『篝火は太陽を導く夢を見るか?』~制御不能の太陽に振り回されたトレーナーが救いを求めたのはかつて皇帝に牙を剥いたウマ娘でした~ 作:rairaibou(風)
スプリンターズステークスの、翌朝。
ミーティングルームの空気は、これまでで、最も、重く、張り詰めていた。窓の外は、冬の、鉛色の空が広がっている。
ダイタクヘリオスは、テーブルの向こうで、小さくなっていた。その瞳は、俯いたまま、自分のジャージの裾を、ただ、見つめている。昨日、あれほど、輝いていた太陽は、今は、厚い雲に、その光を隠していた。
トレーナーが、静かに、口を開いた。
「…昨日、少し頭を冷やした」
彼の声は、夜の間に、全ての感情が、抜け落ちてしまったかのように、ひどく、平坦だった。
「確かに、君は、ファン投票によって、有馬記念に出走する権利を持っている。だが、俺の考えは、変わらない。やはり、出場は、あり得ない」
彼は、ゆっくりと立ち上がると、壁にかかったカレンダーを指差した。
「今更、言うまでもないと思うが、有馬記念は、一週間後だ。千二百メートルのGⅠを走った、その、たった七日後に、今度は、二千五百メートルのグランプリに出走する。そんなことは、考えることすら、常軌を逸している」
トレーナーは、再び、ヘリオスへと向き直る。
「君の、その頑丈さは、俺が、誰よりも、理解している。君ほど、『無事之名馬』という言葉を、体現しているウマ娘はいないだろう。だがな、ヘリオス。その称号は、これまで、君が無事だったという、過去の証明にはなっても、未来を、保証してくれるものではないんだ」
彼の声に、わずかに、痛切な響きが混じる。
「この数年間、俺は、君の走りを、コントロールできていたとは、言い難い。君は、誰よりも、自由なウマ娘だ。そして、それが、君の強さの、根源であることも、分かってる。…だが、これだけは、止めさせてもらう」
彼は、一度、強く、目を閉じた。
「ここで君を止めるために、俺は、君のトレーナーになったんだと、そう思う」
トレーナーは、ひとまず、言いたいことを、全て、言い切った、というように、疲れた顔で、椅子に、深く、座り込んだ。
そして、隣に座る、カガリへと、視線を送った。
トレーナーは、隣に座る、カガリへと、視線を送った。
カガリは、その視線を受け止めると、静かに、そして、強く、頷いた。
「私も、基本的には、トレーナーさんと、同意見です」
彼女の声は、どこまでも、冷静だった。
「君は、もう、マイルGⅠを二連覇した、近代最強マイラー候補の一人。これ以上、ファンに証明すべきものは、何もありません」
その言葉は、単なる事実の羅列ではない。
ヘリオスの、これまでの輝かしいキャリアに対する、最大限の、賞賛だった。
「君の輝かしい未来を、不確定要素の多い、このレースで、危険に晒す必要は、どこにもない」
トレーナーの、愛情。
カガリの、論理。
その、あまりにも、揺るぎない二つの壁を前にして、ヘリオスは、ついに、顔を伏せた。
彼女の小さな手が、ジャージの裾を、ぎゅっと、強く、握りしめている。
明らかに、納得は、していない。
だが、二人の、あまりにも、正しく、そして、優しい言葉に、反論するための、手札を、一枚も、持っていなかった。
重い沈黙が、部屋を支配していた。
トレーナーは、これで、彼女も、諦めてくれるだろう、と。そう、思っていた。
だが、カガリは、違った。
彼女は、黙り込んでしまったヘリオスの、その、握りしめられた、小さな拳を、じっと、見つめていた。
その震えを、見逃さなかった。
これは、ただ、わがままを否定されて、拗ねている者の、それではない。
