人生は考える恋である   作:たかゆき14歳

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シーン63:人生は考える恋である

 

「――と、いうわけでだね。僕たちの壮絶な恋愛闘争は、パパの華麗でロマンチックなプロポーズによって劇的な幕切れを迎えた、というわけさ。めでたし、めでたし」

 

 あれから十数年の歳月が流れた。

 春の柔らかな陽光が差し込む我が家のリビング。その中央に置かれた大きなソファに、僕たちの愛する二人の子供たちが並んで座っている。長女の優美(ゆみ)は十三歳、長男の将暉(まさき)は十二歳。二人とも、母親譲りの聡明さと、父親である僕に似てしまったらしい少しだけ皮肉屋な気質を併せ持つ、自慢の子供たちだ。

 

 僕はソファの前に仁王立ちになり、我が家の歴史における最も重要な一幕を、身振り手振りを交えながら得意げに語り終えた。そして、感動の坩堝と化しているであろう子供たちからの尊敬と賞賛に満ちた眼差しを待った。

 

 だが、僕に向けられたのは、僕の期待とは百八十度異なる、二対の冷ややかな視線だった。その目は、まるで理解不能な古代遺跡でも見るかのように、純粋なドン引きの色を浮かべている。

 

「……ねえ、姉さん」

 

弟の将暉が、隣に座る姉にひそひそと話しかける。

 

「俺、今、生まれてから最大級に、心の底から父さんのことを軽蔑したかもしれない」

 

「奇遇ね、将暉」

 

姉の優美が、静かに同意する。

 

「私もちょうど今、十三年の人生で培った父へのリスペクトが、綺麗さっぱり消え去っていくのを感じていたところよ」

 

「え、なんで!? パパ、なんかおかしなこと言ったかな!?」

 

 あまりにも辛辣な子供たちの反応に、僕は思わず素で問い返した。僕たちの完璧な愛の物語の、一体どこにそんなドン引き要素があったというのか。

 

「ああ、ユウ君。ですから、そのお話はしない方がいいですと、あれほど言っていたのに……」

 

 僕の背後から、やれやれ、とでも言うような、深いため息まじりの声が聞こえた。振り返るとそこには、淹れたての紅茶が入ったポットと数個のカップを乗せたトレーを手に、キッチンから歩いてくる妻、絵里奈の姿があった。十数年の時を経てもなお、彼女の知的な佇まいと僕の心を捉えて離さない可憐さは少しも変わっていない。

 

「ママ」と優美が、救いを求めるように母親に視線を向けた。「お願いだから教えて。なんで、あんな正気の沙汰とは思えないプロポーズをママは受け入れたの?」

 

「そうだよ、母さん」と将暉も続く。「はっきり言ってロクな話じゃなかったよ。俺だったら、あんなこと言われた瞬間にぶん殴って慰謝料請求訴訟の準備に入るね」

 

「君たち、パパの事を一体なんだと思っているのかな? さすがに泣いちゃうぞ?」

 

 僕の悲痛な訴えは綺麗に無視された。絵里奈は僕の隣をすっと通り過ぎると、子供たちの問いに、まるで遠い昔を懐かしむかのように、静かに、そして達観した表情で答えた。

 

「それは仕方のないことなのです。惚れた弱みとでも言うのでしょうか。恋愛という名の不合理な戦場においては、いつだって先に相手のことを好きになってしまった方の負け、と相場が決まっているのですから」

 

 彼女はそう言って、僕には見向きもせずに、子供たちにだけ優しく微笑みかけた。僕はこの家の中で、完全に孤立無援の状態に陥ってしまったらしい。

 

 あの嵐のようなプロポーズの後、僕たちは大学を卒業し、それぞれの道を歩み始めた。絵里奈は、彼女の両親や穣星さんと同じ金融の世界へと進み、その類いまれなる数学的才能を武器に、若くして凄腕のファンドマネージャーとしての地位を確立した。世界中の複雑な市場を数式で読み解き、莫大な利益を上げる彼女の姿は、はやくも伝説と化している。

 そして僕は、そんな彼女の公私にわたる最高のパートナーとなる道を選んだ。日々の家事や育児はもちろん、彼女が苦手とするあらゆる雑事をこなし、時には、彼女のクライアントとのタフな交渉の場に、彼女の代理として挑むという仕事も担当している。

 僕たちは、世界で一番可愛くて賢い子供たちも授かり、順風満帆で、誰もが羨むであろう生活を築き上げてきた。そう、全ては順調なはずだったのだ。目の前で繰り広げられている、この家庭内裁判を除けば。

