『篝火は太陽を導く夢を見るか?』~制御不能の太陽に振り回されたトレーナーが救いを求めたのはかつて皇帝に牙を剥いたウマ娘でした~   作:rairaibou(風)

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第八話 - 毎日王冠 『私たちの走り方』

 夏。

 

 宝塚記念での激走を終えたチーム・ヘリオスは、再生と、そして、次なる飛躍のための、海辺での夏合宿に臨んでいた。

 照りつける太陽が、砂浜を白く、焼いている。陽炎が、遠くの景色を、蜃気楼のように歪ませていた。寄せては返す波の音だけが、やけに、大きく聞こえる。

 肌にまとわりつく、潮の香りを含んだ熱風。立っているだけで、汗が、全身から噴き出してくる。

 

「だーっ! 足、おもっ!」

 

 ダイタクヘリオスが、悲鳴に近い歓声を上げた。

 波打ち際から離れた、足首まで沈むほど、柔らかく、乾いた砂の上。そこを、何度も、何度も、往復する。一歩、踏み出すごとに、砂が、その脚にじゃれつくように、まとわりついた。

 彼女のシャツは、とっくに、汗で、肌に、ぴったりと張り付いている。

 

 その、少しだけ波打ち際に近い、固く締まった砂の上を、キビノカガリが、並走していた。

 彼女の、いつもは寸分の乱れもない黒髪も、今は、汗で、数本、頬に張り付いている。彼女は、もはやデータだけではない。ヘリオスの息遣い、汗、そして、苦しい中でも楽しそうな表情。その全てを、五感で、インプットしようとしていた。

 

 パラソルの影に、トレーナーの姿はない。

 

 彼は、コースの脇に立ち、照りつける太陽をその身に浴びながら、声を張り上げていた。首にかけたタオルは、とっくに、汗で、絞れるほどに濡れている。

 自分の愛バと、その、あまりにも真摯なアドバイザーと共に、この地獄のような暑さの中で、彼もまた、確かに、戦っていた。

 

 

 その日の、トレーニング後の自由時間。

 合宿所の、畳が敷かれた休憩室。ヘリオスは、大きなクッションに寝そべって、レース雑誌を読んでいた。その向かいに、カガリが、正座をして座っている。その手には、タブレットと、タッチペン。

 

「ダイタクヘリオス」

 

 カガリは、神妙な顔で、切り出した。

 

「君の言う『バイブスが上がる』という状態について、定性的な分析を行いたい。例えば、この音楽を聴いた時の、君の感情の振れ幅は…」

 

 彼女は、ヘリオスのテンションを、学術論文でも書くかのように、真剣に分析しようとしていた。

 

「えー、そんなん、フィーリングっしょ!」

 

 ヘリオスは、雑誌から顔を上げると、からりと笑った。

 彼女は、すっくと立ち上がると、カガリの手を、ぐいと引く。

 

「理屈よりバイブスっしょ! ウチのスペシャルステージ、ブチかますからちゃんと見ときな!☆」

 

 カガリは、ヘリオスに、半ば、強引に、合宿所近くで開かれていた、野外の音楽イベントへと連れ出された。

 夏の夜。大音量の音楽が、空気を震わせている。色とりどりのライトが、集まった観客たちの、楽しげな顔を照らし出していた。

 ヘリオスは、ステージに立つと、マイクを握りしめ、満員のフロアに向かって叫んだ。

 

「はいはいみんなー! バイブスいい感じ!? ウチ、ダイタクヘリオスが今夜、過去イチのパーティーにするから! 鬼盛り上がってこー! よろしくー!☆」

 

 観客が、うぉーっ、と大きな歓声で応える。

 やがて、彼女が作り出した、最高に「アガる」ビートが、スピーカーから響き渡った。フロアが、熱狂し、一体となって、揺れている。

 

 その、熱狂の渦の中で。

 ただ一人、キビノカガリは、腕を組んだまま、仁王立ちしていた。彼女は、音楽に乗るでもなく、踊るでもない。ただ、その琥珀色の瞳で、DJブースのヘリオスと、熱狂する観客たちを、冷静に、観察している。

 

「…BPMは百八十。コード進行は王道だが、キックのタイミングを半拍ずらすことで、高揚感を生み出しているのか…」

 

 その、あまりにも場違いな分析を、ブツブツと呟いていた、その時だった。

 

 ヘリオスが、DJブースから、カガリに向かって、叫ぶ。

 

「ちょ、カガ先! カベの花とかしてないでさー、こっちで一緒に踊るっしょ! ほらほら、もっと体揺らしてこー!♪」

 

