2025年発行のミルキィホームズ15周年非公式アンソロジー『パーティパーティ!』へ寄稿した掌編になります。
「平和ねぇ」
窓ガラスから差し込む陽光に身を委ねながら、コーデリア・グラウカは独りごちた。
意図した発声ではなかったが、確かにこの数日、事件らしいものは目立っていない。学院内でもある種特別扱いされている彼女たちの元には依頼が降りてきていなかった。
「事件なんて起きない方がもちろんいいですけど……ここまで何もないと身体がなかちちゃいそうですぅ」
ソファの肘置きに頭頂部を擦りながら横になっていたシャーロック・シェリンフォードも同意を示す。その隣では静かに本を読んでいたはずのエルキュール・バートンまでも小さく首肯している。
「でも、いつまた怪盗たちが動き出すかわからないし、油断しちゃだめ」
探偵のお手本のような文句を口にし、言い聞かせるように緑の少女は手元へ視線を落とした。
その言に頷こうとコーデリアが口を開いた刹那、扉が開く音が小さく響いた。
キィ、金属同士が擦れる音。ドアノブが回される声と共に、入り口からも光が差す。扉に隠されていた姿は、譲崎ネロのそれだった。
「うーわ。みんなしっかりだらけてるねぇ」
後ろ手に扉を閉め、目を細めて部屋を見渡すネロ。
「仕方ないでしょ、することないんだから。それに、探偵が暇なのはいいことなんだから」
ネロの言葉に若干の赤面を孕みながらコーデリアが反論した。
少し前までは出動依頼がかからないからこその緊張はあったものの、さすがにそろそろプレッシャーを感じづらくはなってくる。
「ま、いいけどね。僕としても動かなくていいのは楽だし」
そう一言吐き出すと、ネロは小さなスツールへと腰を預ける。一瞬だけ大地を離れた椅子の足が再び床を叩き、耳を聳たせないと聞こえないほどの小さな音を呼んだ。
「まったく、少しはおしとやかに座りなさいよ。転びそうになってたじゃない」
最年長らしいお小言を聞き流しながら、ネロは駄菓子を取り出した。シャーロックもいつものことのように目を細めてその様子を見ているようだった。
いつもと違うのは、ネロがテーブルに向かって何かのチラシを放ったことだった。二つ折りにされたそれは空気抵抗を感じさせながらゆっくりと天板へ到着した。
「なに、それ」
読書をしていたからこそ、紙の音が耳朶を打ったのであろう。はじめに言葉にしたのはエルキュールだった。
ハードカバーの書籍に栞を挟む動作をしながら体勢を変えていた。
「なんかその辺で渡されちゃったんだよねー」
持ち込んだ本人はといえば興味ある風でもなく、手元の菓子を口に含んでいた。
「知らない人からものを受け取っちゃ駄目でしょ?」
「いや、学院の外出てないよ。不審者が出入りしてたらそれこそ探偵学院の名折れだって」
幸いにして学院に出入りするのは教職員や生徒を除けば信頼の置ける業者くらいのものだ。身元のはっきりしない人物などの侵入は防がれている――はずである。
「なんかのコンテストの宣伝っぽいよ。ちゃんと読んでないけど、学食の割引券とかもらえるらしいから、誰かやってみてよ」
ヒラヒラと擬音を鳴らすように、彼女は折られた紙を開き、三人の前で上下させる。
「えっと、風景写真コンテスト? どこかの草原か何か、かな。いい写真」
エルキュールが瞳を開きながら口にする。チラシには緑が一面に広がる光景が映し出されている。
「ああ、そんなやつだったんだ。商品部分しか見てなかったよ」
ネロの言葉に呆れつつも、コーデリアも詳細に目を移す。
「ふーん。食堂の新メニュー割引券四名様分……確かにネロが食いついてもおかしくない商品ね」
「なんだよ、人を食い意地張ってるみたいに言ってさ」
その言葉には同意も反論も来ることはなかった。
「でも、私には撮影とかちょっとわからない、かも」
エルキュールはといえば、やんわりと参加拒否を表明していた。それはコーデリアも同様らしく小さく頷いている。
「残念だけど縁がなさそうですねー。あたしたちはカメラマンとかじゃなくて探偵ですから」
じっとチラシを見ていたシャーロックの方を三人は振り返った。
否、正確には彼女の肩の先にある機材に視線を寄せていた。
ミルキィホームズ結成時の記念写真。あれを撮ったのは確か――。
シャーロックの愛機のカメラは、彼女の鞄から顔を覗かせていた。
▼▼▼
「まんまと乗せられてしまいましたー」
外出許可を得てシャーロックは公園に訪れていた。空は夏の様相を見せており、じりじりと身を焼く攻撃に小さな体が晒されていた。
