東方怪異譚ーLegend of vampireー 作:根無草
「兄ちゃん、朝だぞこらー!」
「お兄ちゃん、いい加減に起きないと駄目だよー!」
不意に身体を揺らすような感覚を覚えた……って、火憐ちゃんと月火ちゃん?
あれ、いつの間に眠ったんだ、僕。
というか、二人が起こしにくるってことは僕は自宅で寝てたんだっけ?
確か僕はーーなんだっけ?
何か忘れているような気がするけれど……駄目だ。眠気が酷くて頭が回らないーーというか揺らしすぎだろこいつら。人の身体をうどんか蕎麦の生地と勘違いしてやしないか?
「悪いんだけどもう少しだけ寝かせてくれないか?今日はどうにも体調が優れないみたいでーーんがっ!?」
そんな泣き言を漏らした瞬間、布団に包まって頑なに眼を閉じる僕を激痛が襲った。
というか、こいつら二人を相手に起床を拒否などできるはずもないことを忘れているとは……どうやら意識は覚醒したけれど頭の回転は追いついてないようだーー
「っざけんなよ兄ちゃん!」
「そうだよお兄ちゃん!そんな事で引きさがれる訳がないじゃない!」
不意に響き渡る怒声ーーど、どうしたんだこの二人!?
布団の外から聞こえる火憐ちゃんと月火ちゃんの声に違和感を覚える。
確かにいつも無茶苦茶な起こし方をする妹だし、時には(というか日常的に)暴力を行使する奴らではあるけれど……はたして、こんなにも本気で怒るような事があっただろうかーー
「兄ちゃんがどれだけ泣き言漏らして諦めようとあたし達は諦めねー!どんな時だって兄ちゃんを起こすのはあたし達の仕事だ!」
「私達が起こしにくるうちは簡単に寝られるとは思わないでよねお兄ちゃん!」
二度寝を要求しただけでどれだけ憤慨するんだよ。
つーかなんでこんなに必死なんだよ……そんなに僕を寝かせたくねえのかこいつらは。
「ああわかったよ!起きるからそんなに怒る……な……?」
多少の苛立ちも手伝って、乱雑に布団を跳ね除けたその先ーーつまりは二人の妹が、火憐ちゃんと月火ちゃんがいるであろうその場所にいたのはーー
「お、おはよう……暦お兄ちゃん」
妹ではなく、妹の友達にして僕の友達ーー千石撫子だった。
「せ、千石!?遊びに来てたのか?」
通り魔のように僕を起こしに来た火憐ちゃんと月火ちゃんのかわりに、僕のベッドにちょこんと座る千石。
未だに覚醒しきっていない頭を総動員して考察するも、この現状に理解が追いつかないでいる。
というか、さっきまで僕をさんざん罵倒していたはずの妹二人の姿が見当たらないんだけど……
「えっと……お邪魔してます、暦お兄ちゃん。でも撫子は遊びにきたわけじゃないんだ、ごめんなさい」
そう言うと、前髪に隠れてわかりにくいはずの千石の表情が目に見えて曇っていく。
というかこのタイミングで謝られると僕がどうしても千石と遊びたがっているように取れるんだけど……いや、千石と遊びたくないって訳じゃなくてね。
ただ、遊びに来た訳じゃないのに千石がいるというこの状況の把握が全くできない。
「遊びにきたんじゃないならどうしたんだよ?というか、あの二人はどこに行ったんだ?」
「今は撫子しかいないよ。それとね暦お兄ちゃん、火憐さんも月火ちゃんも暦お兄ちゃんを起こそうとしているだけなの。勿論、撫子も……」
起こそうとしているだけーー
遊びに来たわけじゃなく、なのに僕の部屋に千石がいるのは僕を起こすため?
そりゃあ能動的に起床する機会が少ない僕ではあるけれど、身内ならいざ知らず友達までもが僕を起こしに来るってどんな寝坊助だという話なんだが……僕って最近連載が終わってしまった派出所の漫画にでも出てたっけ?