 

「それにしても、二人とも」

 

絵里奈は僕をいないものとして扱いながら、子供たちに真剣な表情で語り始めた。

 

「将来、あなたたちがパートナーを選ぶ時は、相手に生活能力を過剰に依存してしまうことの危険性をよくよく考えるのですよ。さもないと、ママのように、一度掴まれた弱みを一生握られ続けるという悲惨な目に遭ってしまいますからね」

 

「そうよねぇ」と優美が、深く頷く。「ママって、パパがいないと物理的に生活が成り立たないものね。先週も、パパがお仕事でいなかった時、洗濯機の使い方が分からなくて三日分の洗濯物を全部ダメにしてたし」

 

「一昨日、庭で派手にこけて泥だらけになって、泣きながら父さんに『助けてくださいー』って叫んで、そのままお風呂に連行されてたもんな。俺、あんな情けない親の姿を見せられたら、馬鹿らしくておちおち反抗期も始められないよ」

 

「我が親ながら、本当に情けなくて涙が出るわ……そう考えると、ある意味ではお似合いの夫婦なのかもしれないわね」

 

「まさに、破れ鍋に綴じ蓋、の実例だよな」

 

「蓼食う虫も好き好き、とも言うわね。パパもママも、味覚は相当特殊なんだと思うわ」

 

「姉さん、俺たちはこうはならないように、まっとうに生きていこうな」

 

「ええ、ええ。肝に銘じておくわ」

 

「あ、あのー……」

 

 子供たちのあまりにも辛辣で的確な分析に、今度は絵里奈の方が潤んだ瞳で助けを求めるように僕の方を見つめてきた。

 

「ママのことも、一体なんだと思っているのでしょうか……? さすがに泣いちゃいますよ……?」

 

 

「ええい! あんまりパパとママのことを馬鹿にするんじゃない!」

 

 ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。僕はソファの前で腕を組み、父親としての威厳を最大限に込めた声で、生意気な子供たちを一喝した。

 

「あんまり両親を馬鹿にしているようなら、今年の授業参観も、夫婦そろってとっておきのコスプレをして参加してやるからな! それでいいのか!」

 

 僕のその脅し文句は効果覿面だった。

 

「うわっ! その手はもう二度と使わないって約束したじゃない、パパ!」と優美が、顔を青くして叫ぶ。

 

「そうだよ、父さん! やめてくれよ、マジで!」と将暉も必死の形相で懇願する。「この前の所業のせいで、学校じゃいまだにウチの家のこと『四川省』って呼ばれてるんだからな! 俺の繊細なハートはもうズタボロなんだよ!」

 

「ああ、前回のパンダの着ぐるみは我ながら良い出来だったねぇ」

 

 僕は子供たちの反応に満足しながら、楽しい気持ちで振り返った。

 

「エリも、すごく似合っていて可愛かったよ」

 

「え、えへへ……そうでしょうか……?」

 

 僕にそう言われ、絵里奈は先ほどまでの悲壮感をどこへやら、照れくさそうにはにかんだ。その頬は、出会った頃と少しも変わらず可愛らしく上気している。

 

 僕たちはそんな風にわちゃわちゃと騒ぎながらも、いつもの定位置へと収まっていった。絵里奈はローテーブルの上にトレーを置き、慣れた手つきで四人分の紅茶をカップに注ぎ始める。僕はそんな彼女の隣、子供たちと向かい合うソファに腰を下ろした。

 こうして、休日の午後に家族四人でテーブルを囲み、他愛のない話に花を咲かせる。それが、僕たちのかけがえのない日常だった。

 

「まあ、色々と言いたいことはありますが」

 

 紅茶の準備を終えた絵里奈が、ふぅ、と一息つきながら、今日の議論を締めくくるように言った。

 

「結局のところ、一番大事なのは諦めない心、ということです。どんなに常識のない相手でも、褒めるべきところはきちんと褒め、叱るべきところは厳しく叱り、そして根気強く対話を続けていれば、少しは成長してくれるものなのです」

 

「……成長して、これなのね……」

 

「……母さん、俺、今度から尊敬する人の欄には『母親』って書くことにするよ」

 

「だから君たち。パパはサンドバッグじゃないんだよ。もっと優しく扱ってくれないかな」

 

 僕のその情けない抗議は、もはや誰の耳にも届いていないようだった。

 絵里奈はそんな僕たちのやり取りを満足げに眺めると、今日の結論とばかりに、どこか得意げな顔でこう宣言した。

 