もっと、切実な、何か。
カガリが、静かに、口を開いた。
その声は、冷たい分析ではなく、どこまでも、優しい、問いかけだった。
「パーマーさんと、一緒に走りたい、と言っていたな」
ヘリオスの肩が、ぴくり、と震える。
「だが、理由は、本当に、それだけか?」
カガリは、一度、言葉を切った。そして、ヘリオスの瞳を、まっすぐに見つめる。
「もし、それだけの理由ならば。私も、トレーナーさんも、これ以上、意見を変えることは、ないと思う」
その、全てを見透かすような、あまりにも、優しい言葉。
それが、ヘリオスの、心の奥に、固く、閉ざされていた、最後の扉を、ゆっくりと、こじ開けた。
彼女の瞳から、ぽろり、と、大粒の涙が、こぼれ落ちた。
ヘリオスは、俯いたまま、震える声で、話し始めた。
「…じっちゃんが」
その声は、いつもの太陽のような響きを、完全に失っていた。
「近所のじっちゃんが、今月、倒れたって、連絡、あって…」
トレーナーとカガリは、息を呑む。
ヘリオスは、ぽろぽろと、涙をこぼしながら、続けた。
「それで、ベッドの上で、言ってるんだって。『最後に、ヘリオスが走っているところを、もう一度だけ、見たい』って…」
その言葉に、トレーナーとカガリは、はっとした。
そういえば。
夏合宿の時も、マイルCSの時も、ミーティングのテーブルの上には、いつも、あったはずだ。
あの、不格好な、タッパーに入った、手作りの漬物が。
ここ、数日、その姿を、見ていない。
いつも、当たり前のように、そこにあった、タッパー。
あれが、ただの漬物ではなかったことを、二人は、今、初めて、理解した。あれは、遠い故郷から届く、無償の愛情そのものだったのだ。
自分のために泣くのではなく、たった一人の、大切な人のために、無謀な挑戦をしようとしている。
その、あまりにも、真っ直ぐな想いに、トレーナーとカガリは、強く、胸を、締め付けられた。
だが、それでも。
トレーナーは、心を鬼にして、最後の、そして、最も、残酷な、正論を、口にした。
「気持ちは、痛いほど分かる。だが、それでも、だ。マイルCSを勝った、スプリンターズステークスでは四着になった。君の勇姿は、十分すぎるほど、見せたはずだ。それに、今の君が、メジロパーマーや、ナイスネイチャ、ライスシャワー、そして、トウカイテイオーが出る、あのグランプリを制する可能性は、限りなく、低い…!」
「それでも!」
ヘリオスが、叫んだ。
彼女は、涙でぐしゃぐしゃの顔を、上げた。
「勝ちたいとか、そーいうんじゃないの! 一着じゃなくても、全然いい! ただ…ウチが走ってるとこを、見ててほしいだけなんよ!」
その声は、魂の叫びだった。
「ちっちゃい頃からずっと、ウチのこと応援してくれたんだもん! ウチがアガってるときも、ぴえんなときも…いっつも、じっちゃんの漬物送ってくれて…! だから、おねがい…! もっかいだけ、ウチの走りを見てほしい! それでマジで『卒業』するから! 来年はもう、こんなワガママ言わないから…! お願い!」
ヘリオスは、そう言うと、子供のように、声を上げて、泣きじゃくった。
ヘリオスの、魂からの、叫び。
トレーナーは、その、あまりにも純粋な想いを前に、ただ、唇を噛みしめる。
その間、カガリは、じっと、目を閉じていた。
脳裏に、様々な光景が、蘇っては、消えていく。
(この子は、誰かのために、走りたいと、言っている…)
かつての、自分。
自分だけを信じてくれた、あの、若きトレーナー。
彼の期待に応えたい、一心で。
無謀な挑戦だと、知りながら。
それでも、ターフへと、向かっていった、自分。
