『篝火は太陽を導く夢を見るか?』~制御不能の太陽に振り回されたトレーナーが救いを求めたのはかつて皇帝に牙を剥いたウマ娘でした~ 作:rairaibou(風)
マイルチャンピオンシップまで、あと数日。
昼休みのカフェテリアは、多くのウマ娘たちの活気で満ちていた。食器の触れ合う音、賑やかな談笑の声、そして、食欲をそそる様々な料理の匂い。ダイタクヘリオスは、そんな喧騒の真ん中で、山盛りのニンジンハンバーグ定食を前に目を輝かせていた。
彼女の向かいに座るのは、二人のウマ娘。ここにいる三人は、次のマイルチャンピオンシップで、間違いなく主役となる存在だった。
一人は、圧倒的なスピードでスプリント戦線を席巻する、ケイエスミラクル。
そしてもう一人は、”華麗なる一族”の令嬢にして、春のマイル王決定戦・安田記念の覇者、ダイイチルビー。彼女こそが、現役最強マイラーと目されているウマ娘だ。
「ダイタクヘリオスさん、次のマイルチャンピオンシップ、楽しみにしています」
最初に口を開いたのは、ミラクルだった。そのまっすぐな瞳に、純粋な闘志が宿っている。
「ミラクルもカモンするとか、鬼アツすぎん!? これはバイブス爆上がりっしょ!♪」
ヘリオスは、大きなハンバーグを頬張りながら、屈託なく笑った。
その時、それまで静かにお茶を飲んでいたルビーが、そっと口を挟んだ。
「ヘリオスさん。貴女、キビノカガリ先輩を指南役に迎えたと伺いました」
その声は、穏やかだが、どこか探るような響きを持っていた。
「…あの方の評判は、貴女もご存じでしょうに」
ルビーの言葉に、ヘリオスは、きょとんと首を傾げる。心から、彼女が何を心配しているのか、分からない、という顔だった。
「カガ先!? 鬼マジメだけど、ガチでいい人じゃん! この前もウチに『口に貼るやつ』くれたんよ! やさしくね!?☆」
その、あまりにも無邪気な返答に、ルビーは、はぁ、と静かにため息をついた。ミラクルは、そんな二人を見て、苦笑いを浮かべている。
カガリというウマ娘が、このトレセン学園でいかに特別で、そして、危険な存在と見なされているか。目の前の太陽は、そのことを、全く理解していないようだった。
☆
マイルチャンピオンシップを二日後に控えた、練習後の夕暮れ。
クールダウンを終えた三人は、並んでターフを歩いていた。茜色の光が、三人の影を長く、長く地面に伸ばしている。カガリが、その日の練習内容を冷静に分析し、トレーナーが、熱心にそれをメモに書き留めていた。
「ヘリオス、これ…」
ふと、トレーナーが立ち止まり、少し照れくさそうに、一つの小さな箱を差し出した。彼は、どこか気恥ずかしいのか、ヘリオスの顔を真っ直ぐに見ることができない。
「え、なになに? プレゼント?」
ヘリオスは、ぱっと顔を輝かせて、その箱を受け取った。
中から出てきたのは、ウマ娘の顔の形に合わせて作られた、少し不格好なマスクだった。
プロが作ったような、洗練されたものではない。縫い目は少し歪で、形も、どこか手作り感に溢れている。だが、肌に触れる部分は柔らかい素材が使われ、通気性を考えた小さな穴が、丁寧に開けられていた。サージカルテープの応急処置から進化した、トレーナーお手製の秘密兵器だ。
「何これ、ウケる!」
ヘリオスは声を上げて笑った。だが、その声に馬鹿にするような響きは一切ない。
「けど、やっぱトレぴの手作りとか、鬼テンアゲなんですけどー!☆」
彼女は、その不格好なマスクを、宝物のように愛おしげに顔に当てると、慣れた手つきで耳に紐をかけた。
その光景を、少し離れた場所から、カガリが静かに見ていた。
マスクをつけたヘリオスが、ぶんぶんと腕を回し、トレーナーに親指を立てて見せている。トレーナーは、安堵したように、そして、嬉しそうに、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
その、あまりにも不器用で、しかし、温かい信頼の形。
カガリの、常に張り詰めていた表情が、ほんのわずかに、緩んだように見えた。
☆
秋の京都レース場が、GⅠ特有の熱気に包まれていた。
ゲート裏。出走を待つウマ娘たちが、それぞれのやり方で集中力を高めている。その中で、ダイタクヘリオスは、少し変わった準備をしていた。
トレーナーから手渡された、例の手作りマスク。彼女は、それを慣れた手つきで装着すると、ぱん、と自分の両頬を叩いた。
「よっしゃ、いくぜー!」
その奇妙な姿に、周囲の観客たちから、くすくすと笑みがこぼれる。ヘリオスの奔放な性格と、それを何とかしようと奮闘するトレーナーの創意工夫は、もはや名物となっていた。