「つまるところ、『人生は考える恋である』ということですね」

 

 彼女は、ドヤ、と効果音がつきそうなほどのしたり顔で僕たち三人の顔を見回した。だが、それに対する子供たちの反応はやはり冷ややかだった。

 

「……どういう意味? 恋は盲目、だから、お先真っ暗ってことかしら?」

 

「違うだろ、姉さん。恋は熱病、だから、いつも頭が朦朧としててまともな思考ができないって意味じゃないか?」

 

「違います! なぜ、そうネガティブな解釈しかできないのですか!」

 

 子供たちのあまりにも冷徹なツッコミに、絵里奈はぷんぷんと怒り始めた。

 

「いいですか、二人とも! この『人生は考える恋である』という言葉は、ママが長年の思索の末にたどり着いた、至高の真理なのです! それはつまり、人生とは自分が『恋する』対象――それは人でも、学問でも、仕事でも何でもいい――と共に、その本質を深く学び、考え、探求し続けていく、終わりなき知的冒生である、ということなのです! ママの、せっかくの名言を馬鹿にしないでください!」

 

 必死になって自説の素晴らしさを説く絵里奈。そして、その熱弁を「はいはい」「なるほどー」と、明らかに聞き流している子供たち。

 僕は、そんな、愛おしくて、少しだけ騒がしい家族の姿を眺めながら、思わず笑みをこぼしていた。

 

 

 僕の目の前で繰り広げられる、愛すべき家族の日常。

 それは、僕があの日、彼女に「結婚しようか」と告げた時には、まだ想像もしていなかった、温かくて、少しだけ騒がしくて、そして、かけがえのない宝物のような時間だった。

 

 僕たちは、あの日からもずっと、相も変わらず議論を続けてきた。

 子供たちの教育方針について、最新のAIが社会に与える影響について、あるいは近所のスーパーで新発売されたプリンの成分表示について。僕たちの日常は、常に大小さまざまな「問い」で満ち溢れていた。

 

 僕たちはその一つ一つの問いに対して、それぞれの視点から言葉を交わし、時には意見を戦わせ、そして最後にはいつも笑い合った。

 そうやって、僕たちは少しずつ、互いのことを、そして、僕たちが生きるこの世界のことをより深く理解してきたのだと思う。

 

 人生とは、考える恋である。

 絵里奈がたどり着いたその言葉は、もしかしたら、僕たちのこれまでの歩みを、そして、これからの未来を、最も的確に言い表しているのかもしれない。

 

 僕が恋したのは、目の前で僕の子供たちと一緒になってキャッキャとはしゃいでいる、この聡明で、少しだけ不器用で、そして世界で一番愛らしい女性だ。

 そして、僕はこれからもずっと彼女と共に、この複雑で、面白くて、解きがいのある「人生」という名の謎を考え続けていくのだろう。

 

 僕はそっと手を伸ばし、隣に座る絵里奈の肩を優しく抱き寄せた。彼女は一瞬驚いたように僕を見上げたが、すぐに僕の意図を察したかのように、ふわりと幸せそうに微笑んだ。

 

「まあ、でも」

 

 僕は、子供たちにも聞こえるように、少しだけ大きな声で言った。

 

「パパが、人生で一番頭を使って真剣に考え抜いて出した答えが、ママと結婚するっていうことだったんだけどね。その答えだけは、どうやら間違っていなかったみたいだ」

 

 僕のその言葉に、子供たちは顔を見合わせ、やれやれとでも言うように大げさに肩をすくめてみせた。

 

「……出たわ、パパの殺し文句」

 

「……母さん、嬉しそうだから、まあ、今回は許してやるか」

 

 そして、僕の腕の中にいる絵里奈は、耳まで真っ赤にしながら、僕の胸にぽすりと顔をうずめた。

 

「……もう、ユウ君は、本当にずるい人です」

 

 その声は僕にしか聞こえないくらい小さくて、そして、甘かった。

 窓の外から差し込む春の柔らかな光が、僕たち家族を優しく包み込んでいる。

 

 僕たちの、少しだけ知的好奇心をくすぐる物語は、これからも続いていく。

 この愛すべき日常の中で、新しい問いが生まれる限り、ずっと。

 

(了)




これで完結です。お付き合い頂いた方々、ありがとうございました。

また似たような性格の登場人物で、次はゾンビサバイバル物かロボット物か牧場物語みたいなやつかを作ってみようかと思ってます。
ちょっと期間は空くと思いますが、よければそちらもお付き合い頂けると嬉しいです。
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