『私と、あなたの夢のために。この身が壊れようと、ルドルフだけは、獲らにゃいけんのです』
(もし、あの時の私を、誰かが、止めようとしたら)
(私は、聞き入れただろうか)
(いや…)
カガリが、ゆっくりと、目を開けた。
そして、静かに、立ち上がる。
「トレーナーさん」
彼女は、静かに、トレーナーを呼んだ。
「ヘリオスを、『自由』に、走らせてみては、どうでしょう」
その、あまりにも意外な言葉に、トレーナーは、衝撃を受けたように、カガリの顔を見た。
そして、彼は、気づく。
カガリの、あの、常に、冷静だったはずの琥珀色の瞳が、わずかに、潤んでいることに。
「それが、ウマ娘にとっての『幸せ』なのだと、私は、思います」
その言葉。
トレーナーの胸に、深く、突き刺さった。
彼は、知っている。彼女が、その一言を口にするために、どれほどの過去と、戦ってきたのかを。適性外のレースに挑み、全てを失った彼女が、自らの哲学の全てを、今、この瞬間に、覆そうとしている。
それは、彼女自身の、魂の解放の叫びだった。
その、あまりにも、痛切で、そして、美しい覚悟が、最後の、一押しだった。
トレーナーは、一度、椅子の背もたれに、大きく、体重を預けた。
そして、机に、肘をつき、両手で、頭を、抱えた。
長い、長い、沈黙。
「…お願い、トレぴ」
ヘリオスの、すがるような声が、響く。
やがて、トレーナーは、顔を上げた。
その目は、赤く、充血していた。
「…分かった。出場の方向で、考えよう」
「ほんと!?」
ヘリオスの顔が、ぱっと、輝く。
だが、トレーナーは、その歓声を、手で、制した。
「条件がある」
彼の声は、これまでにないほど、真剣だった。
「この一週間、少しでも、脚に不調が出れば、すぐに、報告すること。レース中、少しでも、異常を感じたら、すぐに、緩めること。いいな」
彼は、ヘリオスの瞳を、まっすぐに見つめる。
「無事に、年始を迎えよう。それが、それだけが、絶対の条件だ」
そして、トレーナーは、カガリへと、向き直った。
「俺達の、最後の仕事は、ヘリオスの脚に、何かがあると判断すれば、すぐに、声を上げることだ」
その、重い、重い、覚悟。
カガリは、涙を、こらえながら、強く、頷いた。
☆
有馬記念の出馬投票が、締め切られた、木曜日の放課後。
カガリは一人、夕暮れの光が差し込む廊下を、歩いていた。その表情には、覚悟と、そして、拭いきれない、わずかな不安が入り混じっている。
その、背後から。
「カガリ君!」
厳しい、声が、飛んだ。
カガリは、足を止める。振り返らなくても、誰なのかは、分かっていた。
シンボリルドルフ。
廊下の向こうで、数人の生徒が、こちらを見て、ひそひそと、何かを囁き合っている。
「…ここは、他の方もおりますので」
カガリは、静かに、そう言うと、ルドルフを、近くの、誰もいない資料室へと、促した。
ぱたん、と扉が閉まり、二人の世界が、切り離される。
先に、沈黙を破ったのは、ルドルフだった。
「有馬記念、ヘリオス君のエントリーがあったが、間違いじゃないのか」
その声には、苛立ちと、純粋な、困惑が、滲んでいる。
「この日程は、異常だ。君ほどのウマ娘が、それを、理解していないわけでは、ないだろう」
その、厳しい、詰問するような言葉。
しかし、カガリは、もう、怯まなかった。
彼女は、一度、深く、息を吸う。そして、決意を固めた、静かな瞳で、ルドルフを、見つめ返した。
「間違いでは、ありません」
「なぜだ」
ルドルフの声は、静かだった。だが、その中には、信じられない、という響きが、色濃く、滲んでいた。