だが、その笑みに、本気の期待を乗せる者は少ない。電光掲示板に表示された単勝オッズは、4番人気。
「どうせ、いつものように途中で力尽きるだろう」というのが、大方の見方だった。
しかし、ゲートの中で集中する上位人気のウマ娘たちの見方は、全く違っていた。
一番人気のダイイチルビーは、その冷徹な瞳で、一瞬だけ、ヘリオスのゲートに鋭い視線を送る。
二番人気のケイエスミラクルもまた、体を細かく揺らしながら、何度もヘリオスの挙動を確認していた。
観客は知らない。この二人の強豪だけが、ダイタクヘリオスというウマ娘が、レースの常識を全て破壊するほどの、規格外の爆発力を秘めていることを、肌で感じ取っていたのだ。彼女たちは、ヘリオスを警戒している。
ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。
ヘリオスは、抜群のスタートを切った。だが、そこからが違った。マスクの効果か、あるいはカガリの言葉が効いているのか。序盤の暴走が嘘のように抑えられ、完璧なリズムで先頭集団の一角に収まり、淀みなくレースを進めていく。
レースが動いたのは、最後の第四コーナー。
各ウマ娘が最後のスパートをかけようと、馬群がぎゅっと凝縮した、その時だった。
コーナーを回りきり、最後の直線に入った瞬間。
まるで、そこからがスタートであるかのように、ダイタクヘリオスが、今までとは全く違う次元のパワーで加速した。
観客席から、どよめきが起こる。
「なんだ、あれは!?」
しかし、その後ろを走る二人の強豪は、全く驚いていなかった。ダイイチルビーとケイエスミラクル。彼女たちは、知っていた。ダイタクヘリオスというウマ娘が、GⅠを獲るにふさわしい、爆発的な力を秘めていることを。
(やはり、来たか!)
二人は、即座に反応し、必死に食らいつこうと末脚を繰り出す。だが、届かない。ヘリオスの背中が、一歩、また一歩と遠ざかっていく。
口元は、例の手作りマスクで覆われている。だが、その瞳は、最高に楽しそうに輝いていた。もう、ライバルの走り方に見とれる無邪気さはない。ゴール板だけを見据える、勝負師の瞳だ。
ダイタクヘリオスが、その秘めたる力を、ついにGⅠの舞台で完全に爆発させたのだ。
後続に、影をも踏ませない。
ダイタクヘリオスは、そのまま先頭でゴール板を駆け抜け、見事にGⅠ初制覇を成し遂げた。
☆
地鳴りのような歓声が、今度こそ、自分たちのために鳴り響いていた。
トレーナーは、人波をかき分けるようにして、ターフから戻ってきた愛バの元へと駆け寄っていた。マスクを外し、ぜえぜえと息を切らすダイタクヘリオス。
その額に浮かぶ汗は、まるでダイヤモンドのように、夕暮れの光を浴びて輝いていた。
「やったな、ヘリオス!」
トレーナーが叫ぶと、彼女は、ニカッと歯を見せて笑った。
「ウェーイ! やったじゃん! トレぴもカガリっちも、神すぎかて!☆」
どちらからともなく、二人は強く抱き合った。ヘリオスの汗と、芝の匂い。そして、彼女の体の、熱いほどの震え。GⅠ制覇。それは、あまりにも長く、そして険しい道のりだった。
スワンステークスで味わった悪夢のような光景が、ようやく、過去のものになる。その実感に、トレーナーの視界が滲んだ。
少し離れた場所で、キビノカガリが、その光景を静かに見ていた。彼女は歓喜の輪に加わろうとはしない。ただ、小さく、誰にも気づかれないほどに、一度だけ頷いた。
☆
やがて、トレセン学園のウイニングライブが始まる。
トレーナーは、ターフビジョンに映し出されたステージを見上げていた。秋の夜空の下、数多のサイリウムの光が、星屑の海のように揺れている。
その中央。スポットライトを一身に浴びて輝いているのは、紛れもなくダイタクヘリオスだった。
彼女の容姿も、ダンスのキレも、そして何より、聴く者の心を弾ませる歌声も、すべてが一級品だ。センターで歌い踊るその姿は、まるで、最初からそこが彼女の居場所だったかのように、完璧だった。
ロッカールームで見た、あの自信を失いかけていた姿は、もうどこにもない。トレーナーは、込み上げてくる熱いものをこらえきれなかった。ぼやけていく画面の中で、彼の愛バは、最高の笑顔で輝いていた。
☆
ウイニングライブの熱狂が、遠い喧騒へと変わった頃。
ほとんどの生徒が寮や自室へと戻り、トレセン学園の校舎は、夜の静寂に包まれていた。その一角にある自習スペースで、キビノカガリは一人、デスクライトの光だけを頼りに、タブレットの画面に没頭している。彼女は、勝利の余韻に浸るでもなく、先ほどのレースのリプレイを、冷静に分析していた。