コールドスリープのネタはそれこそ火憐ちゃんと月火ちゃんを相手にやったはずだけど。
「と、とにかく!暦お兄ちゃんは起きなきゃ駄目なんだよ。今すぐに起きる以外の選択肢なんてないんだよ」
「選択肢がないのか……いや、さすがの僕もここから二度寝しようとは思わないけどさ」
何がさすがなのかという話なんだけれど。しかし、妹が目の前にいるならいざ知らず、千石が僕を起こしに来ているのに二度寝という訳にもいくまい。
というか、そんな事ができないくらいには目も覚めた。
「うむ、それでこそ私の尊敬する阿良々木先輩だ」
「え?」
背後から聞こえた聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはやはり見覚えのあるーーというか僕の最も親しい後輩、神原駿河が立っていた。
いや、立っていたというかそれは単純に座れないだけというか……正確には座るスペースすらないと言うべきだろう。
そう、僕が千石と二人で話していた僕の自室は、呼び声に反応して振り返った瞬間には神原の部屋になっていた。
つーか座ることすらままならない散らかりっぷりってどういう惨状だ。
「む、散らかっているとは心外だな。これは散りばめていると言ってもらいたいのだが」
「そのネタは既にやったネタだ。じゃなくて……どうして僕がお前の部屋にいるんだよ!?」
これはもう寝惚けていたとかの範疇じゃ収まらない。
つい数秒前まで僕は自分の部屋で千石と話していた筈なのだ……どう間違っても神原の部屋にいるはずがない。
だとしたらこれはどういう事だ?そもそも僕は確かーー
「どうやらちゃんと起きようとしているようで安心したぞ阿良々木先輩。私ごとき若輩者が心配をする必要は全くもって皆無だったようだな」
「いや、ちょっと待ってくれ神原。心配って何のことだよ?というか起きようとしているもなにも、僕はこうして起きているだろ」
仮に寝ていた僕を起こそうとしていたとしてもこの部屋ではねえだろ。
寝る為のスペースが存在してないじゃんこの部屋。汚部屋じゃん。
いや、違う……だからそうじゃない。どうして僕は神原の部屋にいるんだ?だって僕は皆とーー皆……そうだ、僕はまだやらなきゃいけない事があった筈だ。
僕がやらなきゃいけない事……それは確か……
「そうだな。ああそれと、差し出がましくも偉大な阿良々木先輩の心配なんてしまった上にこんなことを言うのも気がひけるのだが、行き掛けの駄賃にもう一つだけ言わせてもらってもよいか?」
頭にかかった靄のような不快感を払拭すべく、必死に記憶の糸を手繰っていると、神原は珍しくも真剣な表情で僕を見見据えて言ったーー
「私は勿論、みんな阿良々木先輩の帰りを待っているぞ。それに、もしこのまま帰りもせず戦場ヶ原先輩を泣かすような事があれば……私は阿良々木先輩を許さない」
その眼は真っ直ぐに僕を捉えていた。
許さない、か……そりゃあ戦場ヶ原を泣かせるつもりもないし、もしそんなことになったならば神原はやはり僕を軽蔑し、幻滅もするだろう。
でも帰りもせずってーー僕はここにいるのに?いや、だからどうしてここにいるんだ?
