基盤そのものだったのさ」

 

 彼の言葉を聞きながら、僕は高速道路の滑らかなアスファルトの下に古代ローマの石畳の道を幻視していた。馬蹄の響き、軍団の行進の音、そして皇帝からのメッセージを携えてひた走る飛脚の息遣い。僕たちが今走っているこの道もまた、形は違えど同じ役割を担っているのだ。

 

「その『情報の伝達速度が権力の及ぶ範囲を決める』という原則は、その後も変わらなかったわけですね」

 

「ああ。例えばモンゴル帝国。彼らがユーラシア大陸を股にかける史上最大級の帝国を築けたのも、チンギス・カンが整備した『ジャムチ』という駅伝制度があったからだ。あるいは、近代国家の成立において決定的な役割を果たしたのが『郵便制度』だね。国民が均一な料金で、国のどこへでも手紙を送れるようになった。これは、中央政府の法令を全国民に周知徹底させ、国民意識を統一するための極めて強力なツールだった。同時に、それは新聞や雑誌といったマスメディアの発達を促し、近代的な世論の形成にも寄与したんだ」

 

 穣星さんの語る歴史は、僕が学んできたものとは少しだけ視点が違っていた。彼は英雄やイデオロギーといった華々しい主役ではなく、その背後にある道路や郵便といった地味で実用的な「システム」の側にこそ、歴史を動かす本当の力があると考えているようだった。それは、あらゆる事象を投資対象としての価値で判断するという彼の職業的な視点から来ているのかもしれない。

 

「僕の専門分野で言えば」と僕は、彼の議論を自分の土俵へと引き寄せた。「19世紀に発明された電信、つまりモールス信号もまさにその典型です。それまで船で数週間かかっていた大陸間の情報伝達が、海底ケーブルを通ってたった数分で可能になった。世界の金融市場がリアルタイムで連動し始めグローバルな資本主義が本格的に成立したのは、この電信網というインフラがあったからこそだと言われています。情報は、時間を超越した瞬間にその価値を爆発的に増大させるんです」

 

「見事な分析だ、ユウ」

 

 穣星さんは、心底楽しそうに言った。

 

「君のそういう、物事の構造を工学的な視点から捉える目が私はとても気に入っている。そうだ、その通りなんだ。インフラとは突き詰めれば、空間と時間をいかにして圧縮してコントロールするかという技術に他ならない。そして、その技術を設計して独占する者が、その上で繰り広げられるゲームのルールを決める権利を手にする。古代ローマから現代に至るまで、その本質は何も変わっていない」

 

 彼はそう言うと車のオーディオシステムに触れ、滑らかなジャズの音楽を流し始めた。僕たちの会話はまるでそのセッションのように、互いの知識と視点を即興でぶつけ合いながら、一つのグルーヴを生み出していくようだった。

 

「だとしたら、穣星さん」

 

 僕は、僕たちの時代の最も巨大で、そして最も不可視なインフラへと議論の焦点を移した。

 

「現代における、最も強力な『インフラ』とは、やはりインターネットということになるんでしょうか?」

 

 僕のその問いに、彼は「もちろんさ」と、即答した。

 

「インターネットこそは、人類が生み出した史上最大かつ、最も革命的なインフラだ。だがね、ユウ」

 

 彼は高速道路の先、きらめく湾岸の夜景を見つめながら、その声に少しだけ警告の色を滲ませた。

 

「その革命的なインフラは、かつてのローマ街道とは全く異なるある『特性』を持っている。そして、その特性こそが、現代の権力構造をかつてないほど複雑で、そして不安定なものにしているんだ」

 

 

「ローマ街道とは異なる『特性』、ですか?」

 

 僕は、穣星さんのその含みのある言葉に好奇心を掻き立てられた。彼の知的なゲームは、どうやら次のステージへと進んだようだ。

 

「ああ。ローマ街道や郵便網、あるいは電信といった近代までのインフラには一つの共通点があった。それは、極めて『中央集権的』な構造をしていた、ということだ」

 

 穣星さんは、まるでチェスの駒を動かすように慎重に言葉を選びながら続けた。

 

「道の起点にはローマがあり、郵便網の中心には国家があった。情報の流れは、常に『中央から末端へ』という一方向的なベクトルを持っていたんだ。末端の市民が、インフラそのものを使って中央政府を脅かすような情報を大量に、そして瞬時に拡散させることなど不可能だった。インフラは、支配者が被支配者を効率的に管理するためのトップダウン型のツールとして設計されていたんだよ」

 

「なるほど。ネットワークの構造そのものが、権力の非対称性を担保していたわけですね」

 

「そういうことだ。だが、インターネットは違う」と彼は、その声にわずかな興奮を滲ませた。「インターネットの原型であるARPANETは、もともと核攻撃を受けても通信網全体が麻痺しないように特定の中央制御局を持たない『分散型ネットワーク』として設計された。ネットワークの一部が破壊されても、情報は残った別の経路を通って目的地にたどり着くことができる。この『非中央集権的』で『自律分散的』な構造こそが、インターネットの本質であり、そして、その恐ろしさでもあるんだ」

 

