東方怪異譚ーLegend of vampireー 作:根無草
時間のある時に読む事をオススメいたします!
地霊殿を後にしてからしばらくの後、僕と萃香さんは星熊さんに別れを告げた。
とは言っても
「なんだよ勇儀、あんたもたまには地上に出てきたら良いじゃないか」
どうも萃香さんは星熊さんを連れて行こうとしていたらしく、別れ際に多少ゴネたのだが、
「いや、やっぱり私には地底の方が居心地が良くてね。それに私が地底にいてやらないと萃香が遊びに来た時に酒の相手をする奴がいないじゃないか、だから私はここで退散するよ。それに…」
「それに、なんだってのさ?」
「私がいたらお邪魔虫かと思ってね!こっからは紅魔館へと帰るだけなんだろ?なら二人で仲良く帰ったら良いさ」
「なっ!?あ、あんたはまたそういうふざけた事を!」
「えっと…何の話をしてるんですか?」
「あんたには関係ない話だよ!」
「辛辣だ!脅される意味がわからない!」
こんなやり取りの後に星熊さんはあの長屋へと帰っていった。
いや、その去り際
「ほれ」
「ほれって…へ?」
不意に差し出された右手。
有り体に言えば握手なのだろうけども、何で僕に?
「萃香の言う通り、あんたは中々に面白い人間だ。人間にしとくのが勿体ないくらいにね。だからこれは盟友の証さ!今度会う時は相撲も良いけど酒でも飲もう、楽しみに待ってるよ」
盟友ーーーー
気持ちの良い程にさっぱりとした笑顔…この握手には本当に僕を盟友として認めてくれた気持ちだけで、人間だからとか吸血鬼だからといった余分な理由が全く無い事を納得させてくる。
ただ、僕にこの手を取るだけの資格はあるのだろうか?
死ぬかもしれない戦いを控え、更には勝利したとしても僕は元の世界、元の生活へと帰って行く。
恐らくは幻想郷に留まる事も、戻る事も無いだろう。
そんな僕がこの善意をこめた手を取って良いのかーーー
「大丈夫だよ」
不意に放たれた言葉は傍に佇む萃香さんのものだった。
「あんたの心配なんて些細なものさ。それに離れたから友じゃない、もう会えないかもしれないから友じゃないなんて理屈は鬼の矜持に反する。人生ってのはあんたが思ってる程に短くできてないんだよ。あんたみたいな変わり者なら尚更ね」
「萃香さん…」
やはり見た目が幼女でも年の功というものだろうか、いや、僕と萃香さんではそもそも器の大きさからして違うのだろう。
差し出された右手を握れない僕を見て何かを察したようだ。
「だからね、勇儀の出したその手には『友としてまた会う日まで死ぬんじゃない。その為にも來たる戦で勝って生きろ』って意味が込められてる。それくらい、いくらあんたが鈍感だからって気付くべきだよ」
やれやれと言わんばかりに萃香さんは優しく微笑んだーーー
「ほれ」
再び星熊さんがその手を差し出す。
そうだ。
僕には資格がないなんてとんでもないーーー
この手は相手が僕だからこそ星熊さんが差し出してくれた手じゃないか。
「ありがとうございます」
握り返したその手は力強くて暖かな手だった。
「盟友だって言ったろう?そんな
「はは…それは勘弁願いたいなーーー星熊。うん、僕もまた会う日を楽しみにしてるよ」
こうして、満足気な笑みを浮かべた星熊は僕達を見送ってくれたのだった。
「さて、とーーー」
そんなやり取りを経て僕と萃香さんは幻想郷の空の下へと戻って来た。
「地底も中々に面白い所だったろ?」
「面白いというかスケールが違いすぎるというか…でも行けて良かったかな」
「小難しい事言わないでそういう時は面白かったで良いんだよ」
日も落ちかけた幻想郷の空を、そんな雑談に興じながら飛んでいる。
たった一日の中で起きた出来事、巡った場所、出会った人々ーーー
その全てが濃密であり、僕にとって大きな経験になったように思う。
人外であり、妖怪であり、怪異であり、幻想である彼女達は、それでもみんな優しく美しい心を持っていたのだから。
「…ったく、話があるなら素直に出てくりゃ良いのに。ピリピリとこそばゆいったらないよ」
「ん?何か言いましたか萃香さん」
「うんにゃ、なんでもないよ。まぁ丁度良いか…あんた、ちょいとこっからは歩きで行くよ」