僕はここではない場所にいたのではなかったのか?それは勿論、僕の部屋という意味ではなくーー
そう……確かそれはとても大切で、僕達は命を懸けて戦っていて……
「ちょっと、聞いてるの?阿良々木くん?」
抱えた頭を再び上げてみれば、そこにはもう神原の姿はなかった。
妹、千石、そして神原とーー目まぐるしく相手が入れ替わり立ち替わりしていく。
さすがにここまでくれば、いかに理解に乏しい僕であっても、これが現実ではないという結論に至るのは至極当然だ。
で、今度は誰が現れたかと思うとーー
「しっかりしなさい、阿良々木くん」
夕日が差し込む直江津高校の教室、机を挟んで向かい合わせに座る少女、眼鏡に三つ編みという見た目からして委員長の中の委員長ーー羽川翼だった。
「はは……友情出演にしても豪華キャストだな。髪型と眼鏡まで初期仕様かよ」
もう驚きもしない。
夢の中で再三にわたり起きろとせがまれる違和感はあるにせよ、これは確実に夢の中だ。
いや、夢の中というなら僕は現在進行形で寝ている事になるから、これは夢の中ではなく僕の中なのだろう。
あるいは本当に夢の中での出来事であって、それは早急に覚めなければならない夢なのかもしれない。
だとすればこのキャスティングは効果覿面だ。なんせ僕を動かす最大の原動力はこれまで出て来た僕を取り巻く全ての人達なのだから。
「うん、だいぶしっかりとした顔付きになったね。これなら私から言うことはもうないのかな」
「そんなこともねえぜ羽川、僕をこうやって起こしにきてくれた事には感謝するけれど、しかし僕はどうしてこんなにも起きろ起きろとせっつかれるのかわかっていないんだ。せっかくなら教えてくれないか」
どうやらここは現実ではないということ、そしてこの幻の世界から一刻も早く目覚めなければならないこと、それは僕にも理解できた。
理解はできたけれど納得がいかないのだ。
どうしても頭にかかった靄がはらえないーー僕はどこにいて何をしていたのだ?
確かに僕はここではないどこかにいて、何かをしていた。それも、とても重大で重要な何かを……
「それは私にはわからないよ」
羽川は困ったように笑いながら言った。
「お前でもわからない事があるのか!?」
だとすれば僕なんかにわかりっこねえだろ!歩く百科事典どころか歩く国宝にして国家機密とも言える頭脳の持ち主である羽川翼がわからないことなんだぞ!?
「なんでもは知らないわよ、知ってることだけ。それに私が知らなくても阿良々木くんにはわかることだと思うよ。阿良々木くんというよりは阿良々木くん
「僕……達?それって誰のことだよ?僕と僕以外にも誰か関係がーー」
僕達と言われても……僕とペアで呼ばれるような奴なんてーーいや、いる。
文字通り一心同体の僕の相棒。かつて伝説とまで謳われた鉄血にして熱血にして冷血のーー
吸血鬼ーー
そうだ、僕はあいつと……忍と一緒に……!
矢継ぎ早に質問しそうな僕を他所に、羽川は少し微笑んでそれを遮った。
「はい、私の出番はここまで。もう空も暗くなってきたし早く行かないと。だからね阿良々木くん、ちゃんと帰ってくるように」
そう言って真上を指差す羽川。
空が暗くもなにも、ここは教室の中なのに空なんて見えないだろうと、指差すままに頭ごと視線を上げるとーー
そこにはどこまでも広がる満点の星空が広がっていた。
「随分と待たせてくれるわね阿良々木くん」
「戦場ヶ原……」
目を奪われる程の星空と、それを見上げるようにいつの間にか横たわっていた僕、そしてそんな僕と並ぶように横たわって僕に声をかけたのは、僕の彼女、戦場ヶ原ひたぎだった。
まあ、こんな星空を眺めながら言葉を交わすような相手なんて、僕にはこいつくらいしか思いつかないし、ここまで出演してくれた奴らのトリを飾るならば、こいつを置いて他にいないだろう。
「その落ち着いた様子を見るからに全てを理解したようね」
「ああ……羽川のおかげでな」
あいつ……なんでもは知らないなんて言っておきながら、しっかりと把握してんじゃねえか。
いや、あいつのことだから知らない事だとしても推測して推理して推察したって線もありえるけど……本当、凄い奴だよ。
「そう、それならいいわ。なら私の言いたい事もちゃんと理解しているのでしょう?」