 彼の言葉を聞きながら、僕はネットワーク理論の講義を思い出していた。中心となるハブを持たず、個々のノードが対等に繋がり合うネットワークトポロジー。それは驚くほどの堅牢性と柔軟性を持つ一方で、誰にも全体をコントロールすることができないという本質的なアナーキーさを内包している。

 

「その結果、何が起きたか」と穣星さんは続けた。「情報の流れが逆流を始めたんだ。かつてはマスメディアというゲートキーパーが独占していた情報発信の能力を、今や一個人が持つようになった。SNSを使えば、末端の一市民の声が国家や大企業といった巨大な権力の中枢を揺るがすほどのインパクトを持つことさえある。2010年代に中東で起きた『アラブの春』がいい例だ。市民がソーシャルメディアを通じてデモを組織し、独裁政権を次々と打倒していった。あれは、分散型ネットワークが中央集権型の権力構造を打ち破った象徴的な事件だった」

 

「確かに、情報の民主化は社会に大きな変革をもたらしましたね」と僕は同意した。「しかし、それは同時に新たな問題も生み出しているように思います」

 

 僕は自分の専門分野でもある情報工学の観点から、その光がもたらした影の部分を指摘した。

 

「情報の真偽を見極めることが極めて困難になったんです。かつては新聞社やテレビ局といった権威ある組織が、ある程度の『事実』を保証してくれていた。でも今は、誰もが発信者になれる時代だ。悪意のあるデマやフェイクニュース、あるいは特定の思想に人々を誘導するためのプロパガンダが、何のチェックも受けないままウイルスのように瞬く間に拡散してしまう。人々は自分が見たい情報だけが流れてくる『フィルターバブル』の中に閉じ込められ、社会の分断はむしろ深刻化しているようにも見えます」

 

「素晴らしい指摘だ、ユウ」

 

 穣星さんは、僕の反論を心から歓迎するかのように言った。

 

「君の言う通り、情報の民主化は同時に『真実の価値の暴落』をもたらした。誰もが情報を発信できるということは、裏を返せばどの情報も等しく信用できない、ということでもあるからだ。その結果、人々は何を信じていいのか分からなくなり、最終的には自分の感情に最も心地よく響く『物語』を信じるようになる。そして、その『物語』を最も巧みに操る者が新たな時代の権力を握ることになる」

 

 彼のその言葉は、まるで現代社会の病巣を鋭く抉り出すかのようだった。僕たちは情報の洪水の中で溺れながら、自ら進んで心地よい幻想の牢獄へと向かっているのかもしれない。

 

「そして、もう一つ」と穣星さんは、さらに核心に迫るように言った。「その『分散型』であるはずのインターネットの世界にも、実は新たな形の『中央集権化』が、静かに、しかし着実に進行していることにも気づかなければならない」

 

「新たな中央集権化、ですか?」

 

「ああ。考えてもみたまえ。私達が日常的に利用している検索エンジン、SNS、Eコマースのプラットフォーム。それらを運営しているのは、ごく一握りの巨大なテクノロジー企業だ。私達は彼らが提供する『無料』のサービスを利用する代わりに、自分たちの行動履歴や興味関心、人間関係といった、膨大な個人情報を彼らに差し出している。彼らはそのデータを独占し、分析することで、私達の行動を予測し、さらには私達の欲望そのものを巧みに誘導することさえ可能になる。彼らこそが、インターネットというインフラの上に君臨する新たな『皇帝』なんだよ」

 

 穣星さんのその言葉に、僕は背筋が少しだけ寒くなるのを感じた。僕たちは、自由な海を泳いでいるつもりが、実は、巨大な企業が張り巡らせた見えない網の中で、管理され、養殖されている魚に過ぎないのかもしれない。古代ローマの街道が物理的な空間を支配したのだとすれば、彼らは、僕たちの意識という、最もプライベートな空間を支配しようとしているのだ。

 

「……インフラの構造が、権力の形を決める。その原則は、やはり、今も変わっていない、ということなんですね」

 

 僕がそう呟くと、穣星さんは「その通りさ」と、静かに頷いた。

 

「そして、その戦いは、今この瞬間も、目に見えないサイバー空間で繰り広げられている。国家による情報統制と検閲、巨大プラットフォーマーによるデータの独占、そして、それに対抗しようとするブロックチェーンのような、より徹底した非中央集権技術の開発。その覇権争いの行方が、これからの世界の形を決定づけることになるだろう。投資家として、これほどエキサイティングなゲームはないよ」

 

 彼はそう言って、まるで未来の戦場を幻視するかのように、車のフロントガラスの向こうに広がる、無数の光の集合体を見つめていた。僕たちの乗る深紅のスポーツカーは、その光の海を貫く高速道路という名のインフラの上を、ただ滑るように走り続けていた。

 

 

 インフラという名の権力構造を巡る僕たちの壮大な議論は、僕たちの乗るスポーツカーがアクアラインの海底トンネルを抜け、千葉県の木更津へと上陸したあたりでようやく一区切りついた。

 車窓から見える風景は湾岸の近未来的な工場地帯から、次第に郊外の落ち着いた住宅街へと変わっていく。

 