言うなり地面に向かって降下し始める萃香さん。
その分身に運搬されている僕も自動的に高度を下げていく。
そして、降り立ったその場所は僕と忍が幻想入りした時に目にしたのと同じような林の中だった。
「急にどうしたんですか萃香さん?さすがに疲れましたか?」
体重は重い方ではないと思うけれど、いくら鬼とはいえども、萃香さんの体格で高校三年生の男子を一日中担ぎっぱなしで空を飛ぶのは確かに疲れそうなものだ。
むしろそこは、僕の方から歩く事を提案するべきだったと軽く後悔する。
「は?疲れるって何に疲れるのさ?あんたみたいな軽い奴なら一年中担いでたって疲れる事はないよ。単に歩いてた方が都合が良かっただけさね」
気を使う必要が全く感じられないお言葉だった。
だがしかし、ごもっとも。
そういえばギリギリ人間の火憐ちゃんですら僕を肩車したところで疲れを訴える事はなかったな…
僕程度は重さのうちにも入らないとか言ってた気もするし。
あの時は突然ポニテを切り落とした事が衝撃的すぎて発言の内容までは詳しく覚えてないけど…
兎に角、人間離れしてるとはいえ、少なくとも人間の中にだって僕を担いだくらいでは疲れやしないという人種がいる程だ。
鬼がその程度で根を上げる筈がないだろう。
ならば萃香さんクラスになってくると何処から先が重いという認識になるのだという話になってくるのだけれど。
下手したら小さめな山くらい持ち上げそうだもんな、この人…
「あれ?でもそれならどうして歩きで帰るなんて言い出したんですか?帰りがけにもう一箇所くらい寄る場所があるとか?」
「いや、流石にこんな森の中に寄る場所なんてないよ。ちょいと野暮用ってやつさ」
目的地もないのに野暮用とは?
とりあえず、ここからは歩いて帰る事は決定事項らしい。
もっとも、僕としても通常では考えられないような高さを、通常では考えられないような速度で飛び続ける心労を思えばありがたくないこともない。
日は沈みかけているとはいっても時刻はまだ夜とは言い難い、これならば歩いて帰ったところでフランも癇癪を起こしたりしないだろう。
むしろ夜に起きる吸血鬼にとっては丁度良いくらいかもしれない。
「ん?」
そんな事を考えながら道とも言えない道を歩いていると、僕の目がある物を捉えた。
「あれって…ちょっと萃香さん!」
どこかキョロキョロと辺りを探っているような様子の萃香さんを呼び止めると、僕は発見した『ある物』の方を指差して切り出した。
「この辺には危ない妖怪は出ますか?」
そう、僕が指差した先にいたのは大きな木の下で座り込む女性だった。
ここが比較的安全な場所であるならば、森の中という事もあるし、僕のような男から声を掛けられても怖がるだけだろう。下手をすれば僕が不審者扱いされかねない。
けれども、ここが危険なーーー
言うならば僕と忍が初めて幻想入りした時のように、妖怪に襲われるような場所であるならば、女性を一人にしておくのは良心に欠けるというものだ。
「あぁ…妖怪ねぇ。まあ見る限りは出るんじゃないかい?少なくとも人間だけで来るような場所ではないみたいだね」
言わんこっちゃない。
萃香さんの言葉を聞くや否や、僕はその女性の元へと向かっていた。
「って、言った側から何をやってんだいこの馬鹿!?」
後ろから萃香さんの声が聞こえてきたけど、この状況で無視する方が『何をやってんだ』である。
「大丈夫か?何かあったのか?」
年の頃は僕とそう変わらないであろうその女性は、側から見ても困ったような顔をして僕の方を見上げた。
「履物の鼻緒が切れてしまって…」
小さく呟く女性の足元を見れば、確かに草履の鼻緒が切れている。
僕がいた世界のように、道が舗装されている訳ではない幻想郷。
その中でもここは足元に何があるかわからない森の中だ。
うっかり毒虫でも踏みつけてしまえばうっかりどころの騒ぎではない。
素足で歩くには危険な状況だろう。
「とりあえず立てるか?立てるなら僕の靴を貸すから近くの人がいる所まで送るよ」
座り込む女性に手を差し伸べる。