眼は合わせないーーただいつかのデートの時のように、真っ直ぐ星だけを見ながら言葉を繋ぐ。
「……ああ、ちゃんと理解しているよ。僕はちゃんと帰ってくる。ちゃんと僕らしく、僕のまま、お前のところへと帰ってくる」
繋いだ手を一層強く握りしめ、まるで自分に言い聞かせるように僕は誓う。
心配も迷惑も当たり前にかけられるけど、誰よりも僕の誇りである妹達のため。
どこか放っておけなくて、人見知りだけど素直で僕をしたってくれる千石のため。
どこまでも変態で手を焼かされるけれど、誰よりも格好いい後輩の神原のため。
何度でも僕を救ってくれ、導いてくれた親友にして恩人の羽川のため。
そしてーー誰よりも不器用で、誰よりも強くて、誰よりも僕を愛してくれる戦場ヶ原のため。
僕は、僕達は……戦い、そして勝利してここへと戻るんだ。
「そう、なら私は何も言わないわ。少なくとも私は阿良々木くんのそんなところに惚れているのだから」
「ありがとう。お前が、お前達がそう言ってくれるから僕は安心して進めるよ」
「彼女の立場としては進んで無茶をするような真似はしてほしくないのだけれどね。ところで阿良々木くん」
数多の星々を映していた視界の中に戦場ヶ原の顔が割り込む。
「ツンデレサービース」
月明かり以外、何の光源もない闇の中、それでも戦場ヶ原の顔だけははっきり見えた。それは果たして吸血鬼ゆえの夜目が利いたのか、それともーー
「勘違いしないでよね、よその女にうつつを抜かしている阿良々木くんがどこで何をしていようが知ったことじゃないんだからー。でも……無事に帰ってこないと、許さないんだから」
それだけ言うと僕も戦場ヶ原も示し合わせたように眼を閉じたのだったーーーー
「…………ん!こ……さんっ!」
そして再び眼を開けたそこにはーー
「暦さん!意識が戻りましたか!?」
僕の名を必死に呼ぶ緑色の帽子を被った女性、紅美鈴さんの姿があった。
「いつつ……美鈴さん?ってことは、さすがにここからは現実だよな……」
「当たり前じゃ阿呆が。ちゅうか今まで夢を見とったのかお前様は?こんな状況で随分と余裕じゃな」
声の方へと頭をふれば、そこには心渡を担いだ忍の姿が。そしてレミリアにフランの姿もある。
その傍らには寝かされたまま眼を閉じた咲夜さんとパチュリーさんの姿もーー
「ど、どうなってんだよこれ!?咲夜さんもパチュリーさんも無事なのか!?」
咄嗟に飛び上がるように起きたものの、軽い立ちくらみのようにたたらを踏んでしまう。とは言ってもすぐに美鈴さんが支えてくれたのだが。
「ふん、今の今まで死にかけとったのにすぐさま他人の心配とは、相変わらずのお人好しっぷりじゃのう。心配せずともあそこの二人もレミリアとフランの血で治療済みじゃ。今は能力の使いすぎで寝とるだけじゃよ」
それを聞いてひとまず胸をなでおろす。
それにしても生きているとはいえ、そこまで能力を行使しなければならないほどの戦いだったのか……こうやって目の前で眼を閉じたままの二人を前に不謹慎ではあるけれど、それでも無事でよかったーー
「暦お兄様っ!」
安心して気を抜いた僕の懐に小さな影が飛び込んでくる。
「ごめんなフラン、心配かけた」
まるで小さな頃の月火ちゃんみたいに僕にしがみつくフラン。純血の吸血鬼ゆえにその力は存外洒落にならない怪力なんだけれど、しかしその震える細い両腕を振りほどく気にはなれなかった。
「目が覚めたようね暦、忍お姉様もフランも……みんな心配したのよ。もう平気なの?」
「悪かったよレミリア、おかげさまで僕はもう平気だ。なんせこれ以上ないくらいの発破をかけられたからな」
まったく……夢の中まで出てきやがって。これで僕が生き返らない訳がねえじゃねえか。
「発破?よくわからないけど平気なら良かったわ。危うく暴走した忍お姉様があたり一帯を荒野に変えるところだったんだから」
「こ、こらレミリア!余計な事を言うでないわ!」
そんなやりとりでじゃれ合う二人ーーこの戦いの中で誰も失っていない事を実感させてくれるような温かさが嬉しく思う。
とは言っても、以前として気が抜けるような状況ではないはずだし、指摘された通り僕も死にかけているのだからそこまで楽観的には構えてられないのだけれど……って、そうだ!僕達はまだ戦いの最中じゃねえか!