「君ほどのウマ娘が、そのリスクを、理解していないわけでは、ないだろう」
カガリは、その、問い詰めるような視線を、静かに、受け止めた。
「ウマ娘には、その時、その時の、理由というものがあります」
彼女は、答えた。
「私達は、ヘリオスの『自由』を、尊重することに決めた。ただ、それだけです」
「…君らしくないな」
ルドルフが、ぽつりと、呟いた。
あまりにも、非論理的だ。あまりにも、感情的すぎる。かつての、誰よりも、冷徹で、正確なデータだけを信じていた、あの、キビノカガリとは、まるで、別人だ。
その言葉に、カガリは、静かに、頷いた。
「ええ。私も、そう思います」
その表情に、自嘲の色はない。ただ、事実として、それを受け入れている。
「ですが、この一年間、彼女のアドバイザーとして、活動し、感じているんです」
カガリの、琥珀色の瞳が、わずかに、和らぐ。
「『自由に走ること』こそが、ウマ娘にとっての、本当の幸せなのかもしれない、と」
カガリは、一度、遠い目をした。
まるで、自分自身に、言い聞かせるように、続ける。
「自分でも、まだ、心の整理が、ついてはいません。ですが…」
彼女は、そこで、言葉を切った。
そして、静かに、告白する。
「『あの時』の、『私』も。もしかしたら、本当は、『幸せ』だったのかもしれない、と」
その、あまりにも、重く。
そして、あまりにも、意外な言葉。
ルドルフは、目を見開いたまま、固まった。
彼女が、長年、心の奥底で、罪悪感と共に、背負い続けてきた、あの、悲劇。
それを、当事者であるカガリが、今、「幸せだったのかもしれない」と、言った。
喜ぶべき、なのかもしれない。
だが、あまりの衝撃に、彼女は、どんな言葉も、発することができなかった。
その感覚を表現する勇気が、今のルドルフにはなかった。
カガリは、それ以上は、何も言わなかった。
ただ、ルドルフに、静かに、一礼する。
そして、扉を開け、決戦の待つ、未来へと、一人、歩き出していった。
一人残された、資料室。
ルドルフは、ただ、呆然と、その、かつての好敵手の、小さな、しかし、今は、あまりにも大きく見える、背中を見送っていた。
☆
有馬記念、レース前日の夜。
トレーナーと別れ、一人になったヘリオスは、トレセン学園の食堂にいた。
夕食の喧騒が嘘のように、静まり返っている。消灯と門限の時刻が、もう、すぐそこまで迫っていた。
彼女は、一人、テーブル席で、ぬるくなったお茶を、ただ、手遊びのように揺らしている。
明日、走る、グランプリ。
その、あまりにも大きな舞台を前にして、彼女の心は、期待と、そして、同じくらいの不安で、激しく、揺れていた。
その、静寂を破るように。
こつん、と。乾いた音が、食堂の入り口から響いた。続いて、静かな、革靴の音。
ヘリオスが顔を上げると、そこに、二人のウマ娘が、立っていた。
私服姿の、ダイイチルビー。
そして、その隣で、松葉杖をついている、ケイエスミラクル。
二人は、ヘリオスを探していたのだ。
食堂の、四人掛けのテーブルに、三人が、向かい合う。
気まずい、というのとは、少し違う。ただ、あまりにも、静かな時間が、流れていた。
先に、口を開いたのは、ルビーだった。
「…無茶をなさいますのね」
その声は、非難ではなく、純粋な、心配から来るものだった。
「ですが、それが、貴女というウマ娘なのでしょう」
彼女は、一度、目を伏せた。そして、再び、ヘリオスの瞳を、まっすぐに見つめる。
「…わたくしの分まで、とは言いません。ただ、貴女らしく、最後まで、輝いてください」
続いて、ミラクルが、少しだけ、悔しげに、しかし、優しく、微笑んだ。
「ヘリオス。…正直、羨ましいよ」