流石に女性に靴を貸すことになるとは思ってもみなかったけれど、ついこないだ神原と靴の交換をした僕にとっては割と抵抗もなかった。
神原に関しては靴どころか全身交換したしな…
「馬鹿!手を出すんじゃないよ!!!」
心臓が跳ね上がる程の大声だった。
びっくりして振り返れば鬼の形相で(実際鬼だけど)こちらにすっ飛んで来る萃香さんが目に入る。
「もう、遅いえ」
次の瞬間ーーー
僕の耳に聞こえた声は先程の女性とは思えない程に艶やかで、冷たくて、禍々しいものだった。
萃香さんの大声以上に驚いた僕は咄嗟に振り返る。
そして、
「な、なんだこれ!?」
そこにいたのはさっきまでの女性ではなく、上半身は女性で、下半身がーーー
「く、蜘蛛!?」
まるで蜘蛛版のミノタウルスみたいな化物の姿だった。
「あはは!イヤやわぁお兄さん。こんな古典的な手に掛かる人、今時いないえ?」
妖艶に笑う蜘蛛の化物。
兎に角今はここから逃げなければ、せめて萃香さんだけでもーーー
「あきまへん、どっちももうウチの網の中や」
蜘蛛がそう言うと地面が跳ね上がる。
いや、正確に言うならば地中に隠されていたーーー蜘蛛の糸が飛び出してきたのだ。
一瞬にして簀巻きのように締め上げられる僕と萃香さん。
瞬く間に僕達の全身には真っ白な糸が巻きついていた。
「くっ…な、なんの真似だ!?」
本来、こんな事は聞くまでもないのだろう。
恐らく意味なんてないのだから。
この蜘蛛はただ食事をしようとしているのだ。
蜘蛛がその網に餌を捕らえるように、僕達は蜘蛛の糸に絡んでしまったのだから。
しかし、蜘蛛の口からは意外な事に、それ以外の意図も語られた。
「ふふふ、お兄さんは知らんかもしれんけど、ウチらみたいな妖怪の間じゃあお兄さんは有名人なんよ?」
「僕が有名?どういう事だよ?」
「とぼけてもあかんえ。お兄さん、この幻想郷に来た時にウチの子分に会った筈や。覚えてへんの?あの大蜘蛛、ウチの子分え」
大蜘蛛ーーー
僕と忍が幻想郷で初めて逢った怪異だ。
「仇討ちが目的か!?」
だとしたらとんだ巻き込み事故だ!
大蜘蛛を一掃したのは他でもない霧雨さんであって、僕と忍は襲われただけなのだ。
まあ、あのままいけば忍が大蜘蛛を喰っていただろうけども。
「仇討ちねぇ…ま、お兄さんの好きに解釈したらええ。ウチは理由がどうあれ今からお兄さん達を喰らうだけやしねぇ」
「ふん、女郎蜘蛛ごときが偉そうに。お前が私を喰うなんざ百年早いんだよ」
全身を締め上げられながら、尚も強気な発言を飛ばす萃香さん。
鬼の余裕と言えば聞こえはいいけれど、その鬼を目の前にしても女郎蜘蛛には更なる余裕が見える。
「元気な子鬼さんやねぇ、でも強がりはあかんえ?確かに鬼は驚異的や、でも!如何に鬼とはいえウチの糸に捕まったらまな板の上の鯉と同じ。その糸からは逃げられまへんえ」
そう、余裕なはずなのだ。
奇しくも僕はその余裕の意味もわかっていた。
あれは今年の梅雨終わり、戦場ヶ原とのやりとりだった
以下回想
「わっぷ!」
「あら、突然気持ちの悪い声を出してどうしたのかしら阿良々木君」
「自分の彼氏の声を気持ち悪いとか言うなや!いや、蜘蛛の巣が顔にかかったんだよ」
「かわいそうに、阿良々木君ごときに住居を壊されるだなんて。蜘蛛としても遺憾の極みでしょうね」
「何故お前は何かにつけて僕を虫以下の扱いにしたがるんだ!?」
「虫以下だなんて思ってないわ。阿良々木君は全ての生物の最下層よ」
「さらに下だった!いや、しかし蜘蛛の巣って何気に取れないんだよな…一度くっついたらしつこいって言うか」
「それはそうでしょう、仮に蜘蛛が人間と同じ大きさだったならば一度触れただけで二度と抜け出せなくなるくらいに強いのよ、蜘蛛の糸って。器も身長も小さな阿良々木君が蜘蛛の餌にならなくて本当に良かったわ」
「いくら僕の身長が小さいといっても蜘蛛の餌になる程には小さくねえよ!それにしても人間が逃げられない程ってのは大袈裟すぎやしないか戦場ヶ原。確かに手こずりそうではあるけれど逃げられないって事はないだろ」