「つーか談笑してる場合かよ!?もしや決着ついちゃったの?」
「残念ながら決着はついとらんよお前様。どちらかといえば決着ではなく膠着じゃな。今はあちらもこちらも手を出せんでおる」
そう言うと苦虫を噛み潰したような顔で忍は顎をしゃくる。
「な、なんだよこれ……」
忍のそのボディランゲージは空を見ろという意味なのだろうけど、しかしそこには空なんてものはなく、レミリアが染め上げた真紅の満月も星空もなく、厳密に言うならば、空がある筈のその空間には星の代わりにと言わんばかりのーー
人魂が飛び交っていた。
「原理はわからないわ。しかしこの無数の人魂はどうやらあの三人組の仕業のようね。暦の下半身を綺麗さっぱり吹き飛ばしたのも美鈴に聞いた話だと弾幕のように突撃する人魂だったらしいしね」
「あの三人組の仕業って……だとしてもこれだけの数を前に呑気にしている場合かよ!?」
「ああ、それは今のところ問題ないわ。これ以上の被害が出ないよう、全員をここに集めた後で私が結界を張っているから。とは言っても、結界なんてパチェみたいな魔法使いの専門であって私の結界はいつまでもつかわからないけど……」
レミリアは傍で眠るパチュリーさんを重々しい眼で見つめた。
しかし結界か……どこにでもいるような一介の高校生である僕にはその構造や性質はわからないけれど、しかし注視してみれば僕達を囲むように、守るように、護るように、薄く紅い膜のようなものが張り巡らされていた。
周りを飛んでいる無数の人魂も、どうやらこの結界の中には入れないようで、こちらに向かってきては鈍い音を立てて弾き返されている。
「地に履い、穴倉へと引き篭もる……まるで害虫ですね。実にお似合いです」
「貴様……っ」
一同の視線が集まるその先、夥しい程の人魂が飛び交うその中心にそいつはーーヴァンパイアハンターの頭であるブラム・クルースは浮かんでいた。
「しかしいつまで耐えることができますかねぇ……いえ、私はどちらでも構わないのですよ?そこで虫のように潰れていくのも、そこから飛び出して玉砕覚悟の特攻をして散るのも、どちらでも構いません」
「粋がるなよ小僧……まさかお前が弾幕を使えるとは思わなかったけどね。それにしても気品のかけらもない弾幕だこと、それこそお前のような下衆な男が使うに相応しい醜さだわ」
どうにも苦しい状況にあることは間違いであろう状況で、それでもレミリアは気高くも凄惨な笑みを浮かべてブラム・クルースに言い返す。
「ふふ、虚勢をはるのもいいですがいつまでもちますかねぇ?」
嫌味な発言と共にブラム・クルースが指をスナップする。それを合図に僕達を取り囲む結界へと人魂が体当たりをかける。まるでその小さな一発一発に意思があるかのように次から次へと絶え間なくーー
「くっ、確かにこのままじゃ埒があかないわ……」
結界へと全意識を集中しているのだろう。あるいは僕なんかには想像もできないような無理な力を行使しているのかもしれない。現にレミリアの額には脂汗が浮かび、その表情もありありと焦燥を物語っていた。
「ちっ、このまま籠城というわけにもいかんしのう……かと言って討って出るにしても……」
忍はそこまで言うと言葉を濁す。
いや、濁す必要なんてないほどに、どうしようもなくその先の言葉はみんなが悟っている。
こちらには手負いの仲間が二人……この結界を解除し、ブラム・クルースへと特攻をかければ未だ目覚めないパチュリーさんと咲夜さんの無事は保証できないのだ。
全てを賭けてでも誇りの為に戦いぬくと決めてはいたものの、仲間の犠牲を大前提とした特攻なんてこの場の誰もができるはずがないのだった。
でも……あるいは僕ならーー
「なあレミリア、聞きたいことがあるんだけど」
「何かしら?」
あるいは僕ならこの状況をどうにかできるかもしれない。
「僕だけを結界の外へと出すことはできないか?」