 その言葉を受け、カガリは、しばし、思案した。

 そして。

 

「わかった、やってみる」

 

 彼女は、表情一つ変えずに、腰を、ゆっくりと、左右に、振り始めた。リズムに合わせて、腕も、上げ下げする。その動きは、まるで、完璧にプログラミングされた、ロボットのようだった。

 

 その、あまりにもシュールな光景に、少し離れた場所で見ていたトレーナーは, こらえきれずに、腹を抱えて、笑い転げていた。

 

 

 夏合宿、最終日の夜。

 

 三人は、合宿所の、畳が敷かれた広い部屋で、一つの大きなスイカを囲んでいた。それは、日中に、ヘリオスの「じっちゃん」から、クール便で届いたものだった。添えられた、少しだけ癖のある文字で書かれた手紙には「夏バテすんなよ」とだけ、短く書かれていた。

 

 ぱん、と。

 

 ヘリオスが、見事な手つきで、スイカを包丁で叩き割る。しゃくり、と瑞々しい果肉を頬張るヘリオスとトレーナー。その隣で、カガリもまた、勧められるままに、小さな一切れを、静かに口に運んでいた。

 厳しいトレーニングで火照った身体に、その、優しい甘さが、じんわりと、染み渡っていく。

 

 やがて、カガリが、すっと、スイカを置いた。

 そして、この夏合宿の、総括を、静かに、切り出した。

 

「結論から言うと」

 

 彼女は、ヘリオスとトレーナーの顔を、交互に見つめる。

 

「君のテンションは、私の理論では、制御不能だ」

 

 その言葉は、驚くほど、すっきりとした響きを持っていた。まるで、長年、解けなかった難問の、答えが見つかった、とでも言うように。

 

 カガリは、続けた。

 

「これからの基本方針は、『理論と感覚の融合』です」

 

 彼女は、これからも、データに基づいた最も効率的な走り方、つまり『理論』を、ヘリオスに教え続ける。

 

「だが、レース本番で、どの戦術を選択するか。その最終的な判断は、全て、君の『感覚』に委ねる」

 

 それは、これまでの彼女の信念を、百八十度、覆すような、大胆な方針転換だった。

 

「マジで!?」

 

 その言葉に、ヘリオスは、スイカの種を、ぷっと、勢いよく吹き出した。

 

「それ、ウチの勝ちパターンじゃん!」

 

 彼女は、心の底から、嬉しそうだった。

 トレーナーは、その、あまりにも危険な賭けに、一瞬だけ、息を呑む。だが、目の前で、本当に楽しそうに笑う、愛バの顔。そして、何かを振り切ったように、穏やかな表情をしている、カガリの顔。

 彼は、黙って、強く、頷いた。

 この、奇妙で、破天荒なチームの、新しい方針が、決まった瞬間だった。

 

 

 毎日王冠当日。秋晴れの東京レース場。

 

 千八百メートルという距離を不安視されたダイタクヘリオスは、四番人気という、少し離れた評価に甘んじていた。

 ゲート裏。カガリは、最後の指示を、ヘリオスに送る。

 

「基本は、先行策。だが、最後の判断は、君に任せる」

「オッケー!」

 

 ヘリオスは、元気に頷いた。その瞳には、一点の曇りもない。

 

 ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。

 その瞬間、ヘリオスは、カガリが教えた先行策のセオリーを、全て、頭から消し去っていた。

 スタートから、全力でハナを奪い、そのまま、逃げを敢行する。

 

「なぜだ!?」

 

 トレーナーが絶叫する。その隣で、カガリの完璧なポーカーフェイスが、驚愕と、そして、絶望に崩れ落ちた。

 

「話が、でぇれぇ違うが!」

 

 その唇から、思わず、故郷の言葉が、悲鳴のように漏れた。

 夏合宿で積み上げた、緻密なプラン。それが、ゲートが開いて、わずか数秒で、完全に、破壊された。

 

 だが、ヘリオスの勢いは、最後の直線に入っても、全く、衰えなかった。

 夏合宿。あの、地獄のような砂浜でのトレーニングが、彼女のスタミナを、さらに一段階、引き上げていたのだ。

 後続のウマ娘たちが、必死に追いすがってくる。

 だが、その差は、一向に、縮まらない。

 

 ゴール前。

 もはや、彼女の周りには、誰もいない。

 ダイタクヘリオスは、後続を全く寄せ付けず、そのまま、圧倒的な強さで、逃げ切った。

 それは、チーム全員の想像を、遥かに超えた、「感覚」が「理論」を、完全に凌駕した瞬間だった。

 