「それにしても面白いドライブになったな」と穣星さんは先ほどまでの真剣な表情を崩し、リラックスした様子でハンドルを握っている。「君と話していると、いつも新しい視点が得られる。私の部下にしたいくらいだよ」

 

「はは、光栄ですけど、僕にはとても務まりませんよ。穣星さんの世界のスケールは僕には大きすぎます」

 

「謙遜するな。君のその物事の本質を冷静に見抜く目は、どんなビジネスの世界でも通用する。エリナがユウを手放さない理由がよく分かるよ」

 

 彼はそう言って意味深に僕を見た。僕にはその言葉の本当の意味はよく分からなかったが、褒められていることだけは確かだろう。

 

 雑談を交わしながら一般道を走ること十数分。やがて、僕たちの目の前に闇の中に煌々と輝く巨大なゲートが見えてきた。無数のLEDライトで彩られたそのゲートには、『東京ドイツ村』という、あの奇妙な名前がファンシーな字体で描かれている。

 

「……着いたみたいだね」

 

「はい。ついに来ましたね」

 

 僕たちは駐車場に車を停め、その光の王国へと足を踏み入れた。

 ゲートをくぐった瞬間、僕の目の前に広がったのは想像を遥かに超える光の洪水だった。広大な芝生の丘が虹色のイルミネーションで埋め尽くされ、まるで地上に降りてきた天の川のようだ。メリーゴーランドや観覧車もそれぞれが宝石のように輝き、幻想的な音楽が夜の冷たい空気の中を流れている。

 

「うわぁ……」

 

 僕は、思わず感嘆の声を漏らした。

 

「ここが、東京でもドイツでも村でもない、千葉かぁ……」

 

 そのネーミングの矛盾などどうでもよくなるほどの、圧倒的な光景。僕はこの時点で、ここに来るという自分の選択が正しかったことを確信していた。

 

 僕がポケットからスマートフォンを取り出してその光景を写真に収めようとした時、画面に表示された通知の数に気づいて、僕は少しだけ現実に引き戻された。エリから、かなりの数のメッセージが届いている。

『女子会、終わりました』『今どこにいるんですか?』『まさか、本当に変な虫がついていたりしませんよね?』……その文面からは、彼女の心配が透けて見えるようだった。

 

「ふふふ……エリのやつ、僕がドイツ村に来たって知ったら、きっと羨ましがるだろうな」

 

 僕は、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら、イルミネーションを背景に自撮りした写真を彼女に送ってやろうかと考えた。

 僕のその呟きを聞いた穣星さんは、隣で静かに夜景を眺めながらぽつりと言った。

 

「ふむ。それよりも、私がエリナに嫉妬の炎で焼き尽くされるのが先かもしれないね。彼女にとって最も大切な『ユウとの時間』を、思ったよりも長く私が独占してしまったわけだから」

 

「またまた、穣星さんは大袈裟なんだから」

 

 僕は、彼のその真面目な口調での冗談に思わず笑ってしまった。

 

「エリなら、きっと文句は言いませんよ。むしろ、暇している僕の面倒を見てもらって感謝すると思います」

 

 僕がそう言って笑うと、穣星さんは僕の方を向き、全く笑っていない真顔で静かに口を開いた。

 

「……ユウ。君は、本当に、そういうところが……いや、よそう」

 

 彼は何かを言いかけて、やめた。そして、まるで全てを諦めたかのように深いため息をついた。

 

「まあ、来てしまったものは仕方がない。せっかくだ、楽しむとしようじゃないか」

 

 彼はそう言って、僕に先んじて光の絨毯の中へと歩き始めた。その背中はどこか、世界という名の難解なゲームに少しだけ疲れた戦士のようにも見えた。

 

 僕は穣星さんのその少しだけ奇妙な反応の理由はよく分からなかったが、彼の言う通り、今はただこの美しい光景を楽しむことに集中しようと決めた。

 

「穣星さん!」

 

 僕は彼の後を追いかけながら、子供のようにはしゃいだ声で言った。

 

「やっぱり、ドイツと言えばソーセージですよね! 千葉のドイツでも売ってるのかなぁ!」

 

 僕のその、無邪気な一言を聞いた瞬間だった。

 それまで、どこか憂いを帯びた表情をしていた穣星さんが、突然肩を震わせ始めた。そして、次の瞬間、彼はこらえきれないといった様子で、腹を抱えて大笑いしたのだ。

 

「は、ははははっ! そうか、千葉のドイツでソーセージか! そうだね、ユウ! ドイツと言えばソーセージだ! 千葉のドイツにそれがあるかどうか、我々で調査してみようじゃないか!」

 

 穣星さんのその、心の底からの、そして僕が初めて見るような大笑いは、イルミネーションの光よりも明るく、冬の夜空に響き渡った。

 僕には彼がなぜそこまで笑っているのか、その理由は全く分からなかったが、彼のその楽しそうな姿を見ていると、僕までなんだか嬉しくなって一緒に笑い出してしまった。

 

 男二人の当てもないドライブの終着点。

 僕たちの奇妙で、しかしどこまでも心地よい夜は、まだ始まったばかりだった。

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