彼女の視線が、自分の、まだ、完治していない脚へと、一瞬だけ、落ちる。
「俺は、まだ、走りたくても、走れない。だから、頼みます。俺の分まで、とは言いません。ただ、明日は、ゴールまで、無事に、走りきってください」
二人の、あまりにも、真摯な言葉。
ヘリオスは、黙って、その全てを、受け止めていた。
やがて、彼女は、これまでで、最も、力強く、頷いた。
「うん。分かってる」
その声に、いつものような、弾ける響きはない。
ただ、静かで、そして、どこまでも、深い、覚悟が、籠っていた。
「見てて。ウチの、最後の、最高の走り」
二人のライバルからのエールを受け、ヘリオスの覚悟は、完全に、定まった。
彼女の最後のレースは、もはや、自分と、じっちゃんのためだけのものではない。
ターフを去っていった者、ターフに戻ろうと戦っている者、全てのライバルの想いを背負って走る、特別なレースになったのだと。
彼女は、静かに、理解していた。
☆
有馬記念、ゲート裏。
十二月の、凍てつくような夜気が、肌を刺す。乾いた太陽にに照らし出されたターフだけが、この世のものとは思えないほど、鮮やかな緑色に輝いていた。
地鳴りのように響き渡る、十万人の大歓声。一年を締めくくるグランプリの、その、あまりにも巨大な熱量が、全てのウマ娘たちの心を、否応なく、高揚させている。
その、喧騒の真ん中。
ダイタクヘリオスは、静かに、その時を待っていた。
不意に、隣に、一つの影が立つ。
振り返ると、そこに、トウカイテイオーがいた。彼女は、腕を組み、いつものように、生意気な、しかし、どこか楽しげな笑みを浮かべて、言った。
「今日で、キミも最後なんだってね」
「今度こそ、ボクがぶっちぎって勝つから、特等席で、見せてあげるよ!」
その、真正面からの、挑戦状。
ヘリオスは、何も言わずに、ただ、にっと、笑い返した。
テイオーは、ふん、と鼻を鳴らすと、満足したように、彼女に背を向け、自分のゲートの方へと、歩き出す。
だが、数歩、進んだところで、ぴたり、と足を止めた。
そして、振り返らないまま、ヘリオスにだけ、聞こえるような、小さな、小さな声で、ぽつりと、呟いた。
「…怪我だけは、しないでよね」
その声には、確かに、優しさが、滲んでいた。
ヘリオスは、一瞬だけ、きょとん、とする。
そして、すぐに、これまでで、最高の、太陽のような笑顔で、力強く、頷いた。
言葉以上に、確かな、エールの交換。
二人の天才は、それぞれの覚悟を胸に、最後の戦場へと、向かっていった。
☆
有馬記念のファンファーレが、冬の中山レース場に、高らかに鳴り響く。
ゲートが開いた。
瞬間、一頭のウマ娘が、まるで矢のように飛び出した。メジロパーマー。
ヘリオスは、カガリとトレーナーの言葉を思い出し、一度は、冷静に、先頭集団で、脚を溜めようとした。
だが。
ターフビジョンに映る、たった一人で、楽しそうに、風を切って逃げていく、親友の姿。
それに、彼女の魂が、感化されてしまった。
『 ダイタクヘリオス、完全燃焼するか!? これが二番手!』
実況の絶叫が、響き渡る。
ヘリオスが、猛然と、パーマーに並びかける。だが、パーマーも、譲らない。親友との、最後のレース。彼女もまた、全てを懸けていた。
二人は、互いに、先頭を譲るまいと、どんどん、どんどん、ペースを上げていく。
その光景に、カガリとトレーナーは、心臓が張り裂けそうな思いで、ただ、叫んでいた。
「行け!」
向こう正面。後続を、遥か、彼方に置き去りにして。
ターフの上には、まるで、二人だけの世界が、広がっていた。
「パマちん、マジぱねぇって! 最高じゃん、これ!」