「そうね、脳味噌の変わりにプリンでも入っていそうな阿良々木君の為に教えてあげるわ。蜘蛛の糸というのは自然界に存在するどの繊維よりも強力だと言われているのよ」
「誰の脳味噌がプリンだ!確かに自然界という括りの中では強くもあるだろうけどそれってあくまで自然界限定だろ?合成繊維とかの方がよっぽど強くないか?例えば鉄線とか」
「そんな事もわからないから貴方は阿良々木君なのよ、一回その脳味噌をプッチンしようかしら…なら阿良々木君、もし仮に蜘蛛の糸が太さ一センチあったとして、その糸で作った網があったとしたら、一体何ができると思う?」
「あの、ヶ原さん?僕の脳味噌が体外にプルンと出ちゃうような表現はやめませんか?しかし太さ一センチの蜘蛛の巣か…ひとまず大人が乗っても平気そうだよな。あのCMみたいに百人乗ってもとまではいかないだろうけど」
「はい、不正確。残念ね、阿良々木君」
「なんだよ、なら子供くらいなら支えられるのか?」
「意味が逆なのよ、仮に蜘蛛の網に使われる糸が太さ一センチもあったなら飛行中のジャンボジェットが捕まえられるわ」
「ジャンボジェット!?おいおい戦場ヶ原、さすがにそれは無理がーーー」
「事実よ。そんなに疑わしいなら羽川様…羽川さんにでも確認したら良いわ」
「羽川様!?お前今『様』って言ったか!?」
「失礼、噛みました。兎に角、蜘蛛の糸とはそれ程の強度があるのよ。太さが二センチにもなればスペースシャトルの離陸すら止められるそうよ」
「それはそれで八九寺のネタだろ。しかしそれが事実なら凄いんだな、蜘蛛の糸って」
「そうよ。これで阿良々気君が虫以下の存在という事が自覚できたかしら?」
「結局はその為の説明かよ!しかしお前に言うのも何だけど、本当お前は何でも知ってるな」
「なんでもは知らないわ、羽川さんに聞いた事だけ」
「受売りかよ!」
回想終わり
あの話があってもなくてもではあるが、確かに戦場ヶ原の言う通りだ。
さっきからこの糸を切ろうと力を入れているものの、全く切れる気がしない。
普段の僕ならいざ知らず、吸血鬼性の上がった状態であってもだ。
恐らくはその糸の性質に誰よりも自信を持っているのは他でもない女郎蜘蛛本人だろう。
その余裕っぷりも頷けるというものだ。
「ま、いくら鬼でもウチの糸を切るのは無理。ゆっくりと喰らってあげるさかい大人しゅうお待ちやす」
「面白い…やれるもんならやってみなよ」
クスクスと笑う女郎蜘蛛がよっぽど気に食わないのか、萃香さんはこれまで以上に険しい顔になる。
しかし、僕はそこまで余裕ではいられない。
仮にこの女郎蜘蛛の目的が大蜘蛛の仇討ちだったとするならば、僕だって巻き込まれた事になるのだが、それ以上に萃香さんこそ巻き込まれてる。
本来ならば全くの無関係なのだ。
それが僕のせいで蜘蛛に喰われるなんてあって良いはずがない。
「待て蜘蛛!僕の話を聞け!」
「なんえ?命ごいなら聞かんよ?」
「いや、命ごいだよ…頼む、助けてくれないか?」
「あんた…何を言ってんのさ!?」
僕の発言を聞いて萃香さんが怒声をあげる。
誇り高き鬼ゆえだろう、命ごいなどあってはならない行為、そんな事をするくらいなら死んだ方がマシだとでも言いそうな雰囲気だ。
でも、それでも僕は助けを懇願しなければならない。
「ははっ!やから命ごいは聞かんよて言うてるやない、諦めてーーー」
「違う!助かるのは僕じゃなくて良い!」
「はて?…お兄さんは何を言うてるん?なら何の命ごいなん?」
「僕を喰うまでは良い…でも、そこにいる萃香さんは大蜘蛛について無関係だ!彼女だけは助けてくれ!」
そう、萃香さんの命だけは諦める訳にはいかない。
幻想郷の最強にして、誇り高き鬼。
そして、こんなにも優しい鬼が僕なんかに巻き込まれて死んで良い筈がないのだーーーー
「…」
ーーー伊吹萃香は何も言えないでいた。
彼女は鬼である。
人々から恐れられ、称えられ、避けられてきた鬼だ。
これまでの鬼としての人生の中で、降りかかる火の粉はその手で払ってきた。
誰の助けも借りたりしなかった。
他人に助けられるなんて誇り高き鬼としてあってはならない事だと信じて疑わなかったからだ。
それが今、目の前の男は何と言ったか?