「な、何をぬかしとるんじゃお前様!?」
「そうよ暦お兄様!こんな状況で半分人間の暦お兄様が結界から出たら一瞬で殺されちゃうよ!」
「恐れながら私も忍様や妹様と同意見です。先の共闘の時から感じていたのですが暦さんはどうも自己犠牲の精神が強すぎます!」
そりゃあそういう反応になるよな……
フランにいたっては僕の腕が千切れるんじゃないかって力でしがみついてきてるし。
しかしーーさすがは一国一城の主。レミリアだけは僕の眼を見て何かを考察しているようだった。
「ねえ暦、その質問が何の考えもなく美鈴の言うような自己犠牲の精神から出た言葉だとしたら勿論却下させてもらうけれど……何かしら考えがあっての言葉なのかしら?」
「よく聞いてくれた。そしてみんなも聞いてほしい、僕の考えを」
そう、いくら僕だって確実に死ぬことがわかっていて飛び出そうだなんて思わない。あるいは、大切な人のためならばそれも構わないと思うのが僕なんだろうけど、今回に限ってはそんなことは考えてもいないのだ。
自己犠牲?あいつらにあれだけ帰ってこいと念を押されて帰らない訳にはいかないからな。
「恐らく僕が外に出たとしても殺されることはないはずなんだ」
「……要領を得んのう。説明せよお前様」
最初はそんなことを思い付くことはなかった。
当然のように、戦いになれば敵は僕のことも殺すつもりで襲ってくるだろうと思っていたのだから。
でも、思い返せばおかしな点は多分にあった。
そもそも、僕がこうして今ここに存在している事がその証明でもある。
このブラム・クルースは勿論、僕と美鈴さんが戦ったヴィンセント・バフィーだって歴戦のハンターなのだ。
しかも生前から強かったはずのあの男は、亡霊として更にパワーアップしていた。吸血鬼専門のハンターとして。
それなのに少し吸血鬼の力を得ただけの戦闘とは程遠い生活を送っている高校生の僕を仕留めきれないなんて事が、はたしてあるだろうか?
それだけじゃない、ヴィンセントは僕を戦闘から遠ざけようともしていた。
表向きは美鈴さんとの一対一の勝負を楽しむためという理由で。
しかしどうだろう?結局、戦闘にはなったものの、死ぬかもしれないような攻撃は受けたけれど結果として僕は生きている。
これはもしかしたら、奴らには僕を殺せないような、殺したくないような理由があるのではーーそう考えるとある一点において合点がいく。すんなりと、納得できる。
ペアリングーー
今でこそ、その力は全盛期に比べて遥かに制限されている伝説の吸血鬼。
忍野忍に施された封印。
僕の死は、イコールでその封印を解くことを意味している。
あの三人組は、その全盛期の忍によって殺されているのだ。だとしたら如何にパワーアップしたとはいえ、そんな危険なものを呼び起こすような真似はしたくないだろう。
さらにあの三人組は二百年もの間、忍が弱体化するタイミングを待っていたとも言っていた。
つまり、奴らには僕を殺せない。
殺せはするけれど、それはあくまでも封印された状態の忍を殺してからだ。
殺す順番を間違えてしまえば、それは結果さえも大きく変えてしまうのだから。
「ふむ……言いたいことはわかった。じゃが、それはあくまでもお前様の想像の話じゃろう?憶測の域を出ておらん」
「そりゃあそうさ、でもこの現状でそれ以外の手段があるか?」
いつ突破されるかもしれない結界の中で、それ以外の作戦を考案する余裕など、僕達にないのだ。
あったとしても、それはきっと誰かの犠牲を必要とするだろう。
レミリアやフラン、忍の命を代償にして助かるなんて、そんなもんは作戦として候補にすらあげられない。
「それに僕は一人であいつを倒すつもりなんてないんだぜ?お前達は僕の弱さを知らないだろ。自慢じゃないけど僕が掛け値無しに不死身だったとしても勝てるとは思えないとさえ言えるね」
「暦お兄様……それはなんだか格好悪いよ?」
