『篝火は太陽を導く夢を見るか?』~制御不能の太陽に振り回されたトレーナーが救いを求めたのはかつて皇帝に牙を剥いたウマ娘でした~   作:rairaibou(風)

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第十一話 - スプリンターズステークス 『女王の翳り、太陽の願い』

 マイルチャンピオンシップ連覇の熱狂から、数日が過ぎた。

 

 チームのミーティングルーム。その空気は、どこか、不思議なほどに穏やかだった。テーブルの上には、当然のように、ヘリオスの近所のじっちゃんから送られてきた、漬物のタッパーが置かれている。

 ホワイトボードに書き出されているのは、年内に残された、GⅠレースのリスト。

 ヘリオスの、輝かしいキャリアを締めくくる、最後の花道。

 

「年内の短距離GⅠとなると、もう、これしかないな」

 

 トレーナーが、指し示した先。そこには、『スプリンターズステークス』の文字があった。

 カガリは、黙って、頷く。

 その、静かな肯定を受け、ヘリオスは、ポリポリ、と、漬物をかじりながら、悪戯っぽく笑った。

 

「マイル女王として、スプリント王も決めちゃう、みたいな?」

 

 その、あまりにも強気な言葉。

 だが、今の彼女が言うと、それが、決して、不可能なことではないように聞こえた。

 チームは、ヘリオスの最後の挑戦の一つとして、この、電撃の六ハロン戦への出走を、その場で、決めた。

 

 

 スプリンターズステークス、数日前。

 その日のトレーニングは、トラックでの、調整がメインだった。

 最後の二百メートル。

 カガリが、ヘリオスの隣を、まるで影のように、併走していた。

 彼女は、ヘリオスの息遣い、足音、筋肉の動き、その全てを、五感の限りを尽くして、感じ取ろうとしている。

 ゴールラインを駆け抜けた瞬間、カガリは、ヘリオスと顔を見合わせ、軽く、頷いた。

 

 コースの脇に戻ると、トレーナーが、二人の元へと歩み寄ってきた。

 

「どうだ、カガリ君。あの『翳り』は」

 

 トレーナーの声は、重い。

 カガリは、手元のタブレットを操作しながら、答える。

 

「データ上の顕著な変化は、やはり、ありません。しかし、体感としては…」

 

 彼女は、少し、言葉を詰まらせた。

 

「…微細な、出力の低下は、感じます。だが」

 

 カガリは、ヘリオスの、屈託のない笑顔を、ちらりと見た。

 

「千二百メートルの短距離戦ならば、もしかしたら、その差を、ごまかせるかもしれません」

 

 トレーナーは、何も言わずに、空を見上げた。

 

 その日のトレーニングを終えたヘリオスが、一人、コースの脇でストレッチをしていると、二人のウマ娘が、緊張した面持ちで、彼女の元へとやってきた。

 次代のスプリント女王と目される、ニシノフラワー。

 そして、常に学級委員長腕章を輝かせる、生真面目な韋駄天、サクラバクシンオー。

 二人は、現役マイル女王の前に立つと、深く、そして、丁寧に、頭を下げた。

 

「ヘリオス先輩」

 

 先に口を開いたのは、ニシノフラワーだった。その、か細い声には、しかし、鋼のような、強い意志が籠っている。

 

「スプリンターズステークスでは、先輩の胸をお借りするつもりで、全力で、挑みます」

「はい!」

 

 続いて、バクシンオーが、腹の底から、大きな声を張り上げた。

 

「マイル女王のそのスピード、このバクシンオーが、しかと、見届けさせていただきます! いざ、尋常に、勝負!」

 

 その、あまりにも真摯で、熱い挑戦状。

 ヘリオスは、一瞬だけ、きょとんとした顔をした。だが、すぐに、その口元に、太陽のような、自信に満ちた笑みが広がる。

 

「ひゅ〜! 二人とも、鬼アツいじゃん!」

 

 彼女は、立ち上がると、二人の肩を、ぽん、と軽く叩いた。

 

「オッケー、その勝負ウチも乗った! けど、ガチでいくから、そこんとこよろしくー!☆」

 

 その姿は、もはや、ただのパリピギャルではない。

 数多の激戦を乗り越え、一つの時代を築いた、「女王」だけが持つ、確かな風格が、そこにはあった。

 

 

 スプリンターズステークス当日。

 

 中山レース場は、息も詰まるような、極限の緊張感に包まれていた。

 電撃の六ハロン戦。マイル戦とは、流れる時間の密度が違う。

 その中で、ダイタクヘリオスは、堂々の、一番人気に支持されていた。現役マイル女王が、短距離路線に、殴り込みをかけてきた。多くのファンが、新たな伝説の始まりを、期待していた。

 

 ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。

 

 だが、ヘリオスは、ほんのわずかに、スタートで出遅れた。

 