それは自身を犠牲にしてでも鬼である自分の命を助けろという信じられないような発言。
普段の彼女ならこう思うだろう。
『人間の分際で何を言っている?鬼の私が人間に助けられて喜ぶとでも思うのか』と。
『鬼に対して泣いて詫び、命ごいをするのが人間ではないのか』と。
だが、この男は違った。
伊吹萃香を鬼として認識しながら
その結果、自分が喰われて死ぬと知りながら、
それでも尚、自分を助けようとしている。
そこには見下すような憐れみの気持ちはなく、単純に、純粋に、ただ伊吹萃香という鬼を助けようとする気持ちがあるだけだ。
萃香は思うーーー
こんな人間はーーー
一人しか知らない、とーーーーーー
「ぷっ…あははははははは!」
一瞬の静寂を打ち払ったのは、妖艶にして下品極まりない女郎蜘蛛の高笑いだった。
「イヤやわぁ、お兄さん。そんなん交渉にもならんえ?第一、ウチが鬼を見逃す利点がどこにあるん?」
「利点なんてないさ。けどな、少なくとも萃香さんは喰わない方が良いって理由ならあるぜ」
「ふーん…なら、参考までに聞いたげるわ。鬼を見逃す理由とやら」
「まずは萃香さんの人脈の広さ。鬼の彼女は幻想郷でも最強種族なんだろ?そんな彼女を喰ったとなればお前へと報復を考える奴だって少なからずいるだろ。その中にはお前なんかじゃ相手にもならないような大妖怪だっているはずだ」
『まずは』なんて勿体ぶった言い方をしたけれど、正直なところ萃香さんを逃がせる理由なんてこれくらいしか思い浮かばない。
ただ、これだけでも充分な筈だ。
人間の常識ならいざ知らず、ここは幻想郷。
想像もつかないような化物だっている筈。
それこそ、全盛期の忍のような存在がいたって不思議じゃない。
「なるほどねぇ、確かにお兄さんの言うてる事も一理あるわ。で、他には?」
一理あると言う割には依然として余裕の笑みを崩さない女郎蜘蛛。
「後の理由なんて些細なものだよ。僕を喰ってから萃香さんまで喰おうだなんて、お前はそんなに大食いなのか?食物は粗末にするもんじゃないぜ」
これから喰われようという立場からしたらとんだ皮肉になってしまうが、これくらいしか言い返せない。
「ようわかったわ…つまり大した理由はないんやね?けどまぁ、お兄さんも必死みたいやし、ウチも幻想郷の化物を敵に回したくはない…」
「なら萃香さんは!」
「うん、なら事が知れ渡る前にさっさと喰べとくんが一番やねぇ。最初にお兄さんを喰べよう思うたんけど小鬼のお嬢ちゃんから頂くことにしよか」
その顔は醜く、冷徹で、残忍な笑顔がベッタリと張り付いていた。
「ちょ、ちょっと待て蜘蛛!やるなら僕をやってからーーー」
「じゃかしいわ糞餓鬼がっ!!!」
尚も食い下がる僕を前に、女郎蜘蛛の態度と空気が一変する。
もはや妖艶なんて言葉とは程遠い、怪しくて異なる者の眼ーーーー怪異の眼だ。
「あんたら人間の考えなんて知るかい!ウチら妖怪は目の前に餌があれば喰う!それだけやっ!あんたも直ぐにウチの腹ん中で小鬼ちゃんと再会できるさかいそこで指咥えて見ときや!」
蜘蛛の胴体から生える体毛が一斉にザワつき、その眼は真っ赤に染まっている。
はっきりとわかる事は、こいつには何を言っても通用しない。
本能の赴くまま、ただ目の前の餌を喰らうだけだろう。
「くっ…萃香さん、逃げてくれ!」
身動きの効かない僕は、もう叫ぶ事しかできなかった。
鬼の脚力ならば、足首から先の自由だけでも逃げきれるかもしれない。
最悪の場合、僕の命が尽きるまで。
殺されても殺され尽くすまで、足掻いて、もがいて、この蜘蛛を止めてみせる。
即決即断
芋虫のように自由の効かない身体を捻り、目の前の女郎蜘蛛へと体当たりを仕掛けようとしたその刹那。
それは起こった。
「ふ…ふふ…あーっははははははははははははは!!!!」
突然、萃香さんが高らかに笑い出したのだ。
それも恐怖で気が触れたとかではなく、ただ楽しそうに、嬉しそうに笑う。
この状況で笑える理由は全く見えてこないけれど、それはただただはしゃぐ子供の様だった。
「す、萃香さん!?」
「あー…いや、悪い悪い。ちょいと懐かしい事を思い出してねぇ」
走馬灯でもあるまいし、この幼女は一体どうしたというのだろうか?