音もなく、その背後に、一つの影が立った。
気配に気づいたカガリが、ゆっくりとヘッドホンを外して振り返る。
そこに立っていたのは、生徒会長、シンボリルドルフだった。彼女は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「カガリ君。こんな時間まで、熱心だな」
静かな声で、ルドルフが挨拶を口にする。カガリは、小さく会釈するでもなく、ただ答えた。
「…生徒会長」
その、あまりにも事務的な呼びかけは、明らかに拒絶の意味を含んでいた。
しかしルドルフは気圧された様子もなく、続けた。
「マイルチャンピオンシップ、見事だったな。聞けば、ダイタクヘリオスのアドバイザーを務めているそうだな、カガリ君」
その言葉は、彼女がカガリの動向を正確に把握していることを示していた。ルドルフは、心からの称賛を込めて続ける。
「君ほどのウマ娘が側にいれば、彼女もあれだけの力を発揮できる。…きっと、幸せなことだろう」
皇帝の、純粋な賞賛。
しかし、カガリの表情は、ぴくりとも動かない。彼女は、一度だけ、小さく頷いてみせた。
「…ありがとうございます」
それは、感謝というより、ただ会話の形式をなぞっただけのような、温度のない声だった。
カガリは、ルドルフの顔を見ず、誰もいない自習スペースの入り口に、一瞬だけ視線を送る。そして、続けた。
「…生徒会長。私たちがこうして二人でいるところを誰かに見られるのは、お互いにとって、あまり都合が良くないと思いますが」
その、あまりにも素っ気ない、拒絶ともとれる言葉に、ルドルフの笑みが、一瞬だけ、翳りを見せた。
二人の間に横たわる、深く、そして、冷たい溝。それが、はっきりと形になった、その瞬間だった。
「カガリ先輩、いたー!」
バタン、と大きな音を立てて、自習室の扉が勢いよく開かれた。
緊迫した空気を切り裂くように、太陽のような明るい声が響き渡る。ダイタクヘリオスだ。その後ろから、トレーナーが慌てた様子で顔を覗かせた。
「こら、ヘリオス! 静かにしろ! ここは自習室だぞ!」
だが、ヘリオスの目には、そんなトレーナーの制止など映っていない。彼女は、部屋の中に立つ、もう一人の人物の姿を認めると、ぱっと目を輝かせた。
「あ、ルドルフ会長! おつかれさまっス!」
「ああ、ダイタクヘリオス君。マイルチャンピオンシップ制覇、おめでとう。素晴らしい走りだった」
ルドルフは、瞬時に生徒会長としての穏やかな表情に戻り、G1ウマ娘となった後輩を労った。
「あざっす!」
ヘリオスは、ぺこりと頭を下げる。
その和やかな光景を、トレーナーだけが、冷や汗をかきながら見ていた。カガリとルドルフ。この二人が静かに向き合っているという状況が、どれほど異常なことか。カガリの過去を知る彼は、緊張で喉がカラカラに乾くのを感じていた。
そんなトレーナーの心労など知る由もなく、ヘリオスは、今日の主役であるカガリへと向き直る。
「カガリ先輩! 祝勝会すんべ! トレぴとカガリっちとウチの3人で、オールでパジャパっしょ!☆」」
彼女は、最高のアイデアを思いついた、とでも言いたげに、満面の笑みで言った。しかし、そのすぐ後に、重大な事実を思い出す。
「あ、そっか…寮の門限あったじゃん…まじぴえん案件…」
ヘリオスは、ぺろりと舌を出しておどけてみせた。
その時だった。
「…私の部屋でよければ、だが」
それまで黙っていたカガリが、静かに口を開いた。
ヘリオスとトレーナーが、驚いて彼女の方を見る。
「事情により、私は学園の近くのマンションで一人暮らしをしている。そこなら、他の寮生に迷惑はかけない」
その言葉に、ヘリオスの顔が、再び太陽のように輝いた。
「マジで!? やったー!」
彼女は、その場でぴょんぴょんと跳ねると、何かを思いついたように、部屋の入り口に立つルドルフへと向き直った。
「会長! 今、カガリ先輩んちへの外泊許可、秒でプリーズ!☆」
ヘリオスは、両手をぱちんと合わせ、ルドルフに懇願する。その、あまりにも真っ直ぐで、力強い眼差し。有無を言わさぬ、太陽の圧力。
皇帝と呼ばれ、常に冷静沈着なルドルフが、その押しの強さに、一瞬だけ、たじろいだように見えた。
「……分かった。トレーナー君が責任を持つことを条件に、許可しよう」
ルドルフは、ふっと息を吐くと、つい、許可を出してしまった。その口元には、困ったような、しかし、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。