夕方といえどまだ明るく、爽快な雰囲気を持つ場所だが、デートスポットとなるには時間帯の相違があったようだ。今はジョギングだった散歩だったり、そんな人がまばらに居るだけにすぎなかった。
緩やかならざる光を反射するレンズは、彼女の手の内に小さな存在感を表していた。
見ようによっては少し時代遅れに感じるそれは、アンティーク然とした彼女の格好にはどことなく親和性をまとわせている。
一つの機械音が響く。風に乗ったそれはすぐさま空気に溶け、ほとんどの人の耳に残らない。
シャッターにかけた人差し指を外し、シャーロックは画面をのぞき込む。デザインこそレトロ感を醸し出しているが、実態は最低限のテクノロジーを内包したデジタルカメラであった。
「うーむ」
数瞬の後に映し出された画像に、かすかなうなり声が重なった。
被写体は公園の風景。
見ず知らずの人が映り込んだりはしていないが、それはそれとしてとてつもない”普通”さをシャーロック自身は感じ取っていた。
「これでいいんでしょうか……」
とりあえずの試し撮りとしての一枚ではあったが、彼女自身に納得のかけらもなかった。
写真撮影――そこまで大仰なものではないと彼女は考えてはいたが――自体は決して珍しい行為ではなかった。あの日以降、シャーロックはできる限り思い出を写真に残そうと動いていたのは確か。
だが、何もない日、しかも人物モデルなしに風景を撮るのは流石に慣れていなかった。
「そもそもあたしはカメラを勉強してきたわけじゃありませんよー」
ふて腐れたような一言とともに、芝生に腰を投げ出した。日差しで元気いっぱいの草たちが、彼女のスカートを刺す。それに気づいて一度両手で布地を拭った。
両手を確保するために手放されたカメラは優しく地面に置かれたものの、若干の土が底面に付いていた。シャーロックはそれを弾くように指で取り去って、再び両手持ちの状態にする。
「どうしたものなんだろうね」
青芝に背を預けるようにして、大の字に伸びる。
はしたないことは彼女にだってわかっていたが、思考を放棄する瞬間がほしかった。
数秒。いや、数分だろうか。静かな時間が進んでいく。
それは時間制限のあるものだった。
公園は少しずつ喧噪が広がり、人が増えていく。
何かあったのかと視線を上げれば、いつの間にやら太陽の姿が橙へと転身を果たしていた。
誰が見ようと夕方と言える姿に、それを見るカップルもちらほら。
「綺麗……」
公園を彩る夕暮れの光。
それは決して珍しいものではない。正直に言ってしまえば、わざわざ見る来るようなものでもない。
だがそれは、言い換えれば日常の証とイコールで結ばれるということだった。
パシャリ。シャッターが切られる音がシャーロックの耳に届いた。
それをしたのは、隣人だったのか、それとも他の誰かだったのか。その時は気づいていなかった。
▼▼▼
「うーん。綺麗だけど、特段これがすごいってものはないよね」
翌日のこと。夕日を映した写真を見た譲崎ネロは、歯に衣着せぬ言葉を投げかけた。
「うう……」
少女の言葉に、提供主のシャーロックは言葉に詰まる。
自覚のあることではあったが、友から指摘されると余計に身につまされる。
年長の二人も苦笑を浮かべながらその様子を見ていた。
いつもなら率先して諫める立場を貫くコーデリアをして何も触れないのは、それだけ当人が自認の通りに感じられていたのだろう。
「やっぱり写真家の人って違うんですね……。ぜんぜん取り方とかわかりませんよ」
「でも、その方面で勉強してきたわけじゃないんだし、仕方ないんじゃ?」
エルキュールは目を据えてフォローをしているが、シャーロックの意気は上がらない。明るく振る舞ってはいるが、決して自信家ではない。そんな彼女は門外漢の分野で大手を振るような人間にはなり得なかった。
「エリーの言うとおり。別にすぐにいいモノ撮れなくたっていいじゃない」
「まぁ、コンテストの締め切りってやつはあるけどねー」
最年長者の言葉に反するような台詞にコーデリアは一瞥をくれる。その視線に気づいたのか、ネロは静かに手の内の写真をテーブルに置いた。
「別にそんなに気にすることもないんじゃないの? 僕だってシャロに期待して勧めたわけじゃないよ? いや変な意味じゃなくてね」
口が紡ぐそれに、コーデリアの眼光が鋭くなる。それに合わせて言葉尻に変化がありつつもネロは目を細めている。
「でもせっかくネロもみんなもあたしを選んでくれたわけだし……」
視線を下方へ向け、シャーロックは申し訳なさそうに口にする。
「そもそも、私たちは探偵なんだからね? 撮影技術はどうしたって二の次になっちゃうのよ。それは仕方のないこと。ね?」