と、いうかこの状況に対して余裕が過ぎる。
あの忍でも、もう少し焦るだろうに。
「何え?小鬼のお嬢ちゃん。怖くて頭がおかしくなったん?」
激昂していた女郎蜘蛛も、萃香さんの突然の大爆笑に些か落ち着きを取り戻したのか、あくまでも余裕を含んだ微笑みで萃香さんに尋ねる。
すると、とんでもない反応が返ってきたのだった。
「おい、蜘蛛の化物。私は珍しく機嫌が良い。今すぐこの糸を解いて消えるんなら見逃してやろうじゃないか」
この言葉を聞いた時、僕は内心で萃香さんは本当におかしくなったのかと思った。
圧倒的不利をものともしない傲慢さ。
それどころか今まさに喰われるという場面で追い詰めてるのはこちらの方だと言わんばかりの不遜っぷり。
誰が聞いても常軌を逸してる。正気の沙汰じゃあない。
「身動きひとつとれない状態でその態度、流石は鬼といったところかえ。でも、いきすぎた強がりは滑稽でしゃあないわ」
確かにこればっかりは女郎蜘蛛の言う通りだろう。
事実、味方である僕ですらも萃香さんの言葉に耳を疑っていたのだから。
ただ、耳を疑うのはここまでだった。
ここから先は目を疑う事になる。
「あぁ、身動きひとつ…ねぇ。そんなもん問題にもなりゃしないよ」
そう言うや否や、まさかの光景が目に飛び込んできた。
光子とでもいうのだろうか?
萃香さんの周りにスターダストのような煌く粉が舞ったかと思うと、当の本人である萃香さんが
それは次第に辺りの景色と同化し、溶けるように消えていく蜃気楼のようなーーー
幻想的で驚異的な光景。
「密と疎を操る程度の能力」
声を追って眼をやれば、つい先程までは蜘蛛の糸に絡まれていたはずの萃香さんが女郎蜘蛛の後ろに立っていた。
「あんたみたいな野良妖怪には持ち得ない力さね。私を含め、飛び抜けて強い者は己だけの能力を持ってる。今のは自分の存在を疎めて霧になっただけさ。自慢の糸も霧までは絡めとれないだろう?」
二度目になるが、本当に眼を疑う。
解くでもなく、千切るでもない、その場から消える事による脱出。
理解の外にいる存在だとは思ってたけどここまでだとは…
「さあ、どうするね?ちなみにこれは最後通告だよ、今すぐ消えるなら見逃してやる。まだやるってんなら…わかるね?」
絶体絶命の危機はあっさりとひっくり返っていた。
この場において生殺与奪の権利は萃香さんが掌握しているといっても過言ではない。
そして、そんな萃香さんを目の前に、女郎蜘蛛のとった行動は最悪手と言っても足りないほどに最悪手だった。
「ふ、ふざけるなぁあぁぁぁぁああああ!!!」
甲高い叫びと共に地面が跳ねる。
最初そうしたように女郎蜘蛛は地中からの糸をもってして萃香さんを捕らえたのだ。
「す、萃香さん!?」
ただ、先程とは違う箇所が一点。
今度は萃香さんを絡めた糸に隙がないーーー
僕の状態を指して芋虫だというのなら、萃香さんは繭のような状態だ。
全くの隙間を許さない程に、頭から爪先までを強靭な糸が覆っている。
「ふ、ふふふ…あははは!どうかえ?ここまで密閉されれば霧になろうと外へは出れまい!後は好きなだけ痛ぶって死んでから喰ろうてやるわ!」
萃香さんに隙があったかと言われればそれまでだけど、それ以上に絶対的自信からくる慢心がこの事態を招いたと言わざるをえない。
あれだけ固められれば脱出は絶望といえるだろう。
「やめろ!やめろよ!クソっ!おい蜘蛛!」
女郎蜘蛛の足が一歩、また一歩と萃香さんに近付いて行く。
鬼である萃香さんが一撃で死ぬような事はないだろうが、文字通りサンドバッグの状態ではそれもいつまでもつかわからない。
「死ぬまでその中で後悔しとき!」
女郎蜘蛛がその巨大な足を振り上げた。
あれを今から何発も喰らうかと思うと目も当てられない光景を想像してしまう。
必死で叫び続ける僕を他所に、その足が直撃しようという瞬間ーーー
あたりに轟音が響く。
あまりの音量に僕も女郎蜘蛛も身体を硬直させ、眼を瞑ってしまう。
例えるなら大型トラックのタイヤを力任せに引きちぎったかのような、そんな破裂音だった。
そして、その爆音の余韻の中で、静かに、しかしハッキリと聞こえたのだーーー
「最後通告は、したからね?」