 

 レース後。

 控室に戻ってきたヘリオスは、最高の笑顔で、トレーナーとカガリの元へ駆け寄った。

 

「トレぴ! カガリ先輩! 見た!?」

 

 その声は、喜びと、興奮で、弾けている。

 

「スタートした瞬間、『これ、逃げた方が絶対アガる!』って思ったの! やっぱ、ウチの感覚、最強っしょ!」

 彼女は、胸を張って、そう言った。

 緻密な作戦を、完全に無視したこと。そのことに、微塵も、悪びれる様子はない。

 

 トレーナーは、もう、何も言えなかった。

 ただ、呆れたように、しかし、心の底から、嬉しそうに、笑っている。

 カガリは、そんなヘリオスの隣で、静かに、タブレットの画面を見つめていた。そこに表示された、異常なラップタイム。そして、目の前で、誇らしげに笑う、太陽のような後輩。

 理論と、感覚。

 その、あまりにもかけ離れた二つを、彼女は、何度も、何度も、見比べる。

 

 やがて、こらえきれない、というように、ふっと、息を漏らした。

 最初は、小さな失笑だった。

 それが、くつくつと、静かな、楽しそうな笑い声に変わっていく。

 彼女は、呆れながらも、心の底から、楽しそうに笑っていた。そして、涙を浮かべた目で、ヘリオスを見つめながら、ぽつりと、故郷の言葉で、呟いた。

 

「…もう、かなわんわあ、この子には」

 

 その、初めて聞く穏やかな響きと、屈託のない笑顔に、ヘリオスとトレーナーは、きょとん、とする。

 チームは、ついに、見つけたのだ。

 予測不能で、破天荒で、誰にも真似できない、「ダイタクヘリオス」だけの、勝利の方程式を。

 カガリは、もう、彼女を理解しようとは思わない。ただ、その、あまりにも眩しい輝きの、一番近くで、伴走者でいよう。そう、心に決めた。

 

 

 毎日王冠の勝利から数日後。

秋の天皇賞への出走が正式に決まり、ヘリオスは、鼻歌交じりで、上機嫌に学園の廊下を歩いていた。

 その、曲がり角。

 腕を組んで、彼女を待ち構えていたかのような、一人のウマ娘と、ばったりと、出くわした。

 トウカイテイオー。

 

「秋の天皇賞、キミも出るんだってね」

 

 テイオーは、ヘリオスの顔をじっと見て、挑戦的に、そう言った。

 

「…ま、ボクには敵わないだろうけど、せいぜい頑張ることだね!」

 

 しかし、ヘリオスは、その挑発に、全く乗ってこない。

 彼女は、ぱっと顔を輝かせると、嬉しそうに、指を折りながら数え始めた。

 

「ガチ!? 秋天、テイオーっちも出るとか! パマちんもネイチャっちもイクノっちもいるし、ほぼいつメンじゃん! 鬼アツすぎ! テンアゲMAXなんですけどー!☆」

 

 自分のことを、いつの間にか「友達」としてカウントされている。その、あまりの屈託のなさに、テイオーは、わずかに頬を赤らめた。嬉しさと、しかし、それ以上の、調子を狂わされた悔しさが、こみ上げてくる。

 

「べ、別に友達じゃ…!」

 

 テイオーは、咳払いを一つして、気を取り直すと、ビシッと、ヘリオスを指差した。

 

「とにかく! キミは、あのキビノカガリ先輩に目をかけられているウマ娘。そして、ボクは、カイチョーの走りを受け継ぐウマ娘だ! つまり、キミは、ボクのライバルってこと!」

 

 その、あまりにも壮大な宣言。

 

 しかし、ヘリオスは、きょとんと、首を傾げた。

 

「え? カガリ先輩とルドルフ会長って、ライバルだったん?」

 

「……はぁ!?」

 

 テイオーの、叫び声に近い声が、廊下に響いた。

 

「いや、知らないのかよぉ!」

 

 自分の、覚悟を決めた宣言が、相手の、まさかの無知によって、完全に、肩透かしを食らってしまった。テイオーは、全身から、力が抜けていくのを感じる。

 

「…ま、とにかく! レースでは、負けないからね!」

 

 彼女は、それだけを言い残すと, 少し悔しそうに、その場を去っていった。

 一人残されたヘリオスは、よく分からないまま、まあ、いっか、と、その小さな背中に向かって、元気に、拳を突き上げた。

 

「おー!」

 

 こうして、秋の天皇賞という大舞台は、二人の天才による、波乱の幕開けを迎えようとしていた。




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