 コンマ数秒の、しかし、スプリント戦においては、致命的な遅れ。

 彼女は、すぐに立て直そうとする。だが、その時には、もう、周りを、生粋のスプリンターたちの、壁に、完全に、包囲されてしまっていた。

 前も、横も、塞がれている。

 

「…まずいな」

 

 トレーナーが、乾いた唇を舐めた。

 

「カガリ君、こじ開けられるか」

「五分、いえ、もっと悪いです」

 

 カガリは、タブレットのデータに視線を落としたまま、静かに、しかし、絶望的な事実を告げた。

 

「かつての彼女なら、あるいは。ですが、今の彼女の瞬発力では、あの密集したバ群を、パワーだけで突破するのは…」

 

 二人は、祈るように、その瞬間を、待っていた。

 だが、その時は、いつまで経っても、訪れない。

 ヘリオスは、必死に、進路を探している。

 だが、道が、ない。馬群の中から、抜け出せない。

 二人は、確信した。

 マイルCSの後に感じた、あの、ほんのわずかな「翳り」。

 それは、気のせいなどでは、なかったのだと。

 

 最後の直線。

 身動きが取れないヘリオスを、あざ笑うかのように。

 大外から、一頭のウマ娘が、まるで、弾けるような、爆発的な末脚で、飛んできた。

 ニシノフラワー。

 彼女が、ヘリオスを、そして、全てのライバルを、鮮やかに、抜き去っていく。

 

 結果は、四着。

 

 一番人気という、ファンの期待を裏切り、ダイタクヘリオスは、自分の力を、全く、出し切れないまま、ターフを去った。

 新女王の誕生を、その、すぐ、後ろで見届けることしか、できなかった。

 

 

 控室の空気は、敗北の悔しさよりも、一つのキャリアを終えたことへの、静かで、どこか温かいものに満ちていた。

 トレーナーとカガリは、レースを終えた愛バを、優しい表情で迎える。

 

「いやー、ニシノ、マジぱねぇわ! 完敗っしょ!」

 

 ヘリオスは、戻ってくるなり、努めて明るく、そう言った。

 だが、その明るい表情の裏で、彼女は、これから自分が切り出さなければならない「本当の話」を前に、緊張で、心臓がバクバクしている。

 トレーナーとカガリが、このレースが最後だと思って、優しい顔で自分を迎えてくれている。その優しさが、逆に、彼女の胸を締め付けていた。

 

「ヘリオス、お疲れ様」

 

 トレーナーが、どこに隠していたのか、小さな、しかし、綺麗な花束を、彼女に差し出した。

 

「最後まで、よく頑張ったな」

「素晴らしい挑戦でした」

 

 カガリもまた、静かに、しかし、心のこもった声で、続けた。

 

「胸を張ってください」

 

 二人とも、これで彼女を無事に、輝かしい未来へと送り出せる。その、安堵の気持ちが、表情に浮かんでいた。

 ヘリオスは、差し出された花束を、ゆっくりと、受け取る。

 色とりどりの、花の重み。

 それが、これから自分が裏切ろうとしている、二人の、揺るぎない信頼の重さのように感じられた。

 ありがとう、と言おうとする。

 だが、喉が、きゅっと、詰まって、うまく、声が出なかった。

 

 ヘリオスの、困惑とも、罪悪感ともつかない、複雑な表情。

 彼女は、胸に抱いた花束を、ぎゅっと、強く握りしめた。そして、意を決したように、顔を上げる。

 

「ウチ」

 

 その声は、小さかった。だが、静かな控室に、はっきりと、響いた。

 

「引退レース、決めたんよ」

 

 その言葉に、トレーナーとカガリは、顔を見合わせた。

 

(引退レース?)

 

 今日の、この、スプリンターズステークスでは、なかったのか。

 二人の、そんな、声にならない問いかけを、ヘリオスは、続ける言葉で、打ち砕いた。

 

「最後は、パーマーと一緒に走りたい!」

 

 彼女は、とんでもないことを、言い出した。

 

「だから、有馬記念に出して!」

 

 部屋が、しんと、静まり返る。

 トレーナーのタブレットには、数日前に発表された有馬記念のファン投票の結果が、表示されたままだった。そこには、確かに、ヘリオスの名前があり、彼女には、その、夢の舞台に立つ『権利』があることを、無情にも、示していた。

 カガリは、驚愕のあまり、固まっている。

 トレーナーは、感情的になりそうな自分を、必死に、抑え込んでいた。ここで、声を荒げても、何も、解決しない。彼は、深く、そして、長く、息を吸い込んだ。

 

「…ヘリオス。カガリ君」

 

 彼の声は、平坦だった。

 

「その話は、今日はもう、やめよう」

 

 彼は、有無を言わさぬ口調で、続けた。

 

「頭を冷やして、明日、改めて、ミーティングをしよう」

 

 その、静かな、しかし、絶対的な拒絶。

 誰も、何も、言えなかった。

 ヘリオスは、言いたいことを言えずに、唇を、きゅっと、噛みしめる。

 カガリは、俯いたまま、動けなかった。 




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