ヘリオスが、息を切らしながら、楽しそうに叫んだ。
「ああ! 最後まで、どっちがバテるか、勝負だよ、ヘリオス!」
パーマーもまた、苦しいはずなのに、不敵な笑みを浮かべて、そう言い返した。
『さあ、三番手以下までまだ十五、六バ身ある! さぁ! 早く追いかけなくてはいけない!ここは第三、四コーナー! 後続バ十四人が一気に差を詰めないと、とても前の二人は捕まりそうもない!』
第三コーナーを、回りきる、あたり。
ヘリオスが、ついに、パーマーを、競り落とした。
ほんの、一瞬。グランプリの、先頭に立つ。
それが、彼女の、最後の輝きだった。
第四コーナーを回り、最後の直線。
ぷつり、と。
糸が切れたように、彼女の脚が、鈍る。
後続のウマ娘たちが、嵐のように、彼女を、抜き去っていった。
だが、ヘリオスは彼女らの背中を、笑って見送った。
最終的な、着順は、十二着。
そして、レースを制したのは、共に逃げ、最後まで、粘り切った、親友の、メジロパーマーだった。
ダイタクヘリオスの、最後のレースが、終わった。
☆
ゴール後。
少し離れた場所で、十一着のトウカイテイオーは、完全に燃え尽き、芝生の上に、大の字になってへばっていた。
彼女は、冬の、澄み切った夜空を見つめながら、子供のように、か細い声で、呟く。
「…なんか、また、思ってたのと、違うヨォ…」
そして、隣から、楽しそうに笑う声が聞こえてくる。
その、あまりにも、楽しそうな笑い声。
テイオーは、呆れたように、そちらに、顔を向けた。
そして、見てしまった。
十二着という、最悪の結果で、最後のレースを終えたはずの、ダイタクヘリオス。
その彼女が、心の底から、幸せそうに、笑っている姿を。
テイオーの、唇から、ふっと、力が抜けた。
なんだい、それ。
ずるいじゃないか、そんなの。
彼女の口元にも、こらえきれない、というように、小さな、小さな、笑みが、浮かんでいた。
やがて、勝者であるパーマーが、疲れ切った足で、二人の元へ、歩み寄ってくる。
そして、ヘリオスと、テイオーの間に、どさりと、腰を下ろした。
ターフの上に、並んで転がる、三人のウマ娘。
勝者も、敗者も、もう、関係ない。
ただ、全てを出し切った者だけが共有できる、最高に、清々しい笑顔が、そこにはあった。
☆
レース後。
控室に戻ってきたヘリオスは、もう、立っているのもやっと、という様子で、トレーナーの肩に、ぐったりと、もたれかかっていた。
体は、ボロボロだった。だが、その表情には、一点の曇りもない。
ただ、全てを出し切った者だけが持つ、最高に、清々しい笑顔が、そこにはあった。
「トレぴ、カガリ先輩」
彼女は、二人を、交互に見つめる。
「ウチ、ちょー、楽しかった」
その、あまりにも、真っ直ぐな言葉。
トレーナーは、もう、何も言えなかった。ただ、込み上げてくる熱いものをこらえきれず、ヘリオスの頭を、何度も、何度も、優しく撫でた。
「…ああ」
カガリが、静かに、頷く。
その、琥珀色の瞳は、優しく、潤んでいた。
「私もだ。私も、楽しかった」
彼女は、そっと、ヘリオスの手を握る。
「君の、アドバイザーになれて、本当に、良かった」
その、初めて聞く、カガリからの、素直な言葉。
ヘリオスの瞳から、ぽろり、と、大粒の涙が、こぼれ落ちた。
「…うん。…うん!」
彼女は、何度も、何度も、頷く。
トレーナーが、その、二人の手を、そっと、上から、包み込んだ。
三つの、固く、結ばれた手。
言葉は、もう、いらない。
勝者でも、敗者でもない。
ただ、最高のゴールへと、共に、辿り着いた、最高のチームが、そこには、あった。