コーデリアの言葉にエルキュールも小さく首肯を見せた。
実際には探偵には証拠写真を撮影する技術はあって困ることはない。だが、探偵学院の授業内容としてもそれほど主軸に据えられてきたことはなかった。
「でも、エリーさんとかは結構静物写真うまく撮れていたような……」
「静物写真は風景写真とは違うよ? 動いていないものを撮るのと、動きがあるものをその瞬間で切り抜くのは別の技術だと思う」
赤い瞳をまっすぐに、緑の少女は口にする。
「それに、当たり前だけど、私だって全然上手くないよ。人より静かなものが好きだってだけ」
「そそ。本当はエリーに頼んだってよかったんだけど、この中で一番カメラ慣れしてるのってシャロでしょ? だからってだけだし、別に優勝できるなんて思っていないよ」
――だったら自分でやればいいでしょ。
コーデリアはといえば、そんな言葉が吐き出されそうになったような顔をしていたが、なんとか飲み込んだようであった。
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事務室での相談から数時間経ち、シャーロックは改めて街に出ていた。
少しでも自分に出来ることがないか、そんなことを考えていたためだ。
ヨコハマという街は観光街も兼ねている。季節や曜日によるところもあるが、場所によってはなかなかに人が多い。だからこそ、撮影場所を選ぶ必要はあるのだが、前回と同じような場所で行う気が湧いてくることもなかった。
人影に阻まれながら、小柄の少女が隙間を縫い歩いていく。
シャーロックの体躯は同世代の中でも一段矮小だ。そんな彼女が人混みを歩くのは一苦労ではあった。
気落ち気味の姿は一段と小さく映る。ただそれは見ず知らずの人が気づくようなものではなく、往来は異常なくそこに在る。
だというのに、意図せず少女は喧噪から離れた場所に歩を進めていた。
幸いと言うべきか、治安の悪さを感じることのない静かな地。空気の匂いそのものは都会らしいものではあるが、まとう空気はどこか発展前を思わせる静謐さを秘めていた。
「こんな場所、あったんですね」
シャーロックはコンクリートの壁に背を預け、独りごちる。
実際のところ、彼女はもうほとんどネガティブ感情が削られていた。それよりも自分の庭にもなりつつあったはずの地に、道の空間が広がっていたことへの興味があった。
だからこそ、その好奇心に逆らうことなく足を踏み出そうとした。その時に声を聞く。
それは先ほどまで会話をしていた仲間にして友だった。
黄・緑・青を感じさせる少女たち。その姿が近くにあった。
「探したよ。なんで変なところに居るのさ」
「えっと、見覚えなかったので、つい」
頬をかきながら答えると、年長者が声を荒げる。
「一人で人気がないところなんて危ないでしょ?」
「で、でも、こうして合流できたんだから、それくらいで……」
三人はシャーロック自身のことを見て、言葉を発している。
視線を集めていることに気恥ずかしさと嬉しさが混在しているように感じられた。
だからだろうか、彼女の指は自然とシャッターへと動いていた。
カシャリ、と小さな機械音。それは閑散とした路地にはよく響いた。
数瞬の後、デジタル画面には三人の少女が映し出される。
微量の驚愕に染まった三者三様がそこに在った。
「急に何?」
「いえ、特に意味なんてありませんけど……なんとなく撮りたくなって」
シャーロック自身もなぜカメラを構えたのか、確信は持てなかった。
ただ、願望は自身の中に芽生えていた。
「ねえ、やっぱり、みんなで撮りましょうよ! ヨコハマの新しい謎の場所をバックに」
唐突の大声にまたもや三人の瞳が開かれる。
この視線の先には俯いた少女はもはや存在しない。いつも通りの天真爛漫さを備えていた。
「うん。やっぱり、あたしは写真は誰かと一緒に撮りたいんだ」
自身の耳朶のみを叩くように、シャーロックは唇を動かした。
ビルの外階段の手すりにカメラを固定して、自動シャッターに身を任せる。
カメラには四人の少女が笑顔で写っていた。
不自然さはなく、さも当然の表情で埋められている。目に見えない光に覆われているようだった。
それは、ここ数日で撮った中で一番と言える出来。少なくともシャーロックにはそう感じられた。
画面表示を切ることもなく、カメラを小さな胸へと抱き込んだ。機械熱だけではない温かみが確かにそこには在った。
ちなみに、その写真は例のコンテストへの提出作品にした。風景写真のレギュレーション違反で失格となるのだが、それはまた別のお話。
某アニサマには行けませんでした。