「いいんだよ、格好悪くて。だから僕はあくまでも注意をひくだけ。みんなはその間にパチュリーさんと咲夜さんを安全な所へと避難させてくれ。そこから先は申し訳ないけどみんなにまかせる」
僕にできることなんて知れているのだ。
だから盾になろうとか、生贄になろうとか、そんな事は考えない。
ただ、だからといって足を引っ張るだけのお荷物になるつもりもない。
僕はみんなへとこの戦いを繋げる事ができれば万々歳なのだ。そこから先の、こいつらの勝利は僕が誰よりも信じているのだから。
「……確かに暦だけを結界の外へ出すことはできるわ。けれど忍お姉様の言う通り、その作戦はあくまでも暦の想像の域を出ないーーいわば命がけの作戦よ?わかっているの?」
「わかっているし、僕は死なねえよ。僕にはいざって時には必殺のTHE・土下座がある。何より……何せ僕は勝手に一人で死なないって約束してるんだから。なあ、忍?」
お前が明日を諦めていないのなら、僕も明日を生きなきゃならないんだから。
「ちっ……そういう言い方は卑怯じゃ。うぬはイタリア男か……」
「……どうやらこれ以上の問答は無意味なようね。でも暦、くれぐれも無茶だけはしないことよ?もしも暦が死ぬかもしれない状況になったら、私達はこの結界を放棄してでも特攻するわ。それだけは頭に叩き込んでおきなさい」
「本当はフランも一緒に行きたいけど……戻ってくるまでの少しの間、頑張ってね暦お兄様!」
「ああ、肝を冷やしながら待っているよ」
作戦は決まったーー
吸血鬼専門のハンターと一対一と聞けば、普段の僕ならビビって縮みあがっていることだろう。
でも、不思議と恐怖はそれほどない。それは僕が殺される事はないだろうという希望的観測などではなく、命を預けるのが他でもない忍だからだと、そう思う。
「なら作戦を決行するわよ。暦、私の手を握って」
「えっ!?おいおい、みんなが見てる前でそんな大胆な!僕のことをそういう風に見てくれるのは嬉しいけれど、告白ならみんながいない時にーー」
「なぜそうなるのじゃ!さてはお前様、童貞をこじらせすぎてとうとう脳みそが腐りよったか?」
「暦さん……さすがにそれは無いです」
「次やったらキュっとしてドカーンね」
「というか暦に手を握られるのが本当に嫌になってきたわ……」
「冗談だよ!お前ら揃いも揃って言い過ぎだ!」
つーか幼女に手を握ってなんて言われれば世の中の男はみんな舞い上がっちまうんだよ!
それでも渋々といった様子で差し出されたレミリアの手を握る。
そして、その握っている手から全身に広がるように紅いオーラのようなものが僕を覆った。
「それで暦は結界を自由に通り抜けられるわ。後は暦のタイミングにまかせる」
依然として雨のように止まない衝撃を結界で受け止めながら、レミリアは苦しそうな顔でその手を離した。
「お前様よ、わかっておるな?」
無言のまま頷き、結界へと足を向けた僕の背中に忍が問いかける。
「……ああそうだ、男に産まれたからには一度は言いたい台詞があったんだ」
いつも忍の存在を、その力を、少なからずあてにしていた僕としては少しだけ誇らしくもあり、嬉しくもある……そんな内心を悟られないように、少しだけ笑みを浮かべながら僕は宣言する。
「ここは僕に任せろ!」
僕は戦場へと踏み出した。
最終決戦突入です。
どうも、忘れた頃にやってくる根無草です。
前回、事故で怪我をしたという私事の報告をさせていただきましたが、おかげさまで順調に回復しております。
が、その影響もあって最近転職をしまして……相変わらず多忙な毎日です。
中々更新速度も上がらない本作品ではありますが、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
ストレスもあるかと思いますが、興味とお時間のある方は引き続きよろしくお願いします。