これが本来の鬼の声だと、地獄の怨嗟の中から聞こえるような深く暗い混沌を孕んだ声。
僕に見せていた豪快にして快活に笑う萃香さんからは想像もできないような、それでいてどうしようもなく萃香さんの声だった。
「な、なんで!?どうしてウチの糸が!?」
「あん?簡単な事さね、あんたの糸より私が強かった。それだけの事さ。まぁ、あんた程度の
見れば萃香さんの身体には千切れた糸の残骸らしき物がまとわりついている。
それでも、萃香さんは繭の様な糸の囲いから脱出して二本の足で立っていた。
「あ、あぁ…そんな…ここまでの差があるなんて…」
最初の勢い何処へやら。
顔を真っ青に染めてカタカタと震える女郎蜘蛛、それをただ黙って見ている萃香さん。
身体の大きさがまるで違う二人なのに、不思議と萃香さんは大きく見えた。
「ほら、どうしたんだよ?私を喰うって息巻いてたじゃないか」
「そんな事は…」
「言ったよな?ならかかっておいでよ。どちらにせよあんたはもう許されないんだから」
「はっ!霧のように神出鬼没の小鬼がおるいうて話に聞いた事がある…確かその鬼はあの妖怪の山で頂点に君臨していた筈…名前はーーー」
「伊吹萃香、小さな百鬼夜行こと伊吹萃香だ」
「ひぃっ!堪忍や!もうウチから襲ったりせんから見逃しておくれやす!」
「そう言って助けを求めたあいつに、あんた何て答えたのか忘れたかい?」
それだけ言って萃香さんは満面の笑みを浮かべたまま、おもむろに女郎蜘蛛の頭を鷲掴みにする。
ここまでのやりとりを見ているだけで、さすがに非道な女郎蜘蛛が相手とはいえ哀れに思えてくる。
というか、ここまで怯えるまで脅したのであればもう良いのではないだろうか?
何も殺すところまでやる必要はないだろうーーー
「す、萃香さん…もうその辺でーーー」
「あんたは」
チラリとこちらを見た萃香さんは僕の声を遮って呟いた。
「あんたは、この蜘蛛に情けをかけるつもりかい?健気にもここまでやればもう充分だとでも?」
見透かされていた。
いや、見透かされていたとしても僕が何か疚しい事を考えていた訳ではない。
特に後ろめたく思う事もないだろう。
そう、萃香さんの言葉を聞くまではそう思っていた。
「確かにその通りです…もう充分懲りてるでしょう?ならこれ以上は…」
「なら、あんたの足首のそれはなんだい?」
「は?って、なんだこれ!?」
指摘された通り、自分の足を見てみれば、身体を締め上げている糸とは別に右足首に新しい糸が巻きついている。
「やっぱり気付いてなかったみたいだねぇ?大方、隙をみてあんたを人質にでもするつもりだったんだろ。小物が考えそうな事さ」
言い終わると同時に女郎蜘蛛のコメカミに萃香さんの爪がめり込む。
それは血が滲む程の力を込めたものだ。
当然、女郎蜘蛛も苦痛の声を漏らす。
「がっ!ぐぁあああ!クソぉおおおお!」
このままいけば鬼の握力でもってその頭を握り潰す事も可能だろう。
だけど、萃香さんはそれをせずに僕の方に耳を向けて話を続ける。
「あんた…そんな気位で本当に勝ち残れると思ってるのかい?來たる決戦で相手取るのはこんな三下の妖怪なんかとは訳が違うんだろ?」
「それは…」
「あんたの優しさは認めるよ。でもね、それだけじゃ救えるもんも救えない。目先の感情に囚われてばかりじゃ死んでお仕舞いさ」
手厳しい言葉だった。
でも、それは正論すぎる程に正論で、僕が重ねてきた敗北の歴史を表すかのような含蓄ある言葉だ。
「それにね」
そこまで言うと萃香さんは再び女郎蜘蛛へと向き直った。
「こいつは私が最も嫌う部類の小悪党だ。挙げ句の果てに私の連れに手を出して最後通告も無視…もう温情をかける余地はないね」
「くっ…殺してやる!絶対に殺してやるぞ鬼め!」
女郎蜘蛛は半ば自暴自棄のように開き直り、その殺意を剥き出しにする。
「あぁ、殺してみな。生まれ変わったらね」
その言葉が最後だった。
「うぉぉるぁぁあああああ!!!」
掴んだ頭をボールのように振り回し、遠投でも行うように力任せにぶん投げた。
ただそれは鬼の力での全力投球。
女郎蜘蛛はプロ野球選手が投げた小石のように凄まじいスピードで林の奥へと消えて行く。
最後の叫びとその四肢や肉片をばら撒きながら。
「ふぅ…柄にもなく格下相手に必殺しちまったねぇ。さて、あんたの糸も解こうか」
ストレスの大元を解消したからだろうか、先程見せた鬼の顔はもう消えていて、そこにいたのは見慣れた快活に笑う萃香さんだった。
「今からその糸ぶった切るから動くんじゃないよ」
それだけ言うと萃香さんは僕に絡み付く糸を乱雑に掴み、左右に引っ張り始めた。
「よっいしょお!」
例の凄まじい音を奏でながら糸が千切れていく。
やってる事は地味かもしれないが、軽いのりでとんでもない事をしている萃香さん。
「ジャンボジェット以上かよ…」
「は?じゃんぼ…なんだって?」
こんな可憐で華奢な幼女のどこにこんな怪力が秘められているのだろうか。
「そういえばさ」
「へ?なんですか?」
「さっきはありがとうね、助けてくれて」
相変わらず乱雑に糸を引きちぎりながらも萃香さんは呟いた。
「えっと…何を言ってるんですか!?むしろ助けられたのは僕であって、お礼を言うなら僕の方でしょ!」
「いや、それは単なる結果だよ。私がたまたま鬼で、たまたまあの蜘蛛より強かったにすぎない。私が言ってるのはあんたの心に対してさね」
心ーーー
僕には漠然としすぎていて良くわからない。
僕が萃香さんの何を助けたというのだろう…
「もし私が人間よりも弱くて、もしも捕まったのが私だったなら…私は今日会ったばかりの他人の為に命を投げ出せるかわからないね。でもあんたは一瞬も迷わなかった。私を鬼と知りながら助けようとした。その心にこそ私は助けられたのさ、他でもない私自身の心をね」
…確かに萃香さんとは今日会ったばかりだ。
それでもあの瞬間、僕は萃香さんを死なせたくないと思ったのだ。
そして、命をかける理由はそれだけで充分だったーーー
「あの瞬間、あんたはあの場の誰よりも弱い癖にあの場の誰より強かった。鬼である私よりもね」
「そんな…僕はただ…」
「でもだ!それとは別に言っておくよ?」
糸を千切りながら僕を見上げる萃香さん、その目はどこか真剣さを感じさせた。
「簡単に命を諦めるんじゃないよ!命懸けで戦うのは誇らしいけど命を投げ出すのは正しくない。ましてやあんたは元の世界に帰るんだろ?残してきた大切な奴があんたを待ってるんだろ?なら死ぬ気で命を守らなきゃ駄目だ!仲間を裏切るような真似を鬼は許さないからね」
僕の帰りを待つ者ーーー
不出来な妹達
内気で危なっかしい年下の友達
変態で格好良い後輩
何でも知ってる親友
そして、こんな僕を好きだと言ってくれる彼女
確かに思い返せばこんなにも思い付く大切な人達。
それだけで死ねない理由には充分だった。
「さっきも言ったけど目先の感情に囚われてたら駄目だからね?帰ってこない相手を待つ奴の気持ちだって考えな。あんなに辛いもんもそうないよ」
「えっ?じゃあ萃香さんにもそんな経験が…?」
「あぁー、その話はもう終わりだ!ほら、これで糸も最後だよ」
萃香さんの過去には興味津々な僕だったけれど、バチンという一際大きな音と共に僕の身体が自由を取り戻して話は強制終了した。
しばらくは蜘蛛は見たくないな…
「ありがとうございます萃香さん、助かりました」
「これくらい気にしなさんな。それよりもーーー」
今日だけで沢山の出会いがあった。
普通という言葉を享受している全国の高校生ならば絶対に体験できないような出会いばかりだった。
そんな一日の終わり
僕は出会う事になる。
「さっきからピリピリと鬱陶しいんだよ、用があるなら出てきなーーー」
ーーーー八雲紫
この日僕は、幻想郷の頂点と相対した。
長すぎた…やりたい事、書きたい事を詰め込んだ結果こんな事になってしまいました(。-_-。)反省してます!
これでも途中で危険に気付き、後半はなるったけ短縮したんですが支離滅裂になってたら重ね重ねごめんなさい!
さて、シリアス展開もいよいよ本腰を入れていこうという次回ーーー我らがゆかりんがとうとう暦と対面!?
そしてやっと紅魔館へと帰宅(個人的にはこれに一番ホッとしてるw)
今後も、色々とやりたい事を詰め込んでいく予定なので、興味とお時間のある方は引き続きよろしくお願いします!